働くことを通して自己実現するとは、一体どういう事なのでしょうか?
仕事において自己実現に至ると、どんなメリットがあるのでしょうか?
今回は、マズローが自己実現の調査に選んだ「自己実現の欲求」で生きている人々にとって、仕事とはどういう存在なのかをまとめてみました。
このコラムを最後までお読みいただくと、働く上で自己実現する意義がクッキリと見えてくると思いますよ。
もくじ
1.自己実現者にとっての仕事
さて、ここではまず結論から述べさせていただきます。
マズローは、自己実現を果たすことこそが仕事をする意義であり、仕事を通して自己実現することが本当の心理的健康と有意義な人生をもたらすと考えていました。
言い換えれば、仕事をすることが「自己実現の欲求」にしっかりと紐づいていて、なおかつ「自己実現の欲求」が健全に満たされることで、僕たちは自分にとって本当に望ましい人生を歩むことができるんですね。
なぜなら、自己実現とは「ありのままの自分の可能性を思う存分発揮し、周囲と調和することで人生を謳歌している」という状態のことだからです。
もっとも、働くことを通して自分らしく生きられていて、尚且つそれが他者の役にも立てていれば、そりゃあ色々な意味で豊かになりますよね(笑)
事実、マズローが調査した素晴らしい仕事をし、なおかつ人間関係にも恵まれ、他者に対して愛情深い人々は、みな同様に心が健康そのもので心理学的には理想像と言えるような人物でした。
そのような、自分の仕事を愛し、優れた人間性をもち、周囲の人々に自分から与えることができ、結果的に味わい深い人生を歩む人々を、マズローは「自己実現者」と呼んでいます。
マズローが自己実現者に話を聞いてみると、彼らは自分がしている仕事のことを、下記のような表現で語っていました。
「楽しくてならない仕事」
「自分にとってごく自然でふさわしいと思える仕事」
「そのためにこそ自分が生まれてきた仕事」
つまり、彼らにとっては、仕事とは人生においてなくてはならない存在であり、自分の自己実現において必要不可欠なものなのです。
そして、働くことを通して本質的な意味で自由な人生を歩んでおり、心も充実した状態でいられるのです。
これとは逆に、「嫌いな仕事」「自分に向いていない仕事」「やりがいのない仕事」「他にいくらでも代わりがいる仕事」「自分の心を不健康にする仕事」などに就くことは、自己実現者にとってはありえない選択肢です。
彼らは自分のやりたいことやできることをちゃんと理解していて、なおかつそれを仕事として実際の社会で実現していくのに必要な勇気も持ち合わせてもいます。
ここまで言われると、「自己実現なんて絶対したくね~」と思うのはなかなか難しいですよね(笑)
言うなれば、自己実現とは働くうえで僕たちを幸せな状態に導いてくれるものであり、だからこそマズローはかの有名な「欲求階層」において、基本的欲求の上位に「自己実現の欲求」を位置付けていました。
つまり、「生理的欲求」や「安全の欲求」などの下位の欲求が満たされるだけでは、僕たちはやはりどこか心が満たされないようにできているのですね。
そういった意味では、人生の大半の時間を仕事をすることに割いている現代人は、働くことを通して「自己実現の欲求」を満たすことが自分自身にとって本当に実りある人生に直結しているということは言い切っていいのではないでしょうか。
2.自己実現者と仕事との関係性
マズローは、自己実現者と仕事との関係性について、彼はその仕事をするために生まれ、またその仕事は彼のために作られたと言えると語っています。
あるいは、仕事にとっては彼こそが世界中で最もふさわしい存在であり、それと同時にその仕事は彼にとっても最も好ましく最も真価を発揮できる仕事であるという表現もしていたりします。
つまり、自己実現者と仕事は相思相愛の関係なのですね。
お互いがお互いを必要とし合っているラブラブな関係と言えるでしょう(笑)
それはさながら、周りの人から「ヒューヒュー!」「お熱いね~」とイジられる程の熱愛ぶりとさえ言ってもいいくらい。
そして、その様子を見て彼らにヤキモチを焼いたり卑屈に思ったりする人は、「ケッ!自己実現なんて!」とツバを吐きかけるのです。
もしくは、「アイツは特別で良いよな!」「どうせ俺なんてさ!」といったような形で自己否定や自己嫌悪に逃げ込もうとすることもあるでしょう。
このように、場合によっては心の干からびた人からの当て付けを食らってしまうほど、自己実現者と仕事との関係性は理想的で魅力的なものなのです。
しかも、仕事とこのような関係性をもてている自己実現者は、そういった自分を批判してきたり嫉妬心を使って自分を邪魔してきたりする人にも大らかな心持ちで対応することできます。
もちろん、その方法は必ずしも相手を受け容れるだけではありませんが、いずれにしろ、適切な距離をとったりあえて攻撃的な姿勢を垣間見せたりすることで、結果的には自他にとってベストな関係性を創り上げることができるのです。
