このコラムでは、何故これ程までにマズロー心理学が多くの方に誤解されているのかについて、11個の理由に分けてサクッと解説しています。
実は、「欲求階層」「承認欲求」「自己実現」などに関する一般的に広まっている情報には多くの誤りがあるのです。
なぜ、マズローが提唱した多くの概念が、いずれも重要テーマにもかからわず世間に正しく理解されないのでしょうか?
マズロー自身が書いた書籍の弱点から、現代の日本において間違ったマズロー理論が広がる原因を紐解いてみましょう!
マズローの実際の文章をちょっと見てみよう
マズローの概念や発言が誤解されたまま広まってしまう理由とは、いったい何なのでしょうか?
ざっくりとその理由を述べると、マズローの書籍は非常にとっつきにくく、読みにくく、また難解であるというのがまず基本にある理由です。
マズロー自身が書いた本を読んだことがある方には共感していただけると思いますが、はっきり言ってマズロー書籍は読み進めるのが本当に大変!(笑)
初見で何の知識もない状態でめくり始めれば、おそらく5ページもたないかもしれません(笑)
参考として、たとえば「人間性の最高価値」というマズローの遺作ともいえる代表作はこんな文章で始まります。
『私は、心理学に関してあらゆる方向に挑戦を試みたが、そのなかには、伝統的心理学ー少なくとも私の教育を受けた意味ではーの領域を超えるものがあった。一九三〇年代においては、私はある心理学の問題に興味をもつようになったが、それらは、当時の古典的な科学構造(行動主義的、実証的、「科学的」、没価値的、機械的形態の心理学)がよく解決し得るものではないことが、わかった。』
はじめからこんな難しい文章を突き出されては、そりゃ読むの嫌になりますよね(笑)
活字に慣れている読書家のような方は問題ないかもしれませんが、少なくともさらっと読んでその内容を一度で理解できる方は少ないと思います。
漢字も多いし、知らない言葉もたくさん出てくるし、何より多くの方がこの先の続きが読みたくならないはずです(笑)
ちなみに、この文章などはまだまだ序の口で、こんな表現もありますよ。
『高知能者によるこの宇宙的規模の泣言は、価値の外的源泉がはたらかなくなったときに生ずるものである。』
『換言すると、コフカの地理的環境と心理的環境を区別する考え方をとれば、地理的環境がどのようにして心理的環境に変化するかを理解する唯一の方法は 、心理的環境をつくりあげるのは特定の環境での有機体の当面の目標であることを理解することである。』
「はにゃ?」ってなった方も多いのではないでしょうか(笑)
こういった文章が並び続けることは、ザラにあります。
もう勘弁してくださいって感じですよね(笑)
このように、ゆっくり読み返しても「?」な文章がマズロー書籍には少なくないのです。
もちろん、すんなりと読める文章もありますし、分かりやすい表現をしてくれている説明もたくさんあるのですが、基本的にはこういった文章がそこら中に待ち構えています。
もっとも、これらは一部分を抜粋しており前後の文脈がないので余計に分からないと思いますが、マズローが何を言いたいのかを正確にくみ取るには前後の内容と照らし合わせてもぶっちゃけ結構骨が折れます。
むしろ、この一文だけピックアップして理解したと思うのは早計で、前後の内容も考慮して慎重にこの一文の意味を捉えようとしないとあっという間に誤解を生むということが、マズローの書籍内では往々にしてあるのです。
つまり、青空のもと気持ちよくランニングしたいのに、快適に走り続けることを拒む障害がたくさん設置されていて、自分が楽しみたかったマラソンではなく、決して楽しいとは思えないハードル走になってしまうのです(笑)
しかも、そのハードルの数も高さも嫌がらせに近いと感じてしまうほどのレベルですから、もはやイジメ(笑)
もっとも、そんなハードルはすっ飛ばしてしまえばいいのですが、それをするから誤解が生まれるのです。
言い換えれば、マズローの主張を正しく理解するためにはハードルを避けることはできないんですね。
楽ちんなショートカットや、ズルをしてゴールすることをマズローは許してくれないのです。
とはいえ、そのような楽をせずに真正面から向き合う価値があるからこそ、マズロー心理学は楽しく飽きない面白みと隠された珠玉の叡智を発見した喜びがあるわけで、そんな勇者たちにはマズローは必ず素敵なギフトを用意して待ってくれています。
なお、このような難しい記述になるのはマズローがアカデミックな立場で活躍する学者であったり、読み手に想定している読者層の問題などもあるのですが、いずれにしろ一般的な人々には難易度が高いと言わざるを得ません。
