欲求階層

欠乏欲求と成長欲求の正しい意味とは?マズロー自身の原文も引用し解説

成長欲求と欠乏欲求

自己紹介

 

マズローの欲求階層と自己実現の話を正しく理解する上で避けては通れない「欠乏欲求」と「成長欲求」という言葉ですが、残念ながらその意味をしっかりと把握できている人は意外と少ないようです

また、ネット上にあるこれらの情報は間違っているものも珍しくありません。

ということで、今回はマズローが欠乏欲求にと成長欲求についてどのように説明していたのかを、マズロー自身が書いた書籍の文章も引用しながら分かりやすくまとめてみました。

この記事を最後までお読みいただくことで、両者の違いがクッキリと分かり、自分の欲求を正しく理解できるようになると同時に、マズローの語る自己実現へ向けて地に足のついた一歩を踏み出せるようになると思います

 

1.欠乏欲求と成長欲求とは?

欠乏欲求と成長欲求

 

それではまず、ここでは結論から述べたいと思います。

 

欠乏欲求とは、満たされない空白を埋めようとする欲求であり、マズローは欲求階層においては「自己実現の欲求」以外の4つの欲求が欠乏欲求だと説明しています。

 

一方の成長欲求とは、これとは対照的な特徴をもつ欲求で、それは欠乏感を埋めるものではなくむしろ自分の内側から溢れ出てくる豊かさから生じる欲求のことで、「自己実現の欲求」のみがこの成長欲求に当てはまります

 

両者の違いを端的に言えば、マイナスをゼロにもっていくことが欠乏欲求であり、ゼロをプラスに(もしくはプラスを更なるプラスに)もっていくのが成長欲求ですね。

これだとまだ抽象的なのでもう少し具体的な例で言えば、たとえば一つのコップがあるとすると、からっぽのコップに水を注ぎ満タンにしようとするのが欠乏欲求であり、もともと満タン状態のコップからどんどんと水が溢れ出ている状態が成長欲求のイメージになります。

 

そういった意味では、欠乏欲求から成長欲求へと向かう欲求階層における流れとしては、最も下位に位置する「生理的欲求」のコップから始まり四つ目の「尊重の欲求」のコップまで順々に空の状態を満たしていき、最後の「自己実現の欲求」から水が溢れ出ている状態が自己実現とも言えそうですが、実は、これは正しくもあり間違いでもある捉え方なんです。

 

このあたりがマズローの欲求階層の話や自己実現の理論を多くの方が勘違いしてしまう理由の一つなのですが、このことをしっかりと理解することも念頭に置きながら、この後でより詳しい欠乏欲求と成長欲求の違いについて把握することで、真の自己実現を生きるポイントを掴んでいきましょう

 

2.それぞれの欲求の特徴

欠乏欲求と成長欲求

 

さて、欠乏欲求と成長欲求のそれぞれの特徴を把握する準備運動として、簡単に両者の元々の英語表現に触れることで、これらの欲求の大枠を捉えておきましょう。

 

マズローはこれらの欲求を英語の原文では、「欠乏欲求」=「deficiency needs」、「成長欲求」=「growth needs」という英単語で表現していました。

ちなみに、あまり聞き馴染みのないかもしれませんが「deficiency」という英単語の和訳としては「欠乏」「欠損」「不足」「欠陥」などが当てはまります。

一方「growth」は、「成長」という意味の他に「発展」「増大」「生長」といった意味をもっていたりします。

このようにいくつかの和訳単語を並べると、欠乏欲求と成長欲求のそれぞれのイメージが更に深まったのではないでしょうか。

 

では続いて、本題の欠乏欲求と成長欲求の特徴的な違いを見ていきましょう。

冒頭でも触れたように、この二つの欲求は真逆とも言える正反対の性質をもっています。

ちなみにここで少し余談ですが、マズローは人間以外の動物というのは欠乏欲求のみをもっていて、成長欲求は人間特有の欲求であると考えていました。

これはすなわち「自己実現の欲求」というのは人間だけがもつ欲求であるということであり、このような事も知っておくと二つの欲求の違いが更にイメージしやすくなると思います。

