欲求階層や自己実現の理論でお馴染みのマズロー心理学ですが、その正しい概要や詳しい特徴を知っている人は意外と少ないように思います。
アメリカ心理学会の会長を務め、ビジネスの世界を中心に日本においても広く知られているマズローの提唱した心理学の全体像とは、一体どのようなものだったのでしょうか?
この記事をお読みいただくことで、欲求階層や自己実現といった理論の根底にあるマズローならではの価値観や物事の捉え方、はたまた彼の持っていた世界観とその魅力などにも迫ることができます。
それと同時に、実を言うとマズロー心理学に秘められている特徴には、僕たちの普段の生活における仕事や人間関係の問題解決にも応用することができる「ものの見方」や「考え方」が隠れているんです。
1.マズロー心理学の特徴とは?
さて、ここではまずは結論から述べたいと思います。
マズロー心理学の特徴は色々な切り口で説明ができるのですが、それは主に8つのキーワードで整理できます。
そのマズロー心理学における8つの特徴とは、下記の8種類です。
中立的・統合的・全体的・多角的・内面的・精神的・人間的・肯定的
このような特徴を持っていたのがマズロー心理学なのですが、これは他の心理学のジャンルと比べたり、あるいはマズロー著作を実際に読むことで分かる特徴などからまとめたものです。
これらの特徴を別の言い方で表現すれば、マズロー心理学の特徴とは、器が広くて、視野も広くて、前向きで、それでいてとても真実をついている上に、温かい人間味のある心理学がであると言えるでしょう。
なんだかベタ褒めしすぎているかもしれませんが(笑)、この後これらの特徴の詳しい内容について深ぼることで、その理由もきっとご納得いただけると思います。
①中立的で統合的な姿勢
さて、それではまず一つ目と二つ目のの特徴である「中立的」と「統合的」ということについて紐解いていきましょう。
マズローは、自身の研究をする際には、徹底的に「中立的」な立場でものごとを見ていました。
それと同時に、両極端とも言える相反するもの同士を包括する「統合的」な視点で研究をしていたという特徴もあります。
これをもう少し簡単に言うと、どちらか一方の意見だけに偏ることに注意しながら、対立し合う意見を一つ高い視点に立つことで統合しようとする態度をとっていたと言うと分かりやすいのかなと思います。
たとえて言えば、「偶数がスゴイ!」「奇数の方がエライ!」という極端な意見をもつことはせずに、「偶数」と「奇数」という相反する要素を「数字」という一つ上の枠組みで捉えることで両者を一括りにするようなイメージでしょうか。
別の例えで言うと、「サッカーと野球どっちが優れているか?」ということでケンカしているサッカー部員と野球部員に対し、「どっちもそれぞれ良いところがあるよね」「そもそもスポーツって素晴らしいよね」という感じで両者が手を取り合えるような俯瞰的なスタンスで心理学を突き詰めていたということです。
実際マズローは、アメリカの心理学者であるジョン・B・ワトソンの提唱した「行動主義心理学」やオーストリアの精神科医であるジークムント・フロイトが創始者である「精神分析学」といった、それまでの心理学会で多くの支持を得ていた二つの心理学を否定するのではなく、むしろ両者を統合するような試みも自身の理論のベースにしてたんです。
マズローのこういった姿勢は、代表的著作である『人間性の最高価値』から引用する下記のようなマズローの発言に注目することで、その姿が垣間見えると思います。
『私はフロイト主義者であるが、また行動主義者であり、人間主義者でもある。』
つまり、マズローはフロイトの精神分析学も支持すると同時に、ワトソンの行動主義心理学も指示しており、なおかつ人間主義者でもあるということです。
ちなみに、この「人間主義者」というのはどういう事かというと、マズローの提唱した心理学が精神分析学と行動主義心理学の欠点とも言える部分を補ったことで「人間性心理学」(ヒューマニスティック心理学)と呼ばれていたことに関係しています。
もっとも、この詳細を話し出すと長くなってしまうので今回はその内容を簡単にだけ説明すると、精神分析学というのは「欲求とは悪いものであり押さえつけるべき対象である」というスタンスをとっていて、一方の行動主義心理学は人間を動物としてばかり扱うことで人の「心」や「人間らしさ」にはほとんど目を向けることはしていなかったのです。
そういった両者の考え方やそのような思想から導き出される研究結果・結論に対して疑問をもっていたのがマズローなんですね。
そして、マズローはそれらを批判し拒絶するのではなく、両者の良い面や参考になる部分はしっかりと受け入れた上で、それらの弱点を補完するような立場で自身の心理学を確立していったということです。
このような意味において、「統合的」という特徴がマズロー心理学には当てはまります。
ちなみに、マズローの提唱した有名な概念に「自己超越」というものがありますが、この自己超越における最重要キーワードの一つも、この「統合」だったりしますね。
また、続いての「中立的」という特徴に関してですが、これは先ほど触れたようなどちらか一方だけを支持しないというスタンスのことであると同時に、自他を客観視し自身の心理学も含めたそれぞれの心理学を中立的な立場で見据えているということでもあります。
というのも、僕たちは往々にして自分の意見に固執しがちだったりしますよね?
