欲求階層

欲求を満たすとは?真の欲求満足をマズローはどう考えていたのか

マズロー五段階欲求
自己紹介

 

僕たちは、日々当たり前のように「欲求」という言葉を使いそれを満足させようとするものですが、いったい何をもって「欲求を満足した」と言えるのでしょうか?

そんな、素朴だけれども基本的であるがゆえに非常に大事なことについてマズローが何と言っていたのかを、イメージ図を用いてサクッとまとめました。

 

「欲求の満足」は人それぞれ 

 

僕たちは、自分の欲求が満たされると、いい気持ちになったり、ホッコリした気分になれたり、充足感や達成感といった満足感を感じられます。

たとえば、お腹が空いたときにご飯を食べて「お腹いっぱいだー」となったときの満腹感は分かりやすい欲求満足ですよね。

あるいは、「思い通りになった!」「願いが叶った!」「目標をクリアできた!」「成長できた!」といったことも、欲求が満足した一例でしょう。

でも、よくよく考えると、その満足感は主観的(個人的)な感覚ですし、そもそも、どんな欲求を持っているのかであったり、心の底から満足感を感じるための度合も人それぞれです。

実際、たとえばその度合いを数字にしてみれば、50%の満足で満たされた感覚に浸れる人もいれば、100%の満足でなければ納得できない人もいます。

つまり、あらゆる前提として、どの程度その欲求を満足させたいか、何をもって完全な満足なのかは、千差万別で十人十色ということです

 

マズローは「欲求満足」についてどう考えていたのか?

 

マズローが、私たち人間の欲求を「生理的欲求」や「安全の欲求」などのいくつかに分類しそれを階層構造で説明していることは有名ですよね。

そんなマズローは、彼自身が書いた書籍の中で「欲求が満足する」ということについて様々な表現を使って説明しているんです。

その事例としては、「欲求をちゃんと満たす」であったり、「欲求がある程度満たされる」であったり、「欲求が十分に満足するときに」といった形で表現しています。

また、階層の下位に位置する欲求が満たされるとその上にある次の欲求満足に進むのが人間の特徴であるという考え方もよく知られていますよね。

先ほどの例で言えば、欲求階層の下位にある「生理的欲求」が満たされると、その上位に位置する「安全の欲求」を満足させようとするということです。

この上下の階層関係をイメージ図にするとこのような形になります。

 

欲求01

なお、私たちが「生理的欲求」が満たされないと「安全の欲求」を満たそうとはしないということは、自身の経験からも分かることですよね。

食べることや眠ることなどの生物としての基礎的な機能が正常でなければ私たちは生きていくことができないので、身体的・精神的に安全な環境を確保しようとすることは二の次になることはお分かりいただけると思います。

しかし、これは意外と知られていない事実なのですが、マズローは上位の欲求満足へと進むことについて一つ補足をしているんです。

その補足とは、上位の欲求満足へ向かうための条件であるその下の欲求の満足度は必ずしも100%である必要はないということです。

言い換えれば、人間というのは欲求階層において下位の欲求の満足度が100%でないとしても、それより上位の欲求満足へ進むことが往々にしてあるということになります。

先ほどの例で言えば、「安全の欲求」の階層へ上がるためには「生理的欲求」が100%満たされる必要がなく、ある程度満たされていればよいということですね。

 

しかも、マズローいわく、実際には私たち社会で生きるの人々の多くは、すべての欲求にある程度満足しているものの、同時にある程度満たされていないとも言っています。

つまり、欲求階層においては、上位の欲求が現われる条件はその下の欲求がある程度満たされていることであって必ずしも100%満たす必要はなく、実際のところ私たちのほとんどが自分に内在する欲求を100%満たしきってはいないのです。

このことは、マズローの語る欲求階層の理解において意外と知られていない内容ですが、非常に大切なキーポイントと言え、これをイメージ図にすると下記のような形で表現できると思います。

 

欲求02

さて、このことをもう少しだけ深ぼってみると、より欲求満足の正しい姿が明らかになります。

 

まず結論から言うと、マズローは、ある程度の長期間にわたり上位の欲求が満たされると、その下位に位置する欲求の影響を直接受けなくなると言っています。

それと同時に、その上位の欲求が満足し続けることはその欲求自体のさらなる満足からも独立するとも述べています。

つまり、上位の欲求が長期にわたって満たされることで、その欲求自身の欲求満足とその下位の欲求満足に進むことがなくなるということです。

したがって、「安全の欲求」がある程度長いあいだ満たされることで、「安全の欲求」はもとよりその下位の「生理的欲求」の満足もそれ以上は目指さなくなるということになります。

言い換えれば、上位の欲求が一定期間満たされれば、その欲求自体をそれ以上満足させようとしないのと同時に、それより下位の欲求をもっと満足させようすることもしなくなるということですね。

このことをイメージ図にすると、このような感じでしょうか。

 

欲求03

ちなみに、このことをマズローは別の言い方で、ある程度満たされた欲求はもはや欲求として機能しなくなるとも述べていますが、もしかしたらこの表現の方が分かりやすいかもしれませんね(笑)

 

そして、このような条件下で二つの欲求が満たされた場合には、次の上位に位置する三つ目の欲求の満足へと進みます

すなわち、下位の欲求が一時的な満足のあとに私たちに待っているのは、さらなる不満の気持を伴ったより上位の欲求へと駆り立てなんです(笑)

これらの内容をイメージ図に落とし込むと下記のようになりますね。

 

マズロー欲求04

このようにして、私たちはより上位の欲求の満足を求めるようになるということです。

しかし、ここでこの記事の冒頭でも触れた一つ疑問が浮かび上がります。

一体全体、下位の欲求がどの程度満足すればその一つ上の欲求階層へと進むことができるのでしょうか?

記事の冒頭では「欲求の満足度は人それぞれである」と話しましたが、実は、上位の欲求へ移行するための満足度について、マズローは具体的な数字を用いて説明してくれているんです

 

まず、欲求というのは、ここまでのイメージ図のように無の状態からからゆっくりと徐々に現れてきて、満足度を高めていきます。

しかし、たとえば下位の欲求Aが10%しか満たされていないと、欲求Bは全く目に見えません。

ところが、この欲求Aが25%満たされると欲求Bは5%出現します

そして、欲求Aが75%満たされると、欲求Bは50%現れるのです

この内容をイメージ図で表現すると、次のようになりますね。

 

マズロー欲求階層05

このようなパーセンテージに基づき、私たち人間は欲求を段階的に満足させていく性質があると、マズローは言っていました。

 

ということで、「欲求満足の詳細」についてはいったん以上になりますが、ここまでの内容を踏まえて、自分自身の欲求や周りの人々の欲求と向き合ってみると、相互への理解がより深まることがあると思います

 

「なぜ、あの人はいつも心が満たされているのだろう?」

「私はどうしてこのことに不満を感じるのだろう?」

「満足感が持続せずに欠乏感や喪失感が消えないのは何でなんだろう?」

 

そのような疑問と向き合うことで、自分が本当に望む人生を、失敗を恐れたり他者の目を気にすることなく歩んでいけるのでしょうね

 

なお、このコラムでの内容も含め、マズローの語る欲求の話は下記電子書籍に分かりやすくまとめているので、ご興味あるかたはぜひぜひ。

水色マズロー
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