マズローの欲求階層の理論において、その階層のベースに据えられていることでも有名な「生理的欲求」。
その「生理的欲求」について、マズロー自身はどう語っていたのでしょうか?
実際にマズローが書いた書籍の内容を参考にしながら、本当に正しい「生理的欲求」についてのマズローの主張を解説しました。
もくじ
1.生理的欲求とは?
ここではまず結論から述べたいと思います。
マズローは、自身の代表的な著作である『人間性の心理学』という書籍の中で、生理的欲求について詳しく述べているのですが、その要点をまとめると次のように整理できます。
①生理的欲求は、人間のもつ欲求のあらゆる欲求の中で最も優先度の高い欲求である
②マズローはあえて生理的欲求の具体例の一覧は作らなかったが、少なくとも食欲・性欲・睡眠欲が生理的欲求の代表例であると捉えてよい
③生理的欲求は、他の欲求と密接に結びついている複雑な欲求である
④以上のことも踏まえ、「生理的欲求」を一言で表現するなら、「生きていたい」という欲求である
おそらく、上記の①は多くの方がどこかで見聞きしたことがある内容だと思いますし、その内容にも特に異論や違和感はないと思います。
しかし、②~④の内容、特に「マズローがあえて生理的欲求の具体例の一覧は作らなかった」という事と、「生理的欲求は非常に複雑な欲求である」という事は、実はあまり知られていない内容だったりします。
実際、この二点については巷ではほとんど説明されることがなく、そのためにほとんどの方が生理的欲求を表面的に理解するだけで終わってしまい、ただの知識として知るだけでマズローの語る真意を自分自身の人生に活かすまでには至っていません。
ということで、ここからはマズロー研究の専門家が生理的欲求の詳細を、簡潔に分かりやすくまとめてみました。
マズローが生理的欲求の話を通して何を伝えようとしていたのかを正しく知ることで、自分の欲求を上手に満たせるようになったり、他者の欲求をより正確に把握することができるようになりますよ。
2.生理的欲求の具体例
それではまず、生理的欲求の具体例に関する話題から入っていきましょう。
ちなみに前提として、生理的欲求は原文におけるもともとの英語表現では「the physiological needs」と表現されています。
「needs」は「欲求」という意味で、「 physiological 」は「生理的」「生理学の」というような意味ですね。
そして、この生理的欲求について、マズローは次のような特徴を述べています。
『生理的欲求は、疑いの余地なく、あらゆる欲求の中で最も優勢なものである。特に極端なまでに生活のあらゆるものを失った人間では、生理的欲求が他のどんな欲求よりも最も主要な動機づけとなるようである。』
この内容はおさらいになりますが、マズロー自身もはっきりと生理的欲求がすべての欲求の中で一番優勢だと言っていることは事実と言えます。
しかし、冒頭でも触れたように、生理的欲求の具体例については実はマズロー自身は明記しておらず、それどころか具体例の一覧を作ることには消極的だったようなんです。
そのことに関して、マズローは先程の文章の続きでこのように述べています。
『基本的生理的欲求についてリストをつくることは、無益であると同時に不可能でもあるように思われる。』
つまり、生理的欲求とは行動の源としての出発点でありすべての欲求の土台になるものであるものの、その具体例を一覧にすることは意味がなく不可能であると言っているのです。
それはいったいどうしてなのでしょうか?