さらに言えば、好きなものはその良い面だけを見ようとし、嫌いなものはその悪い面ばかりを見ようとします。
実際、自分が大好きなアイドルやミュージシャンの良い部分だけを見つけようとしたり、身近にいる苦手な人や嫌いな芸能人などは事あるごとに否定したくなったりすることはよくあることです(笑)
それが良いか悪いかは別にしても、そういった偏った視点で自他を理解しては、その本当の姿はなかなか見えてきません。
そのような過ちに陥らないようにマズローが細心の注意を払っていたことは、マズローが書いた書籍を実際に読むといたるところで感じられることなんですよね。
実際マズローは、精神分析学を支持していた人々がもっていた人間に対する偏見的な視点について、『完全なる人間』という著作の中で次のようなことを述べています。
『古典的なフロイト主義者が、あらゆる事柄を、病理化しやすく、人間の健康な側面を見ようとしないで、褐色の色眼鏡でなにごとでも見ようとしていることを、批判するものである。だがそうはいっても、成長の学派にも同じような弱みがある。というのは、かれらはどちらかといえば、バラ色の眼鏡で見やすく、一般的に成長にとって病的な弱み、失敗という問題を見逃しているからである。』
要するに、精神分析学におけるフロイトの理論を支持していた人々は、人間のマイナス面ばかりを見ていて、その一方で人間のプラス面を研究していた人々は逆に人間というものをポジティブに捉えすぎていたということです。
また、中立的であるという事に対して、マズローは同じ書籍内で次ような別の角度からもその大切さを主張しています。
『多くの人びとは、フロイト賛成派であるか、フロイト反対派であるか、科学的心理学賛成者であるか、科学的心理学反対者であるかなどの立場に立っている。だが、わたしの見解では、このような特定の立場に忠実である態度は、まったく愚かなことというほかない。われわれの課題は、これら多くの真実を全体的真理に統一することにあり、この全体的真理に対してのみ、われわれは忠実でなければならないのである。』
つまり、「フロイト賛成派か?それとも反対派か?」という二項対立でしか精神分析学を判断しない態度や、あるいは科学という大枠で見ても、「科学的か?科学的でないか?」という二分法でのみそれを評価しようとしないような姿勢を、マズローは疑問視していたということですね。
そして、そのような狭い範囲で物事を考えていては、本当の意味での真理には辿り着けないとマズローは考えていたのです。
先ほどのサッカー部の例で言えば、「サッカーは優れたスポーツか否か?」という限られた枠組みで答えを出そうとしても、本質的な解答には辿り着けないということになります。
こういった意味で、中立的かつ統合的な視点で研究を進めなければ、人の心についての真理を解明することはできないとマズローは考えていたということですね。
ちなみに、この「中立的」「統合的」という視点をもっていると、普段の生活におけるイザコザやちょっとしたケンカなどと向き合うときにも役に立ちます。
「悪いのは自分か相手か?」「正しいのはAなのか?それともBなのか?」といった事と向き合う際に、この2つの視点で対象を捉えると今まで見えてこなかった世界が急に開けたりします。
もしくは、それ以上動けなくてがんじがらめになっている仕事上の問題や人間関係における不自由さ解決してくれるということも、マズローが教えてくれる私たちが人生を充実させる上での大切なエッセンスの一つだと思います。
特に、ビジネスの世界や政治の世界は、この視点で注視してみることで、どれだけそこに「中立的」「統合的」という視点が抜けているかが面白いくらいに見てとれますよ。
なお、この二つの特徴もそうですが、これ以外の特徴も含め、マズローは真理を追究することに関しては徹底的にストイックな姿勢を貫いていました。
だからこそ、心理学者としてあれだけの成果を収めることができたのだと思うのですが、いずれにしろ、この「ストイック」というものマズロー心理学のもつ特徴の一つに数えられるかもしれません。
そして、このストイックな姿勢を背景にしているとも言える特徴が、次に紐解いていく「全体的」「多角的」という特徴になります。
②全体的で多角的な視点
イメージ図がやや怖い気もしますが(笑)、マズローは全体的かつ多角的に人の心を捉えようとしていました。
もう少し具体的に言うと、マズローは何かを研究する際に、その原因・過程と結果を一直線で結びつけて「AだからBだ」とすぐに結論付けることは基本的にしなかったとも言えます。
