欲求階層

欲求階層のイレギュラー満足パターン/マズローが語った特別な6つの例外とは?

欲求階層の満足におけるイレギュラーなパターン【マズローが語っていた特別な6つの例外とは?】
自己紹介

 

皆さんは、マズローの提唱した「欲求階層」や「五段階説」という言葉は聞いたことがあるでしょうか?

おそらく、階層上のピラミッド型のイメージ図を見たことがある方も多いと思います。

そして、「欲求階層はピラミッドの下にある欲求から順番に満たしていく」というルールも同時に聞いたことがあるのではないでしょうか。

しかし、実はこの基本ルールに当てはまらない「欲求満足のイレギュラーパターン」があるとマズローは語っているんです

このコラムでは、そんな欲求階層の理論における基本的ルールが当てはまらない、知られざるイレギュラーパターンの満足についてイメージ図付きで詳しく解説しています。

0.欲求満足のイレギュラーパターンとは?

 

さて、マズロー心理学の基本に据えられているほど大切な概念である「欲求階層の理論」。

しかし、冒頭でも触れたようにそのルールには隠されたイレギュラーパターンがあるのですが、この詳細についてはあまり知られていないことです。

マズローは自身は、このことを「基本的欲求の優位性が不動ではない」というニュアンスで語ってます。

要するに、階層上に積みあがっている欲求は必ずしも下から順番に満たしていくものとは限らないということです。

つまり、たとえば階層の順番が一番下から「欲求A⇒欲求B⇒欲求C」の順に積みあがっているとしたら、基本的ルールではこの順番通りに3つの欲求を満たすはずのところ、その満足の順序が「欲求B⇒欲求C⇒欲求A」になったりすることがあるということですね。

あるいは、階層上における順番は固定されていないという場合もあります。

つまり、たとえば田中さんの欲求階層は「欲求A⇒欲求B⇒欲求C」という順番だけれど、鈴木さんの欲求階層は「欲求B⇒欲求A⇒欲求C」であったりすることがあり得るということになります。

また、これは人ぞれぞれ違っていると同時に、一人の個人のなかでも同様です

要するに、自分の価値観や考え方、あるいは外部環境の変化や外からの刺激などによって、欲求階層の順番は変わることがあるということになります。

『昨日の満足の優先順位は「欲求A⇒欲求B⇒欲求C」だったけど、今日の気分は「欲求C⇒欲求A⇒欲求B」だな』

といった感じであったり、もしくは

『子どもの頃は「欲求A⇒欲求B⇒欲求C」という順位だったけど、大人になった今は「欲求A⇒欲求C⇒欲求B」に変わったな』

ということがあり得るということですね。

子ども時代に必死に求めていた母からの愛情への欲求が、成長と共に満足の優先順位が下がったといったようなケースは、この事の分かりやすい一例かもしれません。

そして、このような前提のもと、マズローが語っている具体的なイレギュラーパターンは全部で6つあるのです。

ちなみに、マズローは自身が書いた書籍の中でもしっかりとこの事を明記してくれているのですが、それを知らない人は安易にマズローの欲求階層論を否定しようとしますが、僕に言わせるとそれは単なる勉強不足の結果だなと思ったりもます。

さて、話が少し逸れてしまいましたが、続いてはこの6つの具体的なイレギュラーの詳細について知ることで、自他の欲求や心理的の満足感への理解を深めていきましょう。

 

1.表面的な尊重の欲求

 

さて、ここで、実際のイレギュラーパターンの話をしていくために、僕がつくった基本的欲求の階層イメージ図の簡易版を先にご紹介させていただきます。

 

基本的欲求の階層イメージ図

この簡易版イメージ図をベースにしながら、話を進めていきたいと思います。

まず、最初のイレギュラーパターンにマズローが挙げていたのは、「尊重の欲求」の方が「所属と愛の欲求」よりも重要になっているパターンです。

つまり、本来は「所属と愛の欲求」を満たすことで「尊重の欲求」へと進むはずが、「所属と愛の欲求」を満たしていないのに「尊重の欲求」の満足へ進むパターンがあるということになります。

もっとも、このイレギュラーパターンには注意点もあります。

それは、このようなタイプに当てはまる場合の大半が、本当に満たしたいのは「尊重の欲求」ではなく「所属と愛の欲求」であるということです。

これはつまり、一見すると「私を尊重して!」という欲求に見えても、実はそれを手段としているだけで、本当に満たそうとしているのは「私を愛して!」「一人ぼっちにしないで!」という欲求だということです

マズロー自身はこのことを下記のように述べています。

 

