このコラムは、Amazonで販売中のkindle電子書籍 『なぜウツになる人とならない人がいるのか~マズローが教える心の健康法~』の内容の一部を、チョコっとだけご紹介させていただいてるものになります。
マズローは、心の健康という側面から「所属と愛の欲求」の満足における注意点について語ってくれていたので、今回のコラムではその内容を紹介させていただければと思います。
結論から言うと、「所属と愛の欲求」を満たすためには、「社会に必要とされている」ということを感じられるかどうかが大事であるとマズローは考えていました。
もっとも、それは会社でもいいですし家庭内でも構いません。
要するに、それらのコミュニティにおいて、自分には価値があると思えていたり、大切だと思えるものと一体化している感覚をもつことが大事だということです。
たとえば、子どもを育てているお母さんは、ある種の使命感や責任感をもっていますよね。
「この子がいるから私がちゃんとしなきゃ!」であったり、「この子のために何とか生き伸びないと!」といったような気持ちと言ったらいいでしょうか。
それはどのようなコミュニティ内においても構わないのですが、要するに、いわゆる「有用感」とも言うべき、「自分は誰かに必要とされている」ということを実感することは「所属と愛の欲求」を満たす一つの有効な方法なんです。
これが会社であれば、「責任ある仕事を任されている!」ということや「部下の育成を担っている!」「上司に信頼されている!」ということだったり、あるいは「自分の仕事が顧客の役に立っている!」という実感が持てているかどうかということですね。
このような例でなくとも、実際僕たちは会社であれ家庭であれ、あるいは地元の友達や学生時代の友人、趣味・プライベートにおけるコミュニティ内での繋がりであれ、社会に何か一つでも自分の居場所があれば、いわゆる所属感や一体感は感じられますよね。
それを仮に意識はしていない無意識下におけるものであっても、そのような繋がりのなかで僕たちは「自分は他人に必要とされている」ということを実感しています。
しかし、口で言うのは簡単なことですが、人によってはこれは意外と大変なことだったりもしますよね。
特に近年は、なかなか他人に必要とされていると感じにくい社会になっているもの事実としてあると思います。
人とのつながりが希薄なってきていると言われて久しい昨今、それが事実であれ良し悪しはどうであれ、他者との結びつきは意識的に目を向けようとしたり、積極的にそれを作り出したり維持しようとしなければ感じづらくなっているのが現代であると言えるのではないでしょうか。
ちなみに、参考までに僕の場合は、これとは逆に「自分は誰かを必要としている」ということを実感することで他者との繋がりを意識できて少し気持ちが楽になったりもしました。
自分が誰かを必要としているから、その誰かは自分が他人に必要とされているということを感じられますよね。
そう考えると、自分が特定の相手を必要とすることは、その相手の「必要とされてたい」という気持ちを満たしてあげることにもなるんです。
平たく言えば、相手に何か頼み事したり、迷惑にならない範囲内で少し甘えてみたり、あるいは相手からの厚意を素直に受け取ったりすることは、相手の「必要とされたい」という気持ちを満たしてあげることに繋がっているということです。
そのようなかたちで僕たちはお互いに「必要としあっている」ということに気づくことでも、互いのその欲求は意外と簡単に満たし合えるような気もします。
また、その関係性で考えると、「繋がり」であったり「与え合い」といったような事は、無理なく自然と感じられたりもしますしね。
実際、個人的な枠組みや「私」という一人称の視点を超えたスケール感での社会の成り立ちや命の繋がりをちゃんと捉えることができれば、他者を必要としない人なんて一人もいやしないということは、すんなり腑に落ちてくることのようにも思えます。
それを頭で考えるだけではなく、体感としてしっくりと感じられることができれば、僕たちはいわゆる孤独感といったものとも、もっと上手に向き合えるのではないでしょうか。
