自己実現

自己理解の意味と必要性とは?他者理解や自己実現との関係性も解説

自己理解と自己実現
自己紹介

 

「自己理解」という言葉をよく見聞きするようになった昨今、その言葉の指す意味とは一体何なのでしょうか?

「自己理解」をする必要性とは?

ちなみに、マズロー心理学的に言えば、「自己実現とはなにか?」ということへの理解を深める上でも、自己実現と関りの深い「自己理解」という言葉と「自己実現」を比べることで見えてくるものがあったりするんですよね。

ということで今回は、「自己理解と自己実現の関係性とは何か?」という事も含めて、「自己理解」というキーワードを紐解いてみましょう。

 

1.自己理解とは?

自己理解

 

まず最初に、「自己理解」とは何なんのかということから整理してみましょう。

自己理解とは、文字通り「自分を理解すること」ですね。

平たく言えば、「自分を知ること」「自分を把握すること」と言ってもいいと思います。

イメージ的には、鏡を使って自分の姿を客観的に見てみるといった感覚でしょうか。

 

ちなみに、自己理解は他者理解を促進してもくれます

なぜなら、自分を知ることで相手のことも知ることができるからですね。

言い替えれば、僕たちは自分の理解していることしか相手の中に見てとることができません。

そういった意味では、自分をよく知れば知るほど相手のこともよく分かるようになるという側面もあると言えるでしょう。

つまり、自己理解を深めた分だけ、周りの人々にも寄り添えるようになり、結果的に人間関係が良くなる可能性も自己理解には含まれているのです。

 

しかし、このように言葉にしてしまえば簡単なように思えますが、本当の意味で「自分を知ること」というのは、なかなかにして難しいものであり、なおかつ奥行きや深みのあるものでもあります。

というか、そもそも論ですが、「自分を理解すること」であれ「自分を知ること」であれ、一体全体自分の何を知ったり理解することを指しているのでしょうか?

自分についての何を知り、何を理解すれば、自己理解できたと言えるのでしょうか?

 

2.多角的に自己理解をする

自己理解

 

ここでは結論から言うと、自己理解とは、何か特定の事柄だけでなく、包括的かつ総合的に「自分自身」を理解することだと言えると思います。

つまり、たとえば「自分の好きなこと」や「自分の性格」や「自分の思考のクセ」などのどこか一側面だけでなく、それらを全て含めた自分という存在そのものを知ることが自己理解ということですね。

むしろ、「好きなこと」や「性格」は、それらを包み込んでいる自分という存在を理解するための一つの切り口だと言った方が良いかもしれません。

いずれにしろ、当たり前ですが「私の好きなことは食べることです!」ということが分かっただけでは、自己理解できたとは言えませんよね(笑)

 

しかも、その項目は、挙げようと思えばここには挙げ切れないほど無数にあると思います。

先ほどの事例以外で言えば、「自分の得意なこと」「自分の嫌いなこと」などはもちろん、「大切にしていること」などもメインの要素として挙げられるでしょう。

あるいは、「自分が自分に持っている自己イメージ」や「目指している姿」なども自分をつくり上げている要素であり、それらを通して自分を知ることができますよね。

もしくは、「仕事」や「趣味」、あるいは「人間関係」なども、自分を構成するものごとと言えます。

分かりやすいものとしては、「職種」や「年収」や「働いている会社」であったり「休日の過ごし方」、あるいは「家族構成」や「交友関係」などを通して、自分を客観的に把握することができるということですね。

更に言えば、「好きな漫画」や「影響を受けた映画」や「推しの俳優やミュージシャン」なども自分を形成する重要なキーワードになることだってありますし、人によっては自分の外見・身体的な特徴や所有しているものが自分のアイデンティティと結びついている場合もあります。

もしくは、マズロー心理学的に言えば、欲求階層における五つの基本的欲求のうち、自分はどの欲求が満たされていてどの欲求が満たされていないかをちゃんと把握することだって自己理解と捉えることもできるでしょう。

こういった様々な切り口から自分を定義したり自分の色を把握することで、僕たちは多角的に自分を理解することができます

 

つまり、平たく言えば、いわゆる自分の「自己紹介」の項目として使えそうなありとあらゆる項目から自分を知ることが、しっかりと自己理解をする上では大切だということが言えるでしょう。

言い換えれば、「私はこういう人です!」というポイントを色々な視点で見つけることが自己理解とも言えると思います。

しかも、就活で企業に見せる履歴書に書く「自己紹介」と、マッチングアプリで恋人を探す際に書く「自己紹介」はまったく内容が違いますよね(笑)