『たとえば、自尊心の方が愛よりも重要であるように見える人々がいる。ヒエラルキーにおける最もありふれたこの逆転が起こるのは、通常、最も愛される人は強く有力な人であり、尊敬や畏敬の念を起こさせる人であり、自信があり積極果敢な人であるという考えが広まっていることによる。そこで愛に飢え愛を求める人は、積極果敢な行動や自信ありげな行動で一所懸命表面を装おうとすることがある。しかし本質的にこういった人は、高い自尊心やその表出行動を、それ自体を求めるというより目的に至る手段として求めているのである。すなわち、彼らは自尊心それ自体よりもむしろ愛のために自己主張するのである。』(人間性の心理学)

 

要するに、表面的には「尊重の欲求」を満たすために行動しているように見えても、実は「所属と愛の欲求」を満たそうとしての行動であるということですね。

したがって、このパターンの問題点は「自分の欲求をしっかりと理解できていない」ということが言えます。

このパターンに該当する人は、先に満たすべき「所属と愛の欲求」が満たされていると勘違いしていたり、あるいは自分にウソをついて「所属と愛の欲求」を満たすことから逃げていたりしているんですね。

もしくは、本当は「所属と愛の欲求」を満足させたいにも関わらず、それが無理だと諦めて「所属と愛の欲求」の満足を意図的に飛ばして次に進んだものの、やはり渇望するが故に葛藤するというケースもあるかもしれません。

いずれにしろ、このイレギュラーパターンは健全な欲求満足の仕方とは言えないものです

だからこそ、欲求階層というのは、下から順番に満たして初めて安定するのであって、また、言うまでもなくその順序にもちゃんと根拠があるので、それを無視すれば当然ながら自己の内部で不具合が生じることになります。

それがゆえに、マズローは欲求階層の話をメチャクチャ丁寧かつ詳細に書籍の中で説明してくれているんです

 

イレギュラー01

 

2.自己実現の欲求が最も優勢

 

さて、2つ目のイレギュラーパターンは、「自己実現の欲求」が最も優勢であるというものです。

本来は他の4つの基本的欲求を満たさないと「自己実現の欲求」には辿り着きませんが、他の4つの欲求が満たされていないのに、なぜか「自己実現の欲求」が現れることがあるのです。

この事についてマズローは、下記のような表現で述べています。

 

『創造への動機が他のいかなるものよりも重要であるような、明らかに生まれながらにして創造的である人々がいる。彼らの創造性は、基本的満足により生じた自己実現としてではなく、基本的満足を欠いているにもかかわらず出現するのである。』(「人間関係の心理学」)

 

たしかに、心身ともにボロボロで明らかに不健康そうなのに自身の作品を作り続けるアーティストや、どう考えても「所属と愛の欲求」や「尊重の欲求」が満足できていなさそうなのに自身の研究に没頭できている学者・教授などはいますよね。

つまり、「自己実現の欲求」が顕在化するには必ずしも他の4つを満足させる必要がないとも言えます。

とは言え、最初のイレギュラーの話でも触れたように、これはある種非常に危険な諸刃の刃であり、またマズロー自身もこの2つ目のイレギュラーパターンに当てはまる人はほとんどいないと言っています。

したがって、世間一般の大多数の人々は、このパターンには当てはまりません。

むしろ、だからこそ、いわゆる先天的な才能に恵まれている人は、人並外れた突出した結果や作品を生み出せるのかもしれませんね。

 

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3.上位の欲求が永遠に失われる

 

欲求満足イレギュラーの3つ目が、上位の欲求が永遠に失われてしまっているというパターンです。

この具体例として、マズローは長期間にわたって失業してしまった人を挙げています。

彼らのように、非常に低い生活水準で人生を過ごした人は、食物さえ十分あれば生涯満足していられるようになるとマズローは語っています。

つまり、基本的欲求の階層で言うところの「生理的欲求」だけの満足で終わってしまい、その上位に位置する欲求の満足に進もうとは思わなくなってしまっているということですね。

本来、人というのは、特定の欲求がある程度満たされれば、それより一つ階層が上の欲求の満足へと進むものです。

しかし、そのような向上が永遠に奪われることがある(あるいは自らの手で放棄することがある)ということが起こり得るということになります。

僕は以前、「貧困国への支援は、実はその国の貧困者を更に弱くする」という話を聞いたことがあります。

他者からの支援を受けとることで貧困者はそれに依存しようとしてしまい、それはすなわち貧困者に支援を永遠に与え続けることになり、結果的には何も解決していないどころか、むしろ彼らの自尊心や自分の足で生きようとする気概を完全に消し去ることになりかねないのです。

