心の健康

欅坂46「不協和音」歌詞解釈/いびつな音を奏でる者が健康な心の持ち主?

 

欅坂46の「不協和音」という楽曲には、僕たちが本当の意味で健康で豊かな心持ちで人生を歩んでいくためのヒントがぎっしり詰まっていると思います。

今回は、マズローの語る「自己実現」を心の健康という側面から見る形で、この曲の稀に見るパンチ力のこもった歌詞の意味を紐解いてみましょう。

 

 

引用:amazon.co.jp

 

【歌詞引用】
欅坂46「不協和音」
作詞:秋元康
作曲:バグベア

 

言うまでもなく、日本人はとかく協調性を重んじます。

それはもちろん良い側面もあるのですが、往々にしてその協調性は名ばかりのものになり下がっていて、ほとんどの場合はお互いを束縛する鎖となる依存性にすり替えられています。

今では死語になりつつある「KY(空気が読めない)」という言葉も象徴していたように、不調和は磔の公開処刑に値するほど忌み嫌われています。

そのような環境下で過ごせば、ほとんどの子どもが大人になるにつれて自分の本音を押し殺すプロになることができます。

自分の本心を貫き通すことは、現代社会では暗黙の裡にタブーとされていると言っても過言ではないでしょう。

その中で「嫌われる勇気」をもてる人は、決して多くはいません。

 

僕はYesと言わない
首を縦に振らない

まわりの誰もが頷いたとしても
僕はYesと言わない

絶対 沈黙しない
最後の最後まで抵抗し続ける

 

僕たち人間は、本当はただ恐くて動けないだけなのに、それを「安全」という見てくれのよい言葉にコッソリ取り替えてしまうことで、恐怖に従うことを正当化します。

それと同時に、自己防衛として使われる遠慮や、本当に向き合うべきことから逃げるための謙遜といったような必殺技が有効なことも知っているので、これを無作為に連発します。

本当の礼節と義務としての礼儀をはき違えたり、倫理と道徳を混同する無教養さによって、自分が本当は不誠実で非倫理的な行いをしていることには全く気付けません。

そのようにして「良い人」という安全圏に収まることで、孤立したり批判されたりすることから身を隠そうとするのです。

 

もっとも、「所属の欲求」をもつ僕たち人間は「誰かと繋がっていたい!」という欲求があるため、ひとりぼっちでは心を病んでしまうのは事実であるものの、孤立を恐れた安パイで無難な関係性はただの依存です。

マズローの語る自己実現を生きている真に健康な心の持ち主は、依存とは対照的な独立した人間性により本質的な自立を生きているので、他者からの批判にさらされる恐怖を受け容れることができます。

彼らは、健全なかたちで満たされた「尊重の欲求」が土台に据えられているからこそ、自分の「自己実現の欲求」の声に従ってイキイキとした心持ちで人生を自由に味わうことができるのです。

そうではない無自覚の依存の世界に生きているイエスマンは、自分のなかに「自己実現の欲求」があることはおろか、本当の自分の存在にさえも気付くことができなくなってしまっています。

 

叫びを押し殺す (Oh!Oh!Oh!)
見えない壁ができてた (Oh!Oh!)

ここで同調しなきゃ裏切り者か
仲間からも撃たれると思わなかった

Oh!Oh!

 

これは一般的には意外と知られていないことですが、マズローの語る自己実現にはある種の「反逆者」や「異端児」という要素が含まれています。

なぜなら、既存の現代社会は、僕らの人間性を蝕ませ、歪んだ精神性をつくりだす不健康な社会と言えるからです。

言葉では「自分らしく生きるのって大事だよね」と言いつつも、実際のいまの社会システムはそれを良しとはしていません。

そのような環境下で自分の自己実現を貫くことは、ある側面では後ろ指を指されてしまうのです。

 

もっとも、自己実現を生きようとしている人を後ろから指さして陰口をいう人は、不健康な社会に迎合した奴隷として優秀なだけのロボットです。

したがって、真の自己実現を生きている健康な心の持ち主は、彼らの罵声や冷笑に自分の人生をコントロールされることはありません。

 


僕は嫌だ

 

 

不健康な社会においてYesと言い続ければ、心は安定して腐り続けていってしまいます。

もしも本心がNoであるなら、それを貫くことで心はどんどん潤いで満たされていきます。

つまり、自分のNoに対してNoを言わない勇気が必要なのです。

 

不協和音を
僕は恐れたりしない

嫌われたって
僕には僕の正義があるんだ

殴ればいいさ
一度妥協したら死んだも同然

支配したいなら
僕を倒してから行けよ!

 

自己実現を生きている健康な心の持ち主は、世界と見事に調和できていますが、それは自分を押し殺して適合するのとはまったく違っています。

彼らは、自分のありのままの音を奏でることで、より高い次元において自分を世界と調和することができているのです。

心が干からびている人が彼らが奏でる音を聞けば「不協和音」に聞こえるかもしれませんが、それはその人の感性と感受性が歪んでいるが故の受け取り方です。

萎縮した人間性によってつくらてしまった歪んだ聴覚は、本当に美しい音色を聞き取ることができません。

もしくは、耳カスがたっぷりこびりついてしまった耳によって、真の調和的なメロディは不協和音に誤変換されてしまうと言っても良いと思います。

盲目的でなし崩し的に社会一般の倫理観を採用している持ち主には、真の倫理観をもつ人々が貫く正義が織りなすハーモニーを受けとる器がないのです。

 

君はYesと言うのか
軍門に下るのか
理不尽なこととわかっているだろう

君はYesと言うのか
プライドさえも捨てるか
反論することに何を怯えるんだ?

