自己実現

B価値とは?マズローが発見した自己実現者たちが大切にする14の価値

B価値
自己紹介

 

皆さんは「B価値」という言葉をどこかで聞いたことがあるでしょうか?

「自己実現」という言葉は有名でも、その内容を本当に正しく理解できている人はとても少ないのですが、特にマズローが語った「自己実現している人が大切にしている価値」の話を知っている人は日本にはほとんどいません

実際にマズローが自己実現していると認めた人びとが重きを置いていたこととは、いったいどのようなことだったのでしょうか?

彼らが大事にしていた価値観とは?

このコラムではそんなことをまとめました。

 

0.B価値とは?

 

マズローは、自己実現している人を研究するなかで、「B価値」という概念を生み出しました。

このB価値とは何か?

結論から言うと、マズローはB価値のことをそれ以上究極的なものに還元できないような本質的究極価値と定義しています。

そしてそれと同時に、自己実現している人はこのB価値の探究に生涯を捧げているとも述べています。

つまり、これらB価値を追求することが自己実現している人の人生であり、究極的なB価値の実現が彼らの生きる目的でもあり、また、その探究の道のり自体が彼らの生きがいでもあるということですね。

このことをマズローは、B価値とは自己実現者にとって究極的満足対象であるとも言っています。

平たく言えば、自己実現者というのはB価値で生きることを大切にしており、言い換えれば、彼らの価値観の根幹にあるのがB価値であるとも言えるかもしれません。

あるいは、このB価値をマズローはお得意の「欲求」の話と絡めて、B価値を追求する欲求を指して高次欲求として説明することもあります(一般的には高次欲求はこれとは別の意味でも使われるのでご注意ください)。

そんな、自己実現を語る上では非常に重要なキーポイントであるB価値ですが、B価値は14個の要素で構成されています。

というか、14の価値を一つにまとめてB価値と名付けたと言った方が正しいかもしれませんね。

いずれにしろ、自己実現者の研究を通して見つけ出した彼らに共通するものが、このB価値に集約できるとマズローは考えていたのです。

 

では、B価値に含まれているその14の要素とはどのようなものなのでしょうか?

それは、以下の14個になります。

 

B価値=①真実、②善、③美、④全体性、⑤躍動、⑥独自性、⑦完全性、⑧完成、⑨正義、⑩単純、⑪富裕、⑫無礙、⑬遊興、⑭自己充足

 

B価値

なお、この14個の単語に対する反応は人それぞれだと思います。

どこか納得する感覚がある方もいれば、綺麗ごとや机上の空論のように聞こえる方もいるかもしれません。

もしくは、この中のどの言葉に強く惹かれるか、あるいは逆にどの言葉に反発や批判的な感情を感じるかも人によって全く違うと思います。

しかし、マズローは、僕たち人間にとってはB価値を追い求めることは誰にとっても自然なことであるとも考えていました。

その一方で、このようなB価値を求める欲求を実は自分自身がもっていることを多くの人々が認識すらしていないとの見解も示しています。

むしろ、ある特定の条件下では、僕たちはこのB価値をいともたやすく放棄する傾向があるとも語っています。

その条件については他の機会に触れたいと思いますが、もしもこのB価値を無視し、B価値を追い求めないような人生を送ると、人間はマズローが高次病と名付けた状態に陥ってしまいます。

つまり、高次欲求としてのB価値は、その不在がある種の病気をもたらすということです。

この考えは、僕たちが欲求不満に陥ると心身の健康が害されることと同じですね。

「生理的欲求」が満たされなければ、空腹や睡眠不足により心も身体もボロボロになるのは言うまでもないことでしょう。

「安全の欲求」など他の基本的欲求についても同様です。

僕たち人間は自分が満たしたい欲求を満たせないと、何かしらの不具合が生じるように出来ています。

そして、これと同じ事がB価値の不在によっても起こることから、マズローはB価値を追い求める欲求を「高次欲求」と捉え、その欲求が満たされないことが「高次病」を生むと説明しているんです。

なおかつ、現代人の多くがこの高次病にかかっており、しかもそのことに自分で気付いていないということが結構問題なのです。

では一体、本人の自覚なしに僕たちの心身をこっそり蝕んでいる「高次病」とはいったい何なのでしょうか?