 

欠乏欲求と成長欲求

 

そして、改めて言うまでもないことかもしれませんが、マズローは欠乏欲求ではなく成長欲求にもとづいて生きることを僕たちに推奨していたんですよね

なぜなら、僕たち人間が欠乏欲求のみで生きることは、一言で言うなら不幸な人生を歩むことになるからです。

一方で、成長欲求で生きていると、あらゆる意味で自分の人生が豊かでより望ましいものになります。

そんな、悪魔と天使のような両者ですが(笑)、この二つの欲求の特徴的な違いはキーワードにすると下記のようになります。

 


欠乏欲求=安全・退行・自立・恐怖・空白・対応的・苦しい努力

成長欲求=向上・前進・依存・喜び・充足・表現的・楽しい努力

 

 

こうして比べても、なかなかに対称的なワードが並んでいますよね。

これらの内容を少しずつ深掘っていきたいと思うですが、まずはマズローが欠乏欲求についてどのように述べていたのかから紐解いていきましょう。

 

マズローはいくつかの書籍で様々な形で欠乏欲求について語っているのですが、下記の文章はマズローの代表作である『人間性の心理学』から引用した、欠乏欲求の特徴を分かりやすく説明してくれている文章です。

 

『これらの欲求は、有機体において本質的に欠けているいわば空ろな穴であり、それは健康のためにみたされねばならず、しかも、主体以外の人間によって外部からみたされねばならない。わたくしはこれを説明するために、欠損欲求あるいは欠乏欲求と呼び、別の非常に違った性質の動機と対照的におこうとするのである。』

 

この文章でまず注目すべき部分は、『空ろな穴』という表現ですね。

この表現からも、マズロー自身が欠乏欲求を穴のような満たすべき空白だと考えていたことが分かります。

次に注目したいポイントは、『主体以外の人間によって外部からみたされねばならない』という部分です。

これは要するに、欠乏欲求は自分自身で満たすのではなく、自分以外の他者、あるいは社会や環境などといった外的な要素によって満たす必要があるということですね。

言い換えれば、他者依存的(外部依存的)な欲求が欠乏欲求だということになります。

 

したがって、欠乏欲求を満たそうとする人は自ずと自分の周りの人々の顔色を伺わざるを得なくなるともマズローは語ってます。

これは、自分の中にある空ろな穴を埋めるために他者から水を注いでもらう必要があるためですね。

いわゆる承認欲求における「他者承認」(誰か私を認めて!褒めて!という気持ち)は、まさにこの代表例でしょう。

また、マズローが他のところで語っている「D愛情」(誰か私を愛して!という欠乏感からくる愛情)も、欠乏欲求の典型例だと思います。

要するに、ここでは主に人間関係においての具体例を挙げましたが、これに限らず他の事柄においても自分以外の物事によって満たさなければならないのが欠乏欲求なのです。

 

一方で、自己実現を生きている人は、あらゆることに対して自立的であり、「与えられる側」ではなく「与える側」で生きる存在です(もしくは彼らが受け取り上手ということも踏まえると「与え合うことができる」と言った方が適切かも)。

なお、先ほどの文章内でマズローが述べていた、欠乏欲求とは別の非常に対照的なものというのが、まさにこの自立的な性質をもつ成長欲求のことになります。

 

ちなみに、このような視点で自他の行動を観察してみると、それが欠乏欲求なのか成長欲求なのかがよく見えてくると思いますよ。

 

さて、続いてはこれとはまた別の角度からのマズローの考察を見ていきたいのですが、今度は成長欲求に関する文章を引用してみましょう。

マズローは、成長欲求というのはその欲求に従うことが本人にとって好ましいものであると考えており、そのことを下記のような表現で述べてくれています。

 

