自己実現

RADWIMPS「カタルシスト」歌詞の意味解釈/本当の自分を解放する

カタルシスト歌詞意味
自己紹介

 

RADWIMPSの「カタルシスト」という楽曲の歌詞には、僕たちが本当の自分を解放するための勇気と、ありのままの自分を謳歌する喜びを思い出させてくれるエッセンスが眠っていると思います。

今回は、このようなポイントから、その歌詞の意味をマズロー心理学的に紐解いていきましょう。

 

 

カタルシスト歌詞引用:amazon.co.jp

 

【歌詞引用】
RADWIMPS「カタルシスト」
作詞:Yojiro Noda
作曲:Yojiro Noda

 

「カタルシスト」という曲は、まずこのような歌詞ではじまります。

 

勝つか負けるとかじゃないとか

勝ちよりも価値のあるマッチだとか

言いたいこたぁわからねぇでもねーがオイ

勝たなきゃ始まらにゃーなこともあるワケであるのだからさ

つまるところ要するに
今は御託並べずにがむしゃらに勝ちにいく時

 

世間では、「勝負に負けて試合に勝つ」というフレーズや「勝つことだけが全てではない」という意見があります。

それはそれで、ある意味では真実でしょう。

このようなスタンスは、結果よりも過程に重きを置くと捉えることのできるものであり、マズローの語る自己実現においても到着点であるゴールとしての自己実現よりも、道のりや現在進行形的な意味合いでの自己実現に価値を見出しているという特徴があったりもします。

 

しかし一方で、人生には「勝負時」というものが存在していることも事実ですよね

あるいは、自分のなかの「勝ちたい!」という欲求がどうしても抑えられないシーンもあるでしょう。

むしろ、勝つべき時に勝てなかったり、勝ちたいという本当の気持ちを抑えつけて無難で安全な自分が傷つかない道ばかりを選択していると、気付けば軟弱でエネルギーが低く中身がまったく伴なっていない空虚な存在にしかなれません。

 

「勝つことが全てではない」というセリフは、自分の全力を出して勝負に挑んだ人だけが語ることのできる言葉であり、最初から勝つことを諦めていたり勝負すらしようとしない人には、それはただの「逃げの言い訳」として利用する自己防衛の手段に成り下がります。

ましてや、自分のしたい事をしていなかったり、社会や他者の言いなりになって負け犬として生きる人生を選ぶ人にとっては、真の喜びや感動や生きがいというものは、残念ながら無縁の存在になってしまうんですね。

 

今がその時 今が 今まさにその時

今がその時 今が 今まさにその時

 

「いつかいつか」と今の自分が本当に向き合うべきことから逃げている人は、いつまで経っても「いつかいつか」と言い続け、人生を終えます。

手軽に見つかる常識的な言い訳を見つけることばかりしていると、僕たちの人生は彩りを失い、くすんだ感性と歪んだ価値観で、恐怖と不安にコントロールされる依存的な毎日を送ることになってしまうのです。

一方で、自分らしいイキイキとした人生や、自分の可能性を発揮して豊かに生きている人たちは、常に「いまここ」でやるべきことをやってきたからこそ、自分にとって本当に望ましい人生を歩んでいます

 

Here we are now we came to take this game

No way, losing it’s unacceptable

For every single fear we carry, inside us

Let’s break them into pieces and prove we are the Winners

【和訳】
さあ、今こそ試合に立ち向かうときだ
負けることを受け入れるなんてありえない
僕たちが持つ様々な不安
それを粉々に壊して、僕たちが勝者だと証明しよう

 

僕たちがより良い人生を歩みだすために出場すべき試合は、何も遠いどこかで待っている大舞台ではありません。

それこそ、今日という一日、明日という一日の中に、立ち向かうべき試合は無数に存在しています

 

マズローはこの事について、僕たちは一日に何十万回も成長方向の選択か、退行方向の選択かという二択を迫られていると表現していました。

変化することを恐れず勇気をもって自分の成長を選ぶこともできれば、恐怖心や不安から安全で無難な退行の選択を選ぶこともできます。

そして、前者の成長方向への選択を選んだ者が勝者であり、後者の退行方向の選択を選んだ者が敗者です。

そのような意味において、僕たちは毎瞬毎瞬、勝者の道か敗者の道かを選んでいるのです

 