さて、このような前提も踏まえて、マズローの理論が誤解される11個の原因を一個ずつ見てみましょう。
1.一般人が知らない単語が多い
これはもう、先ほど参照した文章からも分かると思いますが、マズロー書籍には一般の人々が知らない言葉がたくさん出てきます。
しかもそのレパートリーは多岐にわたり、専門用語であったり、今はあまり使われていない死語だったり、マズローが独自でつくった造語だったり、他の心理学者のつくった言葉だったり、宗教用語や哲学用語であったりと、様々です。
つまり、私たちが日常会話で使わない言葉が書籍内に数多く使用されているということですね。
先ほどの引用文の『コフカの地理的環境』などもそうですし、「無意識」という概念で有名な心理学者フロイトが使った『イド』という専門用語や、「嫌わる勇気」という本で一躍脚光を浴びた心理学者アドラーがつくった造語である『兄姉的態度』などは、心理学にある程度興味がある人でなければまず知らない言葉でしょう。
あるいは、『基底不安』『平均的神経症患者』といった現代ではあまり見聞きしない言葉であったり、『意図的共同体』『両価性』『機能的努力』といったような、そこで使われている漢字や熟語は一般的であるものの単語全体としてはあまり使わない辞書的な意味合いの言葉もたくさんでてきます。
しかも、それらの言葉が登場するのは一回や二回ではなく、ものによっては重要キーワードとして何十回も出てきます。
これらの言葉の意味を全て調べて把握する必要があるとなれば、そりゃ途中で読むのを断念したり読み飛ばしたくなるのも致し方ないですよね(笑)
2.一冊の書籍における文章量が多すぎる
現在手に入る日本語訳されたマズロー書籍は、主に6冊になります。
そして、余すことなくそのいずれもが非常に文章量が多いです(笑)
活字中毒レベルの読書好きか、よっぽどマズローに興味があるか、仕事でどうしても読む必要があるといった方でなければ、まず隅から隅まで読破しようとは思えない文字数です。
おそらく、Amazonなどで現物を見ずにマズロー書籍を買い、実際に本が手元に届いたタイミングでその分厚さにビックリした方もいることでしょう。
そのボリュームはかなりのもので、たとえば、マズロー書籍の初期代表作ともいえる「人間性の心理学」という本はページ数が500以上ページもあり、文字数に至っては約38万文字にものぼります。
一般的な新書(ビジネス書)の文字数は約12万文字と言われており、その三倍に当たるのですから、なかなか大変ですよね。
しかも、先ほど説明した通り難しい単語が所狭しと並んでいるので、1ページ読むのだって結構大変です。
なおかつ、改行などもあまりなく、行間もびっちり埋められています。
もはや、辞書を一冊買ってきてそれを最初から最後まで読むような作業と言っても過言ではないかもしれません(笑)
ちなみに、下記は「人間性の心理学」の外観の写真です。
一般的な文庫本と比較するとお分かりいただけると思いますが、サイズ感が人参と大根並みに違いますよね(笑)
実際に手にとれば、かなりの厚みと重みで存在感も半端ないです。
では続いて、書籍の中身の方もチラッと覗いてみましょう。
次の写真は、「人間性の最高価値」という書籍のとあるページです。
この写真は意図的に文章が多いページを選んだのではなくランダムで適当に開いたページであり、基本的にどのページも終始こんなカンジの文章量です。
つまり、どの書籍であれマズロー自身が書いた本を一冊読むのは、フルマラソンをするのではなく、「42.195kmのハードル走」をするようなものと言っても過言ではありません(笑)
しかも、一冊の書籍のなかには最初から最後まで給水所もないので地獄(泣)
一休みしたりできる感じのホッと一息つけるコラムや、読み手の理解を促すようなイメージ図・写真・イラスト・図表などもほぼゼロです。
おそらく、給水所が用意されていないフルハードル走という苦行を楽しめるモノ好きは、なかなかいませんよね。
もっとも、走る速度を落としたり、歩いていけば問題ないのですが、それだってまあまあ大変なことでしょう。
こういった理由からマズロー書籍を完読出来ないがゆえに、自分の都合のいい部分だけすくい取ることでマズローの真意を誤解してしまったり、ネット上の安易な説明に飛びついてしまったりすることで、マズローの主張がどんどん歪んで広まってしまうのですね。
3.そもそも読書を楽しむための読み物として書かれていない
マズローは言うまでもなく心理学者なので、当然ながら仕事の根幹にあるのは、研究や調査です。