あるいは、見せる相手が変わればアピールポイントだって変わるので、自分のどの側面を切り出すかも変化します。

つまり、言うなれば、「自分を理解すること」とは、こういったあらゆる視点を使って様々な自分を知ることと言えるのです。

 

ちなみに、それは自分のポジティブな面だけでなく、ネガティブに思える面もちゃんと把握することも自己理解のコツですね。

つまり、「自分の嫌いなところ」や「自分の苦手なこと」や「自分の弱点」なども客観的に捉えることで、自分の自己理解はより一層深まると言えます。

 

先ほど「多角的」という単語を使いましたが、言うまでもなく僕たち人間というのは、二次元的な平面的存在ではありません。

自己理解を色々な面から多角的にしていくというのは、文字通り自分の「一面」だけを見るのではなく、自分のたくさんの一面すなわち多面的に自分を捉えることで自己理解は促進します。

つまり、「自分の好きなこと」を知るだけでは自分の一側面を知っただけであり、それでは不十分なので「得意なこと」や「大切にしていること」といったような多くの側面(多面)から自分を知ることで、平面的ではなく立体的に自分を知るということです。

 

少し抽象的なイメージになってしまいますが、例えて言うなら、僕たちは薄っぺらい厚さの存在しない「三角形」ではなく、三次元的な「正四面体」です。

 

 

しかも、自分を構成する要素は、三つの側面だけではないので、正四面体ですら窮屈な例えです。

言い換えれば、例えばさきほどの「好きなこと」「得意なこと」「大切にしていること」の三つを知るだけでは、自分を構成する要素の三つの側面しか知ることができず、他の視点から捉えれば、もっと多面的に多くの自分を知ることができ、自己理解を深められるということですね。

そういった意味では、自分を包括的かつ全体的に捉えようとすれば、その切り口としての側面はどんどん増えてきます。

 

そして、このようにして切り口を増やし続けた多面体は、究極的に面の数をどんどん増やしていけば、最終的には面のない球体になります。(これは数学的な正しさは無視した、あくまでイメージにおける話です)

 

もしかしたら、「は?だから何?」という感じかもしれませんが(笑)、なんとなく雰囲気だけでも感じ取っていただけたら恐縮です。

要するにここで言いたかったのは、自分への理解を深めてくれるポイントは本当にたくさんあるよねということです。

 

少し違う角度からこの事を言うと、本当はボールとしてぽんぽん自由に飛び回ることができるのに、それを「私はこんな人間だ」と一面を切り取ってぺちゃんこの平べったい存在に押しつぶして地べたを這いつくばるような人生にしてしまうのは勿体ないよねということです。

 

 

ちなみに、僕たちは他人のことを平面の三角形として見ていることも意外と多いので、この話は他者理解を深める際にも使える視点ですね。

 

そして、ここまでの説明自体は少々感覚的なことなのでかえって分かりづらかったかもしれませんが(笑)、つまるところ、このような形で色々な面から自分の特徴や特性を知ることによって、この後お伝えする「僕たちはそれを更に深めることができる」という具体的な話につながっていきます

 

3.自己理解の深度を深める

 

たとえば、自己理解によって「私は旅行が好き」という特徴を見つけたとしましょう。

これを更に「どうして旅行が好きなのか?」という風にして深掘ることによって、僕たちはまた違った自分への理解に繋がります。

つまり、「どうして旅行が好きなのか?」という問いかけに対し、たとえば「美味しいものが食べられるから」という理由に辿り着けば、「自分は旅先で美味しいものが食べられるから旅行が好きなんだ」という自己理解が生まれます。

また、「どうして旅行が好きなのか?」という質問に対しての答えだって一つではないケースが多いですよね。

それは、「知らない景色を見れるから」であったり「気分転換になるから」「非日常を味わえるから」であったり「思い出作りなるから」かもしれませんし、あるいはもっと抽象的に「楽しいから」や「自由だから」という理由などかもしれません。

いずれにしろ、多くの場合さまざまな理由が挙げられると思います。

そういった意味では、「旅行が好き」という一つの特徴からいくつもの理由が分岐して広がっていくことで、自分への理解がより多くのポイントからできるようになるということです。

 

しかも、このようにして生じたいくつもの理由は、それぞれを更に深めることもできますよね

要するに、先程の「知らない景色を見れるから旅行が好き」という理由に対して、「じゃあ、どうして知らない景色を見たいと思うの?」というかたちで更に問いかけができるということです

そして、その答えとして出てきたものが仮に「新鮮な気分を味わえるから」というものだったとすると、今度はそれに対しても「じゃあじゃあ、なんで新鮮な気分を味わいたいの?」と質問することができます。