具体例で言えば、とある商品部の会社員が「今回新発売した商品が売れなかったのは、価格設定が悪かったからだ!」といったように特定の原因を決めつけるようなことはしない感じですかね。
商品の売れ行きが芳しくなかったのは、商品の質の問題かもしれませんし、そもそもの市場調査の仕方に原因があるかもしれませんし、広告宣伝の方法が好ましくなかったからかもしれません。
もっと言えば、それらが複合的に絡み合って今回の結果が生まれたのかもしれませんよね。
そういった意味では、原因と結果の間の関係性を正しく導き出すためには、安易に分かりやすい結論に達するのは賢い選択とは言い難いでしょう。
そして、このような意味においてマズローは自身の研究について、一つの仮説に対して一つの実験結果だけを参考に簡単に結論を出すことはまずしなかったのです。
もちろん、これは学術の世界では当然のことでありマズローに限ったこととは言えませんが、そのストイックさはズバ抜けていたのではないかと思います。
実際にマズロー著作を読んでみると、「人間の心は非常に複雑である」ということを重視したがゆえのマズローの「慎重さ」「厳密さ」は飛びぬけたものを感じざるを得ません。
マズローのそのような姿勢は、『人間性の心理学』という著作で語られた原因と結果の因果関係についての次のような文章からも垣間見ることができます。
『たとえば、顔を赤らめるとか、ふるえるとか、どもるとかいった例を考えてみると、こうした行動は二つの異なった方法で研究することができるということは容易に理解できる。 一つは、そうした行動を、独立していて他とは切り離された自己完結的でそれ自身で理解できる個々の現象として研究することである。そしてもう一つは、それを有機体全体の一つの表現としてとらえることで、その有機体との、またその有機体の他の表現との複雑な関係において理解することである。』
このように、マズローは「顔が赤くなる」という簡単な現象に対しても、「顔が赤くなるという結果はAという原因があるからだ」というような単純な関係性によるものではないという考え方を持つような人物でした。
ちなみに、マズローが言う「有機体」とは、イコール「人間も含めた有機的な生物」と解釈していただければと思います。
たしかに、目に見える上では同じ一つの行動だとしてもその背景にある動機や理由は人それぞれですよね。
ランニングをすることがただ楽しいからする人もいれば、ダイエットのためにする人もいますし、心身の健康増進・向上のために走る人もいるでしょう。
また、これとは逆に、目的が同じであってもそれによって起こす行動も人によって違います。
体重を減らしたいという気持ちがあったとしても、そのためにランニングをする人もいれば、食事制限をしたり、筋トレをする人もいます。
要するに、マズローは「原因と結果」におけるあらゆる関係性は個々人によって全く異なっているものであり、こと「心」に関してはその傾向は更に顕著であると考えていたということです。
もちろん、その中でも一定の法則性や類似性はあるものの、これも厳密に事細かにみていけばその内容が十人十色であることは否めませんよね。
このような考え方は今でこそ当たり前になりつつありますが、当時の心理学界からしたら非常に先鋭的なものの見方であったのだと思います。
そして、こういったマズローの特徴を端的に言葉にすれば、「全体的」かつ「多角的」だと言えるということになります。
また、これと併せてとても興味深いのが、マズローが心理学以外の幅広い分野も参考にしていたということです。
心理学者として人の心を研究していたマズローですが、その興味の対象は心理学といった分野に絞られてはおらず、人間の心を理解するために本当に多岐にわたる分野に精通していました。
そのジャンルは、哲学・人類学・性科学などにはじまり、経済学、教育学、医学全般、遺伝学、数学、民俗学、文化人類学、統計学、神学、倫理学、宗教など、その対象は非常に幅広い分野を網羅しています。
このような姿勢にも、マズローがものごとの一部分や一側面だけを切り取って安易に結論付けようとはせず、なおかつ一方の意見に偏ることない中立的な立場で人間の心を理解しようとした態度がうかがい知ることができますね。
あるいは、この事からマズローのもっているものごとに対する高い好奇心・学習欲・探究心などを感じることもあるでしょう。
それと同時に、このようなマズローの徹底ぶりは、ある意味では非常に「真摯」で「誠実」な態度とも言えると思います。
いずれにしろ、様々なジャンルから人間という存在を多角的かつ全体的に捉えようとしてた姿が見てとれるのではないでしょうか。