もちろん、その研究内容を論文にまとめたり公の場で講演したりするのですが、そもそもの研究が進まなければ何も発表できることはありません。
そういった意味では、もしマズローが心理学者ではなく心理カウンセラーやコンサルタント、あるいは作家のような職業に就いていたら、もう少し一般の人々にも読みやすい書籍としてまとめられたのかもしれません。(もっともマズローが心理学者としての人生を歩んだからこそ、これだけの偉業を成し遂げられたわけですが…)
したがって、アカデミックな世界で生きていたマズローの書く文章が読みにくいのは、ある意味では仕方のないことと言えるでしょう。
また、そもそも論ですが、現在でこそマズローの理論は一冊の本としてまとめられ一般に流通していますが、マズロー自身は最初からそのようなことを前提に論文をまとめていなかったはずです。
つまり、大衆向けの読み物として研究結果を書き上げたのではなく、あくまでイチ学者としての研究成果を論文をまとめ、心理学会という業界に向けてその内容を発信することが前提としてあったわけです。
その内容が一般の人々にも手届くよう書籍化したのは、その後の段階だということですね。
要は、スタート地点としての対象が専門的な人々だったので、そのために書かれた文章が専門外の普通の人にとって難解なのは当然だよねということです。
もっとも、これはマズローに限った話ではなく、ほとんどの専門的な書物すべてに共通して言えることでしょう。
分野は何であれ、一流の専門家や科学者が辿り着いた真理や叡智が、そうではない一般の人々にまで普及し尚且つ理解されることは、非常に難しくまた時間もかかることです。
しかし、このような理由によって、マズロー心理学に眠る私たちの人生をより豊かなものにしてくれる多くのエッセンスが広がらないことには、やはり幾ばくかのもどかしさを覚えてしまいます。
4.表現が堅苦しい
これはここまでの内容とも関連するものですが、マズローの主張が誤解されやすい理由の一つに、マズローの表現が難解で堅苦しいという点が挙げられます。
使われている単語が難しいだけではなく、言い回しや文体も難しい表現をしているということですね。
もちろん人によって好みはありますが、基本的には文章は易しく分かりやすい方が受け入れられる傾向はありますよね。
「ボクは君のことが好きなんだ!」と言われるのと、「小生は貴殿に対して異性として特別な好意を抱いているのは明確な事実であると断定できると考えられる」と言われるのでは、どう考えても前者の方がすんなり受け取れますよね(笑)
このような例えは極端ですが、マズローは学者であり尚且つ徹底した厳格さとストイックさをもつ人物であったので、こういった理由から自ずとその表現は難しいものになります。
ましてや、当初は学会発表用の研究論文として書かれたものをベースに書籍化しているため、それが形式ばった口調や言い回しになるのは当然のことでしょう。
したがって、マズロー書籍を読むということは、その堅苦しい表現を自分なりの言葉で噛み砕いてから飲み込む必要があるということです。
ちなみに、このことを分かりやすく説明するために、下記のような文章をピックアップしてみましょう。
『保有権・保護権のある仕事に対する共通した選好性』
これは実際にマズロー書籍内から引用した表現ですが、サラッと一読しただけでは何のことを言っているのか分からない方が多いのではないでしょうか。
この一文は要するに、「安定した仕事に就きたいと思うこと」という私たちの特徴を指しています。
別の言葉で言えば、多くの人が就職先に公務員や大企業を希望することを言い表した文章ということですね。
『保有権・保護権のある仕事』という部分を一般的な会話で使われる言葉に置き換えれば「安定した仕事」であり、『~に対する共通した選好性』というのは「これを多くの人が好むこと」という意味です。
つまり、「みんな公務員みたいな安定性のある仕事を選びがちだよね~」というなんてことのない意見を、わざわざ「我々は保有権・保護権のある仕事に対する共通した選好性をもっている」と難しい言葉で表現しているのです(笑)
このように、言い方ひとつ違うだけで瞬く間に意味不明な表現に捉えられてしまうことは身の回りの事例でもたくさんありますよね。
そういった意味では、マズローは相手に誤解を招く難しい表現をするプロフェッショナルなのです(笑)
もちろん、その原因には時代背景や文化の違いなども含まれていることも一つの理由ではあるのですが、いずれにしろ様々な要因からマズローが難解な表現をせざるを得なかったことが、彼の理論が正しく一般大衆に広まっていない理由であることは否めないでしょう。
