心の健康

エヴァと心理学/エヴァンゲリオンの魅力をマズロー心理学で紐解く

エヴァンゲリオン心理

 

たび重なる延期を経て、2021年3月にようやく公開となった『シン・エヴァンゲリオン劇場版』。

約四半世紀にもわたって続けられた物語が、ついに終わりを迎えました。

今回は、このシリーズの一作目である『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』で描かれた、とあるシーンをマズロー心理学的に解釈したいと思います

そこには、多くの人がエヴァ作品に知らぬ間に共感している背景にある「僕たちが心の奥底にしまい込んだ本音」が隠れていました。

※最新作のネタバレなどはありません。

 

エヴァンゲリオンはどうして人気なの?

 

まず最初に、サクッとだけエヴァンゲリオンの魅力と設定をおさらいしましょう。

エヴァンゲリオンは、未曽有の大災害「セカンドインパクト」が起き人口の半分が失われたた世界を舞台に、14歳の少年少女たちが汎用人型決戦兵器である「人造人間エヴァンゲリオン」に乗り、人類に破滅をもたらそうとする謎の敵「使徒」との戦いを描いた作品です。

 

エヴァンゲリオン作品はその物語の設定がかなり複雑で、なおかつ奥深くも謎めいた世界観を背景に話が展開されていくので、多くの人がその話に引き込まれます。

興味深いストーリー展開によって受け手の好奇心を巧みに刺激し、作品が進むにつれて「続きがどうなるのか?」「物語はどんな終わりを迎えるのか?」がどんどん気になってしまう。

その一方で、この物語には神話をベースにした宗教的な要素や哲学的な要素も含まれていて、見る人に様々なこと考えさせてくれるという特徴もありますよね。

また、純粋に映像としての美しさや造形のカッコよさも、エヴァンゲリオン作品の魅力の一つでしょう。

そして、このような数多くの特色のなかでも特に注目したいのが、エヴァンゲリオンの真骨頂とも言えるであろう、登場人物たちの心模様を繊細に描いている心理描写についてです。

 

エヴァンゲリオンにおいては、主人公の「碇シンジ」はもちろん、他の主要キャラクターもみな一様に心に傷を負っています。

また、登場人物たちは過去に受けたその傷によって現在進行形で様々な葛藤をしていて、その様子が実際の言動として作中において非常に上手に表現されていると思います。

お互いに心が傷ついている者同士が織りなす人間関係やその心の動きこそがストーリーに奥行きをもたらしていて、同時にそれが多くの人々がこの作品に共感し魅了されるポイントになっているというのは有名な話。

 

このような心理描写を代表しているとも言える有名なセリフは、シンジが最初にエヴァンゲリオンに乗るときに彼が心の中で「逃げちゃダメだ」という言葉を連呼するシーンですよね。

使徒と戦うことへの恐怖心と葛藤するシンジの様子は、見る人の心に響きます。

多くの人が、シンジと同じような「逃げる?or 逃げない?」という葛藤を経験をしたことがあるのは言うまでもないでしょうし、また、あのような葛藤は僕たちの普段の日常シーンでも結構よくある状況なので、あのセリフを冗談半分でマネしたことがある方も少なくないと思います(笑)

 

そんな、人間の内側、メンタル面を分かりやすくも丁寧に描いているのがエヴァンゲリオンの大きな魅力の一つと言えると思いますが、とはいえ、なぜこれ程までに絶大なる支持を集めているのでしょうか?

そこにはもう少し別の理由がありそうです。

 

シンジに時々イラっとしちゃう理由とは?

 

エヴァンゲリオン作品を見たことがある方はおそらく頷いていただけると思うのですが、主人公のシンジはあまりカッコいい人柄ではないんですよね(笑)

いつもウジウジと女々しくて、基本的になんでも受け身で消極的

人と接するときも、自分の殻にこもり、心のシャッターは閉店ガラガラ状態です(笑)

かと思えば、急に大声で叫んだり反抗的になったりもするので、思春期特有のナイーブさも相まって周囲にとって非常に扱いにくいオコチャマです。

そういった一面に怒りを覚え、アスカはシンジのことを「ガキシンジ」と呼んだりもしますよね。

エヴァに乗る理由も、周りの人間(特に父親)に自分を認めて欲しいからという、めっちゃ個人的な動機。

そういった意味では、あえてマズローの語った欲求で言えば、彼は「承認欲求」の塊のような存在ですね。

いわゆる「メンヘラ」的な特徴の持ち主で、少なくともヒーローっぽさは全くありません。

そんなシンジを見ていて、ふとイラっとしたり舌打ちしたくなったり、心のどこかでシンジを見下すような気持ちを抱いたことがある人もいるかと思います。

 

