自己実現

ワンピースと自己実現の共通点とヒットの理由【海賊って本当に悪者なの?】

ワンピース
自己紹介

 

国民的な大人気漫画である「ワンピース」。

僕もこの漫画が大好きで、週刊少年ジャンプで連載開始当初から単行本を集めていました。

そんな、多くのファンをもつワンピースとマズローの語る自己実現には、実は一つの共通点があるんです

しかも、その共通点は、ワンピースがこれ程までの絶大なる支持を集める理由でもあります

ということで、このコラムでは、ワンピースの世界観の根底に流れるものを紐解いていくことを通して、自己実現への理解をより深めていきましょう。

1.ワンピースと自己実現の共通点とは

 

最初にお断りしておきたいのは、これ以降で展開される自己実現の話は、あくまで自己実現の一つの側面に過ぎず、自己実現の特徴の一端でしかないので、その点はご注意くださいということです。

あと、もひとつ言っておきたいのは、この後の話は少しゴリっとした印象を抱くかもしれないので、ご承知おきくださいね(笑)

 

さて、前置きはこれくらいにして、それでは早速本題に入りましょう。

ワンピースと自己実現の共通点とは何かの結論から言うと、それは両者とも、ある意味での「謀反人」「無法者」「異端児」的な立場にいる人物が、その中心に据えられているということです。

もう少し具体的に言うと、ワンピースの主人公であるルフィとその一味は海賊であり、世界政府が統治する世界における「反逆者」という存在なのですが、実はこの「反逆」というキーワードが自己実現を生きる人と一致するものがあるということなんです。

 

この説明だけでは、恐らく「?」が頭によぎりますよね(笑)

ということで、この事を腑に落とすために、まずは改めてワンピースという漫画における「海賊」という存在について少し話をしていきましょう。

 

2.海賊たちは子どもの良いお手本?

 

ワンピースの主人公は、「モンキー・D・ルフィ」という麦わら帽子をかぶった青年で、ルフィは幼い頃に出会ったシャンクスという偉大な海賊の影響により、自身も海賊としての人生を歩んでいます。

しかし、僕たちが生きる現実世界では、一般的には海賊というのは強盗・略奪などといった法を犯す犯罪者であり、そのような人物が少年漫画の主人公というのは冷静に考えれば少々オカシナ話ですよね。

もちろん、漫画で描かれるルフィとその一味は、いわゆる海賊と言われる存在のイメージとは対照的な、明るくて優しくて正義感とも言える純真さで溢れており、なおかつその姿が少年漫画らしいポップに描かれています。

そういった意味では、一般的な海賊のイメージとはほど遠いキャラクターではあります。

とはいえ、少年漫画というのは言わずもがな少年少女がこぞって読むものであり、その主人公をある種のお手本のようにして子どもたちは成長していくわけで、そういった意味で「海賊」というのはやはり必ずしも良い見本とは言い難いものとも言えそうですよね。

 

しかし、実はこの「お手本」という意味においては、ルフィたち海賊は自己実現におけるこの上なく良いお手本になるんですよね

 

というもの、マズローの語る自己実現には、ある意味では海賊と同じような、「その世界を支配しているものへ抵抗する」という側面があるからなんです。

つまり、ルフィたちの紡ぐ物語を通して、僕たちは自己実現への理解を深めることができるということが言えるのです。

言い換えれば、ルフィたちを参考にすることで「反逆」や「抵抗」という側面から見た自己実現を生きるヒントを吸収することができるとも言えるでしょう。

このような意味において、ルフィたちは少年少女にとっても、とても良いお手本となってくれるということなんです。

 

更に言えば、むしろ子どもではなく成人した多くの大人にとっても、海賊たちというのは僕たちが歳を重ねるにつれて忘れてしまった、自分らしい人生を満喫する上で大切なヒントを思い出させてくれるものでもあります。

 

ちなみに、多くの場合にこの「反逆」や「抵抗」という言葉がもっているネガティブなイメージは、このコラムを最後までお読みいただくことで今までのイメージとは全く違った印象を持てるようになると思いますよ。

 

さて、では一体、その「反逆」や「抵抗」と自己実現の関係性とはどのようなものなのでしょうか?

