「社会的な自己実現」とは、どのようなものなのでしょうか?
言い換えれば、「社会的に自己実現する」とは一体全体どういう事なのでしょうか?
結論から言うと、その意味は二つあり、それは「労働者として自己実現する」=「働くことを通して自己実現を果たす」という意味と、「社会生活の中で自己実現の道を歩み続ける」=「仕事以外のプライベートも含めて社会と適切な関係性を築く」という二つです。
なぜなら、マズローの語る自己実現は、「仕事において自己実現する」という事に限られたものではなく、人生全体を含んだもっと広い意味をもっているものだからなんですよね。
むしろ、仕事でどれだけ成功しても、プライベートがボロボロで全体として不幸な日々を送っていては本末転倒です。
そして、マズローは仕事だけでなく、趣味や人間関係・心の健康・お金・社会との繋がり方などといったあらゆる面で僕たちを豊かにしてくれる自己実現を語ってくれています。
つまり、「社会的な自己実現」とは、このような仕事以外の側面も含め、「あらゆる社会生活を通して一人の人間・社会人として自己実現する」ということなんですよね。
ということで、このような前提のもと、「社会的な自己実現とは何か?」という事のより詳しい内容と、「そのためにはどうしたらいいのか?」という話に入っていきましょう。
なお、社会的な自己実現と関りの深い、いわゆる「社会的欲求」に関してはこちらの記事でまとめているので、ご興味ある方は後ほど読んでみてくださいね。
もくじ
1.労働者としての自己実現
①仕事と遊びの統合
さて、まずは「労働者として自己実現する」ということ、すなわち、働くことを通して自己実現を果たすとはどういう事なのかについて紐解いてみくために、はじめに「仕事と自己実現の関係性」について知っておきましょう。
結論から言うと、マズローは、自己実現している人にとっては仕事が遊びになっていると考えていました。
もっとも、それは不真面目さやテキトーさといったネガティブな意味での遊びではなく、遊ぶように仕事に熱中し楽しんでいるということです。
また、一般的には遊びと聞くとプライベートにおける個人的な余暇活動のようなニュアンスが強いですが、自己実現における遊びはこれとはまったく違うものです。
マズローは自己実現を果たしている人を「自己実現者」と呼んでいたのですが、自己実現者にとっての遊びとは、自分にとっての喜びであると同時に他者にとっての喜びにもなっています。
言い換えれば、遊びに没頭することが、自ずと社会への価値提供になっているんです。
このことをマズローは「遊びと仕事が統合されている」とも表現していました。
つまり、自己実現者にとっての仕事とは、遊びと区別が付かない程に楽しいものであると同時に、遊びのなかで表現される自分の個性や成果物を他者と共有することで相手に何かを与えたり、それが社会の問題解決になったりしているということですね。
そして、これを別の角度で捉えれば、彼らは社会と見事に調和しているとも言えます。
「自分のしたいこと」と「社会が求めていること」が対立することなく融和しているので、自分のしたいことをすることが社会のニーズに応えることになっているんですね。
なお、これは「私のしたいことは社会の役に立つことだ!」という意味でもあり、「自分のしたいことを貫き突き詰めていったら社会の役に立っていた!」という意味の二つの側面がありますので、ご注意ください。
そして、この「社会との調和」のことを少し専門的な言葉で言えば、自分と社会の間にシナジーが起きているということです。
シナジーとは、いわゆる「相乗効果」のことで、平たく言えば、自分の利益と他者の利益が相反することなく、むしろ、お互いの利益がどんどん膨れ上がるようなイメージですね。
これは、自分の利の獲得が他人の利の損失にはなっていないということでもあります。
言い換えれば、シナジーとは、仕事を通した自己実現が社会をより良くすると同時に自分の人生をより良いものにすることにもなっている状態です。
したがって、社会と自分の関係性がシナジーになっていることで、一方で起こった良い変化がもう一方のより良い変化をもたらします。
簡単に言えば、自己犠牲を伴わない社会との共生とも言えるかもしれませんね。