要は、「自分は支援を与えてもらう必要がある貧困者」という自己イメージにとりつかれ、その現実にずっとすがり続けてしまいます。

もっとも、ありがたいことにこのイレギュラーパターンは日本においてはあまり多くはないハズだと思うのですが、だからといって無視してよい内容ではないと思います。

それに、これは何も「生理的欲求」のレベルに限らない話であり、事実おそらく多くの現代人は「自己実現の欲求」を放棄しているように感じてしまうこともあったりなかったり…。

少し言い過ぎかもしれませんが、「安全の欲求」のレベルで落ち着いてしまっている人も少なくない気もします。

もちろん、階層が上の欲求を満たそうとすることが偉いわけでもなければ、周りと比べてどちらが上位の階層に位置しているかを競走したりするものではありませんが、それでもやはり、「自己実現の欲求」の満足に邁進できない人生は、どこか味気ない乾燥したものになってしまう気がするのですが、いかがでしょうか?

 

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4.愛の欲求が永遠に失われる

 

マズローは、基本的欲求における「所属と愛の欲求」を語る際に、「愛の欲求」という単独の形でそれについて言及することがあるのですが、4つ目のイレギュラーパターンはその「愛の欲求」についての内容になります。

そして、タイトルにもあるようにそのイレギュラーとは、「愛の欲求」が永遠に失われてしまっているというパターンです。

なお、このパターンに当てはまるケースは、おおむね幼少期の経験に左右されているようです。

ここでは結論だけ言えば、マズローは、人生の初期に愛にひどく飢えていた人は、愛情を与えたり受けたりする欲求や能力をいとも簡単に永久に失ってしまうことがあると考えていました。

つまり、幼い頃に両親からしっかりと愛されていたか否かで、その後の人生において「愛の欲求」が満たせるかどうかが決まってしまうことがあるということです。

もちろん、幼少期に愛される経験をしなかった人でも「愛の欲求」が消滅しない人もいるでしょうし、そこは完全にケースバイケースだと思います。

しかし、子供時代の親子関係が大人になっても大きな影響力を持つというのは誰しもが実体験として納得がいくことでしょうし、その中でも特に「両親からの愛情」の影響力が強いということは揺るぎない事実ですよね。

そういった意味では、「愛情の欲求」が幼少期に健全に満たされなかった人においてその欲求が永遠に姿を現さなくなってしまうという話は、多くの方が同意できる内容ではないかなと思います。

だからこそ、マズローは基本的欲求の一つに「愛の欲求」を入れていたんですね

ちなみに、マズローはこのような話も含めて、「本当の愛とは何か?」や「理想的な子育てとはどのようなものか?」という事柄についても面白くも輝きにみちた持論を展開させてくれているので、その辺りについてもいつか別のコラムで触れてみたいと思います。

 

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5.欲求が過小評価される

 

さて、マズローは欲求満足イレギュラーの5つ目として、長期間満たされていた欲求が過小評価されるということについて言及していました。

このことは、皆さんも自身の経験上すんなりと腑に落ちる話ではないでしょうか。

空腹というものを長期間にわたり経験しないと、空腹の影響を過小評価して食べるということを重要視しなくなることってありますよね。

ましてや、物質的にはこれだけ恵まれた時代に生きている僕たちにとっては、「ご飯が食べられる」ということの有難さは感じにくいのが実際のところでしょう。

僕も含め、「生理的欲求」の満足が本当に危機にさらされるような経験をしたことがある日本人はほぼいません。

つまり、欲求が満たされている状態が「当たり前」になることで、その状態への評価が低くなるということです

ちなみに、この事についてマズローは次のような表現をしています。

 

『そういった人達では、もっと高次の欲求に支配されている時には、その高い欲求が何ものにも増して重要であるように思えるであろう。起こりうることであるが、実際、彼らはこの高次の欲求のために、より基本的な欲求が剥奪された状況に自分をおくこともできるのである。』(人間性の心理学)

 

もっとも、マズローが本当に言いたかったことは、このような事ではなく、この文章には下記のような続きがあります。

 

『そしてより基本的な欲求が長い間剥奪された状態にあると、今度は、それを簡単に放棄してしまった人にも実際にその欲求の高まりが意識されるというように、両方の欲求を評価し直す傾向が出てくると思われる。こうして、自尊を失うよりはと仕事を捨て、半年もの間、空腹に苦しんだ人は、自尊を失うという代償を払ってでも喜んで仕事に復帰するであろう。』

 

