自己実現

マズローの自己実現を正しく知ろう!この言葉に隠された本当の意味とは?

マズロー自己実現
自己紹介

 

このコラムでは、マズローが語った「自己実現」の基本をおさえるべく、僕がAmazonの電子書籍kindleで出版している『マズローの自己実現~ありのままの自分を謳歌する~』の内容を簡単にまとめてみました。

 

自己実現マズロー

 

「自己実現」というキーワードに興味のある方はもちろん、仕事・人間関係・心の健康などの問題に悩んでいる方には、楽しみながら新しい発見をしていただけるコラムだと思います。

 

1.自己実現ってなに?

自己実現

 

自己実現とは何かを一言で言えば、それは「ありのままの自分を謳歌すること」だと僕は思っています。

ちなみに、ちょっとしたプチ情報をお伝えしておくと、これはあまり知られていませんが、最初に自己実現という言葉を生み出したのは「クルト・ゴールドシュタイン」という心理学者で、マズローをはじめ他の心理学者の語る自己実現という概念はゴールドシュタインから派生したものだったりします。

したがって、そもそも論として、自己実現という言葉の定義は人によって違っているということであり、そのため僕の先ほどの定義は「マズローの語る自己実現」における話であるということは、ご承知おきいただければと思います。

 

実際ネットで自己実現の意味について調べれば色々な情報が出てきますし、上記のような理由から当然ながら「自己実現とはなにか?」という説明に関しても人によって言っていることがマチマチなんですよね。

ある人は、『自己実現とは自分で決めた目標を達成することです!』と言っています。

また別の人は、『自己実現とは仕事において成功をすることだ!』と言っていたりします。

あるいは、『自己実現とは自分のやりたいことで社会貢献することだ!』という人もいます。

これらの説明は、ある意味では正解なのでしょう。

しかし、マズローの語る自己実現はもっと大きな意味合いを含んでいるものなんです。

「目標達成」も「仕事の成功」も「やりたいことをすること」も「社会貢献すること」も、マズロー心理学における自己実現においては、一つの要素にに過ぎません。

真の意味での自己実現とは、これよりも遥かに多くの要素を含んだ、もっと全体的・包括的・統合的なものなのです。

 

実際にマズロー自身も、自己実現というのは一言では到底説明することができないと述べていますしね。

したがって、先程の「ありのままの自分を謳歌すること」という僕の表現も、自己実現の全てを物語っているものではありません。

この表現は、「あえて一言でいうならば」という厳しい条件もと何とかひねり出した苦肉の策であり、自己実現という概念がもつ内容の0.0001%以下の意味合いしか言い表せていないというのが正直なところです(笑)

もっとも、だからこそ「自己実現」という言葉の意味を自分でも知らず知らずのうちに誤解してしまっている人が多いんですよね。

しかし、そのように自己実現について誤った認識を持ったままではスゴクもったいないということにも、同様に多くの人々が気付いていません。

なぜなら、マズローの語る自己実現について正しく理解することは、多くの方が抱いている問題を解決するのに非常に有効な方法だからなんです。

 

「仕事がつまらない…」
「やりたいことが分からない…」
「生きがいと呼べるものがない…」
「毎日が淡々とただ過ぎてしまう…」
「人生を味わい切っている気がしない…」
「自分の本心がどんどん見えなくなっていく…」

あるいは、

「どうしても自分のことを好きになれない」
「人間関係がストレスばかりで疲れてしまう」
「仕事もプライベートも何故か上手くいかない」
「いつもどこかでモヤモヤする気持ちをかかえている」
「心の奥では欠けているような感覚や物足りなさが常にある」
「同じ問題に何度も直面し根本的な問題が一向に解決できない」
「恐怖心にコントロールされたり、焦りや憤りを感じることが多い」

などといったような悩みや葛藤を抱えてたことがある方は、けっして少なくないと思います。

しかし、このような事柄で悩んでいることが、イコール「自己実現の欲求」がちゃんと満たされていないことなのだと、僕は思うんです。

 

