突然ですが、「高次病」という言葉はご存知でしょうか?
この単語は、マズロー心理学においてもかなりマニアックなワードながら、欲求階層や自己実現をはじめとしたあらゆる概念を理解する上で、実はとても大切なキーポイントとなる言葉でもあります。
一方で、近年はうつ病を筆頭にいわゆる「心の病」や「精神疾患」を患う人も増え、心の健康に関する話題は社会的にも大きな注目を浴びていますよね。
そんな時代において、この「高次病」への理解を深めることは、僕たちにとって「本当の心理的健康とは何なのか」という疑問への答えにもなってくれるものなんです。
今回は、そんな、自己実現への理解を促し尚且つ健全な精神を養う上では是非知っておきたい「高次病」という言葉についてまとめてみました。
もくじ
1.高次病とは?
さて、ここではまず「高次病」という病気の大枠から説明していきたいと思います。
高次病とはいわゆる精神疾患には認定されていないものの、マズローに言わせれば明らかに人間として望ましい精神状態とは言えない状態のことです。
そして、現代社会に生きるほとんどの人が、自分でも知らないうちにこの高次病という状態に陥っているともマズローは語っています。
というもの、欲求階層におけて「欠乏欲求」と分類される「生理的欲求」や「安全の欲求」の不満足による欠乏症状は、空腹や動悸などのような形で分かりやすく認知される一方で、「成長欲求」に分類される「自己実現の欲求」の不満足による症状は認知されにくいからです。
つまり、簡単に言えば、僕たちは「これはマズい!ヤバい!何とかしないと!」という自覚なしに高次病に陥ってしまうということですね。
この高次病の具体的な症状は後述したいと思うのですが、マズローはこの病理のことを様々な表現で言い表しており、たとえば『人間性の萎縮』や『魂の疾患』、あるいは『精神的、哲学的、実存的疾患』といったような表現を使っています。
つまり、僕たち現代人は、日常生活は問題なく送ることができるものの、自分自身のより深い人間性に関する部分においては、自分でも気付かぬうちに健康とは到底言い難い状態になってしまっているのです。
そして自覚がないがゆえに、これを放っておくことで分かりやすい形の精神疾患になることがあるということになります。
また、精神疾患として顕在化しなくとも、何かしらの違和感、心のモヤモヤ、ネガティブな感情、おさえきれない衝動、原因の分からない欠乏感や焦燥感、コントロール不能な不安感や恐怖心といったような状態をもたらすのが、この高次病の特徴です。
もっとも、その度合や頻度は人それぞれですし、場合によってはこれらの感覚を見て見ぬフリをしているケースもあるのですが、いずれにしろ、これにより自分が心の底から本当に望む人生とはかけ離れた日々へと歩みを進めることになります。
それにより、たとえば次に挙げるような気持ちが生じたりします。
「自分のやりたいことが分からない」
「どことなく生きづらさを感じている」
「いつも何となく窮屈感を感じている」
「人生を味わいきっている感じがしない」
「自己否定や自己嫌悪にばかり苛まれる」
もしくは、
「自分の本音や感情と向き合えてない気がする」
「やりがいや生きがい、充実感がほとんどない」
「嫉妬心・敵対心・競争心にもだえそうになる」
「どうしても不信感、懐疑心、孤独感がぬぐえない」
「仕事や人間関係で虚しさやわびしさを感じることが多い」
このような感覚は、自分が高次病にかかっている証拠かもしれません。
つまり、平たく言えば、「うつ病」といったような診断こそ下されないものの、一人の成熟した人間として明らかに不健全な精神状態や、それに伴う仕事や人間関係における諸所の問題に盲目的に囚われてしまっている状態が高次病と言えるでしょう。
マズローは、時代に先駆けこのような高次病を社会的な問題として非常に危険視し、それと同時に僕たちに対して警鐘を鳴らしてくれていたのです。
2.高次病の具体的な症状
先ほどは高次病の全体的な輪郭をお伝えしましたが、マズローはこの高次病についてかなり多くの文面を割き、その具体的な症状を説明してしてくれています。
今回は、その中でもマズローの集大成的な著作と言える『人間性の最高価値』という書籍における、高次病の詳細についての内容を参考にしながら話を進めていきましょう。
マズローは、先ほどの著作のなかで、下記のような箇条書きで高次病の詳細を語ってくれています。
なお、少々文章量が多いのですが、いずれの表現も捨てがたいだけでなく、どの表現に特に心が反応するのかは人それぞれだと思うので、今回はあえてその内容をそのまま丸っと引用させていただきました。
中には少し難しい表現もあるのですが、できたら下記内容の全てをしっかりと目で追っていただければと思います。