 

3.自己実現の隠れた一面

 

マズローの語る自己実現には、「統合」や「調和」などの色々な要素が含まれているのですが、その中の一つが何を隠そう「反逆」や「抵抗」なんです。

そして、これをより詳しく言うと、反逆や抵抗を通して、最終的に自分と社会との良好な関係性を築くということになります。

なお、これは、例えば「反抗期の子どもが社会人として成熟して丸くなっていく」といったようなものとは全く違うものです。

言い換えれば、海賊をやめて一介の市民になる(反抗を卒業して会社員として粛々と働く)という意味ではないということですね。

つまり、先程の言葉の意味とは、「海賊として」世の中と調和し社会と理想的な関係性を築くことが自己実現だということです

そして、その背景には、マズローらしい独特で尚且つ非常に鋭い現代社会への捉え方がありました。

 

ここではまずその結論だけ言うと、マズローはいまの現代社会というのは非常に不健康な社会であると考えていました。

もっとも、マズローの語る「不健康」にも様々な意味合いがあるのですが、なぜマズローが現代社会が不健康だと考えていたのかをを平たく言うと、それが「対立」「分離」「恐怖」「依存」「虚偽」などで溢れていて、それによりその社会で生きる人々の心を不健康にするものだったからです

 

もちろんこの意見には賛否両論あるかとは思いますが、世界全体のワールドワイドなスケール感においても個々人の身近な世界における規模感であっても、よくよく世の中を観察すれば今の社会が決して健康的で健全な姿とは言い難いことは否めないと思います。

わざわざ具体例を挙げるまでもなく、ビジネス・政治・経済・国際情勢・格差や環境問題、あるいは、家族間や友人間のトラブル、恋愛におけるイザコザ、芸能やメディアにおける望ましい状態とは到底言えない事例はたくさんありますよね。

そして、それらがそこで生きる人々の心を窮屈で不自由で暗く思いものにさせ、そのような人々がその社会の不健全さを更に加速させているという事実は、往々にしてあると思います。

心理学者として人の心の健康について研究していたマズローは誰よりもこの事を感じ取っていて、だからこそその打開策の解明に生涯を通して取り組んでいたのです。

実は、その過程で辿り付いた一つの概念が、何を隠そう「自己実現」というものだったんです。

 

そして、自己実現を生きる人が皆一様にもっている特徴の一つに、社会と適切な距離をとるというものがありした。

 

彼らは、現代社会にどっぷりと浸かることが自分の自己実現にとって望ましくないことはもちろん、それが引いては自分の周りの人々と社会全体にとっても望ましものではないことを理解していたので、社会からはある程度の距離感を保って生きていたことは意外と知られていない事実です。

繰り返しになりますが、言うまでもなく彼らのその姿勢は決して利己的なものではありません。

自分に内在するありのままの個性を最大限に発揮し、それを社会に表現・還元することに何よりも価値を置いていた彼らは、そのようなスタンスが自分以外の全ての人々にとっても最も健全で理想的なものであるとちゃんと理解していたがゆえに、それを実践できていたのです

マズローは、この事を利他と利己の統合という表現で言い表していました。

 

そして、言葉で見聞きすれば大したことのないように思えるかもしれないこの生き方は、実際に生きようとすると非情に多くの苦悩や恐怖がつきまとうものでもあります

なぜなら、このような生き方はある意味では「一般的」ではなく、「普通」でもない上に、往々にして後ろ指を指されたり、批判的な言動を浴びせられる要因になるからです。

このことは、不健康な社会に盲目的に浸り切っている精神的に不健康な人々の嫉妬や敵意や自己防衛によるものだというのは、何となくイメージできますよね。

そういう意味では、真に自己実現的な人生を生きることは、本質的な勇気を必要とすることなのです

 

そして、言うまでもなく、そのような勇敢さを持ち合わせている人はほんの一握りであり、実際マズロー自身が自己実現を生きていると認めた人々は非常に限られたごく一部の人だけでした。

つまり、現代社会に生きる多くの人は、不健康な社会に飲み込まれ依存することでしか生きながらえることができないのです。

 

ここまで少々角が立つ言い方が多かったと思いますが、マズローはこのことを臆することなく更に厳しい表現で語ってくれています。

次の一文は、マズロー著作の中で特に自己実現に特化した内容が書かれている『完全なる人間』という書籍で語られたものになります。

 

