超越論

至高体験とは?その意味とマズローが語る実例・方法・条件・落とし穴など

至高体験
自己紹介

 

マズロー心理学における最重要キーワードの一つでもある「至高体験」とは、いったいどのようなものなのでしょうか?

また、至高体験は、自己実現を超えた先にある「超越」というステージと関りの深い内容であると同時に、自己実現から超越へのハシゴのような役割ももっています。

今回は、そんな大切な概念であるにも関わらず、奥深くも謎めいた現象である至高体験について整理してみました。

 

1.至高体験とは何か?

 

マズローは、至高体験についてはかなり多くの記述を残しており、彼の著作における至高体験に関する説明は膨大な文章量になります。

その中でも、『人間性の最高価値』という著書の中にある、「至高体験とは何か?」ということを比較的端的に表現してくれている文章に下記のようなものがあります。

 

至高経験という語は、人間の最良の状態、人生の最も幸福な瞬間、恍惚、歓喜、 至福や最高のよろこびの経験を総括したものである。

 

つまり、至高経験(至高体験)とは、その名の通り、人生における最も幸せな瞬間であり、至高と言うにふさわしいほどの幸福感を感じる体験のことです

平たく言えば、「わたし、いまホントに幸せ!」と言いたくなるような幸せの中でも、もはや言葉にできないくらい、あるいは「幸せ」という言葉ですら物足りないような至福とも言える幸福な感覚を感じる状況・状態・経験を、至高体験と呼ぶのですね。

 

ちなみに、このような経験はもちろん特別な経験であることに違いはないのですが、一方で実を言うと僕たちは誰しもこれと似たような経験をしているともマズローは語っています。

その事例としてマズローが挙げていたものに、運動競技・スポーツでの成功体験や、ダンスの演技中、あるいは何かを集中的に没頭して眺めている瞬間や、大きな気づきや発見・哲学的洞察があったときなどを挙げています。

または、セックスにおける恍惚や、女性の場合は子どもを産むことなどでも至高体験と言える体験をしているとも述べていますね。

これらも踏まえマズローは、至高体験というものは日常の中での素晴らしい経験を最高点にまで到達させたもの、あるいは経験の最深部にまで掘り下げ辿り着いたものと呼ぶこともできると語ります

 

その一方で、いわゆる悲劇的な経験、たとえば死との直面、悲嘆経験と呼べるような不幸な出来事や事件などは時として真実を明らかにしてくれるという点で、 恍惚的な至高経験と似ていると言えるとの考えももっていました。

これは、いわゆる「陰極まって陽になる」という言葉が指し示す至高体験のことであると言えるでしょう。

 

いずれにしろ、至高体験は妄想や幻覚と勘違いされることもありますが、その体験を実際に経験した本人にとっては紛れもない事実です。

また、後ほど詳しく触れますがこの至高体験というものはその性質上言葉では表現しにくい類のものであるということも特徴の一つになりますね。

 

そして、このような前提のもと、実は至高体験が起こりやすい人の条件をマズローは語ってくれていたので、続いてはその事について紐解いていきましょう。

 

2.至高体験が起こりやすい人

至高体験

 

ここではまず結論から言うと、マズローが語った至高体験が起こりやすい人は、下記のような人たちになります。

 

①自己実現している人
②非常に創造的で才能豊かな人
③非常に知的な人
④強固な人格の人
⑤有力で責任のある指導者や管理者
⑥特別善良な(徳の高い)人
⑦逆境を乗り越え人格を強めた英雄的な人
⑧欲求階層における基本的欲求がすべて満足できている人

 

このような人たちが特に至高体験が起こりやすいのですが、言わずもがな、自己実現を生きている人というのは基本的に②~⑧に該当する人になるので、そういった意味では②~⑧は①「自己実現している人」の補足説明と捉えることもできます。

とは言え、実は自己実現していなくても至高体験を経験している人がいるともマズローは語っており、つまるところ、自己実現できていなくても②~⑧のいずれかに該当すれば至高体験が起こりやすいとも言えますね。

 

あるいは、この①~⑦の内容は、マズローが語った自己実現する人たちに共通する15個の特徴の話を至高体験という角度から語りなおした内容とも言えるかもしれません。

いずれにしろ、自己実現する人たちの15個の特徴自体に「至高体験が多いこと」という項目があるだけでなく、自己実現に至る八つの方法としてマズローが語った具体的手段の一つにも至高体験を経験することが挙げられていることを考えれば、至高体験と自己実現は切っても切れない関係性であることは間違いないでしょう

 

なおかつ、自己実現を超えた先にある「超越」というステージにおいても至高体験は重要な位置付けであることも踏まえると、マズロー心理学をしっかり理解して自分らしい人生を思う存分謳歌するためには、至高体験をちゃんと自分事に落とし込むことは必須条件であるとすら言える気もします

いずれにしろ、冒頭でも触れたように、至高体験が人生最高の至福の体験であるのであれば、自己実現や超越を目指すか否かに関わらず、一つのゴールや目標として至高体験を据えるということは、そこまでの過程も含めて人生を本質的に有意義なものにしてくれると言えると思います。

 

また、これと併せて触れておきたいのが、どのような瞬間に至高体験が起こりやすいのかということです。

つまり、先ほどの七つは「どんな人が」至高体験が起こりやすいのかという側面の話でしたが、マズローは「どんなときに」という側面での至高体験の起こりやすさについても語ってくれていたということですね。

そのような「Who」ではなく「When」という切り口で、どのようなときに至高体験が起こりやすいのかについてマズローが整理してくれた内容が下記になります。

 