なぜなら、そのような人物を必要以上に相手にしたり不適切な対応することは、自分と仕事との良好な関係性を壊す可能性があるだけでなく、その相手にとっても決して良いとは言えない結果をもたらすことを理解しているからです。
こうなると、もはや無敵ですよね(笑)
このような姿勢は、ある意味で「紳士的」かつ非常に「誠実」なスタンスだと思います。
もっとも、その背景にあるのは、自分の仕事自体を大切にしていると同時に、その仕事ができていることへの感謝の気持ちもあるからでしょう。
自己実現者たちは、自分が仕事とこの上なく良好な関係性を保てていることが自分一人の力で成し遂げられていることではないという事を忘れていないので、周りへの感謝の心を忘れることはありません。
だからこそ、彼らは仕事とずっとラブラブな状態でいられるのでしょう。
もちろん、そうは言っても彼らも時には苦悩や葛藤に頭を悩ませたり、心がモヤモヤすることだってあります。
しかし、自己実現者たちはこのような事から逃避することはなく、ちゃんと真正面から向き合い、冷静かつ俯瞰的な態度で対処するので、それによりむしろ仕事との関係性は更に良くなっていくのです。
そうして、そういった様々な経験を通して、彼と仕事との結びつきは、しなやかさと力強さと温かさを兼ね備えたものに洗練されていくのです。
そりゃあ、離れたい・別れたい・やめたい・取り替えたいなんて思えなくて当然でしょう(笑)
3.自己実現における金銭的な報酬
自己実現者にとっては、金銭的な報酬は仕事をすることの副産物にしか過ぎません。
これは、「生活費を得るためにやりたくもない仕事をし、その仕事をすることで手に入れたお金を使ってしたいことをする」という大多数の人々とは非常に異なっているとマズローは述べています。
自己実現者はお金を粗末に扱ったりはしませんが、彼らはお金に支配されたり束縛されたりすることはなく、お金というのはあくまで自分の自己実現のサポート役や自己実現の過程で自然と舞い込んでくる存在に過ぎないのです。
要するに、お金に必要以上に執着することはなく、自分の自己実現とお金を天秤にかければ前者が重いということになります。
これは、いわゆる「生きために食べる」という状態ですね。
一方、先ほど触れたこれとは逆の多くの現代人は「食べるために生きる」という状態です。
特に、欲求階層における「生理的欲求」と「安全の欲求」がお金と強固に結びついてしまっている人はこの傾向が強いでしょう。
彼らの口癖は、「そんなんじゃ食っていけないぞ!」「メシを食いっぱぐれるようなことになったらどうするんだ!」「そんなん一銭の得にもならん!」などです。
そして、その意見を押し付ける正当性のある理由として、「現実は甘くない!」「夢見てんじゃねえ!」「いい加減大人になれ!」という、誰にでも言える一般常識や社会通念を持ち出してきます。
当然ながら、彼らにとっては、自己実現とは幻想です。
それは文字通り「信じていない」「信じたくない」が故に自己実現を幻想に仕立て上げているという意味であると同時に、逆に「信じていない」からこそ自己実現がマボロシにしかならくなってしまうのです。
そして、このパターンに陥っていると大抵の場合、仕事は自分を窮屈にする不自由の象徴になっています。
一方で、本当の意味で金銭的な自由を手にしている自己実現者たちは、「お金」というものの奴隷になり下がることはしません。
自分の人生のコントロール権をお金に明け渡すことはしないのです。
とはいえ、繰り返しになりますが、彼らはお金と非常に良好な関係性を築けています。
付かず離れず、お互いの自由を許し合うような間柄とも言えるでしょうか。
少なくとも、「お金がないから」という理由で自己実現を放棄することはありません。
同様に、「お金があるから」ということが自分を束縛したり執着を生むこともないのです。
だからこそ、彼らは多くの人が突っかかってしまっている金銭的な報酬の問題を軽やかに超えていきます。
深刻さに囚われることなく、かつ地に足のついた現実的なかたちで資本主義社会を自分に最もフィットした状態で満喫することができるのです。
つまり、真の自己実現者というのは、「仕事」と「お金」の両方と理想的な関係性を創り上げることができているということです。
というか、言うまでもなく資本主義経済においては仕事とお金は切っても切り離せないものなので、仕事とお金の両方の側面を適切な形で満足させることが自己実現だとも言えるかもしれません。
もしくは、自己実現を生きることを通して、仕事とお金を見事に調和させ統合できていると表現しても良いでしょう。
いずれにしろ、お金から真の意味で自由になっているからこそ、自己実現を生きる人々は自身の自己実現を更に極めることに遠慮なく邁進することが出来るんですね。
4.本当の意味での天職とは?