 

マズローは、高次病についてはまだ明確に解明されていないとした上で、そのことを次ように説明しています。

 

『これらのB価値は、欲求のような働きをする。私は、それらを、高次欲求と呼んできた。それらの欠乏は、ある種の病気をもたらすが、それについてはまだ十分な説明がなされていない。ただ私はそれを高次病と呼んでいる。ーたとえば四六時中嘘つきの中で生活し、誰も信じようとしないところから生ずる魂の疾患のことである。』(人間性の最高価値)

 

『四六時中嘘つきの中で生活し、誰も信じようとしないところから生ずる魂の疾患』

この言葉は人によってはドキッとさせられるフレーズだと思うのですが、もしこのフレーに心が反応したのならば、それは自分自身が高次病にかかっていることに心の奥底では気付いているということかもしません。

いずれにしろ、マズローの述べたこの文章をどう解釈するかは難しいところですが、これはおそらく自分の周囲に嘘つきが多いために誰も信頼できない環境で生じる病というよりかは、自分が自分自身につく嘘の中で生きることを指しているのではないでしょうか。

自分を「本当の意味で」信じていないがゆえに、誰かを本当に信じることもできていない病であると解釈したほうが、この文脈以外の他のマズローの発言から鑑みても正しいのではないかと僕は考えています。

つまり、本来であれば私たちの誰しもが追い求めたいと考え、また同時にその追求こそが人生をより味わい深いものにしてくれるはずのB価値の存在を、多くの人々が認識しておらず、その背景には自分自身への嘘から生じる世界全体への不信感があり、それをマズローは『魂の疾患』と表現したということです。

ちなみに、高次病に関してはコチラの記事でまとめているので、後程お読みいただければと思います。

 

ということで、高次病について触れることで、マズローが語るB価値というキーワードの概ねの輪郭はご理解いただけたのではないでしょうか。

ちなみに、先ほど列挙した14個の価値はすべて互いに関係し合っているもの同士であり、また、それぞれが密接に繋がってもいます

なお、これらの順番は階層的な順列や優劣を意味しているものではないので、たとえば一番目の『真実』が一番偉いわけでもなければ、最後の『自己充足』が最も価値が低いわけでもありませんし、『真実』から順番に満たしていくというルールがあるという意味でもありません。

また、B価値においては、どれか一つの価値を追求することは自ずと他の価値を追求することにもなるとマズローは語っています。

したがって、これら14個の要素が互いに矛盾・対立することなく全体として見事に調和していることがB価値の条件です

 

この事の分かりやすい事例としては、たとえば『真実』『善』『美』を無視した『正義』は本質的な意味では正義ではないということが挙げられるでしょうか。

あるいは、『全体性』を包括できていない真実が歪んだ真実であることなどからもこの事はわかると思います。

宗教にしろ哲学にしろ科学にしろビジネスにしろ、特定の偏った視点と知識から語られる真実というのは、往々にして自己都合たっぷりの凝り固まった価値観からもたらされる、狭い世界観から語られる真実だったりしますよね。

そういった意味で、マズローはB価値の定義を『それ以上究極的なものに還元できないような本質的究極価値』としていたのでしょう。

なお、このことを図にしてみると、次のようなイメージになるかと思います。

 

B価値02

 

さて、それでは、これらの点をご注意いただいたうえで、ここからはB価値に含まれる14個それぞれの項目を簡単に掘り下げしていきましょう。

なお、これらに14個に関するマズローの説明は最低限にとどまっているので、この内容に関しては多少僕自身の解釈も混じってしまっているので、ご了承下さい。

また、マズローはこのB価値をいくつかの書籍で語ってくれているのですが、このコラムでは『人間性の最高価値』という書籍から引用した内容をベースにしています。

 

1.真実

 

いわゆる「真・善・美」という表現は誰しもが一度は耳にしたことがあると思いますが、マズローはB価値の一つ目に『真実』を挙げています。

要は、僕たちは真実であることを求め、真実とは何なのかを追求し、真実を達成したいと願っているということです。

ちなみに、真実の対義語には一般的に「虚偽」が当てはまります。

こうして反対の意味の言葉と比べると、より真実という言葉がもつ輪郭がはっきりしますね。

なお、マズローは、真実の補足説明として次のような単語を羅列しています。

 