それは、もはや「選んでいる」という自覚すらないほど当たり前になっている選択がほとんどでしょう。

「会社に行くか行かないか」もそうですし、「挨拶をするかしないか」などもそうです。

あるいは、「朝の日課」や「通勤中の過ごし方」の中にも、たくさんの選択肢が存在しています。

そのようなルーティンとなっている行動や、無意識下で疑うことなくとっている行動・言動は、すべて本当は成長か退行のどちらかを選ぶことになっているのです。

 

そして悲しいかな、その選択が意識的か無意識的かに関わらず、多くの場合に退行の選択をしていることがほとんどで、つまるところ僕たちは自分でも気付かないうちに勝負に負け続けてしまっているのですね。

 

誰かを負かしたいわけじゃない ただ自らの高みへ

昇りたい 出逢いたい まだ見ぬ自分の姿に

 

その勝負に勝つことは、自分以外の誰かとの競争に勝つためではありません。

自分との勝負に勝つという意味でもないです。

ただ単純に、自分が本当はどこまで行けるのか、内に秘めている可能性を最大限に発揮したら何が待っているのかが知りたいだけなのです

まだ見ぬ景色や、いままで全く知らなかった世界、あるいは想像もしていなかった新しい自分の一面を見てみたいという欲求が僕たちには必ず存在していて、マズローはそれを「自己実現の欲求」と名付けました。

この欲求を見て見ぬフリをしたり、無視することを決めこんで感性を鈍化させてしまわない限り、「自分の本当の姿と可能性を思う存分に表現したい!」という欲求は誰しもに備わっているものです

 

だから僕ら今 手を取るよ あなたの握る力が

どれほどの勇気をくれるかを あなたはきっと知らない

あなたにとっても どうかそうでありたい

 

そして、実際に自己実現の欲求で生きる人は、成長方向への選択を選び続けることで、人間として成熟し、その過程で周りの人々に様々な豊かさを与えることができます。

なおかつ、それにより自分も周りの人たちからのギフトを受け取ることができるのです。

彼らは、「与え合い」という世界で、お互いの勇気をシェアし合って思いやりと優しさをもって、自分の自己実現を極めていくのです

 

それは、マズローが言う「利他と利己の統合」であり、「わたしのため」と「あなたのため」が机上の空論ではなくリアルな現実において成り立っている世界です。

 

君と走り抜ける風に 乗れば勝てない痛みなど

ないとただ愚かなほどに 信じれる心があるよ

 

自己実現を生きるようになると、それ特有の苦悩と葛藤があります。

自分らしく生きることや自分の可能性や個性を活かしながら生きることは当然、楽しいことばかりではありません。

ある種の自己実現ならではの孤独を受け容れなければいけないのです。

そして、そのような壁やドロ沼によって、退行の道のりに進んでしまうことだって実際はあります。

 

しかし、真の自己実現を生きる人は、本質的な意味での自立を生きる人でもあります

それは揺るぎない自尊心と自己肯定感の上に形成されるものであり、それゆえに彼らは周りの人々も尊重でき肯定することができるのです。

 

それは、世界全体に対する揺るぎない信頼感をもたらします。

そうして、孤独を内包した自立的な存在として周囲の人々と調和することで、彼らは大きな風に乗って自分の人生を創り上げていくのです。

 

僕が叫ぶこの声には たとえ意味などなかろうと

君にただ届けと願う 心が叫ぶのやめないの

 

自己実現をすることは、必ずしもスケール感の大きい話に限ったものではありません。

むしろ、等身大のありのままの自分の世界観にピッタリのサイズ感で人生を余すことなく味わい尽くせることがマズローの語る自己実現の特徴です。

 

結果として自己実現を通して表現されるものや創り出されるものは、世間から見れば大した価値がないように思われることもあるでしょう。

その影響力やインパクトには、現実を変える程の大きな意味はないかもしれません。

 