いずれにしろ、仕事を通して社会と自分をシナジー状態にすることで、仕事は楽しくもやりがいのあるものになり、働くことを通して社会に価値を提供することでその仕事は更に充実していくということになります。
ちなみに、この話が「綺麗ごと」や「机上の空論」にならずに現実的でリアルなものになっているのが自己実現者の特徴なのですが、彼らがそれを「綺麗ごと」などにおとしめてしまうことなく自身の人生の揺るがない土台となっている理由ついては後述させていただきますね。
また、これらの話は雇用形態とは関係ないことです。
要するに、会社に勤めるサラリーマンであろうと、従業員を雇う側の雇用主・責任者であろうと、あるいはフリーランスで働く人や個人事業主であろうと関係ありません。
正社員か契約社員かアルバイトかなどといったことも、本質的には無関係です。
つまり、働き方や労働のスタイルも自分のとってピッタリの形にすることができるのも自己実現者の特徴と言えるでしょう。
これらを踏まえた上で、ここで会社員としてのシナジー、つまりサラリーマンとして雇用され会社からお給料をもらう立場でのシナジーについて簡単に触れておきたいと思います。
マズローいわく、理想的な経営管理を行う企業においては、社員はどのような役割・立場であれ、みな一様に共同経営者ということになります。
平たく言えば、従業員はみんな社長ということですね。
なおかつ、このような経営ができていない企業は、本当の意味で健全で長期的な繁栄ができないだけでなく、従業員の心を本質的に不健康な状態にしてしまいます。
そのような意味においては、真の意味での共同経営とシナジーとは同じ事なのだとマズローは語ります。
つまり、社会の役に立ち、経営的にも良好な状態を維持し続け、なおかつ従業員の心理的健康が促進されるような理想的な経営管理をする上での大切な要素がシナジーであるということです。
平たく言えば、シナジー状態にある企業は、他社のお手本となる優良企業なのですね。
なお、シナジー状態になっている関係性は複数存在します。
社員同士がシナジーという関係性で結ばれるという意味でもそうですし、社員と会社との関係性にもシナジーが生まれているということです。
このようなシナジーが会社内に形成されていると、一人の社員の成長は他の社員の成長を後押しし、それによって会社全体としても成長し、会社の成長が更なる社員の成長に還元されるというスパイラルを生むのです。
なお、シナジーによる会社経営はこのような意味だけでなく、他社やライバル企業、取引先、顧客、株主などといったステークホルダーなども含めた社会全体との繋がりのなかでの話なのですが、その詳細は後ほど掘り下げていきましょう。
いずれにしろ、ここで大切なのは会社員の場合は、自分が務めている企業における一人の従業員として社会とシナジー関係になることが、「仕事と遊びが統合される」ということでもあるということですね。
したがって、会社員としての自己実現を果たす大切なポイントは、このようなシナジー的な視点をもって働けているかということになります。
もっとも、会社の同僚とシナジー状態にあるのは「言うは易し行うは難し」であり、会社と自分をシナジー状態にすることも一朝一夕でできることではないですよね(笑)
ということで、続いては、このシナジーへの理解を促すために、マズローが語っていた自己実現をしている人のもつ15個の特徴の一つである「すべての人々への一体感をもっている」という事について触れておきましょう。
②すべての人々との一体感
ここでは結論から言うと、マズローは、自己実現者というのは人類全体を同一視したり、人類全般に対し同情や愛情をもっていると述べています。
さらに、マズローいわく、自己実現者たちはみな同様に世界中の人々をすべて単一の家族であるかのように感じていて、それ故に、彼らは人類を助けようと心から願っているという特徴をもっていると語ります。
つまり、平たく言えば、自己実現者にとっては「人類皆兄弟」なのです。
なんだか、非常にスケール感の大きい話になってきましたね(笑)