「自己実現の欲求」というのは、一言でいえば自分らしい可能性を思う存分発揮したい!という欲求です。

もし、この欲求がしっかり満たされているのであれば、先程のような悩みは出てきません。

逆に、自分にとって本当に望ましい人生を送り、自分で100%納得できる価値観に沿って自己実現の道を歩む人は、このような悩みとは無縁の存在です。

もちろん彼らも悩むことや悶々とすることはありますが、悩むとしても他人軸に振り回されずに自分が本当に対峙すべき苦悩と向き合っており、尚且つそのことが確実に自身の成長・前進・成熟に結びついています。

このような意味において、「自己実現」とはその名の通り、「自己を実現する」ということであり、本来の自分を、自分にとって本当に望ましい形で世界に現実化することなんです。

その過程における苦悩だからこそ、対峙する意味があり、またその先には輝かしいギフトが待っていてくれているのですね。

 

ちなみに、これらのことを踏まえて、僕は「自己実現」という状態に『開花』という花のイメージをもっています。

自分に眠る種を見つけ、ときに雨風にさらされながらも、それを自分なりの方法で大事に育て、花を開かせること。

そして、その花開いた状態で周囲の人と接し、社会の中で生きること。

この開花までの過程と開花したことによって実現する自他の喜びを生み出す豊かな社会との繋がりが、「自己実現」なのだと僕は解釈しています。

 

2.自己実現している人の特徴とは?

無邪気な目

 

さて、このようなイメージの元でここから更に自己実現の話を進めたいと思うのですが、マズローは自己実現している人々に共通するいくつかの特徴について教えてくれています。

マズローが見つけ出した自己実現している人物に見られる共通点は15個ありますが、ここではその中でもマズローがそれら特徴の一番目に挙げている無邪気な目をもっているという事について、簡単に触れておきたいと思います。

 

まず前提として、僕たちはいわゆる価値観というのをもっていて、その価値観は人によってまったく違いますよね。

身近なところでは食べ物の好みから始まり、仕事や人間関係への願望はもちろん、それは死生観にまで及びます。

「私はピーマンが嫌い」
「博多ラーメンはバリカタが好き」
「やりがいのある仕事に就きたい」
「最低でも週休二日は絶対欲しい」
「人から嫌われるのがスゴク怖い」
「いつかは田舎暮らしをしてみたい」
「結婚はしたいけど今はまだいいかな」
「人生において大事なのは人間関係だと思う」
「やっぱりなんだかんだ言ってシンプルなのが一番だよね」
「お金持ちになりたいワケじゃないけど貧乏なのはイヤだ」

これらはぜんぶ価値観の一例ですが、その内容は人によって千差万別。

僕たちは、このような自分自身の価値観に沿って自分の人生における選択をします。

そして一方で、こういった価値観が僕たちの「解釈」を生みますよね。

価値観がものごとの捉え方を決めている、と言ってもいいかもしれません。

要するに、自分が目にするものをどう受け取るかは、その人の価値観によって左右されているということです。

同じ「犬」という動物を見ても、犬を見て「可愛い♡」と思う人もいれば、「怖い!」と思う人もいます。

その捉え方の背景に、それぞれの価値観があるということです。

この「捉え方」を、別の言葉で「意味づけ」や「印象」や「感想」と言い換えても良いかもしれません。

いずれにしろ、見ているものは同じ「犬」なのに、それに対する解釈や受け取り方は様々なのはこういったことに由来しているんですね。

 

そして、この価値観による意味づけにはもう一つ別の側面があります。

 

それは何かというと、偏った色眼鏡として機能してしまうということです。

 

たとえば、嫌いな人が誰かいたとして、その人を一度嫌いになると、どんどん相手のイヤな部分が目につくことってありますよね?(笑)