しかし、それでも自分の心の声に抗うことはできないのです。

自分の内側から溢れ出る本当の気持ちに嘘をつくことなどできません。

それが他者から非難されようと、罵倒されたり冷笑を浴びせられようと、表に出さずにはいられないのです。

自分の奥の奥にある、本当の自分自身の心が理屈を超えて叫んでいるのですね。

 

願うだけ ただ願うだけ 君の夢が咲き誇るまで

願うだけ そう願うだけ 君の夢は僕のでもあるから

 

「君の夢」の「君」というのは、「あなた」という意味だけではありません。

それは他ならぬ自分自身のことであり、あるいは自分の奥に押しやってしまった本当の自分や、今までないがしろしてきた本当の心の声かもしれません。

いずれにしろ、自分の夢を叶えることは誰かの夢を叶えることでもあり、誰かの夢を叶えることは自分の夢を叶えることにも繋がっています。

心の奥にある自分の本心と、誰かの心の奥の本心は、実はひとつながりだったりします。

その夢を咲かせることが自己実現であり、僕たちは自分の自己実現で咲き誇ること通して自分以外の人々も含めた世界全体と調和して、彩り豊かな花々で世界をより美しい場所にすることができるのですね

 

この楽曲の「カタルシスト」とは、「catharsis」と「ist」という英単語のかけ合わせによる造語で、「catharsis」の意味を大雑把に言うと「心の中に溜め込み抑圧されていたよどんだ感情の解放による浄化」という意味になります。

一方で「ist」は「~する人」という意味ですね。

つまり、カタルシストとは、「心の中に潜めていた感情を解放する者」「無意識下に押しやった気持ちを表に出し浄化された者」といった意味になると言えます。

 

マズローは、僕たちが自分らしさを発揮しながら生きるためには、「非構造化」された環境下における「解放」が大切であると述べていました。

しかし、実際の現代社会は往々にして「非構造化」とは正反対の性質をもつ「構造化」された環境になっています。

この「構造化」は色々な意味合いを含んでいるものなのですが、簡単に言うと、普段の慣れ切った枠組みや固定されているやり方、あるいは変化することない規則的システムなどを指します。

つまり、ロボットのような無機質で融通の利かない固定的かつ窮屈な環境が「構造化」された環境であり、これはある種の人間らしさとは対極的なもので、マズローはこのような社会を「不健康な社会」と呼び、僕たちへそこに埋没しないよう注意を促してくれていました。

なぜなら、僕たち人間というのは、これとは真逆の大らかで伸びやかで自由な「非構造化」された環境下で初めてありのままの自分を素直に表現できるようになるからです

 

また、マズローは自分の心の内部に意識を向ける上でも非構造化された環境が望ましいとしていました。

それと同時に、人間として心理的に健全な成長をする上でも、非構造化された環境であるべきだとの考えももっていました。

あるいは、人が自分自身に内在している創造性を発揮することを可能にする環境も、非構造化された環境であると述べています。

 

つまり、極度に構造化された不健康な現代社会から勇気をもって抜け出すことで、僕たちは自分の内側に眠る本当の気持ちを素直に表現し、創造的で豊かな心持ちで生きることができるようになるのです

もちろん、その際にはいくつかの注意点がありますし、これが自分自身を生きる唯一の方法でもないでしょう。

しかし、せっかくこの世に人間として生を受けたのであれば、自分らしい人生を満喫しきりたいですよね。

抑圧され押し殺した自分の本当の気持ちをもう一度思い出し、それを貫く勇気を勝ち取り、自分の可能性を思う存分に解放し周りの人々と調和した人生を謳歌するカタルシストとして、充実した実りの多い豊かな毎日を過ごしていきたいものです。

 

RADWIMPSの「カタルシスト」は、そんな事をしみじみと感じさせてくれる、素敵すぎる楽曲ですね。

 

 

 

 

 

※このコラムの内容は、あくまでもマズロー心理学という眼鏡をかけた目で見た個人的な解釈であり、この曲の作り手・歌い手・演者の方々が込めてくれたメッセージの感じ方の一つです。

 

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