5.書籍としてのまとまりがなく起承転結もない
このポイントもこれまでの内容と関連する話ですが、一冊の本としてマズローの書いた書籍を見てみると、全体的なまとまりがないと言わざるを得ません。
要するに、話がアッチコッチに飛ぶことが数えきれないほど多いのです。
もちろん、章立てするなどして各話題ごとに整理されているのですが、一般的なビジネス書や読み物に比べると全体としてのストーリー立てがかなり雑です。
各自の話に関連性や繋がりを見い出せないので、結局マズローが何を言いたいのか読み手は容易には理解できないですし、内容が入ってこないので単純に読んでいて飽きてしまいます(笑)
あるいは、最初は「なるほど~」と思って読んでいけたとしても、読み進めるうちにいつの間にか「そもそもマズローが何を伝えようとしているのか」がサッパリ分からなくなることもあります。
これは、前述したように話の展開に一貫性や方向性がなかったり(または表現の難易度が高すぎて繋がりを見つけられなくなったり)して、話についていけなくなるということがしょっちゅうあるということです。
要するに、マズローは専門外の世界で生きる一般的な人々を置いてけぼりにしてしまうのですね(笑)
それはさながら、超がつくほど厳しいスパルタコーチです。
野球選手を目指していない少年に、素振りを1000回やらせるようなものと言っても過言ではないかもしれません(笑)
もっとも、マズローが小説家や作家であったのであれば文句を言ってもいいことかもしれませんが、彼は学者という立場であったため、このことは誰にも責められることではないでしょう。
しかも、マズロー側の立場で考えると、あれだけの膨大な研究内容とその研究結果、また、それに伴う広域で深遠な自身の見解と主張を体系立てて整理するのは、私たちが想像できないほど大変なことなのでしょう。
ましてや、それを論文や書籍としてまとめて、完璧に相手に伝えることなど到底無理なことなのかもしれません。
さらに言えば、そこに起承転結も上手にもうけて、より分かりやすく脚色したり、面白いと思ってもらうための演出を加えたりすることはできないでしょうし、マズロー自身もおそらくそのような事をする意味すら見出していなかったと思います。
むしろ、体裁に意識を向けすぎることで誤解を招いては本末転倒ですしね。
しかし、そうは言っても本の読み手側としては、もう少し書物としての構成を整えてくれないと困ってしまうと言いたくなるのも事実でしょう。
ペースの緩急などつけることないマズローの「100%全力疾走(給水タイムなし)書籍」に、最後までついていける読者がどれだけいるのか、いつか統計的な世論調査をとってみたいです(笑)
6.一冊の書籍内で触れている話題が多すぎる
マズロー書籍が基本的に文章量が多いことは既に説明した通りですが、それはなにも無理やりページ数を稼いでいるのではなく、その主張のボリュームが多すぎることが原因です。
つまり、一冊の本の中で色々な話題に触れすぎているとも言えますね。
もっとも、これも必要だからこそ色々な話を盛り込んでいるのですが、それでも心理学者やよほどのマズローファンなどでなければ、やはりすべての話に興味を抱くのは難しいと思います。
ちなみに、マズローは心理学者である一方で、実は心理学に限らずあらゆる分野に精通している人物でした。
そのため、人間の心理をベースに、そこで発見した事柄を仕事や人間関係の問題と繋げてみたり、教育論と絡めて説明したり、社会問題に派生させてみたり、あるいは宗教や哲学や芸術といったジャンルと関連させ自論を展開させています。
むしろ、それらはマズローにとっては一繋がりであり、包括的に人間の心を研究し、またそれをあらゆるジャンルに応用していたのです。
したがって、マズロー書籍は心理学的な話題だけが述べられているものではなありません。
「充実した仕事をするにはどうしたら良いのか?」
「雇い主も働き手も満足する組織とはどのようなものか?」
「よりよい教育とはなにか?」
「理想的な人間関係はどうすればつくれるのか?」
「家族や恋人との健全な愛情はどう育めばいいのか?」
「完璧な社会システムや政治経済とは何なのか?」
このような問題にも、心理学者という立場で真っ向から切り込み、独自の主張を展開するのがマズローなのです。
そうなると当然、マズロー書籍は様々な話題に触れることになります。
それがマズロー心理学の器の大きさであり魅力でもあるのですが、人によってはこの事がマズローに馴染めない原因になってしまうのです。
