自己実現の内容は色々なところで語られていますが、実はマズロー自身が自己実現の研究対象として選んだ具体的な人物の名前を挙げていたのはご存じでしょうか?
しかも、そのリストに選ばれた人物というのは、日本人でも知っている偉人・著名人が多く含まれています。
彼らは言うなれば、自己実現を実際に生きている代表例とも言える人々。
今回はそんな、「自己実現の欲求」に辿り着いたとマズローが認めた人物をご紹介したいと思います。
1.自己実現の調査の選考基準
さて、まずは実際に具体的な人物を知る上で彼らについての理解を深めるためにも、どうして彼らが選ばれたのかを先にサクッとだけ把握しておきましょう。
そのようにして基礎知識の下地をつくっておくことで、ベストな状態で彼らについて理解することができ、具体例の名前を知ったときにより味わい深く感じられます。
では、肝心の自己実現の調査の具体的な選考基準はどのようなものだったのかと言うと、その被験者を選ぶ基準として、マズローは『負の基準』と『正の基準』の両方の面から吟味したと述べています。
まず一つ目の負の基準とは、神経症、精神病質、 精神病、またはそのような強い傾向のいずれにも当てはまらないという基準です。
もう一方の正の基準とは、才能や能力、潜在能力などを十分に用い、 また開拓していることという基準でした。
これはすなわち、自分たちに可能な最も完全な成長を遂げている人、 または遂げつつある人とも言え、マズローいわくニーチェの「汝自身たれ!」に該当するような人であるそうです。
「自己実現の欲求」というのは、平たく言えば「自分らしくありたい!」「自分の可能性を最大限に発揮したい!」という欲求なので、そう考えると先ほどの二つの基準はこの内容とも一致していますよね。
また、マズローはこの基準に該当する人について『人間性の心理学』という著書の中で次のような点にも注目したと述べています。
『過去あるいは現在において、安全や所属、愛、尊敬、自己尊重などを求める基本的な欲求と、知識や理解を求める認知的な欲求が満たされていること、あるいはわずかではあるが、このような欲求が克服されていること、のどちらかを意味している。』
つまり、被験者たちに共通していることは、マズローの唱えた「欲求階層」における自己実現の欲求より下位に位置する基本的欲求が満たされているか、あるいはそのケースは実際少ないものの、欲求満足はしていなくともその不満状態を克服する耐性を身に付けていることだということですね。
ちなみに、マズロー自身が欲求階層の満足順位にはイレギュラーがあり、下位の欲求が満足されていなくとも自己実現の欲求が優勢になっている人も確かに存在していると述べていたことはあまり知られていない事実だったりもします。
このイレギュラーパターンについては、こちらの別のコラムでまとめているので、このコラムを読んだ後にその内容に触れてみると、この後で紹介する被験者たちが選ばれた理由がより一層腑に落ちると思います。
話が逸れてしまいましたが、実は先ほどのような選考基準には続きがあり、マズローはこのことについて更に詳細に述べてくれています。
『すなわち、被験者のすべてが安全であり安心していられる、承認されている、愛され愛している、尊敬に値し尊敬されていると感じているということ、そして、自分たちの哲学的・宗教的・価値論的な立場をつくりあげているということなのである。』
この文章は、後半部分が特に注目したいポイントでしょう。
ここでマズローが述べていることは、ただ単に下位の欲求が満たされているだけでなく、被験者たちはみな同様にそれぞれの独自の価値観をもっていて、それは哲学的であったり宗教的であったりするということです。
つまり、平たく言えば、彼らは自分のオリジナルな考え方を持ち人生を歩んでおり、別の言葉で言えば明確な自分軸をしっかりと確立していたということになります。
実際、マズローはこれとは別のところで自己実現している人の特徴を整理してくれているのですが、そのなかにも「社会や他者に依存せずに自立的であること」というのが含まれています。
