欲求階層

あいみょん「裸の心」/心の声を聴くってどういうことなの?

自己紹介

 

あいみょんの歌う「裸の心」という楽曲は、僕たちが忘れてしまった、本当に恋するべき相手の存在を思い出させてくれる素敵な曲ですね。

今回は、「自分の素直な気持ちに向き合う」という切り口で、この曲の歌詞が感じさせてくれる、大人になるにつれて忘れてしまった自分の恋心を思い出す方法を紐解いてみたいと思います。

 

 

引用:amazon.co.jp

 

【歌詞引用】
あいみょん「裸の心」
作詞:あいみょん
作曲:あいみょん

 

「裸の心」という曲は、このような歌い出しから始まりますね。

 

いったいこのままいつまで
一人でいるつもりだろう

だんだん自分を憎にくんだり
誰かを羨やんだり

 

僕たちの中には、「一人でいたい!」という気持ちと「誰かと繋がっていたい!」という気持ちの、二つの相対する気持ちが存在しています。

あるいは、「特別でいたい・個性的でありたい」という欲求と、「フツーでいたい・凡庸でいたい」という欲求をもっていると言っても良いと思います。

自分ではこの二つの気持ちに意識的に気付いていなかったとしても、こういった真逆のベクトルの間に挟まれて葛藤していることは珍しくありません。

むしろ、その葛藤や苦悩がツライがゆえに、どちらか一方を無視しまっていることもあったりします。

 

いずれにしろ、マズローは、この「個性的でありたい!自分らしく生きたい!」という欲求を「自己実現の欲求」と呼び、もう一方の「誰かと繋がっていたい!」という欲求を「所属と愛の欲求」と呼んでいました。

そして、この二つの欲求を調和させ自分らしさを最大限に発揮しつつも、それを自分の周りにいる人と共有しながら生きる人生を「自己実現」と呼んでいました。

 

自己実現を生きている人は、自分のなかにある「所属と愛の欲求」と「自己実現の欲求」と真正面から向き合い、それらをしっかりと満足させることで、豊かな喜びで溢れる人生を生きています。

これとは逆に、自分の本当の気持ちを無視して素直な欲求を聞き入れないと、僕たちの心は栄養不足になってしまい、憎しみや嫉妬や自他への不信感などの生きづらさを抱えながら生きることになってしまいます。

 

いつかいつかと
言い聞かせながら
今日まで沢山たくさん愛してきた

そして今も

 

僕たちは、いまここで何かを選択すること避けがちです。

つまり、決断することを先延ばしにしようとするのですね。

それは、大抵の場合、責任をとる恐怖心によるものです。

自分の意志で決断したことで、望ましくない結果がもたらされその責任をとるのが怖くて、選ぶことを放棄してしまいます。

 

しかし、「いつか…いつか…」と言いながら選ぶことから逃げている人は、そのいつかが来たとしても、そのときにも「いつか…いつかね…」と言い続けてしまいます。

自分が本当に望んでいる人生を堪能しきっている人というのは、「いま」においていまを生き切っている人です。

彼らには、「いつか」という概念はほとんど意味を持ちません。

なぜなら、それついて考えても自分の人生を生きることにはならないということを知っているからですね。

だからこそ、自分らしい自己実現を果たしている人たちは、いまを大事にし、いまと全力で向き合い、いまを受け容れ、いまここに存在しているありのままの自分を愛することで、瞬間瞬間の体験を最高のものにできるのです。

 

この恋が実りますように
少しだけ少しだけ
そう思わせて

今、私恋をしている
裸の心抱かかえて

 

この歌詞にある、私が恋している相手というのをマズロー心理学的な眼鏡をかけて解釈すると、これは「自分の夢」と言い換えることができるものです。

つまり、僕たちが恋をしているのは「自分が本当に望んでいる人生」ということですね。

僕たちは、自分らしい人生を生きることに恋焦がれているのです。

言い換えれば、自分の人生と恋人になりたいのだとも言えるかもしれません。

自分の人生への恋が実るように、自分の人生と両想いになれるように、心の奥底ではいつも願っているのです。

忘れたフリをしていても、その恋を実らせることで、自分の毎日が本当に充実してイキイキしてくることを誰しもが心のどこかでは知っているのではないでしょうか。

そして実際、自分の人生と両想いで結ばれた人は、自分らしさでいっぱいの自由な人生を満喫しています。

 

