マズローの求める心の健康レベルはちょっと高めです。
いや、「かなり高め」と言った方が正しいかも(笑)
普通の人なら、「私の心は健康です」と言える健康度でも、マズローに言わせると「いや、あなたは健康ではありません」となってしまいます。
要は、マズローの基準は一般的なものとは違っていて、使うモノサシの目盛りが大半の人々のものとはかなりかけ離れていて、その指標がハイスタンダードなものなんですよね。
一般的な健康度というものが仮にあったとして、その基準では100点だとしても、マズローの基準では50点だったり10点だったりすることが往々にしてあります。
それは、例えるなら、地元では一番サッカーがうまいスポーツ少年が、進学して世界が広がることによって自分が井の中の蛙だったことを知ることに近いかもしれません。
地域の草野球でエースを張れる選手も、メジャーリーグに行けばソッコーで戦力外通告を言い渡されるのと同じ感じでしょうか(笑)
もしくは、マズローの基準の高さをもうちょっと違う例えで言うと、美味しいものを知ってしまうと今まで食べていたものが美味しく感じなくなる感覚に近いのかもしれません。
普通のスーパーで売っている野菜に食べ慣れている人が、人生で初めて自然栽培の野菜を口にしてその美味しさと味わい深さにビックリするようなイメージですね。
今まで80点だと思っていた市販の人参が、本当の味を知った後では10点しかつけられなくなってしまうような感じが、マズローの健康度の基準の高さを表現するにはより近いと思います。
そして、個人的に大切だなと思うのは、マズローの基準で生きることが必ずしも「正しいこと」ではないということです。
「優れていること」が必ずしも良いことではありませんし、「正しいこと」が必ずしも良いことでもないですよね。
とは言え、心の健康度に関しては、やっぱりマズローの基準で測る方が、自分をより正確に知ることができると思います。
少なくとも、より本質的な視点で自分を心の健康度を測り、心の在りようをちゃんと知ることは、自分をより幸せにしてくれます。
もちろん、ハードルが上がればそれだけ大変なことも増えるという側面も確かにあるりますよね。
葛藤すること、苦悩する機会は、自ずと増してくると思います。
しかし、その先に、それまでの世界とはまったく違う世界が開けるというのが、本当のところです。
それこそが、自分にとって本当に望ましい人生です。
それは、他者から見れば価値が低いように思われることもありますし、馬鹿にされたり見下されたりすることもあると思います。
しかし、そのようなその側の基準すらも気にならなくなるほどに自分にフィットした毎日を過ごすことができます。
それが、マズローの言う「真の健康」を手にした人の心の状態です。
僕は、今の世の中というのは「不健康」でなければ、健康だと言われる社会だと言えると思っているのですが、それは「病気じゃないから健康ということにしておこう」という価値観な気がします。
精神的な病、心の病気を患っていなければ、健康。
医者や専門家から病名をつけられないなら、健康。
そんな、盲目的に一般に受け入れられている価値基準に対して「いや、それって健康じゃなくない?」と言うのがマズローです(笑)
何も知らなければ幸せでいられたかもしれないのに、マズローはその安定にズバッと鋭い一太刀を入れてくるのです。
なので、人によっては「マズローに出会わなければそれなりに幸せと言える普通の人生を送れたのに」と思う人も、もしかしたらいるのかもしれません。
あるいは、「別にマズローの言う健康なんて欲しくないし!」と、はねのける人もいたりする可能性もあるでしょう。
それこそ、何を求めるのかは人それぞれなので、もし仮にそういう人がいたとしても誰も責められませんし、それは決して悪いこともでもないと思います。
要は、結局はどこまでもいっても自分自身の問題なんですよね。
一般ルートで流通されている人参で本当に満足できる人はそれでいいと思います。
栄養学的にも優れていて、地球環境的にも価値が高い人参を選ぶことは正義ではありませんし、普通の人参にはその人参ならではの良さと存在意義があることも確かだと思います。
実際、多くのスーパーで売られている人参も、十分美味しいですしね(笑)
でも、こと人生という枠組みにおける心の健康に関しては、やはり普通の健康的な在りようでは満たされないものが圧倒的に多いんですよね。
なんとなく心が満たされないのに、心療内科で「あなたは病気じゃないですよ」と言われても納得できなかったり、友達に相談して励まされたり理解を示してもらったとしても何も解決しないのと同じです。
いつも心のどこかでモヤモヤしていたり、何か気がかりなことがあったり、心の奥底で引っかかりを覚えていたりするとき。
あるいは、言葉にならないネガティブな感情や、抑えきれない欲求の存在を感じるとき。
もしくは、怒りや恐れといった衝動がいつもグツグツしている感覚があるとき。
または、「自分は本当に今の人生に満足している」と胸を張って言えないとき。
そんなときはきっと、普通の基準で言えば不健康な心と認定しなくては済むものの、マズローの基準では完全に不健康な心と言えるのだと思います。
そして何より、その何となくしっくりこない感覚があることが、もっと本質的な意味で心が健康になれる可能性があることを実は自分自身が知っているという証拠です。
僕たちの心は、もっともっと健康になろうとしているのだと思います。
社会的な枠組みで不健康ではないと言われても、心は満足しません。
だからこそ、「モヤモヤ」「イライラ」といった感覚や、悶々とした感じ、わびしい感じ、まずしい感じ、空虚な感じを受けとるのです。
もちろん、それを押し殺すこともできます。
というか、それはとても簡単なことです。
それゆえにきっと多くの人が、かすかな心のささやきを無視することを選んでいるのです。
繰り返しになりますが、それを選ぶのは「イケナイ」ことではありませんし、それが本人の選択なのですからその選択を他人が尊重しないことはお門違いだと思います。
大切なのは、自分でそれに納得できるのかどうか。
本当の本当の本当に、自分はそれでいいのか。
ただ、それだけだと思います。
そして、「いや、このままじゃイヤだ。もっと心の底から満足し、胸を張って誇りをもてる、本当の自分の人生を歩みたい。」という決意をした人に、マズローは手を差し伸べてくれます。
ときに厳しくストイックに、しかし、ときに優しく穏やかに。
むしろ、その土台にあるのは温かみに包まれた世界観。
自分の人生を生ききると決めた勇敢な人々に新しい扉を開いてくれるのが、マズローという人なのだと僕は思っています。