『真実:正直、現実(赤裸々、単純、富裕、真髄、正当性、美、純粋、清純で生一体な完備。)』

 

つまり、マズローの言う真実とは『正直』と『現実』とほぼ同じ意味合いであり、それは『赤裸々』で『単純』なことでもあり、豊かなことでもあります。

同時に、それは『真髄』と呼べるもので、『正当性』をもち、『美』しく、『純粋』『清純』で、リアルな『一体的完全』である、と言えるものなのでしょう。

このような真実を探究することが、自己実現者の進む一つの道なのです。

彼らは「本当のことを知りたい」「世界の真実を理解したい」「真実の自分を生きたい」、そんな探究を人生をかけてしていくのでしょうね。

 

2.善

 

先ほども触れた「真・善・美」の二つ目の『善』が、B価値の二番目として挙げられる価値になります。

「善」とはすなわち「善いこと」であり、これの対義語は「悪」ですね。

つまり、私たちは「悪」を退け、本当の「善」を追求したいという欲求をもともともっているのです

これはマズロー心理学の特徴の一つでもあるのですが、マズローが活躍する以前に名をはせていた心理学者の多くが人間の本性は「悪」であると捉えていた一方で、マズローは人間の本性は「善」に基づいていると考えていました。

そのためマズローは、人間が「悪」にはしるのは特定の条件下に限った場合のみであり、それが取り除かれば誰でも「善」を生きるようになると考えていたのです。

そして、この「善」についてマズローは次のような補足をつけ足しています。

 

『善:(正確、望ましさ、正当性、正義、徳行、正直)、(われわれはそれを愛し、それに魅せられ、賛同する。)』

 

つまり私たちの本性は、正確で望ましく、しっかりとした正当性があり、正義・徳行と呼べる類のもので、正直であることを愛すると同時に、それに魅了され賛同するのです。

そういった意味では、自己実現者は「善」を極めし者であると言えるのでしょう。

 

3.美

 

B価値の三番目に挙げられる「美」に関しても、「真・善・美」に含まれているものですね。

つまり、僕たちは本質的な欲求から「真・善・美」という価値を求め、追求すると言っても良いと思います。

そのなかで「美」というのは、言わずもがな「美しいこと」です。

要するに、人間は美しいことに惹かれ、美しいものに魅了され、美しさを追い求め、美しくありたいと願う生き物であるということですね。

なお、「美」の反対は「醜」になります。

これは外見的な美醜の問題だけでなく、内的なもの、あるいは目に見えない美醜においても、人は「醜」を避け「美」を求めるのです。

この「美」に関するマズローの補足は次のような内容になっています。

 

『美:(正確、形態、躍動、単調、富裕、全体性、完全性、完成、独自性、正直。)』

 

なお、すでにお気づきだと思いますが、補足説明においては使われている用語は、他の13の項目と重複する単語も使われています。

もっとも、これは矛盾することではなく、前述した通り14の価値は相互に結びついているということです。

そういった意味では、先ほどの「善」を追い求めることは、「美」を追い求めることでもあり、それらは同様に「真実」としての「正確さ」を追い求めることでもあると言ってもよいでしょう。

何が本当の意味で「美」なのか。

真実の美しさとはどのようなことなのか。

逆に、醜いものとは何なのか。

このような問いかけをし続けるのが、自己実現者のすがたなのでしょう。

あるいは、目に見える作品や表現物の美しさの追求に限らず、「美しい生き方」「美しい心」といったような、目に見えない美しさを極め続けることも、「美」という価値に込められた美しさだと思います。

 

4.全体性

 

マズローは、「真・善・美」に続く四つ目のB価値に「全体性」を挙げています。

まずは、「全体性」におけるマズローの補足説明をみてみましょう。

 

『全体性:(統一、統合性、単一性への傾向、相互関連性、単純性、体制、構造、分裂していない秩序、共働、一体感と統合への傾向)』

 

ちなみに、マズローはこの「全体性」の補足説明に、さらに追加で文章を加えており、それは次のような内容です。

 

『4a 二分法超越:(二分法、両極性、対立、矛盾の受容、解決、統合あるいは超越。)協働性(すなわち、相反するものの統一への、また対立するものの協力ないし相互に向上し合うパートナーへの変貌。)』

 