あるいは逆に、恋愛であれ、憧れや尊敬するような気持ちであれ、その人が好きになると相手の悪い部分は見ようとしなくなってしまうという経験は、多くの方がしたことがあるのではないでしょうか。

「アイドルはおならをしない!」みたいな事もこの一例ですかね(笑)

もしくは、「恋は盲目」というフレーズもこのような認識の偏りのことを意味しているとも言えるでしょう。

 

ちなみにマズローは、真実の愛というのは人を盲目にせずむしろそれは相手の正しい姿を捉えることができることである、と語っています。

 

少し話が逸れましたが、いずれにしろ、偏った認識を持つことによって僕たちは歪んだ現実を捉えることになってしまいます。

そして、自己実現している人はこのような偏った認識をもつことはありません

言うなれば、目に見えるものごとの「ありのままの姿」を正しく捉えることができるのです。

彼らは、自分の都合で事実を曲げたり、自分勝手な解釈で受け取ったり、偽りの世界を認識することはありません。

同様に、固定観念や一般常識に囚われて真実を見落とすこともしません。

自己実現している人は、純粋な視点で世界を眺め、対象のそのままの姿を受け取っているんです

だからこそ、彼らは仕事でも成果をあげられ、周囲に人々とも良好な関係性が築けるのです。

 

そして、「無邪気な目」とは、まさにこの能力のことなんですよね。

思い違いや勘違い、あるいはズレた認知をすることなく、澄んだ瞳で世界の本当の姿を眺めるられることが「無邪気な目」をもっているということ

これが、自己実現している人の特徴の一つです。

 

なお、僕たちは自分の目から見える周りの物事に対して偏見を持ちやすいだけでなく、ほかならぬ自分自身に対しても偏見の目をもっています。

要するに、誰しもが「自分はこういう人間だ」という価値観をもっていて、その自己イメージを信じて疑わないことで、その「自分でつくりあげた自分像」にどんどん引っ張られるということですね。

マズローの語る自己実現の話は、こういった自分自身の捉え方や、それに伴う自己肯定感・自己受容と言ったことについても色々なを発見もたらしてくれるものなのですが、その詳細を書くとキリがないのでここでは割愛させていただきます(笑)

いずれにしろ、「無邪気な目」をもつことが大切だということは、自己実現したいか否かに関わらず、自分の人生をより望ましいものにする上では非常に参考になる視点だと僕は思っています。

 

3.自己実現とは真逆の人生を生きているのが現代人?

自己実現とは真逆

 

さて、自己実現についての理解を深めるために、今度は逆に自己実現とは対称的な人の特徴について見てみましょう。

 

マズローは、自己実現を生きていない人の特徴をさまざな表現で言い表してくれているのですが、その事例をいくつか挙げてみたいと思います。

自己実現を生きていない人は、

・感性と感情がマヒしている
・素の自分を隠しこみ偽りの自分を演じている
・自分の欲求の満足を他者に依存せざるを得ない
・本来自分に備わっていた自発性や個性を放棄している
・社会適合と引き換えに手に入れた青白い顔をもっている
・生きがいややりがいを喪失した空虚さのなかで生きている
・自分にウソをつき社会的な役割を遂行するのに必死になっている

といった特徴が当てはます。

また、このような人物の根っこにあるモチベーションは「恐れ」「不安」です。

表向きはそうは見えないものの、何かを選択する際は恐怖心にコントロールされていて、行動の火種となるのは「望まない未来を回避すること」であり、しかもそのことを自分で自覚できていないケースも少なくありません。

そして、このような生き方は無自覚のうちに虚無感無感動不信感へとつながったり、柔軟性のなさや、ものごとへの無関心さをもたらします。

あるいは、怒り憤りといった感情に振り回される人もいます。

ある程度はその状況にも我慢したり対応ができたりするのですが、それが度を越えると結果的に心身の健康を損ねることは言うまでもないでしょう。

 