『だれに人気があるのか、若者にとって近所の紳士気取りの俗物、カントリークラブの連中となら人気のない方がましである。なにに対して適応するというのか。堕落した文化に対してであるか。支配的な親に対してであるか、よく適応した奴隷をどう考えたらよいのか。よく適応した囚人はどうか。』

 

つまり、堕落した社会・コミュニティにおいて評価されることや、支配的な組織下で奴隷として優秀になることは、決して望ましいこととは言えないのではないかという指摘をマズローはしてくれているのです。

 

さらに言えば、より本質的な意味で「倫理的」であるのは、もしかしたら既存の社会とは正反対の価値観で生きている人のほうかもしれないのです

不健康な社会から与えられる正解は、その社会でまかり通ている歪んだ価値観においては支持されるかもしれませんが、本当に健康な価値観をもつ人からすれば、それはとても不健康な倫理観ということがありえるのです。

 

ワンピースにおけるセリフで言えば、頂上戦争のときにドフラミンゴが叫んだセリフに海賊が悪!?海軍が正義!?そんなものはいくらでも塗り替えられてきた…!!』『正義は勝って!?そりゃそうだろ 勝者だけが正義だ!!(第556話)というものがありますが、あのセリフはまさにこのこと述べていると思います。

 

また、マズローは『人間性の心理学』という著作の中で、この倫理観の問題について次のような鋭い言い方で述べてくれています。

 

『この種の観察からして、平均的な人間の普通の倫理行動は、実は真の倫理行動、たとえ ば基本的に受容された原則(真実であると知覚された)に基づいた行動ではなくて、主として慣習的な行動であるということが非常に確かなものと理解されるのである。このように、通常の慣習や通常受け入れられている偽善や虚偽、社会生活の矛盾をうとんじるために、彼ら【自己実現を生きている人】は時として外国にいるスパイか異邦人のように物事を感じ、 またそのように行動したりする。』

 

つまり、自己実現を生きるためには、不健康な社会で暗黙のうちに受け入れられてしまっている不健全な価値観・倫理観に対して、毅然とした態度で向き合う勇気と強靭な精神が必要であり、現代社会では必然的にそこには特有の苦悩や葛藤を伴わざるを得ないのです

少し乱暴に言えば、このような意味では、一般的には社会からは良しとされない、順応な奴隷として求められる枠組みにはまらない人は、社会に迎合せずに自己実現へとひた走る勇者であるということです。

もちろん、世の中にはただの自己不信から反抗的な態度で社会に不満をまき散らしているだけの人も少なくありません。

しかし、鋭い視点と健全な価値基準から社会の矛盾や問題点に真っ向から挑む人物も確かに存在し、そのような人は往々にして、「普通でない」というだけの理由で社会から「問題児」「異端児」「異常者」「厄介者」「変人」「キチガイ」として扱われるのです。

 

このような考え方にもとづいて、自己実現を生きる人というのは、ある意味では「反逆」や「抵抗」という側面をもっているということになります。

このことをマズローは、『人間性の最高価値』という書籍の中で分かりやすい表現で僕たちに伝えてくれています。

 

『自己実現者は、よい適応をしているとはいえない(文化を承認し、それと同一化するという素朴な意味では)。彼らは、いろいろな方法で文化のなかでうまくやっているが、 彼らのすべてに言えることは非常に深い意味で、彼らは文化に組み込まれることに抵抗し、 彼らがどっぷりとつかっている文化からのある種の内面的な超越を保持している。』

 

つまり、自己実現を生きる人(すなわち自己実現者)というのは、文化にまるごと組み込まれることはされない一方で、その文化をしっかりと自己に内包し、それを超えた価値観で生きることができているということです。

 

ちなみに、この一方で、不健康な社会において盲目的に自分の方こそが正常だと思っている大部分の人々は『真の精神的本性の圧服に異議を唱えようとしない』という意味で、彼らこそが逆に病的であるとマズローは述べています。

そして、これはすなわち『罪が犯されているのに、異議を唱えようとしないこと』と同じであるとも言っています。

なお、このような状態を続けていると、僕たちはマズローの言う「萎縮した人間性」をもたらす「高次病」を患うことになり、結果的に不幸な人生を送らざるを得なくなってしまいます。

だからこそ、自己実現というのは意味と価値があり、僕たちがもつあらゆる欲求の最後の到達点であり砦ともなる大事な欲求なのですね。

 