僕たちは、何かと二分法的な考え方をしがちです。

「正しいか間違いか」「良いか悪いか」などはその筆頭でしょうし、「上・下」「高・低」というものの見方や構造は社会に溢れていますよね。

これは、いわゆる二軸でリニアな世界観であり、平面的な捉え方です。

そうではなく、三次元的に、あるいは立体的に物事をあつかうことで、両極に位置するものが統合され一体となり二分性は解消され、それを繰り返すことで、真の全体性がすがたを現わすのだと思います。

少し哲学的にいえば、「テーゼ」と「アンチテーゼ」という対立する要素を統合させ、「ジンテーゼ」という一つ高い次元に昇華させる(アウフヘーベン)によって、視座の高い全体性をまとったかたちで世界を捉えることができるということとも言えるかもしれません。

要は、「男」と「女」という見方ではなく、一つ上の「人間」という高い視点で見ることによって、分離や分裂は消え去り、全体性を帯びた世界観がすがたを現すイメージですね。

「日本」と「他の国」という二分法では解決しない問題が、「地球」というスケール感で考えると糸口が見えることも同様だと思います。

そして、この二分法の最たる例が「わたし」と「あなた」であり、その対立を超えた可能性についての話が、マズローの語る「自己超越」なのです。

 

5.躍動

 

B価値の五つ目は、「躍動」です。

これは普段の会話でも、「躍動的だ」「躍動している」といったかたちで見聞きする表現ですが、これはただ単に「動くこと」ではありませんよね。

一般的にはもっと能動的で前向きなイメージがありますし、機械的で単調な動きよりも、縦横無尽に自由自在に動き回る印象が強いと思います。

この「躍動」に関して、マズローはこのような説明を加えてくれています。

 

『躍動:(過程、不死、自発性、自己調節、完全なる機能、動的平衡性、自己表現。)』

 

マズローのこの補足から汲み取れることとしては、「躍動」とは終わりではなく過程そのもののことであり、イキイキとした自発的な性質を帯び自分の意思で扱うことで完全な機能性を発揮し、それはなおかつ立ち止まるのではなく動き回ることでバランスがとれていることでもある、ということではないでしょうか。

そして、それはすなわち自己表現なのです

振り子でいえば、静止した状態ではなく、あっちこっちに揺れ動いている状態であり、それは静的な意味での「ニュートラル」というよりも、自然に任せた「ナチュラル」な状態のことですかね。

ちなみに、マズローは自己実現の説明の際に「子ども」をたびたび事例に出すのですが、そういったことも踏まえると、マズローにとっては「子ども」というのは「躍動」の象徴的な存在なのだと僕は考えています。

実は、マズローは自己実現者の特徴を15個に分けて解説してくれているのですが、その中にも「子供らしさ」をキーワードにした特徴がいくつか存在していることは、世間的にはあまり知られていません。

ここでは最後に「躍動」に関するまとめの結論だけ言うと、自分の知らないものに溢れている世界で「生きた経験」をすることが、マズローが語る「躍動」のもつ本性なのだということになります。

 

6.独自性

 

「独自性」とは「オリジナル」のことです。

模倣品やまがい物や代替品ではなく、唯一無二の、この世にたった一つのものです。

ちなみに、一般的には「オリジナル」とは「個性的」というようなニュアンスで使われることもありますが(「オリジナリティに溢れているね」みたいな感じで)、そのもともとの語源は「起源」という意味です。

要は、自分のオリジナリティとは、もともとの原点としての自分のことです。

そしてそれは、画一的でもなければ、マジョリティでもありません。

つまり、誰とも被っていないもの。

捉え方を変えれば、その他大勢に埋もれることなく、あるいはみんなと同じ仮面を被ったりすることや既製品で身を包むことではなく、もともとの自分で在り続けるということです。

このことについて、マズローは次のような付け足しをしています。

 

『独自性:(特異性、個性、不可代理性、新奇、かくの如き存在、無類。)』

 

つまり、独自性は必然的に個性的であるということです。

言い換えれば、もともとの自分は、他に類を見ないただ一つの個性なんですよね。

しかし、僕たちは、「特別な存在でいたい」と思う一方で、「みんなと同じでありたい」「仲間外れにされたくない」とも思っています。

その両者の葛藤を乗り越え、オリジナリティを発揮することが、自己実現者のもつ創造性の特徴になります

「右にならえ」に従うことは簡単ですが、「独自性」を追求すれば時にそれにあらがう勇気が必要なことは言うまでもありませんよね。

 