もっとも、これはマズローだけが述べていることではなく、『嫌われる勇気』という大ベストセラー書籍で一躍有名になった心理学者アルフレッド・アドラーも、このことを「共同体感情」「兄姉的態度」という言葉で説明していたりもします。
いずれにしろ、これはある意味での「自己実現の完成形」とも言えるような世界観の話なのですが、一方で、これをもっと僕たちの身の丈に合ったスケールダウンした世界観で考えることもできます。
なぜなら、自分が今どのような人生を歩んでいたとしても、誰にだって一人は自分にとって大切な人はいるからです。
一緒にいて楽しい人や心が安らぐ人、あるいは趣味や嗜好や価値観が近い人や、信頼を寄せられるような人は誰しもきっといますよね。
その関係性は必ずしも自分のなかの理想像とピッタリ一致するものではないかもしれませんが、その人の存在が心の奥で安心感に繋がっていたり、一体感を感じられる瞬間があったり、繋がりを感じられることがあったりする人がいると思います。
ちなみに、これはマズローの欲求階層でいうところの「所属と愛の欲求」ですね。
僕たちは本質的に「誰かと繋がっていたい!」という欲求をもっていて、この欲求を見て見ぬフリをしたりしない限りは、誰かしらとの関わりを持とうとするものです。
そういった、「所属感」を感じられることに意味を見出す社会性をもつのが僕たち人間という生き物ですが、先ほどのようなシナジーのスケール感が大きい人というのは、その所属感の規模が地球レベルに大きいだけなのです。
言い換えれば、自分を中心に広がる円や球体の大きい小さいといったサイズ感における違いはあれど、僕たちは誰でもシナジーを感じられる人との繋がりをもっているものなんですよね。
したがって、等身大のサイズ感のシナジーをいまの関係性のなかで創り出すことが大事になります。
ちなみに、このシナジーというのは様々な要素が絡んでいて、特に「広い視野に伴う使命感」という自己実現者のもつ別の特徴との関りが深いと僕は個人的に思っています。
また、マズローが語ってくれていた自己実現へと至る八つの方法の一つである「自分を開く」という事ともシナジーの話は親和性が高いのですが、これらの詳細について深掘りするのは今回の本題と離れてしまうため割愛させていただければと思います。
いずれにしろ、働くことを通して自己実現を果たすためには、このシナジーという観点は忘れてはならないポイントであり、今の自分がどれだけ周りの人々とシナジー状態にあるかというのを考えてみるだけでも、新しい発見がありますよ。
ということで、ここまでの内容を簡単にまとめると、仕事が遊びとなっている自己実現者にとっては、仕事は自分と社会を同時に豊かにするシナジー状態にあり、その背景には彼ら特有の一体感があるということでした。
だからこそ、彼らは一人の労働者として、社会的な自己実現を果たすことが出来ているのです。
言い換えれば、個人的な枠組みを超えた社会的なスケール感でなされる仕事が、彼らにとっての自己実現なんですね。
あるいは、自分が生きている社会を、仕事を通して自他にとってより良い場所にすることが彼らにとっての自己実現であると言っても良いかもしれません。
いずれにしろ、彼らは自分の自己実現を通して、自分自身だけでなく、周囲の人々とそこから広がるあらゆるつながりをも含んでいる社会全体をより望ましいものにすることができているのです。
このような意味において、真の自己実現者は「社会的な自己実現を果たしている」と言えるでしょう。
ということで、ここまでで「仕事」という切り口での労働者という観点から見た社会的な自己実現について把握できた後は、続いて仕事という枠を超えたプライベートも含めた、一人の社会人としての自己実現について掘り下げていきましょう。
2.社会人として自己実現
「社会的な自己実現」の二つ目の意味であった、「社会生活の中で自己実現の道を歩み続ける」という事は、言うなれば「一人の市民としての自己実現を果たす」という事でもあります。
というのも、言わずもがな、現代社会に生きる僕たちは、その分類方法は何であれ、誰しもが一人の町民・村民・市民・国民ですよね。
もっと広い意味では、誰もがみな同様に地球人でもあります。
そして、自分が所属している地域、コミュニティ内での役割は、必ずしも労働だけではありません。