その理由について、マズローはこのように述べています。
『【生理的欲求のリスト作りが意味がなく不可能である理由は、】どの程度詳しく述べるかによって、望むだけのリストができるからである。』
つまり、説明や定義の仕方次第で生理的欲求に該当する欲求は無数に存在するため、一覧リストを作ろうとしても無理があるだけでなく、その定義が変わればリストに該当する欲求も変わるため、そういった意味ではリスト化はあまり意味がないということです。
たしかに、生きるための欲求というのは、基本的なものであるがゆえにその線引きが難しいですよね。
実際、いわゆる一般的に「三大欲求」と言われる欲求のなかでも、食欲や睡眠欲は分かりやすいですが、性欲は少しこれらとは毛色が違います。
なぜなら、性欲は他の二つと違い、生まれながらにして発揮されませんし、歳をとると消滅するからです(これにも賛否両論はありますが)。
要するに、生理的欲求の定義を「生きるために必要な欲求」とするのであれば、性欲がない(性欲を満たそうという気概がほぼない)赤ちゃんやおじいさんおばあさんには、性欲は生理的欲求に入ってきません。
逆に、生理的欲求が全開の赤ちゃんやお年寄りがいたら、色んな意味で自他の生活に問題が生じるますよね(笑)
あるいは、別の例で言うと、もしかしたら「生きるためにはお金が必要だ」といった理由から、「金銭欲が生理的欲求に当てはまるのが現代人だ」という意見をもつ人だっているかもしれません(直接の「生理」ではないものの)。
もしくは、「身の安全が確保できなければ生きることだってできないよね」という理由から、いわゆる「安全の欲求」における身体を守る物理的な安全に対する欲求を、生理的欲求に加えようとする人がいる可能性だってゼロではないでしょう。
または、「親からの愛がなければ幼い子どもは生きられないのだから、愛を求める欲求だって広い意味では生理的欲求に入るのではないか」という見解だって的外れではないかもしれませんよね。
いずれにしろ、要するに性欲の話にしろ金銭欲の話にしろ、人によって生理的欲求に対する解釈は千差万別です。
つまり、ここで例として出したいくつかの生理的欲求にまつわる疑問や異論も含めて、生理的欲求についての定義づけや解釈は明確にするのが非常に難しいんですよね。
そういったことも踏まえて、心理学の学者でない素人でさえ個人的な解釈が人それぞれなのに専門家であるマズローがあえて一覧を作らなかったという事実は、生理的欲求というのが実は深く掘り下げればいくらでも議論のしがいがある、いかに奥深く複雑な欲求なのかということの証明であるとすら言ってもいいのではないでしょうか。
ちなみに、マズローは人間に備わる基本的欲求にどの欲求を入れるか、あるいはそれらをどのように分類するか、といったことについてもずっと試行錯誤していたようで、たとえば時期によっては「知る欲求」(「知りたい!」という欲求)を基本的欲求に入れて説明することもあったりします。
もっとも、欲求階層論の精度の高さへのこだわりや真実への探究心は、こういった事柄に興味のない人からしたら「めんどくさ!」「そんな事どうでもよくね?」と一蹴されるようなことかもしれません(笑)
いずれにしろ、マズローが生理的欲求の一覧をあえて作らなかった背景には、マズロー特有のストイックさがあり、安易に一覧を作ることがかえって誤解を招くことを懸念したがゆえのものだと思います。
まあ、もちろんそうは言うものの、一覧を作ってくれたほうが受け手のこちらとしては便利ですし嬉しい気もするのですが、その点はマズローの学者・研究者としての厳格さにはかなわないということにしておきましょう(笑)
なお、この生理的欲求の一覧づくりの話は、僕たち人間が体温を常に一定に保とうとしたり、塩分濃度や血糖値などの値を維持し続けるような「恒常性」や「ホメオスタシス」と呼ばれる機能にまで話を広げ、更に詳しくマズローは説明してくれているのですが、その詳細はマニアックすぎる内容なのでまた別の機会にシェアさせていただければと思います。
さて、このような理由からマズローは生理的欲求の一覧をリストアップすることはしなかったのですが、とは言え、やはり具体例がないと生理的欲求への正しい理解がしにくいのもまた事実ですよね。
ということで、マズローが生理的欲求の説明においてよく使っていた欲求についてだけ、最後にご紹介させていただければと思います。
マズローは、生理的欲求の説明の際にいくつかの具体例を交え話してくれているのですが、その代表例はやはり「食欲」でした。
折に触れて、何度も「食べる」という行為と空腹を満たそうとする様子を例えに使って生理的欲求の説明をしています。
そのため、生理的欲求の具体例に食欲が当てはまるということは言い切って良いと思います。
また、睡眠に関する記述もいくつかあるので、睡眠欲も生理的欲求の具体例の一つに含めて問題ないでしょう。
もっとも、人間がご飯を食べて眠らなければ生きていけないことは、誰しもが自身の心身を使って身をもって体験していることだと思うので、そういった意味でも異論はないですよね(笑)
また、性欲についても、マズロー自身は断言こそしていないものの、欲求の説明の中で幾度となく登場する重要キーワードであり、「種の保存」という欲求は生物なら必ずもっている目的であるということを考慮すれば、性欲が生理的欲求の具体例に入ると判断して良いと思います。
なお、マズローが「性欲」と「愛の欲求」を明確に分けて考えていたということは補足として覚えておくべき事でしょう。
ということで、このような考えのもと、生理的欲求の具体例として確実に含まれる欲求は、「食欲」「睡眠欲」「性欲」の三つであると判断できるというのが、ここでの結論になります。
ちなみに、好奇心旺盛な方は、マズロー自身の書籍を実際に読んでみてご自身でこの点について考察してみるのも面白いと思いますよ。
いずれにしろ、このような試行錯誤を経てマズローが最終的に着地したのがいわゆる「五段階欲求」なのだと知ると、なんだか、あの理論がとても洗練されたもののように思えてこないでしょうか?