バイバイ愛しの思い出と
私の夢見みがちな憧れ

優しくなれたよ少しね
強くもなれたみたい

 

自分の人生を生きるためには、過去への執着を手放す必要があります。

ときには、自分がいま手にしている大切なものを手放す必要があるかもしれません。

むしろ、そのことを怖がるがゆえに、「いつかいつか」と言っていまを生きようとはしなくなってしまうのです。

 

また、それと同時に、本当に自分らしい人生を生きるためには、憧れを手放す必要もあります。

なぜなら、多くの場合、その憧れというのは今の自分の自己否定に紐づいているからです。

僕たちは、「憧れの自分になることで幸せになれる!」「自分の中にある理想像に近づくことで幸せになれる!」と思って、いまのありのままの自分をぞんざいに扱ってしまうのですね。

 

マズローの語る自己実現とは、「ありのままの自分を謳歌する」という意味であり、それはいまここのそのままの自分を受け容れることで始まります。

頭の中に描いた理想像としての自分ではなく、いま現時点でのリアルな自分を受け容れることで、自分らしい人生は開いていきます。

 

つまり、多くの場合は自分を優れた人間にしてからその自分を受け容れようとするのですが、本当の幸せを生きている人たちは、決して優れてなどいない今の自分を受け容れることがすべての土台になることを知っているのですね。

彼らは、自分を大切にする気持ち、マズローの欲求階層的に言えば、「自己実現の欲求」のすぐ下に据えられている「尊重の欲求」を満たすことで、健全な自尊心を育むことが出来ています。

そして、本質的な自尊心や自己肯定感を内在させ、等身大の自分を受け容れて大事に扱うことで、その先に待っている、ありのままの自分の可能性をどんどん開いていく自己実現という名の人生を歩めるようになるのです。

 

要するに、彼らは多くの場合とは真逆の順序で自分らしい人生を歩むことができるようになったのですね。

むしろ、いまの自分を否定しながら自分らしい人生を歩もうとすることの矛盾に気付いたからこそ、そのような在り方が実現したとも言えるでしょう。

 

いずれにしろ、僕たちは、ありのままの自分を受け容れる優しさと、ありのままの自分を受け容れる強さをもつことで初めて、本当の自分自身を素直に活かすことができるようになるのですね。

 

どんな未来も
受け止めてきたの
今まで沢山夜を越えた

そして今も

 

いまここで選択することで本来の姿で自分を謳歌しているということは、それはすなわちどんな未来をも受け容れるということでもあります。

いまの自分の決断がどんな道に繋がっていようとも、それをすべて受け容れる勇気をもったからこそ、彼らは勇敢な選択ができるのです。

 

もちろん、その勇敢な選択により実際に傷ついてしまうことだってあります。

悲しみに打ちひしがれ枕を涙で濡らすような夜や、不安で眠れない夜もあるでしょう。

しかし、それでもいまを生きることを選び続けてきたからこそ、彼らは自分にとって本当に望ましい人生を歩むことができるようになったのです。

 

この恋の行く先なんて
分からない分からない
ただ想いを

今、私伝えに行くから
裸の心受けとめて

 

少し前に、僕たちは自分らしい人生を生きることに恋をしていると話しましたが、実はこれはもう少し違った見方もできます。

 

僕たちが恋する相手とは、すなわち自分の本当の心の声という意味でもあります。

つまり、自分の心の声に従って生きることに恋焦がれているということですね。

 

自分の心の声をパートナーに選び進む道がどうなるのかは分かりません。

心の声を伴侶に選んだことで、傷つくことだってもちろんあると思います。

だからこそ、僕たちは自分の心の声を粗末に扱い、見て見ぬフリをし、部屋の隅っこに押しやるのですね。

心の声と恋することが怖くて、それと関わらないようにすると言っても良いかもしれません。

 