要するに、読み手によっては自分が知りたい事がほんのちょっとしか本の中に書かれていないのに、その一方で自分が全然興味のない話題にばかり触れられているように感じてしまう可能性が低くないということです。
しかも、それが難しい文章で書かれているのであれば、かなりの確率でお金を出して本を買ったことを後悔してしまいますよね(笑)
こうして、その人の心のなかで「マズロー書籍の費用対効果=星1つ」と辛口のレビューがなされなます(笑)
つまり、せっかくマズローに興味を持ったのに、時間とお金を損した気分になってしまうのですね。
そりゃ、巷にあふれるインスタントなマズロー解説に助けを求めたくもなるでしょう。
そういった意味では、マズロー書籍がテーマ別に「人間関係の本」「仕事の本」「子育ての本」といったように分かれていれば、需要と供給のズレが減り、読者が自分の読みたい内容だけを読めることで、そのことがマズロー心理学への正しい理解と、「もっとマズローを知りたい!」という興味へと繋がるような気もします。
7.同じ話を別々の箇所で説明している
マズローの書いた代表的な書籍は6冊あり、その6冊はそれぞれテーマ別に分けられてはいないことは先ほど触れた通りです。
「Aという書籍は欲求階層のことがまとめられていて、Bという書籍は自己実現についてまとめられている」ということではないのです。
もっと言えば、たとえば自己実現の話は、マズローが書いた全ての書籍で語られています。
しかも、違う書籍のなかでまったく同じ内容を重複して言っていることもあります。
もちろん、同じ事柄を説明しているとは言え微妙に表現が違ったり切り口が違うので、そこがまた面白いポイントでもあるのですが、少なくともその些細なニュアンスの差異を楽しめなければ、「この話は他の本でもマズロー言ってたよな」と思ってしまうのです。
それを退屈に感じたり、不満に思うのであれば、複数のマズロー書籍を読むのはつまらない作業となる可能性が高いんですね。
こうして、「マズロー書籍の費用対効果=星ゼロ」という更なる酷評がやすやすと生まれます(笑)
もっとも、マズローの語る話が完全に重複することは決して多くはないので、これはそれほど問題だとは言えませんが、人によってはこの事に不満を感じてマズローの世界観から退いてしまう人もいると思います。
このようにして、マズローへの理解が中途半端なままでその主張を正確に理解したつもりになってしまうことは、一般大衆における誤解の流布に一躍買うことになるでしょう。
つまるところ、マズローの主張の真意を100%正確に掴むには一冊の書籍を読むだけでは不完全なのです。
極端に言えば、彼が書いた本を全て網羅しなければ彼の正しい主張が読み取れないのです。
また、この問題にさらに拍車をかけるように、マズローはあっちこっちで違う意見を言っています。
ある本では「AはBだ」と言っているのに、別の本では「AはBではない」と言っていたりします(笑)
もっとも、実はこれはマズローに非があるわけではなく、読者の受け取り方の問題なのです。
どういう事かと言うと、ここまでも度々述べていますが、マズローの理論や概念は包括的に彼の主張を整理しながら理解していかないと、矛盾した意見を言っているように思ってしまうということです。
つまり、マズローのなかでは自身の理論は矛盾してはいないのですが、受け取り方を間違えることで読み手には矛盾しているように見える可能性が非常に高いんですね。
こういった側面も、マズローの意見が誤解されたり、あるいは否定される大きな要因でしょう。
実際、世界的に有名な心理学者ですら、マズローの意見を誤解していることもあるくらいですしね。
8.時間の経過と共にマズロー自身の意見も変わっている
マズローのなかでも、自身が提唱した概念や研究結果に対する解釈の仕方・意見が時間の経過と共に変わっていることも、誤解を招く要因のひとつです。
つまり、同じ話題に触れていても、出版された時期が違う書籍内では微妙に内容を修正しているケースがあるのです。
たとえば、マズロー心理学を理解する上で欠かすことのできない概念に自己実現者が追求する「B価値」という概念があるのですが、その中身の項目が書籍によって少し違っていたりします。
自己実現を目指すものが追い求める、マズローが言うところの全ての人々にとって本質的で究極的な価値であるB価値を構成するものは、「真実」「善」「美」「全体性」「遊戯性」など合計14の項目で整理されているのですが、その内容が書籍によって違いがあるので読者は混乱してしまいます。
ましてや、自己実現の道程でありゴールでもある極めて大切な概念であるB価値がこのような問題の抱えてしまっていては、なおさら困っちゃいますよね(笑)