つまり、自己実現を生きないことで、その人の人生はとても空虚でわびしい、カサカサに渇き切ったものになってしまうということです。

 

これを別の言葉で言えば、消極性無価値感自己否定冷笑退屈など、到底自分から手を伸ばしたいとは思わない要素をたくさん取り込んで毎日を生きることになるのです。

 

誰もこのようなことは望みませんよね。

だからこそ、マズローは自己実現という生き方を推奨しており、そのために心理学的な側面からその研究をし続けていたのです。

そして、その研究結果は大きな反響を呼び、心理学界の常識を覆すほどのインパクトを与えます。

しかも、マズローは、自身が辿り着いたその叡智を論文や書籍にまとめ、一般の人々にも手が届くようにしてくれているんです。

それにも関わらず、マズロー心理学の真の価値に気付いている人がこの日本においてはほんの一握りの限られた人だけなのは、少し悲しくはないでしょうか。

いずれにしろ、先ほど挙げたような悲惨な人生を送ることは可能な限り避けたいものですよね。

 

4.自己実現に至る具体的な方法

自己実現に至る方法

 

さて、自己実現とは真逆の人生を生きることの弊害を把握したことでよりその輪郭が明確になった自己実現という生き方ですが、では一体、僕たちはどうすれば自己実現に至ることができるのでしょうか?

 

巷では、マズローの言う欲求階層(いわゆる五段階ピラミッド)を昇りつめ「自己実現の欲求」のレベルに到達することで自己実現することができるという説明もあるようですが、この説明は正解でもあり不正解でもあります。

なぜなら、欲求階層に含まれている「自己実現の欲求」以外の欲求を満たすことは、自己実現に至る一つの側面でしかないからです。

マズロー自身も、「欲求階層を一つ一つ満たしていくことは自己実現の欲求に至るハシゴを昇るのようなことだ」とは確かに言っているのですが、「自己実現の欲求レベルに到達すること」=「自己実現の欲求を満たすこと」ではありませんよね。

言わずもがな、欲求は満足させてあげてこそ意味があるものであり、その欲求レベルに達するだけで終わってしまいそれを満たすことができなけば、それは不満の要因にしかなりません。

要するに、「自己実現の欲求」で生きていたとしても、実際に自己実現できていればその欲求は満たされますが、自己実現ができていなければその欲求は満たされずに不満の種になるということです。

つまり、自己実現に至るには、ただ欲求階層上の他の欲求を満たし「自己実現の欲求」に到達するだけでは不十分なのです。

 

そして、これはあまり知られていませんが、実はマズロー自身が自己実現へと至る具体的な8つの方法を示してくれているんです

今回は、そのうちの一つである無欲で没頭し熱中するということについて、簡単にお伝えしておきたいと思います。

 

マズローは、自己実現へと至る方法のひとつ目に、この「無欲で没頭し熱中する」ということを挙げていました。

この「無欲で没頭し熱中する」ということを別の側面から説明すると、少し一般的ではない言葉になりますが、ものごとに「手段的」ではなく「目的的」に取り組むということです。

 

これだけだとちょっと意味が分からないですかね?(笑)

 

平たく言えば、自分のしていることを手段としてではなく目的として行うこととも言っていいと思います。

つまり、目的を達成するための手段自体に熱中するということですね。

そうなれば、その手段を遂行すること自体が一つの目的になります。

 

これを簡単な例で言うと、たとえば登山をするときには山の頂上を目指すものですが、山の頂上に辿り着くことを楽しみとするのはもちろん、それと同時にそれまでの過程を楽しむということです。

登山の道程で出会う美しい景色に見とれたり、珍しい草花や木々に興味をもったり、あるいは途中休憩でお弁当を食べたり、おしゃべりをしたりすることを、しっかりと堪能しきるということです。

これとは逆に、もし興味もないのにイヤイヤ連れていかれた登山だとしたら、山頂までの道のりはただの強制労働になり下がってしまいます。

あるいは、疲れ切っているときに山登りをしてもその道中を楽しむ余裕はなく、むしろ苦行になってしまうのは言うまでもないですよね。

 

そして実際、僕たちは自分の人生を振り返ったときに、はたしてどれだけの行動がこのような強制労働や苦行になってしまっているのでしょうか?