ちなみに、マズローはこのように多角的・全体的にものごとの捉える研究手法について、次のようなことを述べています。
『偏見や人気のなさ、剥奪、欲求不満などのもたらすよい影響。心理学者には偏見のような精神病理的な現象でさえも、いろいろな角度から見ようとする努力がほとんど見られない。除外や排斥のもたらすよい結果もある。殊に、文化があやふやなものであったり、病的なものであったり、悪いものであったりする場合には、そう言える。そのような文化から排斥されることは、たとえ苦痛はひどくても、その人間にとってはよいことである。』
この発言からも、マズローが一般的には「ネガティブなこと」とレッテルを貼られる様なものごとにも、他の側面はないだろうかと色々な視点から把握しようとしていた姿が想像できますね。
ましてや、ここまで注意すべき事であるとしてきた「偏見」ですら一概に悪いものであると安易に捉えるべきではないと言っていることには、もはやお手上げ&脱帽です(笑)
また、これらの補足として触れておきたいのが、マズローが芸術家やアーティストに対して非常に強く尊敬の念を抱いていたということです。
芸術やアートといった世界は、一見すると科学とは相容れないようなジャンルにも思われますよね。
むしろ、それらはある意味では「非科学的」とも言えるであろう、言葉では説明できないような要素が多い分野だとも言えるかもしれません。
いずれにしろ、マズローはそういった物事にも積極的に足を踏み入れているんです。
さらに言えば、足を踏み入れるだけでなく、その世界で生きている人々のもつ能力や性質を非常に肯定的に捉えているんですよね。
実際、マズローは自身の提唱した「自己実現」という概念に関する研究においては、いわゆる詩人や音楽家や芸術家などといった人々も主要な研究対象にしています。
また、マズローは「科学」や「科学者」がもつ特有の問題点を指摘することも多く、「科学万能主義」「科学至上主義」を問題視するような発言も多く残しています。
つまり、マズローは芸術・アートといった、普通の科学者からしたら介入するメリットがないと思えるだけでなく、下手に手を出すことで自身の理論がまとまらなくなるという意味ではデメリットにすら成り得るような分野にも、その飽くなき探求心により真正面からアプローチしていた人物なのです。
そのようなマズローの態度は、次に挙げるような文章に集約されていると思います。
『科学者は詩人を尊敬するようになるであろう。少なくとも偉大な詩人に対してはそうである。科学者はいつも、自分の言葉は正確で、他人が用いる言葉は不正確だと考えている。しかし、詩人の言葉はより正確ではないとしても、逆説的により真実であることがしばしばある。より正確であることさえある。』
ご覧いただいて分かるように、科学者特有の自負心や盲目性も冷静に分析しつつ、詩人を代表とした芸術家たちの優れた部分をマズローは臆することなく正確に認識していました。
また、『完全なる人間』という別の書籍においても、次のような表現で科学者以外の人々への敬意を表しています。
『「非科学者」といわれる、詩人、預言者、牧師、劇作家、芸術家、外交官といった人びとは、いずれも素晴らしい洞察力をもっているうえ、問われるべき問題を究明し、これでもかと思うような仮説を出して、大抵の場合、的確で真相を射ているであろう。』
これらの発言に象徴されるであろう、芸術も含めた他の職務において自身の仕事をまっとうしている人々に対する畏敬の念とも言える思いには、マズローの器の大きさというか、その許容力・包容力といったようなものを感じないでしょうか。
なお、マズローはここで挙げた以外の自身の著作の中でも、科学のもつ問題点の具体的な内容や、芸術・宗教などに対しての鋭い意見を述べています。
ちなみにそのようなことも含めて、マズロー自身が、自分の書く本には「文学的で哲学的な色合いがある」と言っているのも興味深いポイントだったりしますね。
いずれにしろ、マズローが、心理学あるいは科学といったような自身が所属する分野以外の多くのジャンルからも人の心の真実を「多角的」かつ「全体的」に探究していたことがお分かりいただけたかと思います。
仕事にしろプライベートにしろ、マズローのこういったスタンスは大いに見習いたいものですね。
③内面的・精神的・人間的な研究
さて、続いて深く掘り下げていく「内面的」と「精神的」という話ですが、ここで先ほど触れたワトソンが創始者となった「行動主義心理学」に再度登場してもらいましょう。
時代は20世紀初頭にさかのぼります。