もっとも、この「B価値」のように修正が必要と判断された内容というのは、最重要概念の一つであるがゆえにより精度を上げ完璧な内容にするため、時間をかけて修正を重ねる必要があったのだろうと思います。
とはいえ、このような記述の違いが受け手に余計な誤解を生み出す原因の一つであることは否めないでしょう。
9.正しく日本語訳されていない
これは、マズロ―自身ではどうにもならない問題ですし、英語で書かれた原文を日本語訳する際にはどうしても生じてしまう問題です。
もっとも、これは本の翻訳に限らず、映画の字幕や歌の歌詞、はたまたビジネスにおける書類や、海外由来の商品やサービスに記載される説明など、あらゆるところで見られる現象と言えるでしょう。
もちろん、基本的には公に示されるものやビジネスの現場で必要とされる日本語訳は、翻訳のプロが訳している場合がほとんどですし、マズロー書籍に関しても彼の理論を日本人に伝えるに当たって最も適した人物が翻訳していると言ってもいいと思います。
とはいえ正直言うと、「この単語をこう訳しちゃうの!?」とビックリするようなものや、「マズローはこんな言い方してなくない?」と思ってしまう和訳があるのも事実です。
それがたとえ些細なニュアンスの差であったとしても、その文章が重要なキーポイントであれば重大な誤解を招く決定打になるため、絶対に避けるべきことでしょう。
もちろん、マズローの書いた英語の原文を日本語訳するのは並大抵の事ではないですし、その苦労や苦悩は実際に翻訳作業をした御本人しか分からない大変さがたくさんあると思います。
しかし、一人のマズローファンとしてはどうしても譲れない誤訳もあり、たとえば「欲求階層」の四番目にあたる「尊重の欲求」を「承認欲求」と訳してしまっていたりするのは、個人的にはめちゃくちゃクレームを言いたくなる和訳です(笑)
もっとも、どの和訳が正しいのかは原文を書いた張本人であるマズローにしか判断できませんし、そのマズローも日本語を話すことができなかったということを鑑みれば、正しい翻訳は誰にも分からないというのが着地点としては妥当なところなのかもしれません。
ちなみに、マズロー書籍を訳してくれている人物が一人に統一されていないのも、この問題を余計にこじらせている原因です。
マズロー書籍を日本語訳している何名かの翻訳者のなかでも、おそらく最も代表的な翻訳者は、マズロー研究の第一人者とも言える心理学者の上田吉一氏だと思われます。
なお、この上田吉一氏の他にも、翻訳と監訳含めると合計6名もの訳し手がそれぞれのマズロー書籍を翻訳しています。
これでは、全体的な単語の翻訳が統一されずに、同じ単語でも和訳がバラバラになるのは当然ですよね。
細かいことを言えば、マズローの一人称である「I」を「私」と訳す本もあれば「わたくし」と訳す本もあるあたりも、私のような重箱の隅をつつくタイプであるマズローファンにはいちいち気になるところだったりします(笑)
もっとも、こういった翻訳に関する問題に関しては、出版社の都合・著作権などの利権の問題・各団体の組織的な繋がり・お金の流れ・翻訳者のクセや好みなど、様々な要因が絡み合ったが故の結果だと思われるので、それも致し方ないことなのかもしれません。
そういった意味でも、本当にマズローの主張を正しく理解したいのであれば、全てのマズロー書籍を読む必要があると言えるでしょうし、さらに言えば、英語で書かれた原文も手に入れ自分の英語能力で翻訳するところまでしないと、マズローの真意を正確に汲み取ったとは言いきれないと思います。
とはいえ、実際にそこまでする人は日本に一名でもいればいい方なのかもしれませんね(笑)
10.どの本に何が書かれているのか読まなければ分からない
とある青年が、なにかがきっかけでマズローの存在を知り、「マズローのことをもっと知りたい!」と思ったとします。
そして、マズローが書いた本を読もうとしたとしましょう。
現在は、おそらくほとんどの方がまずはAmazonで調べますよね。
事実、マズロー書籍はよっぽどの大型書店でないと在庫が店舗にあることはまずありません。
先ほどの青年も、本屋に行ってもマズロー書籍は手に入らないだろうと予想したので、ネットで調べてみることにしました。
そして、Amazonで「マズロー」と検索すると、いくつかのマズロー書籍が出てきます。
彼は意気揚々とその一覧を見てみますが、今まで専門書を読んだことがなかったので、まずその値段の高さに驚きます。
安くても2,000円ちょっと、しかも自分が欲しいものは5,500円もするではありませんか!