一人の市民として、その地域のルールを守ったり、選挙や政治に関与したり、税金に関わったり、何かしらのサービスを利用したりといったような形で、様々な事柄を通してその場所で生活をしています。
マズローの語る、こういった社会論とも言えるような話は多くの示唆に富んでおりとても面白いのですが、今回は仕事をすることとの関りも特に深い「消費者」という立場から見た自己実現について紐解いてみたいと思います。
①消費者としての自己実現
消費者としての自己実現というのは聞き馴染みのない発想かもしれませんが、マズローは仕事を通して商品やサービスを提供する側だけではなく、それらのサービスを受け取る側における自己実現についても語ってくれていたんです。
「社会人」と聞くと、僕たちはスグに「働く側」「サービスの提供側」という面だけをイメージしますが、これとは逆の立場における社会人にもマズローはちゃんと目を向けることで、包括的に社会的な自己実現を捉えていました。
言うなれば、消費者としての在り方にも、自己実現的なものとそうではないものがあるということであり、「お金を稼ぐ側」においてだけでなく「お金を使う側」においても自己実現の視点をもつことができるということですね。
そして結論から言えば、その国の消費者が愚かであれば、その国も企業は愚かになるとマズローは考えていました。
言い換えれば、消費者の質が企業の質と相関関係にあるということです。
なぜなら、その地域に住む消費者としての責任を一人一人がまっとうしなければ、企業は健全に発展していかないからですね。
つまり、僕たちは、企業から提供される製品について吟味し本当に質の良いサービスを求めることや、正しい情報を求め集めることを疎かにすると、社会的な自己実現を果たす消費者にはなり得ないということです。
あるいは、企業の嘘や不正を見抜く視点と教養をもち、それらに憤慨し正当かつ誠実な方法で対抗することであったり、広告の洗脳に惑わされず製品の質の向上を求めることなどを徹底することも、消費者としての自己実現の一端だとマズローは語ります。
そのようなスタンスで購買活動がなされることで、企業の健全性の維持につながるのです。
そういった意味では、僕たちは消費者という立場から企業経営に関わっているとさえ言っても良いと思います。
また、これはある意味では消費者と企業の間のシナジーとも言えますね。
いずれにしろ、消費者という立場における本質的な役割をないがしろにすることは、社会的な自己実現とは言えません。
なおかつ、マズローは、この話を部下の育成や組織マネジメントの話とも絡めて語ってくれています。
というのも、社員の教育や部下の育成というのは、一人の消費者の教育・育成でもあるからです。
言うなれば、より良い従業員としての成長は、より良い消費者としての成長でもあるのです。
したがって、従業員は仕事を通して成長することで、消費者という立場においても成長していることになります。
つまり、僕たちが仕事を通して成長し優れた消費者として商品やサービスを購入することは、他の企業の商品やサービスの向上・健全な経営につながっているんですね。
そして、これとシナジーの話を絡めて言えば、自分の消費者としての成長は巡り巡って自社の成長にも繋がります。
それと同時に、そうしてもたらされた自社の成長は、言うまでもなく従業員である自分の成長にも還元されます。
このような意味でも、シナジーとはあらゆる関係性の中に見出すことができる広がりのある概念なんですね。
こういった情報に触れるだけでも、少し前に触れた一体感や所属感を感じられる自分のシナジーの範囲が少し広がっているこないでしょうか。
いずれにしろ、消費者という視点で自分を振り返ることで、「社会的な自己実現」をより総合的に把握できると思います。
自分が消費者として社会にどのような影響を与えていて、モノを買うという行為の先にどれだけの奥行きが実は広がっていたのかをイメージするだけでも、新しい発見があるのではないでしょうか。
②市民としての自己実現
さて、先ほど触れた消費者としての自己実現の延長線上にある自己実現が、「市民としての自己実現」になります。