ということで、生理的欲求の具体例にまつわるマズローのスタンスを正しく把握できたあとは、生理的欲求の全体像としての特徴を理解することで、この欲求を完璧にマスターしましょう。
3.生理的欲求の特徴
さて、先ほど説明したような理由により生理的欲求の具体例の列挙をあえてしなかったマズローですが、生理的欲求の全体像としての特徴についてはいくつか話をしてくれていました。
マズローは、生理的欲求の代表例である「食欲」を例に挙げて、生理的欲求の特徴について次のようなことを語っています。
『生理的欲求およびそれに伴う完了行動はみな、他のあらゆる種類の欲求に対する水路としての役割を果していることを指摘しておかねばならない。すなわち、空腹を感じている人は、実際は、ビタミンや蛋白質を求めているよりむしろ慰めや依存を求めているのかもしれない。』
これは要するに、生理的欲求としての食欲は、かならずしも栄養素としての食物を求めているとは限らないということですね。
生命を維持するためには、食物を通してビタミンやたんぱく質といったような健全な生命維持に必要な栄養を体内に取り組む必要があることは言わずもがなですが、食欲はそれだけを目的としているわけではないということです。
むしろ、空腹を埋めようとする背景には、心の空白を満たしたり、欠乏感を紛らわせる目的があるかもしれないのです。
この事は、多くの方が納得できる話だと思いますし、また、生理的欲求のもつ奥深さや一覧を作ることの難しさを再度感じられる話だと思います。
そして、マズローは先ほどの文章の続きでこうも話しています。
『反対に、飢えの欲求を充足させるには、たとえば水を飲んだりタバコを吸ったりするような別の活動によっても、いくぶん可能である。つまり、生理的欲求が比較的孤立したものであるといっても、完全に孤立しているわけではないのである。』
これは要するに、空腹を満たすことが栄養素を求めているというよりは慰めや依存を求めているという事実がある一方で、それとは反対に飢えを満たしたいという欲求は、水を飲んだりタバコを吸ったりといったような、栄養素を摂取することではなくてもある程度は満たされるということです。
この事も、それほど違和感なく受け入れられる内容ですよね。
実際、たとえば一粒に完璧な栄養バランスとエネルギーが含まれている無味無臭のサプリメントを摂取したとしても、多くの方がどこか味気ない物足りなさのようなものを感じでしょう。
また、それとは逆にものすごくお腹が減っている時などは、水だとしても(基本的栄養素もエネルギーも含まれていないとしても)、胃袋に入れるだけで少し空腹が和らいだりもしますよね。
このような意味でも、食欲というは単純な栄養補給への欲求ではないということです。
そして、その結論としてマズローは、生理的欲求とそれを満たそうとする行動はすべて、他の欲求を満たすことにも紐づいていると捉えていたいうことです。
そのため、生理的欲求は他の欲求から孤立したものではなく、他の欲求の満足に結びつくという意味で、一つ前の引用文で述べていた「水路」のような役割ももっていると考えていたということになります。
このような見解をもっていたからこそ、マズローは人間に備わる基本的欲求の土台として、生理的欲求をそのベースに据えていたのでしょう。
そして、そういった意味でも、生理的欲求というのは、生きる上での生物学的な満足を求める無機質で一面的な欲求ではなく、もっと多面的であり、他の様々な欲求と綿密に絡み合っている複雑な欲求であると言えるのではないでしょうか。
「安全の欲求」や「所属と愛の欲求」などの他の基本的欲求に比べて、「生理的欲求」という響きにはどこか人間味がなく、動物本能的で粗野なイメージがありますが、マズローはそのような捉え方をされがちな生理的欲求にも、彼らしい視点で温かみのある特徴を見出していたのですね。