7.完全性

 

この「完全性」は、何をもって「完全」とするかが大切なポイントだと個人的には思っています。

なぜなら、一般的に言う「完全」とB価値における「完全」は少々ニュアンスが違うからなんですよね。

簡単に言えば、多くの人が「これで完全だ」と言っていたとしても、B価値を追求する人にとってはそれは完全とは言えないことが少なくないということです。

 

では、いったいぜんたい「完全」の基準はどこにあるのでしょうか。

「完全性」が達成されたかの判断基準は、社会や他者といった自分の外側にあるのでしょうか。

そういった意味では、真の「完全性」とは何なのでしょうか。

少しヤヤコシイ言い方をあえてすれば、何をもって「完全性を完全に成し遂げた」ことになるのでしょうか(笑)

ちなみに、マズローはこの「完全性」については次のように表現しています。

 

『完全性:(余分な物のないこと、無欠、適所におかれたあらゆるもの、適確性、適切性、適合性、正義、完備、過ぎたるものなし、正当性。)
7a 必然性:(不可避、まさにそうなければならない、微動だにしない、そうあることはよい。)』

 

これをあえて一言で言えば、「ピッタリ」ということだと思います。

過不足なく、完璧に当てはまること。

多すぎても大きすぎてもダメです。

余計なものはそぎ落としきります。

それはまるで、最後に残ったピースが、目の前のパズルの唯一空白として残されている形に丁度当てはまるような感覚だと思います。

余計なでっぱりはジャマでしかありません。

過不足なく形づくられたそのラストピースが当てはまることで、絵が完成する感覚がB価値としての完全性に近いイメージなのではないでしょうか。

そういった意味では、自己実現というのは、私たち一人一が世界という絵の中で完全性を発揮することなのだと思います。

そして、世界中のあらゆる人びとがB価値と自己実現を追求することで、地球という惑星が、世界全体が、「完全性」を取り戻すのかもしれませんね。

 

8.完成

 

『完成:(終末、応報、終了、もはや形態に変化なし、成就、結尾と目的、無疵または無欠、全体、運命の成就、停止、クライマックス、仕上げ、再生以前の死、成長発達の停止と完成。)』

 

マズローは、B価値の「完成」の説明をこのように言い表していました。

「完成」は、先ほどの「完全性」と似ているので混同しやすいですが、その違いは次のように言えると思います。

「完全性が完成とは限らない」あるいは「完成していない完全性もある」。

何だかただの言葉遊びのように思われるかもしれませんが、マズローも言うように「完成」とは「ゴール」です。

僕たちは、ゴールすること(終わりを迎えること)を望んでいます。

これは、「生死」の問題と同じですね。

「生」があれば「死」があります。

ちょっとまどろっこしい言い方になりますが、「死なない生はない」のです。

むしろ、「死なない生」は「生」ですらありません。

「生」と「死」は二つで一つ。

「生まれる」ということは「死に始める」ということでもあるのです。

「永遠」は概念上は確かに存在しますが、僕たち個人の人生においてはリアルではありません。

そういった意味では、僕たち人間は死というゴールがあるから生きられるのです。

小説や映画などではよく「不老不死」を権力者が求めるという描写がありますが、「死なない身体を手に入れること」を自己実現者は求めたりしません。

むしろ、彼らはそれが人生の意味を奪い取ることを知っているのです

 

「死」があるから「生」が存在できる。

これは、自分の肉体の「生死」だけの話ではないことは、言うまでもありませんよね。

マズローが補足しているように、『終了』『終末』『停止』『成就』などがあるから、私たちはB価値を追い続けられるのです。

「終わり」という完成があるから、完全性を目指し生きることができるのではないでしょうか。

 

9.正義

 

さて、マズローはB価値の九番目に「正義」を挙げていますが、これはこれまでの他のB価値の説明のなかでも何度か出てきていたワードでした。

この「正義」について、マズローは次のように述べています。

 

『正義:(公正、正当性、適合性、建築的資質、必然性、不可避性、公平無私、無所属性。)』

 