もっとも、これは消費者としての自己実現の話のおさらいに近い内容なのでサラッと終わるものなのですが、マズローは「市民感」とも言えるような視点でも自己実現を語ってくれています。
結論から言うと、マズローは、より良い従業員の育成は、イコールより良い親の育成であり、より良い子どもの育成であり、それはまた、より良い友人・恋人・隣人・住民の育成でもあるとの考えをもっていました。
つまり、一人の労働者としての成長は、一人の人間としての成長であるが故に、それはプライベートにおけるあらゆる関係性のなかでも理想的な人付き合いができるようになるということです。
こういった意味において、僕たちは市民としての自己実現を果たすという側面で自他を振り返る必要があるんですね。
そして言わずもがな、自分が所属感している地域、コミュニティ、グループにおいて理想的な関係性を築くポイントは、この記事ではもはや耳タコになっているシナジーです(笑)
つまり、市民としての社会との繋がりや広がりをしっかりと捉え、そこから生まれる関係性をシナジー状態にすることが、「社会的な自己実現」の重要なエッセンスになっているということになります。
分かりやすい事例で言えば、自分の趣味や余暇活動の内容にはじまり、地域の治安の維持や、衛生面の向上や、自然環境の保全などといった、必ずしも消費行動ではない角度でのアプローチが自己実現的になっているかどうかも、自己実現と結びつけられるのです。
もっとも、「プライベートでくらい自己実現は忘れたいよ…」という意見もあると思いますが、これまでも見てきたように結局すべては繋がっていることを考えると、この視点は仕事との自己実現とも関りがあるということもお分かりいただけますよね。
むろん、マズローが真の自己実現者と認めた人々は、自分を犠牲にする義務感でもなければ盲目的な正義感や優越感でもない、もっと素直で誠実な人間味や温かみのある形での、自分にとって無理のないリアリティにおいて、この事を成し遂げることができています。
だからこそ、彼らはありのままの自分を遠慮することなく表に出すことができ、尚且つそれが社会への貢献に自然となってしまうのですね。
少なくとも、自分という個人の利益や非常に狭い範囲内での損得勘定で生きているような人には、到底理解することのできない世界観だと思います。
こういった意味では、いまある現状の繋がりや関わり合いのなかで、本当はシナジーを形成できるものがどれだけたくさん眠っているかに気付くことが、真の社会的な自己実現へ向けた最初の一歩になるのではないでしょうか。
3.社会的な自己実現における注意点
さてさて、それではこのコラムの最後に、社会的な自己実現を果たす上での注意点に触れておきたいと思います。
というのも、マズローはこれまで見てきたような考え方を持つ一方で、現代社会に対する鋭くも厳しい意見も持っていたからなんです。
結論から言えば、マズローはいまの現代社会というのは非常に不健康な社会であると考えていました。
なお、ここで言う「不健康」とは、僕たちの自己実現を阻害する要因で溢れているという意味であり、同時にその社会で生きる人々を文字通り心理的に不健康にするという意味でもあります。
したがって、真の社会的な自己実現を果たすためには、この不健康な社会にどっぷりと浸ることは望ましいことではないのです。
むしろ、不健康な社会とは適切な距離をとる必要があるともマズローは語っていました。
そして、実際に自己実現を果たす人々は、社会と自分の間の距離感を一定に維持しています。
言い換えれば、彼らは自他にとって本当に理想的な関係性を研ぎ澄ませた結果、現代社会に完全に埋没することから意識的に身を引いているという傾向があったのです。
もっとも、これは先ほどの一体感や所属感の話と矛盾することではありません。
なぜなら、既存の社会に浸り切らなくても、僕たちは自分にとって価値のある一体感や所属感は感じられるからです。
言い換えれば、現代社会に全身つかることはしなくとも、社会的なあらゆる繋がりや広がりを意識しそれと関わることはできるということです。
むしろ、望ましくない環境と身も心も一体化することは、自他にとって不健全であるということは言うまでもないことですよね。
