自己実現的な営業マンとは、いったいどのような人物なのでしょうか?
言い換えれば、営業職という仕事を通して自分の自己実現を果たしている人は、どんな風に仕事をして、どのような仕事観で各業務に取り組んでいるのでしょうか?
今回は、そんな視点でマズローの語る自己実現への理解を深めていきたいと思います。
なお、このコラムでの話は、あくまで僕のなかにある想像上の参考事例としての話であり、マズロー自身が語っていた内容というわけではありません。
自己実現的な営業マン
自己実現的な営業マンは、顧客の真の満足を考えています。
それが、「キレイゴト」や「机上の空論」や「口先だけの目標」ではなく、自分の人生の全てをかけて心から取り組みたい願望になっています。
そのため、彼らは自分のノルマや目標はそれほど気にしません。
もしくは、その目指すべき数字の増減と顧客の満足度が比例している状態になっていることで、「目標数字」=「顧客への貢献度」というモノサシで見ることができています。
したがって、予算の達成というものは自分の昇進や給料アップのためではありませんし(あるいは降格や減給への恐怖心によるものではありませんし)、また、自身の昇進や給料アップが顧客のより良い満足にしっかりと繋がっています。
同様に、彼らは権限や権力についても、顧客のより良い満足のためにそれが必要だと感じたときに、初めてそれらを求めます。
昇進は、自分の収入を上げるためだったり、他者に自分を認めさせるためであったり、いま所有しているモノや関係性への依存からではなく、顧客の力になるのであればそれを望みます。
また、自己実現的な営業マンは、実際の営業活動もあらゆる意味で顧客目線に基づいて行うことができています。
したがって、彼らは顧客にとって本当に価値のある商品を売ることに重きを置いています。
もし、自分の扱う商品が顧客のためにならないのであれば、それを売ることなど絶対にしません。
といういか、自分の商材に心の底から魅力を感じていて、なおかつその商材の良さや特徴を様々な角度から熟知しているため、その商品が本当に必要だと思える顧客としか関わろうとはしないのですね。
むしろ、場合によっては顧客に自社の商品を勧めないどころか他社の商品を勧めることだってあるかもしれません。
このスタンスは、「自社」という狭い枠組みを超えた、「業界」という広い視野での発展でものを見ることができているが故の行動であり、個人的な目先の利益よりも業界全体の長期的な繁栄をおもんばかっているからこそ、このような選択肢を選ぶことができます。
これを可能にするその背景には、自分と周りの人々とのシナジー(相乗効果)への深い理解があり、競合他社やライバル企業の成長が自社の成長に繋がっているがゆえのものですね。
これは、限られたパイを奪い合うという世界観ではなく、ゆとりあるパイを与え合うことで一方の利益がもう一方の更なる利益を生み、その利益が前者に更に還元されるというシナジーを形成出来ている世界観での話です。
また、彼らは価格交渉についても、双方にとって最もベストな価格で売り買いをしようとします。
そもそもの価格設定が適しているのかも既に十分に吟味しており、その上で必要な具体的な対処や調整も実行することで、最も最適な価格がつけられている商材を営業活動で使っています。
その上で、顧客の要望があるときには臨機応変に対応するのですが、その際も無駄に値引きをしたりはしません。
短絡的な視点での値引きが自社と顧客の健全な関係性の構築にならないことを理解しているため、長期的かつ包括的な視点で誠実な対応をします。
これは、その商品を介しての全体的なお金の流れを理解しているからこそ出来る芸当です。
自分の予算という部分的な狭い視野ではなく、他の営業社員や他の部署などとの関係性、あるいは会社全体の労務費や維持費などの固定費・変動費を熟知しているがゆえの、有機的な収支の繋がりを理解した広い視野による値引き交渉ができます。
そのため、彼らは自分が所属する営業部という括りだけで仕事をしません。
必要であれば商品部や人事部や総務部などともコミュニケーションをはかり、会社全体の健全な経営と成長を常に忘れることがないのです。
自分が営業活動ができる背景には、バックアップをしてくれている他の部署があるということをアタマで理解するのではなく実感の伴う実体験として腑に落とし込めてもいます。
また、自分が会社の顔であるということもよく理解しているので、社外におけるあらゆる活動においては、社会的な常識や周囲からどう見られるかを気にするからではなく、本心から真摯で誠実な対応を心がけています。
そのため、顧客とのやり取りの際も、こびへつらいやおべっかや愛想笑いはしません。