ここでは分かりやすい『公平無私』を取りあげて掘り下げてみたいと思います。

公平無私とは、辞書的な意味だと「自分の利益・主観・感情を判断基準から外して、物事を公平に進めようとすること」です。

つまり、自分の都合で不公平を生むことなく、平等に扱うということです。

少し話がそれますが、僕たちはよく「自己満足」という言葉を使いますよね。

これは、「そんなの所詮は自己満足にすぎない」といったように、「自分の欲求を満たしただけだ」というニュアンスでネガティブな意味合いで使われることが多いと思います。

少なくとも、多くの方にとっては「自己満足」は良い意味で使う言葉ではありません。

しかし、実は自己実現者にとっての「自己満足」は必然的に「他者満足」になります

別の言葉で言えば、彼らにおいては「自己満足」することが直接「他者満足」に繋がるのです。

したがって、自己実現を生きていると、自分の欲求を満たすと他者の欲求も満たされるのです。

これは、B価値の二つ目の「善」の内容とも繋がりますし、七番目のB価値だった「全体性」にも通じることですね。

つまり、「自己満足」と「他者満足」が統合した「全体性」としての満足は、「善」でもあり「正義」でもあるいうことが言えると思います。

そして、マズローはこの「正義」の補足で、次のような一文を記しています。

 

『9a:秩序(法則性、正確、すぎたるものなし、完全な整備。)』

 

「正確」に関しては、「善」の補足の一番目に挙げられていた単語ですし、「すぎたるものなし」と「完全な整備」はまさに「完全性」のことですよね。

「法則性」に関しても、「善」や「全体性」と一致する要素が含まれているのは言うまでもありません。

つまり、このように整理すると「正義」ー「秩序」ー「善」ー「全体性」という繋がりが浮き上がってくるように思います。

なお、これはあくまでも一つの解釈ですし、B価値はこれ以外の関係性も相互でたくさん連鎖し合っているので、自分なりの各B価値同士の繋がりと流れを見つけてみると、「共働性」と「独自性」をもった、自分色に染まったB価値が見出せると思いますよ。

 

10.単純

 

「単純」とは、あえて言うまでもなく「シンプル」のことです。

しかし、僕たち人間は、自我をもち、他の動物と比べて高度に発達した脳をもっているがゆえに、物事を「複雑」にするのが得意です(笑)

 

『単純:(正直、赤裸々、真髄、抽象、無過誤、本質的骨格構造、問題の核心、そっけなさ、必要最小限度、飾り気なさ、余分なもののないこと)』

 

これらのワードのいくつかは、すでに登場しているものも多いですね。

なので、ここでは『抽象』と『本質的骨格構造』の話にだけ触れてみたいと思います。

なぜ、これらが「単純」なことなのでしょうか。

 

さまざまな宗教や神話などでも語られていることですが、私たちが生きるこの世界は最初は「単純」の極みでした。

最近は科学の世界でも言われていますが、宇宙の原初は「シンプル」そのものだったのです。

「単純」という言葉で表現することすらできないほどのシンプルさ。

これはすなわち、「抽象」の極みでもあります。

要するに、世界の『本質的骨格構』は『抽象』化をしきった『単純』な形をしているということを、このB価値の話を通してマズローは言いたかったのではないかと思います。

 

なお、この節の最初に「人間は物事を複雑にするのが得意」ということに触れましたよね。

この事と今しがた触れた内容を合体させて「単純」を説明すると、僕たちは「シンプルな世界」を複雑にしているということが言えると思います。

そして、自己実現者の生きる世界は非常にシンプルであり、彼らは世界のありのままのすがたを捉えることに長けているという共通の特徴があります。

つまり、B価値としての「単純」を追求したことで、彼らは世界に本来のシンプルさを見出し、その世界で生きていけるようになったのだと言えるでしょう。

『飾り気』や『余分なもの』のない、『赤裸々』で『真髄』とも言える世界の『単純』なすがたは、B価値を探究することで見えてくるものなのではないでしょうか。

 

11.富裕

 

「富裕」と聞くと、これを「金銭的な豊かさ」と結びつけてしまいがちですが、いわんやB価値としての「富裕」はそうではありません。

もちろん、「金銭的な豊かさ」も「富裕」の一部に含まれますが、あくまでも一部なのです。

社会的な意味合いの手垢が比較的べったりと付いた「富裕」という日本語に関して、英語圏に生き、英語で文章を書くマズローはこう説明しています。

 

 