『もし(a)欲求に対する過去経験が好ましいもので、(b)現在ならびに将来に満足が期待されるものであれば、欲求は受け容れられ、楽しむことができるし、またすすんで意識に呼びおこされるのである。』

 

つまり、成長欲求というのは、上記の(a)と(b)が当てはまるような、欲求を満足すること自体が楽しみになっているが故にそれを歓迎して迎え入れることができるものなのです。

 

一方で、欠乏欲求というのは、欲求を満たすことが苦しいことであったり、嫌々取り組むべきことであったりするので、できることなら避けておきたいものです。

そういった意味では、たとえば仕事において、その業務自体が楽しめていればそれは自分の中で成長欲求にもとづいた自己実現的な仕事になっているということであり、これとは逆に仕事をせずに生きられるなら辞めてしまいたいようなものであればそれは欠乏欲求的な仕事の仕方だということになります。

 

言い換えれば、仕事の目的が、「衣食住などの確保」「お金」「所属感を満たしてくれる居場所」などのような「生理的欲求」や「安全の欲求」や「所属の欲求」などの、「自己実現の欲求」以外だけに基づいている場合はそれは欠乏欲求だということですね

このような意味でも、欲求階層における「自己実現の欲求」以外の欲求は欠乏欲求になります。

言うなれば、欲求満足が「厄介なこと」であるのが欠乏欲求であり、「やりがいのあること」であるのが成長欲求とも言えると思います。

 

なお、この特徴と先ほどの「依存的」という特徴とを合わせて考えてみると、受け身で消極的な姿勢で行われることはすべて欠乏欲求にもとづいているものであり、能動的でなおかつ自らの本心から溢れ出る積極性にもとづいての行動は成長欲求と言えるかもしれません。

したがって、仕事に限らず、「自分はこの欲求を満たすことを楽しめているだろうか?」「自分のこの行動は、やらなくていいなら喜んで手を引く行動ではないだろうか?」という問いかけで普段の自分の行いを振り返ると、それがどちらの欲求にもとづいているかが分かると思いますよ。

 

さて、続いては、「欲求が満足した際の違い」という視点で欠乏欲求と成長欲求の特徴を把握していきたいと思います。

 

結論から言うと、まず、欠乏欲求が満たされたときの現象は、一時的なピークの到達とそれに伴う緊張状態の解除があるというのが主な特徴です。

平たく言えば、刹那的な満足感で一瞬の間だけ満ち足りた感覚に浸れるのですが、それはあくまでそれまで感じていたストレスからの解放に過ぎないということです。

これは、「不満」というマイナスの状態が解消されただけだとも言えるでしょう。

しかも、この「不満と一時的な満足」を延々と繰り返すことになるという特徴もあります。

マズロー自身は、この事を次のような説明で述べてくれています。

 

『欠乏欲求の満足は、偶発的になりやすく、やまがある。ここで最もよくみられる図式は刺激状態、動機状態ではじまり、目標状態に達するよう仕組まれた行動が動機づけられ、次第次第に着実に願望や興奮をたかめ、遂には、成功と達成の瞬間に絶頂に達する。そしてこの願望、興奮、快楽の頂点から、速やかに静かな緊張解除という高原状態に移り、動機は消滅する。』

 

一方で、成長欲求における満足はこれとは違い、ある種の到達点としての明確な終わりがありません

というか、終末としてのゴールがないため、その欲求にもとづいて更に上昇していくことができるということです。

そして、言うまでもなくその過程自体が楽しく喜ばしいものになっています。

マズロー自身は、このことを先ほどの欠乏欲求に関する引用文の直後でこう表現しています。

 

『この図式は、どのような場合にもあてはまるとはいえないけれども、 いずれにしても成長動機における事態とはきわだって対照的である。というのは、成長動機では、 その特徴としてクライマックスあるいは極致といわれるものもなければ、 オーガズム的瞬間もない。終局の状態もなければ、 漸層法的にいうと、 目標さえないのである。』