 

本当はオカシイと分かっていても、大抵の人は心のなかで慣れた素振りで白旗をあげ降参します。

生きるために食べるのではなく、食べるために生きているタイプの人には、今日のご飯にありつくことが最優先事項だからです。

快適な牢屋の中で生きるのも確かに賢い選択ですが、その先には弱った心が描き出す白黒の道しか残っていません。

 

大きなその力で (Oh!Oh!Oh!)
ねじ伏せられた怒りよ (Oh!Oh!)

見て見ぬ振りしなきゃ仲間外れか
真実の声も届くって信じていたよ

Oh!Oh!

 

ありのままの自分を受け容れそれを余すことなく創出している人は、風通しの良い伸びやかな心持ちで人生を生き切っています。

自由になることで伴なう責任をしっかりとまっとうすることで、嘘偽りのない心の底から納得できる自分自身を生きているのです。

彼らは、自分の意見がマイノリティであり、自分の選択は未知なるものであり、自分の価値観は大衆受けしないことを理解しつつも、素直な心の声に従う勇気と共に、自分の自己実現を謳歌する決意をしたのです。

 


僕は嫌だ

 

 

真に健康な心の持ち主は、「変人」「奇人」「異端児」「はみ出し者」「ハナつまみ者」と蔑まれ揶揄されても、その輝きがくすむことはありません。

一般常識、固定観念、社会通念、当たり前、先入観といったものとも真正面から向き合い、何が正しいのかや自分がどうしたいのかを奥の奥まで突き詰めることで、そうしなければ辿り着けない本質的な真実に到達することが出来ます。

 

不協和音で
既成概念を壊せ!

みんな揃って
同じ意見だけではおかしいだろう

意思を貫け!
ここで主張を曲げたら生きてる価値ない

欺(あざむ)きたいなら
僕を抹殺してから行け!

 

「みんな違ってみんないいよね」という言葉を、慰め文句や机上の空論やただのキレイゴトにおとしめることなく、自他を本当の意味で尊重しながらこの言葉を実際に生きることは心が健康だからできることです。

「個性って大事だよね」「多様性を重んじるべきだよ」「僕ら一人一人は世界に一つだけの花じゃないか」

そんな言葉を、アタマで表面的に理解するのではなく、ココロを使って自分の人生の中でリアリティをもって実現し具現化し、実感できている人は決して多くはないでしょう。

 

ああ 調和だけじゃ危険だ
ああ まさか 自由はいけないことか

人はそれぞれバラバラだ
何か乱すことで気づく
もっと新しい世界

 

調和を押し付け合うことが不調和を生んでいることに気付けない腐ったオトナたちは、成熟したオトナたちが自由を堪能している姿を見て彼らを蔑みます。

「身勝手な奴らだ!」「アイツらは特別で羨ましいよ」「ああいうヤツが世の中をダメにするんだ」

腐敗した人間性をもつ人々は、このような悪臭漂うセリフを吐くことでしか自分を保てません。

躍動することと場を乱すことを勘違いしている紋切り型の価値観では、余裕やゆとりやあそびを受け容れるだけの土壌がないのです。

盲目的な正しさを行使することでしか自分を表現できない程に自分を失っています。

自分の口にするほとんどの言葉が「誰にでも言えるツマラナイたわ言」で構築されているという自覚すらもてず、それが自分のわびしい世界観を更に助長し続けていることなど考えることもありません。

このようなタイプの人々は、健康な心の持ち主が勇敢な誠実さでもって輪を乱したり、マジョリティが支持しているというだけで自分も採用している世間的な規則の外側で自由に生きる人々を見て、素直に羨ましがる気概すらないのです。

 

これとは逆に、自分の自己実現を通してどんどん新しい世界を切り開いていくことで手にした広い視野で世界全体の繋がりを俯瞰できている人たちにとっては、その高い視点から見たときに不協和音を奏でているのはそのような人だったりします。

 

言うなれば、心が健康な人と心が不健康な人では、生きている世界がまったく違うので、物事への意味づけも真逆になることが少なくないのです。

 

僕は嫌だ

不協和音で
既成概念を壊せ

みんな揃って
同じ意見だけではおかしいだろう

意思を貫け!
ここで主張を曲げたら生きてる価値ない
欺(あざむ)きたいなら
僕を抹殺してから行け!

不協和音を
僕は恐れたりしない

嫌われたって
僕には僕の正義があるんだ
殴ればいいさ

一度妥協したら死んだも同然
支配したいなら
僕を倒してから行けよ!

Discord Discord
Yeah! Discord

 

本当の意味での調和とは何か?

不協和音は誰にとっての不協和音なのか?

全体性から見た包括的な視点での調和とはどのような姿なのか?

現代社会と調和して生きることは自分の心を健康にしてくれるか?

不健康な社会でYesと言い続けることは自分自身との調和になるのだろうか?

対立軸を超えた不調和を包み込む統合的かつ本質的な調和とはどのようなものなのか?

 

マズローの語る自己実現と心の健康の話には、そんなことを考える上で力強いサポートをしてくれるエッセンスがたくさん眠っています。

 

欅坂46「不協和音」は、僕たちが真の意味で健康な心で生きるための大切な視点を思い出させてくれる素晴らしい名曲ですね。

サイレントマジョリティー然り、秋元さん&バグベアさんのコンビ、恐るべし(笑)

 

 

 

 

 

※このコラムの内容は、あくまでもマズロー心理学という眼鏡をかけた目で見た個人的な解釈であり、この曲の作り手・歌い手・演者の方々が込めてくれたメッセージの感じ方の一つです。

 

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黄マズロー
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