そのような自分は、自己防衛や他者搾取のために仮面を被った偽りの自分であるということを知っているので、ありのままの姿をさらけ出します。
もっとも、彼らの場合は自分のありのままの姿にも健全な自尊心を持てているので、堂々と素の自分を出すことができます。
それは、礼儀や礼節を忘れるという意味ではなく、それらすらも自分の内部に調和できているので、本質的な意味で礼儀正しい振る舞いで顧客とコミュニケーションをとることができます。
本音とタテマエを使い分けるのではなく、それらがしっかりと統合していて、本心と言動が矛盾したり対立したりすることはありません。
そしてそれは、対顧客だけではなく、対同僚においても同様です。
彼らは、自分を本当の意味で尊重できているので、他の社員のことも心から尊重することができています。
社内で孤立しないためではなく、また、陰口を言われることを恐れるからではなく、あるいは、その責任があるからという義務感からではなく、純粋無垢なピュアな思いやりから、周りの従業員に気遣いや優しさを振舞うことができます。
そのような意味では、自己実現的な営業マンは、マズローの言うところの「共同経営者」というスタンスで、さながら会社を統括する社長と同じ意識で働くことができています。
そのため、会社の掲げるビジョンを本気で自分事にできており、自分の日々の営業活動がそのビジョンの実現への道程になっていると心から思えています。
なおかつ、自分のことをしっかりと理解しているので、ビジョンの実現のために自分の才能や能力を最も発揮できる仕事に就くことができているのです。
また、彼らは、このように雇われる身でありながら雇う側の意識で仕事に取り組むことができるため、会社へのワルグチが自分へのワルグチと同化しています。
したがって、仕事終わりの飲み会で生産性のカケラもない愚痴の言い合いをすることはなく、社内の問題も自分事として建設的な方法で改善しようとするのです。
しかも、そのような広い視野と高い視点は、自社の枠内に留まりません。
それは、先ほど触れた他社や業界という枠組みすらも超えた、地域社会や国と言った規模感にまで意識が向いています。
したがって、彼らは地球環境への配慮から、自社に環境問題を専門に担う部署を作ったり、あるいは既存の環境部に色々な提案をするかもしれません。
あるいは、地域への貢献活動にも意欲的であることもあります。
そのため、自分の仕事に関係する事柄についての情報収集にも非常に貪欲で、常に色々なことにアンテナを張っています。
つまるところ、自己実現的な営業マンは、自分が生きている世界をあらゆる意味で豊かでより良い場所にすることを考えているので、そのために自分にできることには積極的に介入しようとします。
それは、自己顕示欲や出世のためのアピールでもないということは言うまでもないことでしょう。
そして、何よりも、彼らはそのようにして仕事をすることを誰よりも楽しむことができています。
仕事とは相思相愛の関係で、離れることができません。
休日は、仕事と関われない寂しさでいっぱいです(笑)
というのは冗談で、彼らはプライベートにおいても自分の自己実現を謳歌しているので、休みの日ですら充実感に溢れています。
彼らにとっての土日とは、嫌いな仕事から解放される日でもなければ、イヤなことを忘れられる束の間の安息日でもありません。
休みの日には、仕事から離れることでしか成し得ない自己実現を生きています。
それは、愛する家族と過ごす時間かもしれませんし、趣味に没頭することかもしれません。
いずれにしろ、プライベートと仕事の間にもシナジーが起きているので、休みの日に何をしているかに関わらず、彼らは一方の成長がもう一方の成長に結びついています。
そういった意味では、マズローの言うように、自己実現的な営業マンにとってはもはや遊びと仕事の間に境界線はなく、両者は見事に統合されています。
二分法的な分離で両者を区別しないという意味でも、彼らは遊ぶように仕事ができています。
さながら、子どもがおもちゃ遊びやお絵描きに没頭するかのごとく、無我夢中で仕事に熱中することができているのです。
しかも、それは成熟した大人としての遊びなので、利己的な楽しみが利他的な価値に還元されています。
「お客様のために」というフレーズを体の良い謳い文句におとしめることなく、仕事を通してこの言葉を実行することが楽しくてしょうがないのです。
したがって、彼らは自分が楽しめば楽しむほど顧客や自社や社会へより良い影響を与えることができるのです。
なおかつ、そのような働き方にはある種の「余裕」という意味での「あそび」も含まれているので、ユーモアや冗談を招き入れる余裕もあります。
少しフザけてみたりおちゃらけてみたり、個性的なジョークを言ったりすることで、周囲を笑顔にすることができます。