 

つまり、欠乏欲求の「不満⇒満ちる⇒快楽の頂点⇒緊張解除」という図式は成長欲求には当てはまらず刹那的なゴールという意味でのクライマックスがないということですね。

 

また、この文章の続きでは、成長欲求の補足説明としてこのようにも話しています。

 

『その代り、成長は連続的で、多少とも着実に上方あるいは前方へと発展するものである。得るところが大きければ大きいほど、 ますます人は望む、 したがってこのような願望は、 際限がなく、完成することもあり得ないのである。』

 

このマズローの表現と先ほどの欠乏欲求の引用文を加味して考えると、欠乏欲求というのはある一定の領域内で上下運動を繰り返す波形のイメージで、成長欲求というのは右肩上がりで上昇し続ける線形のイメージですかね。

 

 

欠乏欲求と成長欲求

 

ちなみに、成長欲求の説明としてマズローは更なる追加説明も続きでしてくれています。

 

『そのために、刺激、 目標探索行動、 目標対象到達、附随効果のそれぞれを分ける通常の考え方は、まったく崩される。行動すること自体が目標であり、成長に対する刺激と、成長の目標を分けることは不可能である。それらもまた同じなのである。』

 

少々難しい単語が多いですが、この文章で特にピックアップしたい部分が、『行動すること自体が目標である』という箇所ですね。

これは、少し前に述べた「欲求を満たすこと自体がやりがいである」という内容とも繋がるものでしょう。

つまり、山登りに例えるなら、山頂に辿り着く事だけでなく、そこに至るまでの道程を歩くこと自体が目的でありそれがただの手段に成り下がっていないということでしょう。

なおかつ、その山頂すら存在しない果てしない山と言った方が、より正確かもしれませんね。

いずれにしろ、マズローも述べているように、目的と手段の境がなくそれらが一体となり同一化しているということです。

 

ちなみに、個人的にはこのことも含めて二つの欲求の違いとして持っているイメージは、下りのエスカレーターを一番上まで昇り一旦は達成感を味わえるもののそこで歩みを止めることでまた自動で下に戻っていくのが欠乏欲求で、先の見えないほど長い上がりのエスカレーターをどんどん進んでいくのが成長欲求であり自己実現であると思っていたりもします。

 

欠乏欲求と成長欲求

 

いずれにしろ、ゴールが有るか無いかや、それまでの過程自体が喜ばしいものであるかという視点で自分を省みることで、それが欠乏欲求と成長欲求のどちらに該当するのかがハッキリすると思いますよ。

 

ということで、二つの欲求の特徴的な違いを把握したあとは、これらを見分けるための更なるツールとして、今度は「自己実現」という視点から紐解いた成長欲求の特徴を把握していきましょう。

 

3.自己実現と成長欲求

成長欲求

さて、ここでもまず最初に結論から述べると、自己実現を生きている人というのは成長欲求によって生きています

 

マズローは、自己実現している人びとのことを「自己実現者」と呼ぶことがあるのですが、成長欲求と欠乏欲求の違いは自己実現者とそれ以外の人の違いと同じであると考えていました。

要するに、自己実現者の特徴とそうではない人の特徴の違いが、そのまま成長欲求と欠乏欲求の違いにピッタリ一致するということです。

したがって、その人が自己実現者かどうか見分けるには相手が成長欲求の特徴に当てはまるのかで判断が出来るとも言えるでしょう。

このことを、マズローは次のような表現で述べてくれています。

 

『われわれがここで探索しようとする成長欲求と基本的欲求との区別は、自己実現者とその他の人びとの動機生活にみられる質的相違に関する臨床的所見の結果にほかならない。【中略】いずれにしても、人間の心理生活といっても、その多くの面で、欠乏欲求満足傾向である場合と、成長中心で、「高次動機」をもち、成長への動機づけがおこなわれ、自己を実現しつつある場合とでは、異なった生き方をしているのである。』