仕事にしろプライベートにしろ、その目的に至るための過程自体に熱中できている事がいくつあるか、あるいは一日の中で熱中していると胸を張っている時間がどれだけあるのかは、自問自答すればすぐに分かることだと思います。

このように捉えると、人によっては自分が目的を忘れて熱中している状態がいかに少ないかに落ち込んでしまうかもしれません。

しかし、僕たちは誰しもが、子どもの頃は自然とこれができていましたよね?

 

幼い頃は、みんな自分の好きなことや興味や好奇心をそそられることがあり、それに没頭し熱中することができていました。

ではなぜ、それができなくなってしまったのでしょうか。

人によっては、「社会人になったから」とか「お金を稼ぐ必要があるから」とかいった答えをもっているかもしれません。

しかし、自己実現に生きている人は、社会人だからといって、あるいはお金を稼ぐ必要があるからといって、没頭も熱中できない物事に取り組むことはしないのです。

なお、それには性別や年齢や生まれ育った環境、職歴や地位や名誉、あるいは幸運か不運かや、能力・スキルの有無などはまったく関係ありません。

そして、そのことを理解するキーワードが無欲であることなんです。

この「無欲」という言葉も色々な意味で使われるのでとても厄介なワードだと思うのですが、ここではあえて結論だけ言うと、無欲さと熱中はセットです。

言い換えれば、本当の意味で熱中できている状態は、すなわち無欲ということになります。

無欲であるからこそ没頭し熱中できることがある、というのは皆さん何となく分かりますよね。

特別な意味や目的がないことに熱中した経験は誰しもにあると思います。

それは、絵を描くことだったり、映画を見ることだったり、漫画を読むことだったりするかもしれません。

スポーツや踊りをすることだという人もいるでしょう。

幼い赤ちゃんを見てたり、料理を作ることだったりすることがこれに当てはまることもあると思います。

いずれにしろ、それをすることで誰かから評価されるわけでもお金が手に入るわけでも健康になるわけでもないのに、やってしまうこと、したいと思えること、意味を見いだせること。

何なら、それをすることによって別の弊害を生むかもしれないのに、やめられないこと。

つまり、時間も忘れて、目的も目標もなく、ただそれをすること自体に意味を言い出せること。

このようなことを指し、「無欲で没頭し熱中すること」が大切であるとマズローは言っているのです。

 

そして、自己実現で生きている人は無欲で熱中することの達人でもあり、このような意味で、無欲で没頭し熱中することで僕たちは自己実現へと至ることができるのです。

なお、このことは自己実現へ至る方法の一つに過ぎないということは、再度強調しておきたいと思います。

 

おわりに

自己実現のおわりに

 

さて、文章量の関係で、この記事における自己実現に関する説明は以上とさせていただきますが、ここまで触れた内容はすべて電子書籍『マズローの自己実現~ありのままの自分を謳歌する~』からかいつまんだものでした。

そしてもちろん、この記事でご紹介した内容のより詳細な情報も含めて、それ以外の自己実現に関する重要な話をギュッと詰め込んでいるのが同書籍になります。

 

なので、もし「自己実現についてもう少し詳しく知ってみたい!」と思っていただけた方は、是非一度この書籍を手に取っていただければと思います。

本書は、日本語訳された全てのマズロー自身が書いた書籍の中から自己実現に関する内容だけをピックアップして整理し、それを実際の引用文やオリジナルで作ったイメージ図なども使いながら分かりやすく解説させていただいています。

これを機に、本書を通してマズローの世界観の面白さと奥深さに触れていただければ嬉しいです。

 

ではでは、最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

マズロー自己実現

 

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