むしろ、本当の意味で自分の自己実現の欲求に忠実に従い、「自分らしさ」を健全に生き切っているのであれば、借り物・まがい物・偽物の価値観などは持ちようがないのだと思います。
言い換えれば、自己実現の欲求以外の欲求満足が自分の価値観を形成する揺るぎない土台になっているからこそ、ブレることのない自己実現へと彼らは突き進んでいけるのでしょうね。
さて、このような選考基準で選ばれた被験者たちですが、マズローは実際の選考にあたっていくつかの注意点も述べています。
一つ目の注意点は、調査対象に選んだ人が実際にその時代に生きていた人物であったため一部の被験者の具体的な名前は公表できないということです。
要するに、いまで言う個人情報やプライバシーの問題により、実名は明かせない人がいたということですね。
その上で、そのことを踏まえた二つ目の注意点が、そのリストには主に歴史上の有名人や偉人が選ばれているという点です。
このため、マズローが実際に選んだ人々はやや年齢層が高い傾向にあるとも述べていました。
また、これらを考慮してこの欠点を補完するために、マズローが一般的な子どもを研究することで部分的な補足ができると考えていたことも忘れてはならないポイントでしょう。
というのも、マズローは自己実現を果たす上で大切なことに「子供らしさ」「無邪気さ」「天真爛漫さ」「遊び心」という要素を挙げており、そのため幼い子供たちに関する記述を非常に多く残しているんですよね。
いずれにしろ、このような事柄を総合的に配慮しながら慎重に選ばれたのが、この後で紹介する人物たちになります。
それでは、こういった内容を踏まえた上で選ばれた「自己実現の模範生」とも言える具体的な人々を実際に見ていきましょう。
ちなみに、これまでの話を参考にして自分で「もしかしてアノ人かな?」と予想を立ててからこの後の実例を知ると、より楽しみながら内容を吸収できると思いますよ(笑)
2.自己実現の調査に選ばれた人物
マズローによって選ばれた被験者は、大きく分けて三つに分類され、①症例、②部分的症例、③潜在的もしくは可能性のある症例、の三種類です。
そしてその人数は、①症例が9名、②部分的症例が5名、③潜在的もしくは可能性のある症例が37名の合計51名になります。
もっとも、その中には、ほぼ無名の人物や、先ほども触れた名前を公表できない人物も含まれているので今回ご紹介できるのはそのうちの5名になります。
実際、「②部分的症例」については、マズロー自身がこの項目について『現代人で、 確かにかなり不十分なところはあるのだが、 それでも研究に使える者』と説明しているものの、実在人物であるが故にその名前は明かしてはいません。
また、これらの実際の選考も含め、自己実現の研究における様々な現象や事柄については、『量的に示すことは不可能である』とマズローは述べており、ある意味での『印象』に頼らざるを得ない性質のものであることも正直に述べています。
これらの内容も考慮しながら、実際の人物名と彼らがどのような人物だったのかを見ていきましょう。
①エイブラハム・リンカーン(1809年~1865年)
マズローは、自己実現の調査対象の一人目に、かの有名なリンカーンを挙げていました。
少々意外な人物だったでしょうか?(笑)
改めての説明は不要かもしれませんが、リンカーンは第16代アメリカ合衆国大統領を務めた共和党所属の政治家・弁護士です。
リンカーンは、「歴代アメリカ合衆国大統領のランキング」において「もっとも偉大な大統領」の一人に選ばれるほどの国民的なスターとも言える人気者で、「偉大な解放者」や「奴隷解放の父」と呼ばれることもあり、「人民の人民による人民のための政治」というフレーズは日本においても有名ですよね。
実は、マズローは、自身の書籍の中でも自己実現の話題の際に頻繁に具体例としてリンカーンの名前を出しているんです。
しかも、正確にカウントしたわけではありませんが、おそらくマズロー著書の自己実現に関する逸話として最も多く取りあげられている歴史上の人物だと思います。
②アルベルト・アインシュタイン(1879年~1955年)