 

つまり、自己実現者というのは成長することがモチベーションとなっていて尚且つ実際に自己実現の道を歩んでいる一方で、欠乏欲求が動機にすえられている人は「自己実現の欲求」以外の欲求満足が人生の大半を占めているという点で、両者は明確に区別ができるということですね。

 

これはおそらく傍から見た行動レベルではどちらに当てはまるかは分からないものの、ほかならぬ自分自身のことであれば、比較的はっきりと区別できることだと思います。

そういった意味では、これまで把握してきた二つの欲求の質的な違いをしっかりと理解することで、普段の生活の中でどの程度「自己実現の欲求」にもとづいた時間を過ごしているかも分かるようになるのでしょう。

 

また、自己実現に至っているか否かを判断することを更にサポートしてくれる視点として、マズローは少し前に触れた「依存的か自立的か」という点からも見解を述べてくれています。

 

『けれどもやはり、成長動機の人びとの問題や葛藤が瞑想的な方法によって、内面に向かい、いわばだれか人に助けを求めるよりも、自己探究によって、自分で解決されていることを忘れてはならない。理論的にいっても、自己実現の仕事の多くは、計画を立てたり、自己を見出したり、発達への可能性を選んだり、生活の展望をうちたてたり、大部分は人間内の問題である。』

 

つまり、自己実現者は自分の目の前に立ちはだかる問題の解決や、苦悩や葛藤を抱えた際のそれらとの関わり方において、自分自身の内面と向き合う自己探求によってそれらに対処するということです。

このような意味でも、他者依存や外部依存ではなく、自立的な在り方でいられるのです。

 

そして、こと仕事に関しても、仕事に取り組むこと自体が自己の内面の成熟と結びついているものになっていて、それゆえに自己実現者はありのままの自分の可能性を発揮するという形で成長欲求にもとづいて成果を上げることができるのです。

 

これとは逆に、欠乏欲求にもとづいて仕事をしている人は、上手くいかない原因や課題解決を邪魔している原因を自分以外の外側の要素に押し付けようとしており、それによって問題を余計に複雑にし結果的に根本的な解決に至ることも仕事を通して本当に達成すべき成果を上げることもできません

 

もっとも、こういった事は言葉で言うのは簡単ですし、頭で理解することは容易いことですが、実際にそれを生きることは決して楽な事ではないんですよね(笑)

その証拠に、マズロー自身が述べているのですが、自己実現者と言えるような人は本当にごく一部の人に限られていました。

だからこそ、自己実現を生きることを推奨していたマズローは様々な研究結果を通して、僕たちに幸せな自己実現的人生を生きるためのヒントを提示していてくれたのですね。

 

ということで、ここまでの内容の総まとめとして、最後に成長欲求にもとづいて自己実現を生きるためにどうしたいいのかという事を紐解いていきましょう。

 

4.成長欲求で生きるには

成長欲求

 

成長欲求で生きるためのポイントを把握するための前提として、マズローが僕たち人間には相対する二つの力が存在していると語っていたことについて触れておきたいと思います。

 

マズローは、人間の自己の内部に備わる一つ目の力について、このように話しています。

 

『人間はそれぞれみな自己のうちに、二組の力をもっている。一組は、おそれから安全や防衛にしがみつき、ともすると退行し、過去に頼り、母親の腹や乳房との原初的な結びつきから脱け出すことをおそれ、偶然の機会をとらえることをおそれ、すでに所有するものを危険にさらすことをおそれ、独立、自由、分離をおそれる。』

 