なお、最後に念押しになりますが、このようなマズローの考察に触れると、より一層生理的欲求の一覧作りの難しさや無意味さが身に染みてきませんかね?(笑)
さて、ということで、生理的欲求の全体像を明確にした後は、自他の生理的欲求を健全に満たすための最後のキーポイントとして、「生理的欲求のもつ落とし穴」についてもしっかり把握しておきましょう。
4.生理的欲求についての落とし穴
これはあまり知られていないことなのですが、マズローは基本的欲求を満たす際の補足として、「神経症的な欲求」というものへの注意喚起をしていました。
そして、生理的欲求を満足させる上で気をつけたいのが、生理的欲求の満足がこの「神経症的な欲求」の満足にすり替わっていないかという点なのです。
このことを説明するために、まずは「神経症的な欲求」とは何かについて簡単に整理しておきたいと思います。
「神経症的な欲求」には以下のような特徴があります。
・基本的欲求の満足が「神経症的な欲求」の満足に取って代わられることがある
・「神経症的な欲求」の満足は、健康な人格を育てない
・「神経症的な欲求」は真の意味では永遠に満足することがない
これらのことを一言でまとめると、『基本的欲求が「神経症的な欲求」にすり替えられることで、その人は本来満たすべき欲求を満たさずにいつまでたっても真の意味で満たすことができない代替的な欲求の満足に力を注ぐことになり、それによって不健康な人格的を形成することになる』ということになると思います。
要するに、本人は基本的欲求の満足をしているつもりでも、実はそれが永遠に満たされることのない「神経症的な欲求」を満たそうとしているということが起こり得るのです。
それと同時に、その自覚なしに「神経症的な欲求」の満足に埋没することで、心身ともにボロボロになってしまいます。
この事についての一例として、マズローは次のように述べています。
『神経症的に権力を求める人間にその望むすべての権力を与えることは、彼の神経症をなおすこともできないし、また彼の権力に対する神経症的な欲求を飽和させることもできない。彼にどんなに多くの食物を与えても、彼はやはり腹をすかせるのである(というのは、彼は本当は別の何かを捜しているからである)。 』
この文章に触れると、「神経症的な欲求」のイメージが掴めたのではないでしょうか。
おそらく、実際にこれと似たような経験をしたことがある方は少なくないでしょうし、テレビドラマや映画、あるいは漫画やアニメや小説などにも、マズローの語る「神経症的な欲求」」に囚われたようなキャラクターは結構よく登場していますよね。
権力を求めている人物が、実は権力ではなく他者からの承認や心身の安全を求めているというケースや、それを神経症的とも言える程に渇望している描写はさまざまな物語に見つけることができると思います。
そして、これは権力を求めることだけに当てはまることではないということも、お分かりですよね。
人によっては、お腹を満たすことが食欲を満たすためではなく、安心感などといったもっと別の欲求を満たすことが目的になっていることもあるでしょう。
そして、この欲求が過度に暴走すれば、暴飲暴食に行きつき、それは虚しさや寂しさのような感覚を紛らわすためのものになるのです。
あるいは、抑圧された感情によって神経症的に食欲を満たそうとする場合もあると思います。
いずれにしろ、それは本当の意味での健全な欲求満足でないことは明らかですし、結果的に心と体を不健康にすることは言うまでもありません。
しかも、この事の問題点が、自分のその欲求が「神経症的な欲求」であるという事に本人が気付けていないということです。
それにも関わらず、表面的な形での欲求満足に邁進してしまうのです。
それはさながら、穴が空いた器に水を注ぐようなものです。