つまり、過小評価された下位に位置する欲求は、その剥奪という苦い経験を経てその価値を再評価されるということです

先程マズローが語っていた事例で言えば、自分の自尊心を大事にするために仕事を辞めた人(生理的欲求の満足を捨てた人)が、ときが経ちその空腹に耐えきれない状況になると、それまで優先していた自尊心を捨てて仕事に戻る(生理的欲求満足を優先させる)ということですね。

より具体な例で言えば、「ご飯が食べられなくなってもいいから会社員をやめて起業してやる!(生理的欲求より尊重の欲求が大事だ!)」という意気込みで独立した人が、しばらくたって実際にかなり生活が苦しくなることで会社員として働くありがたみ(生理的欲求が満足できていたことのありがたみ)を再認識し改めて雇われる立場に復帰する、というようなことが当てはまるでしょう。

なお、このように聞くとまるでこの人が「負け犬」のように思えてくるかもしれませんが、マズローが言いたいのは『両方の欲求を評価し直す傾向が出てくる』ということである点は、再度強調しておきたいと思います。

つまり、この具体例に挙げた会社員は、優先順位を逆転させたことで、過小評価した低次の欲求のありがたみを再認識できたということです。

したがって、ここでの結論としては、健全な順序と状態で満たされていない欲求階層は必ずほころびが出るということが言えると思います。

なお、この流れを簡単に整理すると、次のように理解ができますね。

①生理的欲求が満たされているのが当たり前になっているので、その欲求を満足させる大切さを過小評価してしまう
②生理的欲求を犠牲にし尊重の欲求を満たす事にエネルギーを向ける
③実際に生理的欲求が満たされない苦しみを思い出す
④生理的欲求も大事にするようになる

 

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6.欲求不満への体制が強い

 

さて、最後のイレギュラーパターンですが、6つ目のイレギュラーは「欲求不満への体制が強い」ということによって生じる特例です。

この事を理解するための前提として、欲求不満について少し触れておきたいと思います。

僕たちは、多かれ少なかれ何かしらの欲求不満を抱いているものですが、その不満に対する反応は人それぞれですよね。

たとえば、欲求の満足度が50%でも満ち足りた感覚を十分味わえる人もいれば、欲求満足度が90%でも残りの10%が我慢できずに欠乏感を抱いてしまう人もいます。

あるいは、欲求の満足度が10%と低くてもそれほど問題ない人がいる一方で、欲求が30%程度の満足でもメチャクチャ不満に思う人もいます。

また、このような違いは個人レベルでも当てはまり、『私は「欲求A」の満足度は10%程度で良いけど「欲求B」の満足度は80%じゃないとヤダ!』ということだってあります。

さらに言えば、その不満足への反応は時間の経過と共に自分の中でも変化していくものです。

そういった意味では、僕たちは、自分の欲求不満への耐性度をある程度しっかり把握しておかないと、思わぬところで痛い目を見ることがあるということです。

実際、本当の意味で心が健康であるとマズローが認めた人々は、みんな一様に自分の欲求を満足させる達人でした。

それと同時に、彼らは自分にとって本当に望ましい人生を生きることもできています。

さて、少し話がそれてしまいましたが、ここで大切なのは欲求不満に対して自分がどれだけ耐えられるのかを正確に把握したほうが良いよということです。

そして、このような前提のもと、最後のイレギュラーパターンの詳細を深掘りしていきたいと思います。

結論から言うと、マズローは、人生の最初の数年に基本的欲求が満たされていた人は、その満足の結果として強い健康な性格構造をもつようになり、その欲求満足が妨げられるようなことがあってもよく耐える格別な力をもつと述べています。

要は、ここでも幼い頃の影響が関係しており、幼少期に5つの基本的欲求が満たされていた場合は、その後の人生において欲求不満に見舞われたときも、比較的その耐性が強いのです。

また、これに伴いマズローは、このような強い耐性をもつ人は、他者との意見の相違や障害を容易に乗り越えることができ、結果的に世論の傾向に逆らって歩むこともできると述べています。

それと同時に、彼らはたとえ自分が莫大な犠牲を払うことにっても真理の擁護者となることができる強い人であるとも言っています。

その根拠としてマズローは、下記のように語っています。

 

『憎しみ、拒絶、迫害などに最後まで耐えることができるのは、まさに、愛しまた十分に愛され、多くの深い友情を経験してきた人である。』(人間性の心理学)

 

つまり、幼い頃にしっかりと基本的欲求が満たされた経験をするというのは、その後の人生を力強く進むうえでの土台になってくれるということですね。

ちなみに、幼少期とその後の不満耐性との関係性における具体的な年数については次のように語っています。

 