それでも、その心の声に素直に従うことを本当は多くの人が望んでいるというのもまた事実なのではないでしょうか。

なぜなら、自分の心の声と手を繋いで人生を生きたほうが、楽しくて充実感のある、風通しの良い毎日を過ごすことができることを実は知っているからですね。

その事とちゃんと向き合い、いままで無下に扱っていた心の声を迎えにいき、自分の正直な気持ちを伝えることで、僕たちは本質的な意味で実りの多い日々を送ることができるようになるのでしょう。

 

恋なんてしなきゃよかったと
あの時もあの夜も
思っていたの

今、私また恋をしている
裸の心震わせて

 

ときには、もう一度自分の心の声と恋に落ちありのままの自分を生きることを選んだ道を後悔することもあるでしょう。

こんな悲しくて苦しい思いをするなら、恋なんてしなければよかったと思うこともあると思います。

 

しかし、それでも自分の素直な気持ちには嘘はつけません。

恐怖で震えながらも、自分自身と手を繋いで生きることをもう一度選ぼうとします。

自分が差し伸べる手が震えていてみっともないと感じるかもしれません。

足がガクガクしてきて、まともに歩けないことだってあると思います。

それでも、そんな自分ですら受け容れることで、僕たちは自分の人生に恋をする毎日を生きられるのです。

 

この恋が実りますように
少しだけ少しだけ
そう思わせて

今、私恋をしている
裸の心抱かかえて

 

「自分らしい人生を生きたい」
「ありのままの自分自身を生きたい」
「自分が心の底から本当に望んでいる人生を生きたい」
という気持ちは、人が人として生きるために僕たちに備わってくれている、とても大切な欲求です。

このような気持ちをもつことは、恥ずべきことでもなければ、罪悪感を感じるようなことでもありません。

人としての人生をまっとうするためには、なくてはならない大事な欲求であり、かけがえない存在です。

むしろ、この気持ちを押し殺すと、人間味のない空虚でわびしい、カサカサでガリガリの心で生きることになってしまいます。

 

心が本当の意味で健康な人というのは、潤いで満ちたぷりぷりした新鮮極まりないハートで自己実現という道を歩んでいます。

自分の正直な気持ちに素直に従うことで、彼らの心はこれでもかと言うほど元気いっぱいで、それと同時に、さながら生まれたての赤ちゃんの瞳のように澄み切ってもいます。

 

そしてそれは、ありのままの自分自身と真正面から向き合い、それを条件付けなしで受け容れたがゆえの心の状態です。

まっさらな自分というのが理想像の自分とはかけ離れていても、それを包み込むことで、僕たちは本来の自分そのままの姿でいられるようになります。

 

周りと同じような仮面をつけることも、周囲から褒められるためのドレスを着る必要もありません。

すっぽんぽんの素っ裸の状態で、生きることだってできるのです。

 

自分の心を嘘や否定で塗り固めることをやめ、余計なものをいっさいがっさいそぎ落とすことで、裸の心は見えてきます。

結局のところ、自己実現とは裸の心で生きることなのです。

つまり、大切なのは、理想像として描いたマボロシの自分像を追いかけることから手を放し、いまここの裸の自分をもう一度思い出すことなんですね。

 

言い換えれば、これは「いまの自分に恋をする」ということです。

理由も根拠もなく、いまの素っ裸な自分を受け容れることで、僕たちは自分自身と恋に落ちることができ、自分の心と手をしっかり繋ぎ合い、自分らしい人生を歩めるようになるのでしょう。

 

あいみょんの「裸の心」は、そんなことを切なくも優しい、どこか懐かしさも感じるメロディとともに思い出させてくれる、心にしっとりと染みわたる素敵な名曲ですね。

 

 

 

 

 

※このコラムの内容は、あくまでもマズロー心理学という眼鏡をかけた目で見た個人的な解釈であり、この曲の作り手・歌い手・演者の方々が込めてくれたメッセージの感じ方の一つです。

 

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