『富裕:(分化、複雑性、錯雑、全体性、欠乏し隠されたもののないこと、あらゆるものの存在、「無重要性」つまり、何事もすべて等しく重要、重要ならざるものなし、万物が改善、単純化、抽象化、再分配されることなく、そのままの形でとどまる。)』

 

この文章をみれば分かるように、マズローの言う「富裕」とは、私たちがイメージする「富裕」とはかなり違った意味合いをもっているようですね。

なお、『分化』『複雑性』『錯雑(さくざつ:まとまりなく入り混じること)』という単語を呼んで、「アレ?これって『単純』とか『全体性』とかと矛盾してない?」と思われた方もいると思うのですが、B価値においては矛盾することは問題ではありません。

むしろ、この矛盾を探究したり統合する過程が自己実現です。

なお、『創造的人間』という書籍においては、翻訳者の方はこの「富裕」の部分を「豊かさ」という単語で翻訳しています。

この「豊かさ」という単語で、さきほどの矛盾を紐解くと、答えがみえてきそうです。

 

ここではその結論だけ言うと、「単純なことは必ずしも豊かとは限らない」ということだと思います。

あるいは、「全体性のない豊かさもある」ということです。

もっと言えば、「複雑で二分化していてゴチャついている豊かさがあっても、全然オッケーだよね」ということです。

むしろ、「矛盾って豊かさの一つとも言えるよね」といってもいいかもしれません

要するに、レパートリーに溢れているということ、あるいは、バリエーション多彩なことが豊かさなのではないか、ということです。

 

世界に自分一人ぼっちだったら、つまらないですよね。

自分一人しか存在しない世界で、どうやってB価値を追求すればいいのでしょうか。

『あらゆるものの存在』という「豊かさ」があるから、自己実現できるのです。

そういった意味で、マズローの言うように『何事もすべて等しく重要』であり『重要ならざるもなし』なのだと思います。

このことを別の角度からとらえれば、すでに豊かさに溢れているこの世界で、自分のB価値を探究することが私たちが目指すべき自己実現なのではないでしょうか。

 

12.無礙

 

『無礙:(安楽、緊張、努力、困難の欠如、優雅、完全で美的な機能。)』

 

「無礙(むげ)」というのは、人によってはあまり聞き馴染みのない言葉かもしれませんが、「無礙」の意味とは「滞りとなる障害がないこと」「邪魔するもののないさま」という意味です。

要するに、「スムーズであること」と言い換えても良いかもしれませんね。

もちろん、マズローも述べているのですが、自己実現者であっても苦悩を抱えたり辛い感情と向き合うことはあります。

それでも、彼らにとってそれは「やっかい」なことではなく「やりがい」とも言えるようなものです。

そういった意味では、いつでも全力疾走で真っすぐ直進し続けるワケではないものの、曲がり道や細道、回り道や一時停止をしたとしても、それはB価値の追求の道程であり、自己実現者は目的だけでなくそこにいたる道のりそのもを楽しむことができるのでしょう。

したがって、彼らはどんなぬかるんだ道でも自分の根底に流れているスムーズさを維持できもしますし、あるいは逆境がスムーズさを加速させるようなことも自己実現者には少なくないのかもしれません。

いずれにしろ、全体性に流れるように身をゆだねることで、どんな状況でも柔軟に軽やかに事を成すことができるのでしょう。

 

なお、無礙の説明にある、『安楽』と『緊張』の二つは対立しあっているものだと思われた方がいるかもしれませんが、本当の意味での「無礙」とは、リラックスと緊張を使い分けれることだと思います。

これは、特にスポーツの世界で一流の成果を残す選手に共通している特徴でしょう。

別の言葉で言えば、彼らは「適度な緊張感」を自在に使いこなせるのです。

時と場合に応じて、弛緩と緊張をそれこそ融通無礙に乗りこなすと言い換えてもいいかもしれません。

いずれにしろ、ここでもそれらは対立し合うのではなく、調和し、美しいハーモニーを奏でるということですね。

その姿は、傍から見たら『困難の欠如』や『優雅』で『完全で美的』に機能しているように映ることもあるでしょう。

またこれと同様に、自己実現者は『努力』と無努力も上手に使い分けられます。

僕たちは、このようなスタンスで、基本的には優雅で穏やかな気持ちで安心して大きな川の流れに身を任せつつ、たまには意図的に流れに逆って泳ぐことがあってもいいのもかもしれませんね。