青年はせいぜい1,500円くらいの予算で考えていたので、当然ながら面食らいます。
しかし、彼は少しめげそうになる心を何とか引き締めて、一応それぞれの商品説明を見てみました。
内容が魅力的だと分かれば、購入を決断できるだろうとの期待もあったのでしょう。
そして、そんな希望を胸に、商品説明欄を見てみると、そこにはこのようなことだけ書かれていました。
『予見に満ちた、いわば「現代の聖書」!人間は変わりうる存在であり、可能性を開発・探究することによって健全な真の人間のあり様が獲得できる。それは全体的であると同時に力動に満ちたものである。死後、ますますその名声が高まりつつあるマズロー畢世の名著。』
この青年の心はこの最後の一撃で人知れず折られ、マズローの書籍の購入を先延ばしにしましたとさ……めでたし、めでたし。
「いや!めでたくないわ!」とツッコんでくれた方がいれば、この物語を綴ったことが報われます(笑)
さて、少しおふざけが過ぎましたが、これは一昔前の皆さんかもしれませんし、これから先の皆さんの未来像かもしれませんし、少なくともこの青年と同じ末路を辿った人は意外と多いような気がします。
ちなみに、マズローの書籍のAmazonでの説明は他の書籍もだいたい同じカンジです。
確かに、「less is more」という観点では美しいですし、ある意味では潔いと思いますが、正直抽象度が高すぎですし、説明が短すぎ&簡素すぎですよね(笑)
もちろん、多くは語らないからこそ魅力的だという見方もできますし、下手に説明をするほうがネガティブなこともたくさんありますが、普通に考えて一般ウケはしない商品説明でしょう。
せめて、それぞれの書籍に目次だけでも書いてあれば、自分の興味のあるワードが多い書籍を選ぶことはできたと思いますが、そういったことも全く表記されていないのです。
ちなみに、そもそも論ですが、マズロー書いた本はタイトルも一般ウケしないタイトルなんですよね。
「人間性の心理学」
「完全なる人間」
「完全なる経営」
「創造的人間」
「人間性の最高価値」
「可能性の心理学」
いや、どう考えても堅苦しいし選びずらい(笑)
これは、結構翻訳者のセンスがもろに出ている部分ですが、個人的にセンスが良いなと思う邦題は一つだけです。
つまり、タイトルも難しそうで惹かれないし、説明を読めば全然内容について具体的に触れられていないし、価格も決して安くない。
これじゃ、購入を決断できなかった人達を誰も責められないですよね(笑)
実際、ここで挙げたような理由からマズロー書籍の購入を断念した方の数は、最初に日本でマズロー書籍が出版されて30年以上が経つ今日までの累計で言えば、相当な数に上るでしょう。
もっとも、この問題に関しても今更どうにもならないことなので、これ以上あーだこーだ言ってもしょうがないことだと思います。
というか、ここまで触れた他の理由も含めたそもそも論ですが、マズローの書籍は「売れる本を作ろう!」と思ってスタートしたものではないので、商業っ気がなくて当然なんですよね。
強いて言えば、日本経済新聞出版から出されている「完全なる経営」はまだその傾向がありそうです。唯一、電子書籍化もされていますし。
それに、最近はレビュー評価もあるので、それらを参考にすることはできるという意見もあるでしょう。
しかし、とは言え、そういったかたちで誰だか分からない第三者の無責任な評価を参考にすることで、ますます最初から余計なフィルターがかかってしまった状態でマズローの書籍に触れることになり、それが誤解に満ちた偏見を抱いたり、いらぬ失望をしたりする人をむやみに増やしている気もします。
あるいは、ネット上で何か役に立つ情報を見つけてくることもできるという意見もあるかと思います。
しかし、やはり本家大本の書籍自体の商品説明が魅力に欠けていることはマズローの世界観に直接触れるハードルを上げ、他の誰かが知ったかぶりで書いた表面的なネット上の記事に頼ってしまい、それが更なる誤解を感染させることになるのではないでしょうか。
ちなみに、マズロー書籍の一部は絶版などの理由で現在は入手困難になっているのですが、この調子では今は販売している他の書籍も同じような未来を辿る可能性も十分にあります。
それはさすがに何としても食い止めたいところではありますが、ペーパーレス化の普及がその問題の解決になると信じたいところです。
少し話がそれましたが、これらの問題に関してはノンフィクション作家の中野明さんが書かれた「マズロー心理学入門」という本が助けになってくれます。
この本では、マズロー心理学の全体像をまとめてくれており、書籍内で簡単ではありますがマズローが書いた本のそれぞれの特徴も紹介してくれています。
そういった良書から、まずはマズローの世界観に入るのもいいかもしれませんね。
11.そもそも、どう解釈するかは人それぞれ
さて、マズローの主張が誤解される最後の11番目の要因について触れる前に、ここまでのおさらいを簡単にしておきましょう。
マズローの主張が多くの方に誤解されたまま広まってしまう理由をざっくりまとめると、
①そもそも、マズローの原文に触れる人が圧倒的に少ない
②しかも、マズローの原文に触れても、ちゃんと理解するハードルが高すぎる
③なおかつ、正しく理解ができなかった人は、自分が誤解していることにも気づかずに他者に誤った解釈を伝えてしまう
④さらに、このような人が一人や二人ではない
⑤そのため、多くの人が巷にあふれる誤情報を鵜呑みにしてしまう
⑥そして、このようにして間違った捉え方をしたがゆえにマズロー心理学の楽しさや奥深さや意義深さに辿り着けずに、マズローに興味がもてない人がどんどん増える
⑦当然、そういう人はマズローの原文を読もうとさえも思わないので、誤解したままで終わる
といった流れでした。
言わずもがな、これは負のバッドループですね。
大袈裟に言えば、社会全体を通してマズロー心理学の魅力に泥を塗り固め続けているのであり、マズローの理論や概念が本来持っている輝きが隠されてしまっているのです。
さて、こんな悲しいまとめ方で終わりたくはないですよね(笑)
実は、このあと紹介する最後の誤解ポイントは、このバッドループを断ち切る内容であると同時に、ここまでの10個の説明がまったく意味がなくなる話でもあります。
そんな、いろんな意味でちゃぶ台返しをさせられてしまう、多くの誤解を招く最後の原因とは一体なんなのでしょうか?