これは、ある種の恐怖心にもとづいた力とも言えそうです。

恐れにより、安全で無難な選択肢を選ぶことは、日常生活でも往々にしてあることですよね。

知らない世界に飛び込んだり、新しいことにチャレンジする際には、僕たちは恐怖を感じる生き物です。

そして、その恐怖に従い現状維持や後退することを選択すれば、自分が傷つくことはありません。

だからこそ、過去や今あるものに依存しがちで、逆に独立した生き方をしたり自由を生きたりすることを知らず知らずのうちに避けています。

もちろん、これが一概に悪いとは言えません。

しかし、それでは自分が本当に心の底から望んでいる人生を歩むことができないのは、明らかですよね。

 

一方で、このような安全・防衛・退行というベクトルとは反対の方向にはたらく力も僕たちには内在していて、その力についてマズローは、このように語っています。

 

『他の組の力は、自己の全体性や自己の独自性へ、かれの全能力の完全なはたらきへ、最も深い現実の無意識的自己を受け容れると同時に、外界に対してもつ確信へとかれを促すのである。』

 

つまり、二つ目の力というのは、自分に秘められているオリジナルの可能性を最大限に発揮させようとする力です。

 

そしてそれは、嘘偽りのないあるがままの個性としての自分を受け容れた先に生じるものでもあります。

それにより、世界に対しても信頼をよせることができるようになり、恐れにより安全や防衛といった方向へ進むこともなくなるのです。

 

また、このことと合わせて、マズローは「成熟するとはどういうことなのか?」という視点で成長方向への歩みについて語ってくれています。

 

『未成熟は、動機的な見地から、それぞれ固有の段階で欠乏欲求をみたす過程として、成熟と対照的である。 この立場からは、 成熟や自己実現は、 欠乏欲求を超えることを意味している。』

 

この文章にある『成熟や自己実現は欠乏欲求を超えること』という表現は、何とも素敵な表現ではないでしょうか。

人間として真に成熟することは、欠乏欲求に従った安全方向へのベクトルを超え、成長欲求で自己実現を生きることなのです

 

更にマズローは、この文章の続きではこうも述べています。

 

『この状態は、その場合、高次動機あるいは無動機ということもできる。またそれは対応的ではなく、自己実現、生命、表現的と記述することもできる。努力の状態でなく、 この生命の状態については、自己、真実存在、人間存在、完全なる人間性と同じ意味にとってよい。 』

 

このことは、これまで触れてきた内容のおさらいとも言えるような内容ですね。

 

自己実現を生きるということは、目的達成という意味での動機すらない、ただ素直に自分自身の内面を表現するような状態のことであり、それは、真実の自分として存在することであると同時に、自分に内在する人間性を力むこともなくナチュラルな形で完全に解放させているような在り方のことです。

 

このような在り方は、言うまでもなく欠乏欲求に従うのではなく成長欲求で生きることで実現するものになります。

 

これらも含めた総まとめとして、最後に次のようなマズローの文章を引用したいと思います。

 

『なにがかれをためらわせるのであろうか、なにが成長を妨げるのであろうか、どの点に葛藤があるのであろうか、成長に代る別のものはなんであろうか、人にとっては、成長することがどうしてそんなにむずかしく、辛いのであろうか。ここで、われわれはみたされない欠乏欲求が、固着や退行へと導くカについて、安全や安定の魅力について、苦悩、恐怖、喪失、脅威に対する防衛と保護のはたらきについて、成長のための勇気を求める欲求について十分に知らねばならない。』

 

 

【おわりに】

さてさて、このコラムを最後までお読みいただき、ありがとうございました。

最後の引用文でマズローも語っているように、成長欲求で生きるための第一歩は、何よりもまず自分の中にある欲求についてしっかりと理解することです。

そしてそれは、自分自身そのものを理解することでもあります。

その中で、嘘偽りのないあるがままの個性としての自分を受け容れ、恐れによる安全や防衛への心ともしっかりと向き合うことで、欠乏欲求でなはい成長欲求にもとづいた真の自己実現を生きる兆しが見えてくるのでしょう。

このコラムを、そのお手伝いとしてお役立ていただければ、嬉しいです。

 

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