当時のアメリカの心理学は、大き分けて二つの主流が存在していました。
その一つが何を隠そう「行動主義心理学」だったのですが、この心理学は「科学的であること」に非常に重きを置いていた心理学であり、できる限り厳密な客観性をもって人間を研究しようとしていました。
そのため、人間の行動を、目に見えて観察できる分かりやすい行動のみに限定して研究をしていたんです。
しかし、逆に目視では直接確認できない感覚・思考・感情などの要素を「非科学的なもの」として排除する立場をとっていたのですが、そのようなことから、この心理学には次に述べる四つの点で問題がありました。
一つ目の問題点は、そのスタンスがあまりにも厳密な科学主義の立場をとっていたことで、人間に備わる精神性を完全に無視してしまっていたことです。
つまり、人間に内在する「心」が目に見えないために科学的な研究対象として適切ではないと判断し、まったく相手にしなかったということですね。
したがって、これを別の言葉で言い換えれば、「心」を置き去りにした「頭でっかち」な手法になってしまっていたとも言えるでしょう。
続く行動主義心理学の二つ目の問題点には、その研究が非常に「部分的」であったという点が挙げられます。
これはどういう事かと言うと、人間を細部に切り分けてそれぞれを各自別々のものとして捉えて結論を出すということです。
たとえば、心臓のことを知りたければ心臓のことだけを調べる、鼻について研究する際は鼻についてだけを調べる、といったイメージですね。
しかし、少し前の引用文でマズロー自身も述べていましたが、人間というのは各器官や機能が複雑に関わり合ってできている有機的な生き物なので、相互の繋がりを完全に絶ったアプローチは多くの誤解を生じることになってしまうという欠点があります。
要するに、行動主義心理学は、この方法により「木を見て森を見ず」という状況に陥ってしまっていたということですね。
続いて、行動主義心理学の三つ目の問題点として挙げられることが、そのやり方がとても「外的」であったという点についてです。
これは、先ほども触れたように、人間の表面にあらわれる行動のみを研究対象にしていたということで、イコールその行動の背後にある感覚・知覚・欲求・思考・感情といった内的な要素を完全に無視したアプローチであると言えます。
言うまでもないことですが、人間というのは、自分の外界の変化や事象に対して受動的に反応するだけではなく、意思や意欲といった自分の内側から溢れ出すものから能動的に行動することもありますよね。
行動主義心理学はこのような作用に目を向けず、あくまでその「結果」である行動からのみ人間を理解しようとしていたのです。
「火のない所に煙は立たぬ」のことわざを借りれば、「火」を無視して「煙」だけにフォーカスしていたとも言えますね。
つまり、煙を生じさせる火を調べずに、煙だけに目を向けて「燃えるってどういうことなんだろう?」と調べようとしていたような状態とも言えます。
最後に挙げる四つ目の行動主義心理学の問題点は、実験対象として扱っていたのが人間以外の動物に限られていたということです。
たしかに、現在でも薬の研究などをはじめ科学的な研究においては、動物を実験に用いてそこから人間に応用するという方法は多く見受けられます。
そういった意味でも、人間の心を理解する上で同じ「生物」である動物を参考にするのは一概に間違いとは言えません。
しかし、当然ながら他の動物にはない人間特有の心理的な要素も数多くありますよね。
そういった「人間らしさ」を無視した手法が、行動主義心理学の問題点の一つであったということです。
これらのようなことから、マズローは行動主義心理学を反面教師として、このスタンスとは対照的なアプローチで人間の心を理解しようとしました。
つまり、マズローは目に見えない精神的な部分である「心」も研究対象にし、なおかつ人間の行動だけでなくその背後にある内面的な要素にも注目し、さらには動物ではなく人間を研究対象の中心に据えるという意味で人間的という特徴を備えているのが、マズロー心理学だということです。
ちなみに、こういった行動主義心理学の問題点を補ったマズロー心理学の「内面的・精神的・人間的」という三つの特徴は、『人間性の心理学』における次の二つの文章からもよく理解ができます。
『表面のみでなく、また現状のみではなく、潜在能力をも同様に見ることができるのである。何が人間の内部に隠されて存在するのか、内が抑圧され無視され見えないままに存在するかを今ではよりよく知っている。現在では外側からの諸観察にのみたよるかわりに、人間の可能性、潜在能力、発達可能性の上限といった観点から人間の本性を判断することができるのである。』