自己実現の被験者の二番目に紹介するのも、言わずと知れた著名人であるアインシュタインです。
アインシュタインは、ドイツ生まれの理論物理学者で、日本でも知らない人はまずいないと思います。
特殊相対性理論および一般相対性理論をはじめ多くの業績を残した人物であり、「二十世紀最高の物理学者」とも評される人物です。
その人柄もかなり個性的で、おどけた顔で舌を出した顔写真は有名ですよね。
マズロー著書のなかでも、アインシュタインに触れた記述は何度か登場します。
また、アインシュタインは非常に示唆に富んだ数多くの名言を残していることでも有名ですが、それらの名言にも確かに自己実現と一致する内容や、マズローの語る自己実現への理解を深めてくれるものがあります。
なお、あまたの名言の中でも、「アインシュタインの問題解決に関するとある名言」と自己実現との共通点についてはこちらの別のコラムでまとめているので、よろしければ後で読んでみて下さいね。
③ウィリアム・ジェームズ(1842年~1910年)
ウィリアム・ジェームズはあまり日本では認知度が高くないかもしれませんが、彼はアメリカ合衆国の哲学者・心理学者で、プラグマティスト(実用主義、道具主義、実際主義)の代表としても有名な人物です。
アメリカで初めて心理実験室を創設し、「アメリカ最大の心理学者」と評価されている人物でもありますね。
日本においても、哲学者の西田幾多郎や、「吾輩は猫である」などで有名な夏目漱石らも彼の影響を受けているとされています。
なお、ジェームズもアインシュタインらと同様に多くの名言を残していますが、特に次のような言葉はまさにマズローの語る自己実現と同じ世界観で語られているものだと思います。
われわれの持つ可能性に比べると、
現実のわれわれは、
まだその半分の完成度にも達していない。
われわれは、肉体的・精神的資質の、
ごく一部分しか活用していないのだ。
概して言えば、人間は、自分の限界よりも、
ずっと狭い範囲内で生きているにすぎず、
いろいろな能力を使いこなせないままに、
放置しているのである。
やはり似たような価値観をもっているがゆえに、ある意味ではジェームズが自己実現の調査対象に選ばれたのは必然だったのかもしれませんね。
④ピエール・ルノワール(1841年~1919年)
フランスの画家であるピエール・ルノワールは、美術に詳しくなくてもその名を見聞きしたことがある人は多いと思います。
「ルノワール」と「印象派」という二つの単語のセットで語られることが多いですね。
マズローは、自己実現における重要なポイントの一つに「創造性」というものを挙げており、そのためマズローは心理学者であるにも関わらず、芸術やアートというジャンルにも精通していたのは意外と知られていないことです。
この背景にあったマズローの一つの考えに、自身も含めた科学者という存在は往々にして特有の盲目性をもっている上に、自分が知識人であり知らないことはないと思い込む傾向が非常に強いことに警鐘を鳴らしていたことがあります。
それと同時に、マズローはある意味では「非科学的」とも言える絵画・音楽・美術などのようないわゆる芸術・文化的な仕事に就いている人々を大変尊敬していました。
そのため、マズローはその飽くなき探求心から、人間の心についての真実を追求するためにこういったジャンルにも足を踏み入れることで、心理学的な世界と芸術的な世界を融合しながら人の心理の本当のすがたを解明しようとしていたとも言えます。
その過程で出会った自己実現の象徴の一人が、ルノワールだったのでしょう。
⑤ダーフィト・ヒルベルト(1862年~1943年)
ピックアップされた5名のうちの最後の一人であるダーフィト・ヒルベルトは、ドイツの数学者で「現代数学の父」とも呼ばれる人物です。
ヒルベルトは特に幾何学に関する著作を多く残しており、幾何学というのはある意味で芸術や美術的な要素が強いものという意味では、先ほどのルノワールの話と同様にマズロー心理学との親和性も高いと言えるでしょう。
また、先ほど触れた、マズローが心理学以外の分野に精通していたことも垣間見える選出だと思います。