自己実現者というは、全員一人の例外もなく、いわゆる「天職」と呼ばれているような仕事に従事しているとマズローは述べています。
なお、ここで言う天職とは、彼らにとって最も価値がある仕事であると同時に、自分自身の能力や可能性を最も発揮できる仕事のことです。
そしてそれは、「運命が呼びかけるところに従ってはたらいているもの」であると、マズローは表現しています。
したがって、彼らにとって働くことは喜びであり、生きがいとなっているのです。
人によっては、正義を追求することに生涯を捧げている人もいれば、美や真理や善の探究に命を燃やしていることもありますが、職種や職業名がなんであろうと、自分の存在を本質的な目標を達成することに捧げ、そのことに全力で取り組んでいるということは共通しています。
一方で、自分の本質的な運命から逃れている人や、自分が本当にやるべきことから目を背けている人もいます。
詳しくはこちらのコラムの書いてあるの後でお読みいただければと思うのですが、このような人はマズローの言う「ヨナ・コンプレックス」という自己防衛に陥っている人であり、自分に内在しているオリジナルな可能性を発揮することを恐れています。
そのため、自分を低く見積もったり、自分の本心を見て見ぬフリをすることで、自分以外の誰か別の人の人生を生きるようになります。
それにより、天職とはほど遠い、もっと言えばそれとは真逆の「地獄職」とも言えるような仕事に従事することを選んでします。
そういったタイプの人は、自分が社畜になっていたり、ブラック企業で働くことを盲目的に望んでいる傾向があり、尚且つそのことにまったく気付いていません。
その原因を他者や社会のせいにしたり、あるいは自分を低く見積もることで自分を納得させたり、自己否定の方向に進もうとします。
いずれにしろ、それは根本的な解決には至りません。
なおかつ、そのために必要な根拠や理由はいくらでも見つけ出せるので、そうして集めてきた事実を正当化し自分の人生に採用することで目の前の現実をガチガチに固め、それに固執するようになるのです。
そうして、「天職なんて存在しない」「あったとしても自分には関係ない」と決めつけることで、自分を守ろうとするのですね。
そして、このパターンに陥ると、「自己実現の欲求」は姿を消し、その人にとってその欲求は「絵に描いた餅」「机上の空論」「世迷い言」「キレイゴト」「他人事」になり下がります。
もちろん、それが一概に悪いことだとは言えませんが、これが自己実現とは正反対の人生をもたらすことは言うまでもないことでしょう。
事実、自己実現している人というのは現実世界に存在していて、なおかつ彼らは人並外れた特別な才能や境遇や環境に恵まれていたからそれを成し遂げたのではありません。
自己実現とはそのような一部の限られた人にのみ与えられているものではなく、もっとリアリティのある存在です。
実際マズローも、「自己実現の欲求」を持っていない人は一人もおらず、自分にその欲求がないと思っている人はその存在に気付けていないだけだと話してくれています。
つまり、自己実現の欲求とは、自分が放棄したり、隅っこに押しやったり、目をそらしたりしなければ、ちゃんと内在している欲求なのです。
そして、その欲求とちゃんと向き合い、それを健全に満たす過程で、自ずと「天職」というものと巡り合えるようになるのです。
天職というのは、自分が見つけられることをずっとずっと待ってくれています。
なんなら、向こうからこちらへ向けてしっかりとメッセージも送ってきてくれてもいます。
あとは、受け取る側の自分自身の問題。
ちゃんとその呼びかけに応答するか否かです。
自分を押し殺したり、さも正当性のあるような言い訳を盾に使ったり、一般常識を盲目的に信じ込んだりすることなどから身を引けば、もっと新しい選択肢が見えてきます。
そのようにして、広い視野・高い視点・健全な認知をもって世界を見渡せば、「自己実現」も「天職」も自分にとってもっと身近なものに感じられるようになるはずです。
5.仕事との一体化とは?