『この人生の本質は、どうして動物実験や実験室実験でわかるであろうか?社会的環境における全体としての人間の生活状況を知ることが必要なのは明らかである。』
この二つの引用文に触れることで、マズローが人間の心の研究を進めるうえで、何を大切にしていたかが改めて垣間見えますよね。
④肯定的な捉え方
さて、最後に紐解いていく「肯定的」という特徴に関してですが、個人的にはこの特徴がマズロー心理学における最も特筆すべき側面だと思っています。
ここまで触れてきた内容からも何となく雰囲気を感じ取っていただけたかと思うのですが、マズローは基本的に人間という存在をとても肯定的に捉えていました。
そして、そのようなスタンスから、マズローの心理学は別名「高天井の心理学」とも呼ばれているんです。
なお、「高天井」という言葉の意味と、そう名付けられた背景には、それまで主流だった動物実験に偏った手法についてのマズローの次のような発言が関係しています。
『我々は以前から人間はネズミよりも学習がよくできることを知っている。これを論証できないような技術は、低い天井の部屋で腰をかがめている人間の身長を測っているようなものである。測っているのは天井の高さであって、その人間の高さではないのだ。迷路学習は低い天井を測ることであって、 学習や思考が到達しうる高さを測ることではない。』
この例えはとてもユーモアがあり、それと同時に分かりやすい比喩表現を用いてくれている面白い表現ですね。
言うまでもなく、たとえば床から天井までの高さが1mしかない部屋で大人の身長を測ろうとしても、その人の本当の身長は見えてきません。
その人の正しい姿、本当の高さ、あるいはそこからの可能性の伸びしろを知るためには、天井を高く設定することが必要です。
それにもかかわらず当時支持されていた心理学は、低い天井を設定し、その限界を低く見積もることで人間を知ろうとしていました。
この点に異を唱えたマズローが、人間が内に秘めている本来の性質・力強さ・高みを見出すために限界値を定めずに研究していたことを指し、人々はそれを「高天井の心理学」と呼ぶようになったのです。
なお、このことはマズローの次のような主張に触れることで更にクッキリしてきます。
『この本を一九五四年に著した時、【私は】我々が考えている人間のパーソナリティーについての概念を、人間性の「さらに高い」レベルに到達させることにより、拡大させようとしたのである (最初にこの本のタイトルにしようとしたのは、人間性のより高い天井であった)。』
このようにマズロー自身が「高い天井」という言葉を使っていることからも分かるように、マズローはそれまでの心理学者とは違い、人間のもつ可能性がどこまで大きなものなのかを肯定的かつ前向きな姿勢で見極めようとしていたのです。
そして、何を隠そうマズロー心理学の重要キーワードの一つである「自己実現の欲求」という概念は、人間をこのように前向きな視点で捉えていたマズローを象徴しているものだと言えると思います。
言い換えれば、「自己実現」という概念はまさに、僕たちが自分自身に秘めたる能力・可能性を開花させることに全力を注いだマズロー心理学の真骨頂なのです。
そしてその背景に、ここまで見てきた中立的・統合的・全体的・多角的・内面的・精神的・人間的という他の特徴があるのですね。
おわりに
さてさて、ということで、マズロー心理学の特徴の整理は以上になります。
このコラムを読んだことで、マズローのもつ考え方の特徴、研究方法や意識していたこと、どのようなスタンスで人の心と向き合っていたか、あるいはその人柄・キャラクターや世界観のようなものが少しでも感じていただければ嬉しいです。
そして最後に、これまでの総括とも言うべきマズローの言葉を引用して、このコラムを締めたいと思います。
『人生は、向上心について語ることなくしてけっして理解できないであろう。』
●マズローの心理学の8つの特徴は、中立的・統合的・全体的・多角的・内面的・精神的・人間的・肯定的の8つである
●これらの特徴をもつマズローの提唱する心理学は、「行動主義心理学」や「精神分析学」を包括する形でつくられた
●マズロー心理学は、哲学・人類学・経済学・教育学・民俗学・神学・倫理学・宗教・芸術など様々な要素も参考にし網羅している
●マズロー心理学は、人間の持つ大いなる可能性を追求した側面から「高天井の心理学」とも呼ばれ、自己実現はその代表的な概念の一つである