言わずもがな、誰かを必要としている者同士で成り立つのが社会ですからね。
ちなみに、マズローは「所属と愛の欲求」から「愛の欲求」だけ切り分けて説明することも多いのですが、この欲求についても同じことが言えます。
マズローは、この「愛の欲求」については単刀直入に、心が健康な人は愛の欲求が満たされていると言い切っています。
もちろん、愛の欲求が満たされていても心が不健康な人はいるのですが、マズローが「真の健康な心の持ち主」と認めた人たちは、みな一様にこの欲求がちゃんと満たされていたのです。
更に特筆すべきことが、心理的に健康な人は愛の欲求が満たされているがゆえに結果的に他者からの愛情をそれほど求めないということです。
逆に言えば、愛の欲求を満足させたいと思っている人は、やはり心が健康とは言えないということなんですね。
なぜなら、自分の愛の欲求がしっかりと満たされているからこそ、心が健康な人は相手を本質的な意味で愛することもできるし、相手からも愛されるようになるからです。
なんだか、少し禅問答のような哲学的な難しい話になってきてしまったでしょうか(笑)
いずれにしろ、結局のところ、ここで大切なことは、まず自分から愛することがスタートということなんだと思います。
「愛されたい」という悲痛な叫び声をあげる前に相手を愛すること、また、それ以前に大前提としてまず自分が自分を愛してあげているのかということが一番のキモになってくるのでしょう。
なお、これは真の「尊重の欲求」の満足にも通じる話でもあったりまします。
また、マズローは、そもそも愛情には二種類あり、自分も他者も愛することができる健康な心の持ち主における愛情を、「存在(Being)」の頭文字をとって「B愛情」と呼んだりもしていました。
この「B愛情」の背景には、彼ら特有の「受容」や「調和」という性質があるのですが、これを話し出すとキリがないので、今回は割愛させていただきますね。
また、これらの補足としてせっかくなので別のプチ情報にも触れておくと、マズローは基本的欲求の一つに「知る欲求」というのを入れて説明することもたまにあるんです。
「知りたい!」「理解したい!」という「知的欲求」とも言えるような欲求も人間にはあり、それも基本的欲求に入れてもいいのではないかという事もマズローは考えていました。
実際、「本当のことを知りたい!」「もっとたくさんのことを知りたい!」というような気持ちは、程度の差や興味の対象こそ違えど人間なら誰しもに存在しますよね。
またこの他にも、マズローは僕たちに存在している美しさを求める欲求や美しいものに囲まれていたいという欲求を「審美的欲求」と呼び、それを基本的欲求に含めて説明することもあったりします。
「美しくなりたい!」という欲求も、程度の差はあれど誰しもが共通してもっている欲求だと思いますし、少なくとも自分が醜いと感じるものに囲まれていたいという人は一人もいないですよね(笑)
そういう意味でも、基本的欲求に何を含めるかもマズローは本当に色々な角度から考えていたんです。
「美しくなりたい」という欲求が「所属や愛の欲求」に結びついている人もいるでしょうし、「知りたい」という欲求が「安全の欲求」から生じている場合もあるでしょう。
つまるところ、結局こういう事も含めて考えだすと欲求の分類方法はキリがないですし、マズローの話の揚げ足を取ったり矛盾を指摘して批判することも実は簡単なことなんですよね。
もっとも、このような事もあって、マズロー自身は「欲求を五個に分類すること」に対しては実はそれ程こだわってなかったようです。
ちなみに、この「知りたい!」という欲求と一緒に、人間には「知られたい!」という欲求もあるともマズローは話してます。
だからこそ、相手に自分を知ってもらうことや、自分を正しく理解してもらうことは僕たちにとって気持ちの良いことですし、しかもマズローはこの欲求が満たされることは精神療法的なものであるとも言っているです。