仕事を通して自己実現している人は、「その仕事と一体化している」とマズローは表現しています。
これは、仕事と自分を同一視していると言ってもよいでしょう。
したがって、例えばとある自己実現している焼き鳥屋のおっちゃんに「あなたは焼き鳥屋でないとしたら、何でしょうか?」と質問したとすると、彼は戸惑ってしまい、答えに困ってしまうのです。
あるいは、彼はこのように答えます。
「僕が焼き鳥屋でなければ、それはもう僕ではない」と。
ちなみに、この質問は、男性に対して「あなたが男でなく女だったらどうだろうか?」という質問をされたことを想像すると分かりやすいとマズローは言っています。
男性として生まれた人にとっては、女性として生まれ今日まで生きてきた人生など想像し切れないことであり、それはもはや自分とは言いがたい存在であるはずです。
つまり、自己実現者は仕事と一体化しきっているので、それと切り離された自分など想像すらできず、またそのような想像は意味すらもたないことであり、つまるところその仕事をしていない自分など自分ではないのです。
言うなれば、それは一心同体の関係性。
仕事と自分が融合しきっている状態です。
もっと言えば、仕事と自分の境目が消えています。
仕事と自分の境界線が溶け合っていると言っても良いでしょう。
いずれにしろ、マズローはこのような状態を「統合」「調和」「超越」という単語で表現してくれています。
少なくとも、自己実現者にとっての仕事とは、自分を圧迫するものでもなければ、自分を押し潰すようなものではありません。
仕事を自分のなかの一部として自己の内部に包みこめているので、そのような現象は起こり得ないのです。
胃袋が身体から飛び出して自分の上にのしかかってくることなどないのと同じように、仕事が自分を創り上げる内なる要素としてしっかりと取り込まれているのです。
もちろん、時にはそれが心の締め付ける原因や、頭を悩ませる要因になることもありますが、それはときどき胃の調子が悪くなるのと同じで、ある意味で自然なことであり、なおかつ危機を教えてくれるアラームの機能やより良い改善へ導いてくれるキッカケとして必要なことでもあります。
少なくとも、自分を構成するひとつの要素として内在している仕事が、自分を外側から攻撃したり邪魔したりすることはありません。
むしろ、自分の内側の問題解決が外側の現実世界の問題解決と紐づいているのが、自己実現者の仕事の特徴です。
このような意味でも、自分と一体化している仕事を通してその問題を解決することが、結果的に社会や外部環境の問題解決になるのです。
マズローは、画家が内的問題をキャンバスに描き出すことでその解決を図っていることが、この事の象徴的な事例であると述べています。
そしてこれはもちろん、画家のような芸術家に限った話ではなく、あらゆる職業に共通して言えることですよね。
その具体的な手段や方法は何であれ、仕事上の実務を通して自分と向き合い、社会をより良くしていくことは全ての仕事に通じるものです。
なぜなら、本質的な意味ではあらゆる仕事とは自己表現になりえる可能性を秘めているものであり、それを通して世の中に良い影響をもたらすことだからです。
そういった意味では、どんな心持ちでどんなやり方で仕事をしていたとしても、それは自分の内側にあるものを世界に伝えているということになります。
そして、その究極的な形が、仕事と自分が一体化している状態なのでしょう。
つまり、仕事と一体化している自己実現者は、内なる問題解決と外側の問題解決が切り離されることなくしっかりと結びついているのですね。
だからこそ、彼らは仕事を通して自分の心を健康にして欲求を満たすことが、自然と他者や社会をより良い状態にし自分以外の人々の欲求を満たすことに繋がっているのです。
これは、仕事と自分が分離してしまっている人にはできないことです。
なぜなら、どちらか一方の変化は、もう一方に直接影響しないからです。
「仕事で成果を出しても心が満たされない」「自分は満足できているけど顧客の満足にはなっていない」ということは、仕事と一体化していれば起こり得ないことだと言えます。
こういった意味では、「自分と他者」の利が対立することなく双方共に満足させられる状態が、仕事と一体化していることとも言えるかもしれません。
いずれにしろ、対立するものや分離しているものを統合し調和させていくというのは、マズローの語る自己実現の重要なキーポイントでもあります。
統合する要素や調和すべき物事はたくさんありますが、ここまでの内容も参考にしながら仕事と自分を一体化することが、自己実現の一つの方法とも言えるかもしれませんね。
もっとも、自分が嫌っている仕事や苦手な仕事と一体化したいと思う人はいないと思いますが(笑)
【おわりに】
さてさて、最後になりますが、今回のコラムはやや抽象度の高い話なので分かりにくいと感じられたかもしれませんが、こういった内容はアタマで考えるのではなくココロで感じようとしてみると、しっかりと染みわたってくるものだと思います。
これはもしかしたら、コラムの最初にお伝えしたほうが良かったかもしれませんね(笑)
ということで、ここで最後に全体の総まとめとも言えるような、『人間性の最高価値』という著作で語られているマズローの次のような文章を引用して今回のコラムを締めたいと思います。
『明らかにどんな人にも可能性のある最も美しい運命、素晴らしい幸運は、自分が熱烈に愛していることをして収入を得ることである。』