本当に満たしたい器は別の器なのにも関わらず、そうと気付かずに永遠に満ちることない器に水をそぞぎ続ける人生は、非常にツラいものであるということは想像に難くないと思います。
しかし、こういったことは意外と自分の身近に溢れているように思えますし、なんなら自分自身が過去や現在この「神経症的な欲求」に憑りつかれていた経験があるという方も少なくないのではないでしょうか。
もしくは、過度な物欲や承認欲求も、この「神経症的な欲求」である場合があるでしょう。
人によっては、性欲や所属の欲求がこれに該当する方もいるかもしれません。
あるいは、家族やパートナーへの愛情が実は「神経症的な欲求」にすり替わっていたというパターンも珍しくない気もします。
そして、その詳細がどのようなものであれ、これらは依存や執着に繋がることで、いともたやすくそのドロ沼にハマり込んでしまいます。
むろん、すでにお気づきのように、この「神経症的な欲求」は生理的欲求に限った話ではないものの、心の欠乏感から食欲が過度にはたらいたり、あるいは恐怖心から睡眠欲が暴走したり、虚無感が性欲と結びついて問題を起こしたりするケースは往々にして目にする事例ですよね。
また、このことは前述した「水路」の話や「食べることは栄養摂取だけが目的ではない」という事とも繋がっている内容です。
すなわち、僕たちは自分自身の欲求の本当の姿を正確に自覚できていないことが非常に多いのです。
『自分のやりたいことがわからない』
『望みが叶ったのに思ったより嬉しくない』
『自分の欲求と上手に付き合えない』
『いつもどこかで満たされなさを感じている』
こういったことに該当する場合は、特にその傾向が強いと思います。
そして、結果的に自分を見失い、永遠に満たされることのない「神経症的な欲求」の満足に没頭するようになってしまうと、人生が悲惨な出来事でいっぱいになってしまうのです。
だからこそ、生理的欲求も含め、欲求について正しく理解した上で、自分の欲求としっかり向き合い、その姿を性格に捉え、健全な形で満たしてあげる必要があるんですね。
そして、ここまで見てきたように僕たちに備わる「欲求」というものは本当に奥が深く、それ故に、マズローは心理学者として人々の心を健康に導くためのキーポイントとして「欲求」に着目していたのです。
これらの事も踏まえて、最後にまとめの結論を言うと、マズローの語る「欲求論」を参考にしながら自分の心を正しく満たしてあげることで、僕たちの心身は本当の健康をとり戻すことができ、自分が本当に望んでいる人生を歩むことができるようになるのではないでしょうか。
生理的欲求は、そんな事を理解させてくれる最も基本的なところに存在している、とっても大切な欲求なのですね。
ちなみに、マズローいわく、一般的な生活を送っている現代人の生理的欲求の満足度はおおむね85%程度であるそうなのですが、このような事も踏まえて自分の生理的欲求の満足度を振り返ってみると、何か新しい発見があると思います。
そういった意味でも、自分の生理的欲求についてしっかりと理解し、この欲求を健全に満たしてあげることが、欲求階層全体の満足も含め僕らの人生をより良いものにしてくれるあらゆる道のりの第一歩なのかもしれません。
・生理的欲求は、あらゆる欲求の中で最も基本的な欲求である
・マズローはあえて生理的欲求の具体例の一覧は作らなかったが、少なくとも食欲・性欲・睡眠欲が生理的欲求の代表例であると捉えてよい
・生理的欲求は、他の欲求と密接に結びついている複雑な欲求である
・「神経症的な欲求」に注意しながら生理的欲求を満たすことがポイント
・現代人の生理的欲求の満足度は85%程度が一般的である
・生理的欲求も含め、自分自身の一つ一つの欲求について正しく理解することが、本当に望ましい人生を歩むスタートになる