そのキーポイントは、「解釈の仕方が人それぞれで異なってしまう」という事が関係しています。
つまり結論から言えば、マズローの主張は、受け手によって捉え方が千差万別なのです。
同じ文章を読んでも、そこに見出す意味や価値は十人十色。
もちろん、これはマズロー書籍だけに言えることではありませんが、ここまで説明してきた理由によってマズローの主張はその系傾向が非常に強いのです。
難解で専門的な表現、同じ話題について複数の書籍にわたり小出しで見解を述べていること、書籍によって異なる(ように見える)主張、翻訳者の日本語訳のセンスの問題…。
こういった様々な理由から、読み手によって解釈や受け取り方が全く変わってくる傾向がマズロー書籍では尚更顕著になるのです。
たとえば、この事の分かりやすい他の事例としては、歌の歌詞への解釈は人それぞれだという事が挙げられると思います。
同じ曲を聞いても、その歌詞の受け取り方は人によって様々ですよね。
作詞作曲した人物や、歌い手の意図やメッセージは、受け手に正しく伝わるとは限りません。
なかには、受け手にそのことを完全に委ねているミュージシャンや作詞家もいます。
あるいは、偉人の残した名言なども、その言葉の捉え方や意味づけは人によって異なりますよね。
多くの人に支持される格言や名言などは、シンプルであるが故に捉え方のバリエーションが多くなるという特徴もあるでしょう。
さらに言えば、単純に好き嫌いが人によって全く違うことも、この解釈の差異と同じ原理と言えると思います。
よく離婚や破局の原因として「価値観の相違」という理由をあげて別れるカップルがいますが、あれも両者の物事に対する解釈の違いのことですよね(笑)
というか、そもそも、このような解釈の相違というものはあらゆる言葉に対して必ず言えることです。
たしかに、マズローの文章は抽象度が高かったり哲学的な表現であることも珍しくなく、そのため余計に読者の価値観次第でいかようにも解釈できる側面は強いです。
しかし、どのような表現であれ、そこに言葉が一つあれば、そこから生まれる解釈は人の数だけあるのです。
発し手の意図に関わらず、最終的な意味付けの決定権は受け手にあると言ってもいいでしょう。
つまり、どれだけマズローが親切に丁寧に伝えようとしても、受け手のフィルターを通してしかそのメッセージは届かないので、そのあいだに齟齬が生じるのは当然なんですね。
もちろん、だからといって発信者はテキトーにものを言っていいわけではありませんが、言葉での伝達にはどうしても限界があるのです。
伝言ゲームだと、人を経由するにつれて伝言内容がどんどん変わってしまうものですが、言葉で何かを他者に伝える際には、ハナから最初の伝言の時点でもうすでにちゃんと伝わっていないということが往々にしてあるのです(笑)
したがって、ぶっちゃけて言ってしまうと、私のここまでの説明も、あくまで私の個人的な解釈でありこれが正解ではないのです。
言い換えれば、私の色眼鏡から見たマズロー書籍の問題点であり、これが絶対的な正しい意見ではないということでもあります。
ここまで散々、「正しい解釈」や「正しい意見」という言葉を使ってきましたが、究極そんな「絶対の正解」なんてものは存在しないのです。
実際、人によっては、ここまでの説明に反論する方もいるでしょうし、もっと違う視点で整理する方もいるでしょう。
あるいは、「そもそもマズローの主張はみんなに誤解なんかされていない!」という意見をお持ちの方もきっといると思います。
言葉と一度でも真剣に向き合ったことがある方なら、相手と言語を使ってコミュニケーションすることがもつ特有のジレンマと難しさ、またはその面白みはきっと共感していただけるのではないでしょうか。
このような私の主張も含めて、この記事が読み手である皆さんの目にどう映るのかは私には分かりませんが、ここまでの話のなかで何か一つでもお役に立てるものがあれば、嬉しい限りです。
もしかしたらマズローも、私たちが自分なりの解釈でつくったオリジナルのマズロー心理学を使って各々の人生を自分の力でより良いものにすることを望んでいたのかもしれませんね。
おしまい。