そして、もうお気づきだと思いますが、このような意味における「反逆者」「抵抗者」「異端児」が、ワンピースの世界におけるルフィたちなのです

ワンピースという物語の中で全世界を支配する組織として描かれる世界政府は、本人たちは自身の「正義」を全面に打ち出しているものの、その実情は怪しいもので、世界政府の人間やその上に存在する支配者たちは、言うまでもなく世界を自分の都合だけでコントロールする悪しき存在です。

ルフィたちはそんな世界政府にとっては敵であり、それと同時にその政府が支配する世界を盲目的に受け入れその社会に頭までどっぷりと使っている市民にとっても悪者ですが、実はルフィたちこそ、そのような不健全な世界に飲み込まれることなく真実を追求する勇者なのではないでしょうか。

 

ちなみに、このことの象徴的なワンピースの中でのセリフは、ティーチとの戦いの際にはエースが言った”力”に屈したら男に生まれた意味がねェだろう おれは決して人生に”くい”は残さない…!!!…わかったかバカというセリフだと思います。

 

そして、先ほど触れた自己都合と自己満足から他者に危害を加える反逆者は、ワンピースの世界においてはルフィたちが戦いを挑む他の海賊とも言えるでしょう。

つまり、ワンピースにおけるルフィというのは、歪んだ世の中を支配する世界政府やそこで生きる市民、あるいは偽りの自己実現者たちからの妨害を乗り越え、自分の心を信じ恐怖に従わない勇敢さもって、その冒険の道のりを歩み続ける真の自己実現者なのだと思います

 

そういった意味では、ワンピースにおける、そのタイトルにもなっている「ONE PEICE」すなわち「ひとつなぎの大秘宝」というのは、まさに自己実現を生ききった先に待っている自分の人生におけるかけがえのない宝物のことなのですね。

 

そして、念のための繰り返しになりますが、そのような真の冒険者であり自己実現者とも言えるルフィたちは、事実として自分と関りのある人々を幸せにしていきます。

そういった意味でも、自分の利益が他者の利益を損なわず、むしろ双方の利益が対立せずにそれぞれがちゃんと満たされているどころか、場合によってはお互いの利が膨れ上がるような形で可能性がどんどんと広がっているという点においても、ルフィの在り方と自己実現的な人生とは同じエッセンスが眠っています。

 

ちなみに、最後に一つだけ余談を言うと、ルフィがもつ子供らしさのような一面は、自己実現を生きる人の特徴の一つでもあるんです。

ある意味での純粋さ、ピュアな心、無邪気さは、僕たちが自分の中に元々備わっているあるがままの可能性を思う存分解放する上での大事な要素になります。

 

また、個人的にルフィの数あるセリフの中で一番好きなシャボンディ諸島でのセリフ

 

『支配なんかしねェよ この海で一番自由な奴が海賊王だ!』

 

という名言は、力や立場で他者をコントロールするのではなく、自分の内なる世界のなかで自由を生きることで世界全体が自分にとって最も望ましい世界になることを思い出させてくれる、とても素敵なセリフですね。

そういった意味でも、ルフィやワンピースで描かれる世界観は、自己実現という概念を明るい気持ちで楽しみながら自分に染みわたらせることができる、本当に素晴らしい作品だと思います。

 

なお、最後に繰り返しになりますが、これはあくまでも数ある自己実現のもっている要素のうちの一つの側面に過ぎませんので、その点は再度強調させていただきますね。

 

ちなみに、今回のコラムは人によってはどこか苛立たしさを感じたり拒絶したいような気持ちになるかと思いますが、もしそのような感覚が出てくる場合は、それこそが自分がルフィとは対照的な人生をおくっている証拠であり、なおかつ自分のなかの「自己実現の欲求」が満たされようと必死にもがいている証拠であるとも個人的には思います。

 

そして、ワンピースという作品が日本中の人々の心を掴み、幅広い年齢層に支持されているとういう事実が、多くの人々が「今の社会に対する違和感」何処かで感じていて、それと同時に「自分の心の奥底で眠っていた自己実現の欲求が動きたがっている」ということに薄々気づき始めている象徴のように僕には思えたりもしています。

 

さてさて、今回のコラムは以上になりますが、ここでの内容が一人でも多くの方の自己実現への道をサポートとなるようなものになってくれれば嬉しいです。

 

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