このような意味でも、自己実現者というのは自分と社会の本当のすがたをよく理解しており、だからこそ自分にとってベストな社会性をもって一人の社会人として自己実現を果たすことができているのです。
なおかつ、僕たちは自分の一体感や所属感を、油断するとスグに「依存性」にしてしまうことがあります。
一体感を感じることと、その一体感を感じる対象に依存することは、似ているようで全然違いますよね。
それが血の繋がった家族であれ、恋人や友人であれ、一体感や所属感を感じられる相手に依存することは健全な関係性ではありません。
自分の勤めている会社や所属しているコミュニティに依存することは、その組織への貢献でもなければシナジーでもありません。
そのような依存的なスタンスで社会に対して一体感を感じられたとしても、それは真の社会的な自己実現ではないのです。
そのため、マズローは「適切な自立心」をもって社会と関わることが大事であるとも述べています。
孤独を恐れることなく、ときに孤独になることにも耐えながら、健全な自立を果たすことで、本当の意味での社会性は身につきます。
むしろ、被害者的な立場をとった社会への無責任な批判をすることや、自分の不幸を社会構造に見つけ出すことや、盲目的に支持されている社会通念や一般常識のような他人軸で生きることは、依存そのものです。
ちなみに、自立することは社会から孤立するということとは全く違うというのも、シナジーの話に触れた後なのでお分かりいただけますよね。
また、これと併せて大切なのが、社会も含めた外部要因からの独立です。
言うなれば、「不健康な社会」にどっぷりと浸かって生き延びる依存的な人生ではなく、適切な形でそれから独立した状態で人生を生きることが望ましいのです。
あるいは、自分の心の満足や充実した内面をもてている理由や要因を、社会から与えられるもので担保するのではなく自分のなかの内的な豊かさに見つけ出すと言い換えてもいいと思います。
マズローはこの事を、自己実現者の特徴の一つは、彼らが比較的、物理的環境や社会環境から独立していることであると表現しています。
このような意味における、真の自立心と独立的な在り方によって創り出される社会との適切な関係性こそが、「社会的な自己実現」の本質なのです。
仕事を通して自己実現を果たすだけでなく、消費者や市民としての自己実現を生きつつも、それが社会への依存になっておらず、むしろ不健康な社会から一定の距離をとり自立的で独立的な強さとともに、社会とより良い関係性を築いていくことが、本当の「社会的な自己実現」です。
というか、自己実現者たちは、仕事を通した自己実現を極めていく過程で現代社会の不健康さに気づき、そこにどっぷりと浸ることが自分の自己実現を邪魔する要因になる事を理解してしまうのでしょう。
しかし、彼らは大きなスケール感での俯瞰した視点での一体感も持てているので、その社会から完全に身を引くのでも、一方的に拒絶するのでもなく、自分らしさを維持したまま健康な心持ちでその中で自分の成すべきことが出来るのです。
そういった意味でも、マズローの語る自己実現とは、「社会的に評価されること」という意味でも「ビジネスで成功を収める」という意味でもなく、「ありのままの自分の可能性を発揮する」という意味における自己実現なのです。
つまるところ、本来の自分自身を洗練する歩みの中で自然と辿り着いたスタンスが、自立的であり独立的であったということになります。
別の言葉で言えば、彼らは自立的・独立的になろうとしたがゆえにそうなったのではなく、自分の自己実現を追求するなかでそのような社会との関係性が生まれたと言った方が適切かもしれません。
言い換えれば、不健康な現代社会では、たまたまその形がベストだったということですね。
つまるところ、彼らは不健康な現代社会に埋没することが自分の自己実現を萎縮させるだけでなく、その社会の不健康さを助長することになってしまうということを理解できていたからこそ、そのような在り方に着地したと言えるでしょう。
いずれにしろ、僕たちは、今の自分の社会との関係性が自他にとって本当に望ましいものであるか、あるいは、広い視野と鋭い認識で現代社会の正しい姿を捉えられているのかを自問自答することで、本当の「社会的な自己実現」の輪郭が見えてくるのだと思います。