一般的な高次病理
疎外。
社会的無秩序。
無快楽。
生きがいの喪失。
無意味感。
楽しむ能力の欠如、無関心。
退屈、けん怠。
人生が、真に価値のある自己確認的なものでなくなる。
実存主義的空虚さ。
心因性神経症。
哲学的な危機。
無感動、あきらめ、宿命論。
無価値感。
人生の非聖化。
精神の病気および危機、「乾燥」「不毛」、生気を失う。
価値論的な憂うつ。
死への願望、生きる意志の放棄、死を問題にしない。
無用な、不必要な、問題とならないものとして存在している意識、非能率。
失望、無感覚、敗北、努力の停止、屈伏。
何もかも決まっているという感じ、無力感、自由な意志のまったくない感じ。
つきつめた懐疑、いったい価値のあるものがあるのだろうか、問題になることがあるのだろうか、という問い。
絶望、苦悩。
喜びの喪失。
不毛。
冷笑、すべての高次価値に対する不信、信頼の欠如、あるいは還元的な解決。
高次元の不満。
「目的のない」破壊、反感、芸術破壊行為。年長者や両親、権威、すべての社会からの疎外。
以上のような状態・感覚・症状をもたらすのが高次病になります。
おそらく、きっと多くの方が全てとは言わずとも、いくつかの単語や表現に思わずビビっと反応したのではないでしょうか。
中には、半分以上の内容に自分が該当していると思われた方もいると思います。
ちなみに、僕自身は最初にこの文章に出会ったときは9割以上の表現が自分のことを言っているような気がしました(笑)
(しかも、残りの1割は言葉の意味が難しくて理解できないだけでした…笑)
さて、少し話が逸れてしまいましたが、冗談抜きにこれはなかなかにしてパンチ力のある内容だと思いますし、個人的には社会において見受けられるあらゆる問題の根底にこういった高次病の存在があるような気さえしてしまいます。
その証拠と言ってはなんですが、実際、普段からこれらを背景にしたと思われるようなニュースで流れる悲惨な事件・事故や、心苦しくなるような報道、あるいは気持ちを暗くする内容の記事は少なくないですよね。
その規模感や自分との関係性の濃淡はあるものの、政治・経済・ビジネス・国際情勢・環境問題・時事問題・文化・芸能などといったジャンルに限らず、ほとんどの分野における問題の根底に高次病の存在が佇んでいるように思います。
なおかつ、そのようなスケール感の話でなくとも、もっと自分の身近な問題においても、先ほどの引用文にあったような高次病がその根底に潜んでいることも往々にしてあると思います。
仕事上の不満や、職場の人間関係におけるストレス、家族間・親子間のイザコザや不仲、恋愛や友情に関する対立や不調和、あるいはお金に関する恐怖や不自由さなど、自分の幸不幸と直結している物事においても、僕たちは自分でも知らぬ間に高次病の影響を受けていると言えるでしょう。
むしろ、こういった高次病とはまったく無縁でいられるという人の方が、残念ながら圧倒的に少ないと思います。
だからこそ、マズローは心理学者としてこの問題に真正面から取り組み、その対個人・対社会という両方の側面からの対処・解決に心血を注いでいたのです。
ではいったい、どうして多くの現代人が、このような高次病に陥ってしまうのでしょうか。
3.高次病になる原因
ここでは結論だけ言うと、マズローは高次病になる主な原因として様々な角度から説明をしてくれているので、一言で「原因はこれだ!」とは実は言うことができません。
もっとも、その一部として挙げられるものに、「不健全な社会構造・システム」「既存の会社経営に見られる根本的な矛盾」「メディアによる広告洗脳」「過った目的意識をもつ学校教育・家庭教育」などや、あるいは「宗教・科学などにおける歴史的な背景」「個々人に備わる恐怖心」「大多数の人々がもつ対立的な世界観」などがあります。
いずれにしろ、これらを含めた様々な要素が複合的に絡み合い、社会全体としての高次病を生み出してしまっているのです。
したがって、どれか一つへ対処するだけでは何も解決しないとさえ言えるでしょう。
しかし、だからといってマズローはそこで匙を投げるようなことはもちろんしませんでした。
そして、現実的でなおかつ僕たち一人一人が個人レベルでできる解決策を教えてくれているのです。
もっとも、その内容も決して一つの視点からだけではなく色々な観点からアドバイスをしてくれており、それらについて一つ一つ深く掘り下げることはこのコラム内では到底収まりきらない量なので、今回はその中で比較的分かりやすいものを一つだけ取り上げて紐解いてみたいと思います。
4.高次病からの回復方法
さて、僕たちは高次病にかかった場合どのようにしてそこから回復したらいいのでしょうか。