でも、そんな全然カッコよくない中二病男子が主人公なのって、よくよく考えてみるとちょっと不思議ですよね。

実際、他の人気漫画やアニメの男の主人公は、やっぱり基本的に雄々しくてカッコいい性格の持ち主が一般的です。

少年漫画で言えば、『ワンピース』のルフィや、『スラムダンク』の花道や、『ドラゴンボール』の悟空に代表されるような、男らしくて明るく快活でパワフルなイメージの、いわゆる「友情・努力・勝利」がピッタリな印象の主人公がほとんどだと思います。

もちろん、それぞれに弱みや欠点はありますが、シンジほどのナヨナヨした感じやこちらを苛立たせるほどの弱々しさはありません。

あるいは、『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』のような作品と比べても、やはりシンジの精神的な不安定さは頭一つとびぬけている感じがします(笑)

 

ではなぜ、そんな見ていて気持ちよくない人物、心を晴れやかにするどころか曇らせるような人物が主人公の作品がここまで大人気なのでしょうか?

 

それは言うまでもなく、多くの人がシンジに対して自分と同じものを感じるから、つまりシンジに見えるダメダメな部分に共感していることが大きいからであるというのは先程も触れました。

しかし、この部分を別の角度から深ぼることで更に面白いエヴァの魅力が発見できるのではないかというのが、このコラムのメインテーマです。

 

そして、先に結論から言えば、多くの人びとが無意識下で「恐怖によって他者の指示に従っている」という点をシンジに見出しそこに共感しているというのが、僕たちがエヴァ作品に惹かれる一つの理由なのだということです。

ということで、この内容を分かりやすく噛み砕くために、映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』のストーリーの序盤における「とあるシーン」を掘り下げてみたいと思います。

 

多くの現代人がシンジ化している?

 

さて、ここでピックアップする『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の序盤のシーンとは、シンジが使徒との一戦目の戦いを終えた後で、次の戦いに備えて戦闘訓練をするシーンです。

 

シンジは、最初の使徒との戦闘のあとで、学校の同級生であるトウジから「お前がエヴァで戦ったせいで俺の妹が怪我をした」という、戦闘の二次被害というイチャモンをつけられて顔を殴られます。

それによって、ただでさえ不明確だったエヴァに乗る理由が、シンジの中で更にあいまいになってしまいます。

また、使徒と戦う恐怖心も一戦目を通して克服できたワケではなく、未だにシンジの中に戦闘への恐怖は残り続けています。

つまり、シンジにとってエヴァに乗り使徒と戦うことは怖い上に、その意義や意味も見いだせていない状況に陥るのです

 

しかし、それにも関わらず、シンジは次の使徒との戦闘に備え、周囲に言われるがままエヴァに乗り戦闘訓練を受けます。

とは言え、その眼は光を失い生気がなく完全に死んでいて、狙撃練習も指示の通りにまるで機械のようにこなしさながらロボットのごとく思考を停止させ言われるがままに行う有様。

エヴァの開発責任者を担う赤木リツコは、そんなシンジの様子を見て「なぜ彼はまたエヴァに乗ることを決めたんですかね?」という自分の部下からの質問に対して、その理由をこう答えます。

 

ひとの言うことには素直に従う、それがあの子の処世術じゃないの。

 

言うまでもなく、リツコが放ったこのセリフは、シンジの内面を鋭く見抜いたものです。

自分の意見や感情にフタをして、他者からの指示に抗うことなく従う

自らの頭で考えることを放棄し、上司や責任者の命令を盲目的にこなす

これが、使徒と戦う理由も意義も見失ったシンジの悲しい現状です。

 

もちろん、このようなシンジの態度は、決して褒められるものではありません。

言わずもがな、これは非常に幼稚で無責任かつ他律的なスタンスであり、実際に物語の中でもこの消極的な態度をシンジは周囲から非難されますし、自分自身の葛藤の原因にもなっており、シンジがエヴァに載る理由が変わっていく様子はエヴァンゲリオン作品全体の中心軸になっています