たとえば、好意を抱いている人物に対して抱く「自分に興味持ってほしい!」「自分のことをもっとちゃんと知って欲しい!」という気持ちは、この欲求の分かりやすい例だと思います。
あるいは、これとは逆に、相手に自分のことを誤解されてるのが分かると、何かしょげるような悲しい気持ちになりますよね。
場合によっては、「コイツ、俺の事なんも分かってねえ!」ってムカついたりもします(笑)
そういった怒りや悲しい気持ちは、「自分を知ってほしい」「自分のことをちゃんと理解してほしい」という欲求があることの裏返しとも言えるのではないでしょうか。
なぜなら、そういった欲求がなければ、興味を持たれないことや誤解されることに対して不満を感じてネガティブな気持ちが湧くことはないからですね。
こういったことも含めて、マズローが良い人間関係をつくることは心の病の治療にとって良い影響を与えることはもちろん、好ましい人間関係の構築はあらゆる基本的欲求の満足をもたらすと言ってることも、心の健康における非常に大切なポイントだと思います。
なおかつマズローは、僕たちは親子関係や夫婦関係や恋人関係、または友達や仕事仲間などの交友関係から、自分に必要なすべての心の薬を得ることが可能であるとも言ってるんですよね。
このことも踏まえて、最後の結論としてお伝えしたいことは、結局一番大切なことはまずは自分の欲求を自分でちゃんと知ってあげることがスタートになるということです。
少し前にも触れたように、欲求の分類というのも捉え方次第ですし、他の人が見たら「安全の欲求」を満たそうとしている行動に思えても、自分にとっては「尊重の欲求」を満たすための行動だったりもします。
そういう意味でも、忘れてはならないことは、自分のなかにある欲求がマズローの語るどの欲求に属するのかを決めるのは誰か他の人ではないということです。
だからこそ、マズロー自身もあまりそこに関して具体的に明言していないのだと思うんですよね。
マズロー自身が書いた本を読むとよく分かるんですが、マズローは本当に厳格でストイックな性格で、安易に正解を明示したり短絡的に何かを断言することに対して他の学者や知識人と比べてもすごく慎重なんです。
でも、だからこそ色々な視点でもって様々な立場を考慮して真実を追求することを徹底していて、自分がなんでもかんでも知っているわけじゃないという謙虚さを常に忘れていなかったところもスゴク魅力的なんです。
そして、そんなマズローが、「人々の心をもっと健康にしたい!」「本当の意味でより良い人間性とは何かを明らかにしたい!」という気概のもとに生み出したのが、何を隠そう「自己実現」という概念だったんですよね。
実際、5つの基本的欲求を健全に満たして「自己実現の欲求」で生きている人々は心の健康度が非常に高いのですが、その背景には「所属と愛の欲求」も含めたあらゆる欲求を満たす過程で築くことができた、本人にとって望ましい良好な人間関係がありました。
つまり、自分の欲求を正しく知り、満たされてない欲求を一つ一つ満たし欲求階層を上がっていく道のりこそが心の健康度を上げる方法であり、なおかつそれは必然的に理想的な人間関係の構築にもなっているということです。
そのうえで、ありのままの自分らしい可能性を思う存分発揮し続けることが、さらなる心の健康につながっているんですね。
そのためのヒントを、マズローは本当にたくさん教えてくれています。
そのマズローからのギフトをしっかりとキャッチし、それを自分の人生の中で活かすことで、僕たちは真の健康な心の持ち主になることができるのでしょう。
・「所属の欲求」を満たすためには、「社会に必要とされている」ということを感じられるかどうかが大事である
・心が健康な人は、「愛の欲求」が満たされているので他者からの愛情をそれほど求めず、自分から愛を与えることができる
・好ましい人間関係の構築はあらゆる基本的欲求の満足をもたらし、自分に必要なすべての心の薬を得ることを可能にする
・「所属と愛の欲求」も含めた基本的欲求を満たし、欲求階層の「自己実現の欲求」で生きる人々は、自分にとって本当に望ましい人間関係を築くことができている真の健康な心の持ち主である