このような、深刻さに埋没しない真剣さは、適度なリラックス感に基づいているものであり、周囲にも安心感を感じさせてくれます。
また、成長欲求に基づく緊張感はワクワクを醸成するので、そのような意味でも仕事をある種のアトラクションやエンターテインメントのように楽しむことだって出来るのです。
そうして遊ぶ姿は、同僚や顧客から見ても羨ましくなるくらいに洗練されています。
なお、これらの事をマズローの語る欲求階層的に言えば、自己実現的な営業マンは「生理的欲求」「安全の欲求」「所属と愛の欲求」「尊重の欲求」の全てが健全なかたちで満たされているからこそ、それらを土台にした揺るぎない「自己実現の欲求」に基づいて仕事をすることができているということになります。
健康的な食事や適度な睡眠の大切さを誰よりも理解しているので、不眠不休で働くことはしません。
もしそのような形で働くことがあったとしても、それは「自己実現の欲求」が溢れ出したが故の労働であるため、自分の自己実現をさらに加速するものになっています。
したがって、仮にオーバーワークになったとしても、会社の労働環境のせいにしたり、部下や上司や顧客に責任をなすりつけることもしません。
あるいは、欠乏感を満たすための過労や、不安や恐怖心から遮二無二働くようなことも彼らはしないのです。
彼らの行う過度の労働は必ず成果に結びついていて、なおかつそうなった原因を客観的かつ冷静に俯瞰できているので、同じ過ちを繰り返したりそれに依存するドロ沼にハマり込むこともありません。
というか、彼らは自分の心と体の健康を損なうことが自他にとって望ましくないことを深い部分で理解しているので、心と体を不健康にする働き方などしないのですね。
また、「所属と愛の欲求」がしっかりと満たされている彼にとっては、職場は一体感や所属感を感じられる場所であり、マズローも言うように他の従業員をまるで家族のように感じています。
だからこそ、彼らは同僚に対して、責任転嫁や一方的な依存や不健全な偽りなどはしません。
むしろ、本質的な繋がりを感じられているからこそ、紳士的な対応や、受容的な関わり方や、思いやりや心配りや裸の心での付き合いが自然とできるのでしょう。
なお、彼らのもつ所属感のスケールは、顧客も含めたステークホルダーにも及ぶ広範囲なものです。
そのため、自己実現的な営業マンにとっては、自分が仕事を通して関わる全ての人々が家族として目に映ります。
また、彼は健全な「尊重の欲求」の満足状態にあるため、仕事で関わる人々を「ひとりの人間」として尊重することができます。
自分の思い込みや固定観念や自己都合で相手を捉えることはなく、その人を全体的かつ包括的な見方で対象のありのままの姿を捉えようとします。
マズローが「概括」と称した、相手をカテゴライズしたり既存の枠に当てはめて部分的にゆがめて捉えることもしません。
一人一人の個性をしっかりと見てとり、それを受け容れます。
これにより、同僚に対しては低俗なビジネスライク的な距離感で接することもなく、同じ人間として尊重し合う関係性を築くことができます。
一方で顧客との関係性も、相手を道具や踏み台のように扱うことなく、またそれぞれの顧客を同じようなグループにひとまとめにして概括することもなく、個々の個性や特徴を最大限に汲み取り、一人の人格として尊重したコミュニケーションをはかります。
そして、健康的な自尊心と自己肯定感により満たされた「尊重の欲求」は自他の本質的な尊重と受容に繋がり、それらを基礎に据えることで、彼らは更なる「自己実現の欲求」の満足に邁進することができるのです。
そうして満たされた「自己実現の欲求」は、更なる自分の仕事への深みへ繋がるだけでなく、それは自ずと周囲の人々へも豊かさとして還元されます。
このような自己実現的な仕事を通して、彼らは自分のなかで調和し統合されている「B価値」という究極的な満足対象を更に研ぎ澄ますことができるのでしょう。
これが、「自己実現的な営業マン」の仕事観であり、仕事の仕方であり、仕事との関係性です。
なお、冒頭でも触れましたが、これはあくまでもイメージにおける象徴的な話になるので、その点はご承知おきください。
実際これらの内容は、まさに「言うは易し行うは難し」であることも事実だと思います(笑)
もっとも、このような「自己実現的な営業マン」の仕事と自分の仕事を比較することはとても意味のあることであり、これらの内容を踏まえて自分の仕事を省みることで何か新しい発見や気付きがあるのではないでしょうか。
この営業マンを、「営業マンの鏡」という意味と「鏡像」という意味の二つの意味で、自分を振り返る鏡として用いることで、より良い仕事人になっていきたいものですね。