実際、映画を通してこのような姿勢のシンジを見て、彼に対して否定的な感情を抱く人も少なくないのではないでしょうか。

なぜなら、シンジのような青臭い未熟なガキンチョは、見ていて気持ちのよいものではないからですね。

 

しかし、このシンジのような態度と処世術は、実は、現代に生きる僕たちにも押しなべて共通することではないのでしょうか

機械的に命令に従うシンジの姿は、このことの象徴的に描写しているように思えます。

つまり、率直に言ってしまえば、この点において僕たちはシンジと同じなのです

シンジと同じように、盲目的かつ受け身の姿勢で社会や他者からの命令に従っています

なおかつ、このシンジと自分が同様の状態であるということに気づいていない人は少なくない気がします。

むしろ、先ほどのリツコのセリフを聞いて、「あ、これは自分のことを言っているんだ」と振り返ることができる人は、あまり多くないでしょう。

さらに言えば、そのような自覚をもったうえで、現状の好ましいとは言えない自分を変える勇気を実際に行動で示せる人はさらに少ないのだと思います。

 

他者の意見に従うのは悪いコト?

 

さて、耳障りのよろしくない少々ゴリっとした文章が続いてしまったので、最後のまとめの前に少しだけお口直しを(笑)

ここで一応補足しておきたいのは、僕は「他者の言うことに素直に従う処世術」が悪いと言いたいのではないということです。

 

実際、社会生活においてある程度はそういう面も必要ですよね。

ましてや、地位や権力が高い人物が大きなパワーを持つ組織で生きている場合は特にそうだと思います。

それに、なんでもかんでも自我を全面に出して反抗的な態度をとることも、人としていかがなものですよね。

しかし、意識できているか否かに関わらず、現代の日本に生きる僕たちは、あまりにもこの処世術が染み付きすぎていると思います。

 

要は、自分の素直な欲求や本音を押し殺し、社会や他人の求めるものに忠実に従うことが多すぎる気がするのです。

それこそ、リツコのセリフを聞いて客観的に自分と照らし合わせることができない程この処世術と同一化してしまってる人は、きっと少なくないのではないでしょうか。

そういった意味でも、まずはそのことをちゃんと自覚することが大切だと思うのですが、では何故そもそも、僕も含め多くの人が「他者の意見に従う」ということを選びすぎて、それに慣れ切ってしまうのでしょうか

実は何を隠そう、先ほど触れたシンジのキャラクター描写にこそ、その答えがひそんでいます。

 

なぜ、僕たちは他者に意見に従いがちなのか?

 

結論から言うと、僕たちが他人からの指示や命令、あるいは大勢に支持されている社会通念や一般常識に従うのは、多くの場合「恐れ」によるものです

もっとも、その恐れの種類は一つではありません。

孤独になることへの恐れ

責任をとることへの恐れ

抵抗することで支配者から仕返しを被ることへの恐れ

こういった恐怖心から僕たちは社会や他人の意見に従い、自分でも気づかぬうちにそれを自覚できないほど当たり前になってしまうことで、そのことに疑問すら抱かなくなるのです。

こうして、それこそ死んだ眼でロボットのように指示をこなすシンジの如く毎日を生きるようになってしまうんですね。

 

言うまでもなく、一人ぼっちになることは確かに怖いことです。

これをあえてマズロー心理学的に言えば、「所属の欲求」をもつ僕たち人間は、誰とも繋がれなくなったり周囲に拒絶されることに対して恐怖心を抱くことは、自分を守る大切な機能でもあります

同じく、責任をとることが怖くてそれを回避してしまうこともあって然りです。

自分の意思で決断したことで結果的に後悔したり悲しい思いをしたりしたことは誰にでもあるでしょうし、マズローも語っているように、そもそも人間というのは「安全と変化」という天秤においては大抵の場合「安全」を選び、変化・成長・前進を避けてしまいます

同様に、力のある者に抵抗することで相手から反撃をくらうことへの恐怖心もあって当然です。

「安全の欲求」によってはたらく自己防衛は、生きていくうえで絶対に欠かせないものです

 

しかし、そのような恐怖にしたがう選択が、必ずしも良い結果をもたらしてくれるとは限りません。

むしろ、それを続けると僕たちは、意味や目的を見失ったシンジのような人間味のない不安定な精神状態に陥ります

では、このような事実を踏まえて、どのように自分の恐怖心と関わっていけばよいのでしょうか。

 

恐怖心と上手に付き合うコツとは?