つまり、自分理解とは、このような形で自分自身への問いかけをし続けることでどんどん深めることができるという性質があるのです。

 

特に、「なぜ?」「どうして?」という、「理由」や「願望」といったような視点での問いかけは、それこそどこまでも延々と続けることができたりします(笑)

それはさながら、海の中を潜るように、どこまでもどこまでも深く深く進んでいくことができるものです。

言うなれば、途中で飽きたり、息苦しくなって海面に戻らない限り、延々とダイビングを続けることができるのが自己理解だと言えますね。

 

 

そうやって、自分自身への理解を深めることで、新しい発見や気づきがあったりいままでは思い付かなかった可能性が見えてきたりすることもあります。

あるいは、自己理解を深めることで、突然いままでとはまったく違う世界を目にすることもあるでしょう。

それは、自分への意味づけ、すなわち自己イメージが変容することで成されることもあれば、自分を知るなかで自分以外の人々や社会というものを理解していく過程において、世界の見え方が180度変わるなんてことが起きたりもすることもあると思います。

いずれにしろ、このような意味においては、自分を知ることは他者を知ることでもあり、それは同時に、自分が生きている世界を知ることでもあります。

 

あるいは、ときに他者の視点を借りることでも、自分を知ることだってできますよね。

言い換えれば、周りの人々から見た自分を通して、自分への理解を深めることもできるということです。

 

たとえば、自分では長所だと思っていなかった部分が、友達からしたら羨ましくなるほどの魅力だったというケースなどが分かりやすい例でしょう。

もしくは、知人からの客観的なアドバイスによって、自分のおごり高ぶった姿や、現実逃避や勘違いを自分がしていたことに気づくというようなパターンもあると思います。

いずれにしろ、自分ではない人々の世界から見た自分を知ることは、想像以上に僕たちの自己理解を深め、ときには目からウロコをごそっと落としてくれるようなインパクトすらあったりします。

しかも、地球上には自分以外の人が約70億人も住んでいるので、70億もの自分以外の客観的な視点を通して自分への理解を深めることだってできるのです(笑)

 

なおかつ、自分という存在は、どんどん変化していくものですよね

個人差こそあれど、僕たちは成長するにつれて、歳を重ねるにつれて、否応なしに変化していきます。

事実、5歳の頃の自分と今の自分はもはや別人です。

自分が変化する原因は直接的に分かりにくい場合もあれば、何か特定の事件・出来事・経験・キッカケによって起こることもあります。

分かりやすい事例としては、仕事における大きな変化によってその前後の自分が変わったというケースや、結婚したり子どもを授かったことで自分が変化することだってありますよね。

あるいは、誰か特定の人物との出会いや、衝撃的な映画や本によって、自分が劇的に変わったという話も珍しくありません。

いずれにしろ、因果関係が分かりやすいか否かに関わらず、自分という存在が一ミリも変わらずに生きることは僕たちにはできません。

ちなみに、身体的な話で言えば、人間を構成している細胞は約三年ですべての細胞が入れ替わると言われているので、そのような意味でも僕たちは日々刻々と変化し続ける生き物です。

 

それに、自分の変化というのは意外と自分では気付きにくいという側面もあったりします。

言うまでもなく、僕たちは自分自身と24時間365日ずっと一緒にいるので、その変化にも鈍感になりがちです。

逆に、久しぶりに再会した友人の方が、その変化を敏感にキャッチしていたりしますよね。

いずれにしろ、僕たちは自分で意識できているか否かに関わらず、時間の経過とともに変わり続ける存在であることは揺るぎない事実だと思います。

 

したがって、自己理解というものには終わりはないんですよね

もし仮に、今現在は100%自分を理解できているとしても、数年後にはその理解した自分はまったく別人になっています。

言い換えれば、10年後の自分を理解できるのは10年後の自分だけだということです。

5歳の時の自分を理解したとしても、それは今の自分とはかけ離れた存在への理解になっていることと同じですね。

 

そして、このような意味において、他でもない今の自分を理解できるのは、今の自分しかいません

そのような、「いまここ」におけるリアルな自分を理解することが自己理解とキーポイントとも言えるでしょう。

仮に過去の自分を振り返って当時の自分を理解したり、あるいは自分の将来像への理解を通して自分を知ったとしても、それは結局「いま現時点での自分の理解」になっていますよね。

 

何だか分かりにくい話に感じられたかもしれませんが、つまるところ、「過去・現在・未来」という時間の流れにおいては、常に「いまここ」の自分への理解をこの先もずっとし続けることが大切であるということです。