僕自身は特に数学に詳しいわけではないのでその偉大さは計りかねますが、それでもネットで少し検索するだけで彼の業績の多さやそれに対する評価がいかに高いかはスグに分かると思います。
ちなみに、ヒルベルトはかの有名なGoogleともゆかりがあり、ある専門家によるとGoogleの社名の由来を生んだ「エドワード・カスナー」という数学者の大学時代の担当教諭が、何を隠そうこのヒルベルトだったそう。
そういう意味では、ヒルベルトがいなければGoogleはもっと別の企業名だったり、これほどまでの世界的な大企業になっていなかったと言うのは、さすがに言い過ぎでしょうか(笑)
まとめ
さてさて、以上がマズローが実際に挙げていた自己実現の調査対象に選ばれた5名の人物たちです。
ちなみに、ここで触れた以外の人物たちは、植物学者であったり、数学者、詩人、社会運動家、建築家、土木学者、経済学者、写真家、ジャーナリストなどでした。
つまり、マズローが選んだ調査対象は、一定の偏りは見られるものの国籍・社会的地位・専門とする分野・残した業績の種類などを問わず、自己実現の模範として適していると思われた人物たちのなかで、マズロー自身もある程度の資料が集められたと思われる人々が並んでいます。
なお、これらの人物は、その経歴・歴史的偉業・それにまつわるエピソードなどは、ネットで調べれば多くの情報を集めることができ、また、彼ら自身が残したいくつかの本や作品は現代においても手に入れることができるものあるので、そのような作品に触れることを通しても、マズローが考える自己実現への理解を深めることができますよ。
そして、ここで最後に、マズローが語っている大事な注意事項をひとつ。
それは、冒頭で引用した選出基準の続きで語られている、その基準の信憑性に関するものです。
事実だけ言えば、マズローは先ほどの選出基準についても完璧だとは思っていませんでした。
具体的には、基本的欲求の満足という基準が、それだけで十分なものなのか、または単に自己実現の前提条件にすぎないのかは今なお未解決の疑問であると正直に明かしてくれています。
また、この内容が書かれている『人間性の心理学』は、マズローが心理学者として活躍し出した初期のタイミングで発行されたものであり、その後もマズローは自身の研究を次々とブラッシュアップしており、その内容はどんどん洗練されています。
実際、『人間性の心理学』が出版されてからマズローの最後の遺作となった『人間性の最高価値』が出版されるまでには、実に17年もの歳月が流れています。
そういった意味では、このコラムでの内容はもちろん、マズローが提供してくれているたくさんの自己実現に関する情報や研究結果やその考察に触れながら、それを自分自身の人生に落とし込みしっかり実践することで、僕たちは自分らしい自己実現を生きることができるのでしょう。
また、これもほとんど巷では知られていないことですが、マズローは仕事以外の家事や育児における自己実現の実例も挙げてくれています。
これは、ある種の「自己実現の女性的な側面」とも言え、その内容の詳細はこちらのコラムに書いていますが、こういった内容にも触れながら自己実現を全体的に網羅することで、僕たちは仕事とプライベートの両方で自己実現を生きることが可能になるのだと思います。
また、マズローの語る自己実現は、このコラムで紹介したような世界的な偉業を成し遂げたり社会に対して大きな影響を与えることだけではありません。
もっと身近な、等身大のスケール感における自己実現だってもちろんあります。
むしろ、僕も含めほとんどの人々にとっての自己実現とは、自分と関りのある人々との関係性のなかで創り上げていくものではないでしょうか。
したがって、ここでピックアップされた人々はあくまでも一つの参考事例と捉えていただき、その上でご自身のリアリティのある世界観において、その内容を活かしていただければと思います。
なお、今回ご紹介させていただいた自己実現の調査内容の詳細などは、電子書籍『マズローの自己実現~ありのままの自分を謳歌する~』に書かせていただいているので、よろしければこちらもお手に取ってみて下さいね。