 

マズローも言ってくれていますが、恐怖心自体は人に必要なものです。

しかし、その一方で、このような恐怖心に従いすぎることで、僕たちの人生は空虚で無機質で味気ないものになっていくことも事実です。

電子書籍『マズローが教えてくれる健康な心のつくりかた』にも書きましたが、安全を重視し変化することや新しいことを避け続けると、「やりがい」や「生きがい」がまったくない恐怖心に支配されるだけの人生になってしまいます

 

一方で、マズローの語る「真に健康な心の持ち主」は、自分の意思を尊重することを自分自身に許すことができています

彼らは他者依存することなく自律的で、また責任を他者に押し付けないがゆえに自分の気持ちや欲求に素直に従うことができるので、結果的に自分らしい人生を歩めています。

なおかつ、愛他的で心に余裕があるので周囲からも自ずと好かれ、無理なく良好な人間関係が築けます。

もちろん心が健康的な人にも恐怖心はありますが、彼らはそれを抑圧したり打ちのめしたりはせずに、しっかりとコントロールできています

 

エヴァのはじめの方で描かれているシンジの恐怖心への対処は、恐れを奥に押しやっただけの表面的な対処であり、恐怖心を克服したと勘違いし結果的に些細なことが引き金となって抑圧した恐怖心が暴走しコントロールできなくなります(第4使徒シャムシエルとの戦いで上司であるミサトさんの指示を無視して撤退せずに戦い続けるシンジはその象徴です)。

これは、マズローが認めた健康な心の持ち主とは対称的な姿です。

そして、さきほども触れたように、無自覚のうちに多くの現代人がこのシンジと同じ状態に陥っており、その証拠にマズローが心理学的に真の健康を手にしていると認めた人は全人口の1%以下でした。

つまり、ただただ無力感から恐怖心の言いなりになってしまうかあるいは恐怖心を無理やり押し込めたり八つ裂きにしようとしている人が圧倒的に多いのです

そういった意味では、僕たちは自分の恐怖心とちゃんと向き合うのが、どうもニガテなようです。

しかし、真に健康な心を育むことで本当に自分が望んでいる人生を歩むためには、自分の中にひそむ恐れとしっかりと対峙する必要があります。

 

そして、恐怖と向かい合うときのスタンスは、両手の拳を握ったファイティングポーズである必要はないというのが、マズローが語る恐怖心との良好な関係性を築くコツです。

そうではなく、握手を求めるようなスタンスが、自分に内在する恐怖と上手に調和するための秘訣なのです

つまり、自分自身のなかにある恐怖心をまず受け容れることが、最初の一歩であるということです。

言い換えれば、恐怖心をやっつけようとするのではなく、受容することがスタートなんですね。

 

繰り返しになりますが、エヴァンゲリオン作品に触れてシンジに共感する人は多いです。

しかし、ただ共感して終わりにしてしまっては、ちょっと勿体ないのかもしれません。

シンジに共感したうえで、彼を反面教師にさせてもらうことで、自分のなかの恐怖心と素敵な関係性を築くことができるようになるといいですね

それこそ、自分の中にもシンジがいることをちゃんんと自覚すること、そして、その上で自分に内在するシンジ的な側面を真正面からしっかりと見つめることが、自分の恐怖心と調和し豊かな心持ちでイキイキとした毎日を歩むための最初の一歩になる気がします。

エヴァンゲリオンは、僕たちが忘れてしまったそんな心の奥底にある本当の自分のすがたを思い出させてくれる素敵な作品だと僕は思っているんです。

ちなみに、エヴァンゲリオンのメインテーマとも言える「A.Tフィールド(心の壁)」については、マズローの語る「二分性が解消された世界観」や「自己超越」に関わる話ですね。

なお、「他者の意見に従うこと」や「二分性が解消された世界観」については、下記のオレンジの電子書籍、「自分の欲求を健全に満たす方法」は、下記の水色の電子書籍にイメージ図つきで詳しくまとめているので、ご興味のある方はそちらをご参考にしていただければと思います。

 

自己実現マズロー マズロー欲求本01

 

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