平たく言えば、ザックリ年単位で区切ってみても、1年後の自分、2年後の自分、3年後の自分…というように、毎年毎年自分理解の内容をアップデートする必要があるということです。

もしかしたら、人によってはそれを月単位や週単位や日単位ですることが良い場合だってあるかもしれません。

逆に、これをせずに過去の自分に執着していたり、あるいは変化を拒んでいたりすれば、リアルタイムでの正しい自己理解には至ることはできないのですね。

また、縦横無尽に自由に変化していくことができない人生は、僕たちを窮屈で機械的なツマラナイ人間にしてしまいがちです。

このような意味では、自己理解をアップデートし続けるというのは、自分らしい人生をイキイキと謳歌する秘訣とさえ言えるかもしれません。

 

4.自己理解と自己実現の関係性

 

さてさて、それではここまでの内容も踏まえて、最後に「自己理解と自己実現の関係性」についてサックリ端的にまとめたいと思います。

 

ここまで長々と語ってきたことを一言で言えば、「自己理解」とは「人生そのもの」であるということが言えるでしょう。

なぜなら、自分という存在はそのタイミングタイミングで変化し続けていくものであり、自己理解によって知ることができる自己像というのは常にアップデートしていく必要があるからでしたね。

このような意味において、自己理解の過程とは人生の過程そのものでもあり、いまの自分への自己理解を更新し続けていく人生というものは、いまここにおけるリアルな自分を理解し続けていくということです。

 

そして、これはまさに、マズローの語る自己実現そのものであるとも言えるのです。

 

というのも、マズロー心理学における自己実現とは、一つの到達点である一方で、過程でもあるからなんですよね。

詳しくは「自己実現」という言葉の意味についてまとめたこちらのコラムに書いてあるので後ほどお読みいただければと思うのですが、自己実現とは「ありのままの自分を極め続けること」であり「本来の自分自身であり続ける」ということなので、これはまさにここまで見てきた自己理解の内容と一致します。

むしろ、いま現在においてのリアルな自分を理解していなけば、自己実現を生きているとは言えません。

言い換えれば、自己実現という人生を生き続けるためには、自己理解をし続ける必要があるのですね。

このような意味では、「自分を知り、その自分を深め、その中で柔軟に自分を変化させていくこと」が、自己実現だと言ってもいいと思います。

 

これはマズロー自身が述べていることですが、自己実現とは真逆の人生の特徴は、「依存」「固定」「不変」といったワードが当てはまるものであり、それは非常に形式的でガッチリと構造化されてしまった紋切り型の人生です。

そして、このような人生を生きていると、心は栄養不足に陥り、心の奥底に潜むバネをはじけさせることができなくなるともマズローは述べています。

しかも、現代社会では構造化された環境下で次から次に仕事を与えられて忙しく動き回る必要があるので、これによりこの傾向は加速するとまで語っています。

そうなってしまえば、ゆっくりと自己理解を深める時間を生活に取り入れることすらできなくなります。

なおかつ、それによって次第にありのままの自分は影を潜め、偽りの自分や借り物の自分で生きるようになってしまうのです。

要するに、せわしなさのなかで決まりきったルーティンをロボットのようにこなす日々を送ることで、僕たちの心はどんどん不健康になり、なおかつ自分を理解する機会を奪われることで、自分が自己喪失という状態になってしまっていることさえも自覚できなくなってしまうのですね。

 

その一方で、これとは逆に自己実現を生きている人というのは、社会と適切な距離をとりつつもそれと理想的な関係性を築き上げることができているので、自分を見失うことはありません。

むしろ、自分とゆっくり向き合う時間をとることの大切さを知っているからこそ、どれだけ忙しくても彼らは意識的にその時間をつくりますし、そのために必要な条件を整えることにもちゃんとエネルギーを注いでいます。

そうして意識的に確保された内省・内観の時間が自己理解を深め、それが自己実現とも結びついているのです。

 

いうなれば、実際に自己実現を生きている人たちにとっては、自己理解というものは自分の自己実現を心強くサポートしてくれるものだということですね

そのような意味では、今現在のリアルな自分を見失えば、自己実現など到底できなくなってしまいます。

そして、いまここに存在している本当の自分を知ることは、自己理解によって可能なることです。

このような意味において、自己理解と自己実現とは、もはやニコイチの存在であり、切っても切り離せないもの同士だと言えると思います。

 

自分の自己実現を深め続けるのであれば、自己理解を更新し続け、自分自身への認識の鮮度をぴちぴちに保ち続けたいものですね。

 

 

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