 

13.遊興

 

これは、なんともマズローらしい視点だと個人的には思っています。

ただ、「遊興(ゆうきょう)」という言葉も、先ほどの「無礙」と同様に普段はあまり聞かない言葉ですよね。

「遊興」とは、「面白く遊ぶこと」「遊び興ずること」という意味をもち、『創造的人間』の本の中では『遊戯性』と翻訳されています。

先ほども簡単にだけ触れましたが、マズローは自己実現者が「遊び心」や「子ども心」、あるいは一種の「幼さ」や「無邪気さ」をもっていることに注目していました。

また、「楽しむこと」や「没頭すること」を僕たちが求め望んいるということに異論を唱える人はいませんよね。

たしかに、B価値に徹することはある種のストイックさを伴うものですが、その一方で「子ども」が自己実現のお手本になることが大いにあるのです。

なにせ、彼らは「遊興の達人」なのですから。

そういった意味では、子ども以上に遊ぶことに徹することができれば、それは本当に成熟した自己実現と言えるのかもしれません

 

心のままに遊ぶこと。

計画や計算などなく、効率や生産性度外視で遊びほうけること。

周りの目を気にせずはしゃぐこと。

お互いの意のままに素直にじゃれあうこと。

ありのままの感情を理性というフィルターを通さずに表に出すこと。

時間も忘れ無我夢中で、自分のままという意味で「我がまま」になること。

目的や理由もなく、ただそれをしたいからやるということ。

そういったスタンスが、B価値としての「遊興」のもつ意味合いなのではないかと思います。

 

『遊興:(たわむれ、歓喜、楽しみ、快活、ユーモア、華麗、自在無礙。)』

 

 

14.自己充足

 

マズローがB価値として最後に挙げているのが、『自己充足』です。

ここで言う自己充足とは、自分で自分を満たしてあげることでしょう。

 

B価値とは、他者に満たしてもらうものではありません。

もちろん、誰かの力を借りたり他人との関係性のなかで見出されるものはありますが、最終的な決定権はすべて自分にあります。

このことは、人生を自分軸で生きていくと言い換えてもいいかもしれませんね。

 

いずれにしろ、本当の自己充足は、自分だけしかもたらすことができないものなのです。

それは、孤独ではなく自立です。

逆に言えば、他者に依存した満足は、B価値としての自己充足にはならないでしょう。

「満たされたな~」「満足感あるな~」「満ち足りた気持ちだな~」というような感覚は、自分で感じるしかありませんし、頭で考える類のものでもないですよね。

つまり、「充足」とは心で感じることです。

真の自己実現者は、他人や社会といった自分の外側に何かを満たしてもらう必要はありません。

自らが太陽であり、熱源であり、光でもあるのです

 

そして、B価値の追求は全ての人に共通する究極的満足の追求であるということは、僕たちは誰しもが心のどこかで自分も太陽のような存在になりたいと思っているということの裏付けだと思います。

太陽に照らされることで輝く月にも月特有の美しさがもちろんありますが、人間の本性は月とは違うものなのかもしれません。

そういった意味では、B価値を極めた人は自分で自分を満たすことできる太陽でもあると同時に、今は月と化している人びとを照らし、彼ら自身が本当に望めばも同じ太陽になれることを教えてくれる存在なのではないでしょうか。

自分が自分であるために必要なものは、本当は何もないのかもしれません。

 

『自己充足:(自立性、独立、みずからであるために、みずから以外を必要としないこと、自己決定、環境超越、分離、自己律法による生活、同一性。)』

 

おわりに

 

さて、B価値の内容は以上になります。

このコラムを最後までお読みいただいたことで、マズローがとても鋭い視点をもっていて、なおかつその視点から見つけた物事を深く深く研ぎ澄ましていた姿が感じられたのではないでしょうか。

なお、B価値の詳細や自己実現者の15個の特徴などは、電子書籍『マズローの自己実現~ありのままの自分を謳歌する~』に分かりやすくまとめさせていただいているので、ご興味ある方は一度お手に取ってみてください。

きっと、自分の世界観を根底から変えてくれる知られざるマズローの叡智に度肝を抜かれると思いますよ(笑)

 

 

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