あるいは、そもそもの段階で高次病に陥らないためにはどうするのが望ましいのでしょうか。
実は、その有力な答えこそ、何を隠そうかの有名な「欲求階層」と「自己実現」の話なんです。
ここではその結論だけ言うと、僕たちは、欲求階層上における自分自身の基本的欲求を一つ一つ健全なかたちで正しく満たし、真の意味での自己実現を生きることで、高次病から解放され、また高次病の再発を防止することができます。
平たく言えば、高次病と無縁の人生を送るには、マズローの語る欲求階層論と自己実現論の内容を正しく理解したうえで、それを自分の人生に落とし込み実践することが何より大切だということです。
というか、マズローは欲求階層と自己実現の研究を進める中で、現代人が真の欲求満足と自己実現とは対照的な状態に陥っていることに気づき、それを説明するために高次病の概念を打ち立てたと言った方が正しいと思います。
つまり、逆に言えば、欲求階層上の基本的欲求がしっかりと満たされおらず自己実現を生きられないことが、高次病をはじめとした多くの心の病気をもたらすのです。
ちなみに、このような意味でマズローは欲求階層上において「自己実現の欲求」を含めた上位に位置する欲求を「高次欲求」と呼んでおり、同じ「高次」という熟語を使いこの欲求が満たされないこと指し「高次病」と名付けていました。
また、この高次病状態の不健康な心の持ち主とは対照的とも言えるこの上なく理想的な健康状態の心の持ち主たちをマズローは「自己実現者」と呼び、自己実現者たちが追求する「人間にとって本質的・究極的に価値のあるもの」に「B価値」という名前をつけていました。
言い換えれば、僕たち現代人の多くが、自分が本質的に追い求めるべき物事を見誤っており、表面的でインスタントな満足や事象にだけ囚われ、それゆえにその結果として高次病という状態に陥ってしまっているのです。
なお、このことをマズロー自身は、先ほど引用した高次病の具体例の箇条書き続きで、次のような表現で語ってくれています。
『要約するとーこうした病気や、あるいは阻害(高次欲求の満足の阻止からくる)が、実際、完全な人間性や人間の可能性を萎縮するものであることを認め、B価値の満足ないし実行が、人間の可能性を高め実現することに同意するならば、明らかに、これらの本質的かつ究極的な価値を、基本的欲求と同じ研究の領域、同じ階層において、本能的な欲求とみなすことができる。この高次欲求は、それらを基本的欲求から区別する、一定の特別な性質をもっているが、しかもなお、たとえばビタミンCやカルシウムを求める欲求と同じ研究の領域にあるのである。』
つまり、「自己実現の欲求」や「B価値の満足」などを含めた高次欲求は、ある点においてはそれ以外の欲求と区別すべき特殊な欲求であるものの、心の健康を保つ側面があるという意味においては、それは心の栄養源として同じ働きをするものだということです。
言い換えれば、体の健康維持や増進にビタミンCやカルシウムといった栄養素が欠かせず、これらが不足すると身体的な病気になるのと同じように、「自己実現の欲求」以外の基本的欲求と「自己実現の欲求」を含めた高次欲求との両方ともの満足が、心の健康維持・増進に必要不可欠なのだと言うことです。
こういった意味で、マズロー心理学における基本でありその根幹にも据えられている「欲求階層」と「自己実現」の両者の内容をしっかりと吸収し自分の人生に取り入れることが、僕たちの心を真の意味で健康にし、高次病からの解放へと結びついているということになります。
この内容はマズロー心理学を理解する上で非常に重要なキーポイントであるだけでなく、現代における多くの社会的問題や個人内の問題の解決にとても役立つ話であるにも関わらず、残念ながら一般的にはほとんど知られていない内容です。
そういった意味では、今回のコラムの話はマズローの語る多くの主張の中でもなかなか出会うことができないレア話に触れる貴重な機会になったのかなと思うので、是非ともこのチャンスを活かして、自分の心の健康としっかりと向き合い、本来の自分が望んでいた人間としての本質的な欲求を思い出し、その満足へと邁進する一歩を踏み出していただければと思います。
ちなみに、最後にオマケ話を一つすると、僕たちは意外と、自分の本当の欲求・願望というのを知らなかったりします。
言い換えれば、自分がアタマで考えている「これがしたい!」「こうなりたい!」という願いは、もしかしたら借り物だったり偽物だったりするかもしれないということです。
そんなことも頭の片隅に置きながら自分とゆっくり向き合う時間を過ごしてみると、これまでとは違った世界観や新しい自己イメージが開けてくると思いますよ。