『欲求不満耐性増大の現象に関して言えば、満足が最も重要なのは、生後ニ~三年の間であるようである。すなわち、人生の初期にしっかりと強く育てられた人は、その後、いかなる成に直面してもしっかりと強く生き続けられる傾向がある。』(「人間性の心理学」)

 

つまり、マズローの見解としては、生後2~3歳の間に基本的欲求がしっかりとした形で満たされていた場合は、非常に強い不満耐性を獲得することができるということですね。

もっとも、この具体的な年齢に関しては特に賛否両論あるところだと思いますし、マズロー自身もその根拠は示してはいないので、あくまで参考として受け取った方がいいのではないかなと個人的には思います。

いずれにしろ、幼少期の欲求満足度とその後の耐性度に密接な関係があるということは確かなことと言えそうですね。

実際、これとは逆に、基本的欲求の不満への耐性が健全に育まれなかった人は、欲求不満を恐れることで自分らしい人生を生きられなくなります

「仕事がなくなるのが怖い」
「ご飯が食べられなくなるのが怖い」

あるいは、
「他人から嫌われるのが怖い」
「誰かに批判されるのが怖い」

もしくは、
「大事なものを失うのが怖い」
「自分を守ってくれるものを手放すのが怖い」

このような恐怖は、欲求不満耐性が弱い人にとっては非常に強力な支配力をもって影響を及ぼしてきます。

平たく言えば、欲求が満たされない恐れにコントロールされる人は、本当に自分が望む人生を生きられないと言っても過言ではないと思います。

これとは逆に、「欲求不満になる可能性」をしっかりと受け容れて一歩を踏み出し、そして実際に歩みを進める過程で出会う「不満」に耐える力を養うことで、僕たちは自分が本当に望んでいるものを手にすることができるのではないでしょうか。

さて、話が少し逸れてしまいましたが、この欲求不満への耐性について、マズローはこの事にはある程度の「慣れの問題」も関係してくるとも考えていました。

要は、欲求不満が続くと僕たちはそれに慣れてしまうということですね。

なお、この内容は「生理的欲求」より上位の欲求が完全に消失したイレギュラーの話とも繋がっている内容でしょう。

ちなみに、マズローはこの事については先程の引用文の続きでこのように述べています。

 

『欲求不満耐性について十分に論じると、ある程度の絶対的な慣れの問題もまた含まれているという事実がわかる。たとえば、長い間比較的空腹に慣れてきた人は、ある程度、食物の剥奪に耐えぬくことができるようである。』

 

つまり、改めての確認にはなりますが、欲求不満耐性は慣れることを通して耐性レベルをアップできるということです。

したがって、仮に幼少期の満足経験が乏しくても、適応力によって結果的に不満ヘの耐性力は上げることもできると言えます。

なお、この話が先ほどの幼少期の話と矛盾した内容だと思われた方もいるかもしれませんが、実はそうではありません。

マズロー自身もこの点についてしっかりと説明してくれているのですが、コラムの本題から外れるだけでなく多くの文章量を割いて説明する必要があるので、今回は割愛させていただきますね。

さて、ここで6つ目のイレギュラーのまとめをしましょう。

まず前提として、世の中には普通の人ならば耐えられない不満に耐えることができる人がいます。

この、欲求不満耐性が著しく高いことが基本ルールのイレギュラーを生み、耐性力の強さは幼少期の経験とその後の適応力によって決まります。

そして、これらの事柄から6つ目のイレギュラーにおける結論として言えることは、欲求不満耐性が強いというイレギュラーは、メリットでもありデメリットでもあるということです。

言い換えれば、欲求が満たされない状態に耐える力を自分の可能性を開いていくために使うこともできるし、その力を自分の可能性を閉じる方向に使うこともできるということです。

それこそ、「生理的欲求」レベルで妥協した人生を送るために耐性力の強さを使うこともできる一方で、逆に「自己実現の欲求」を満足させるために耐性力を発揮させることもできるということです。

このような意味で、「欲求不満の耐性力が高い」ということをポジティブな方向へ向けた人の代表例が、釈迦やキリストや老子といった偉人・賢人たちだったのかもしれませんね。

 

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【おわりに】

さて、「基本的欲求の満足にはイレギュラーパターンがある」という少々マニアックなコラムに最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

なお、マズローの語る「欲求階層」の話は本当に奥が深く知れば知るほどその面白さにハマるので、ご興味にある方は僕がその要綱をギュッと凝縮した下記の電子書籍を是非一度お手に取ってみてください。

このコラムのより詳細な内容も含め、「自分の心の正しい満たし方」について知ることができますよ。

水色マズロー
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