①創造的恍惚感の瞬間
②成熟した愛の瞬間
③完全な性経験
④親の愛情を感じるとき
⑤自然な出産の経験
⑥知的洞察、治療的洞察時
⑦体育スポーツ、肉体的経験など

 

つまるところ、何かに熱中している時創造性を発揮している時誰かと一体感を感じられている時愛を感じる時子供の出産時大きな喜びを伴う発見や啓示があった時身体的な極地に到達した時などは、至高体験になりやすいということです。

上記の内容を踏まえて自分の今までの人生を振り返ると、「もしかしたらあれは至高体験と呼べるものだったのでは?」というような体験があるかもしれませんね。

もしくは、厳密には至高体験とは呼べないものの、「プチ至高体験」や「プレ至高体験」とも言えるような、感動具合や感激度合いは少し弱いものの至福的な恍惚な瞬間や、いわゆる「ハイになっている」瞬間、うっとりとほほを赤らめているような瞬間は何かしらあるのではないでしょうか。

 

ちなみに、マズローは上記のようなことも含めて至高体験を体験するための最も容易な二つの方法を挙げているのですが、その詳細はまた別の機会に触れたいと思います。

いずれにしろ、マズローいわく至高経験というものは長時間持続しないものであり、ある種の刹那的な幸福の経験であり継続的なものではないという点も加味してみると、至高体験の全貌はよりハッキリしてくるのではないでしょうか。

 

そして、これらの事を踏まえた上で押さえておきたいポイントが、至高体験によってもたらされる効果や効能になります。

 

3.至高体験によってもたらされるもの

至高体験

 

マズローは、至高体験によってもたらされるものの一つ目に、至高体験の前後に置ける認識の変化を挙げていました。

つまり、至高体験によって世界がどのように見えるかが変わってしまうのです。

至高体験によって世界がどう見えるようになるかという説明に、マズロー次のような単語を挙げています。

 

真、美、全体性、二分法超越、躍動する過程、独自性、完全、必然、完成、正義、秩序、単純、富裕、安易、たわむれ、自足

 

そして、すでにお気づきかもしれませんが、これはマズローが究極的本質価値であるとした「B価値」の内容と一致し、マズロー自身もこれはすなわちB価値であると明言しています(B価値については下記参照)。

B価値
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また、至高体験のさなかには周囲は一段と率直で飾り気がなく真実であると同時に、他の時と比べて一段と美しく見えるとも述べています。

これは、いわゆる啓示的な経験として、それ以前には盲目状態で隠されていた現実が垣間見える瞬間であり、自分の目を覆っていたヴェールがなくなり真の現実を直視することになる偽りのない体験です。

そして、これは言うまでもなくマズローの語る「B認識」の話と繋がるものと言えます。

いずれにしろ、これまでは全く気付くことができなかった、世界に眠っている美しさや素晴らしさを見てしまうことで、それらへの意味づけや価値が大きく変わってしまうのでしょう

そして、至高体験によってもたらされる二つ目の変化は、この事に由来するものになります。

 

マズローは、至高体験を経験したことは、その後の人生において逆境に遭遇した際の心の支えになるとも述べていました

つまり、至高体験によって垣間見た世界の真の姿が、苦悩や葛藤や困難に打ちのめされない精神性や人間性を育むのですね。

あるいは、至高体験を経験できたという事実自体が、揺るぎない自信や本質的な自尊心・自己肯定感、あるいは、感謝の心などに繋がるでしょう。

つまるところ、至高体験に限らず何かしらの感動的な体験や、自分にとって価値ある経験というのは、自分の足を前に進めてくれたり疲れた心を癒したりしてくれるものですが、至高体験はその意味における最上級の支えであり希望でもあるのです。

 

また、これと併せてマズローは、至高体験というものは、そこに達したという山頂の喜びでなくともそこを目指す山麓の経験としての至高経験的な喜びもあると述べています。

つまり、至高体験を目指す過程で出会う経験自体が報酬になるということですね。

登山道を歩くこと自体が何かしらの気づきや喜びや感動につながるという意味でも、至高体験を目指す価値は大いにあるということでしょう。

 

そして、三つ目の至高体験がもたらすものは、これと関連していることになり、マズローは、至高体験によって心の健康度が増すとも語っていました

平たく言えば、至高体験によってその人には心理的な健康がもたらされるのです。

その根拠の一つがこれまで見てきた世界の見え方の変化や、精神的な支えの存在などですが、これ以外の要因として、マズローは至高体験による別の側面について語っています。

 

それは、至高体験というものが、人間を人格内、対人間、世界内、人と世界の間の分裂を統合するということです

つまり、至高体験によって一人の人間として統合した存在になれるということであり、平たく言えば、人間性が成熟するのです。

これをもう少し噛み砕いて言えば、自分の内側での葛藤や矛盾がなくなり、他者とのコミュニケーションにおいても対立や不調和がなくなり、社会との関係性においても依存や分裂することなく見事に調和できるようになるとも言えますね。

そのような統合状態が、心理的な健康をもたらすというのは納得のいく話だと思います。

むしろ、僕たちの心が不健康になったり、生きづらさやモヤモヤを感じる原因は、自分の内面や他者との繋がりや社会との関係が対立・分裂・矛盾していて、それが恐怖心や不安や欲求不満になっているからですよね。

 

そのような意味でも、欲求階層上の基本的欲求(生理的欲求・安全の欲求・所属と愛の欲求・尊重の欲求・自己実現の欲求)を一番目から順番に満たすことは至高体験への道のりであると同時に、自分の心を健康にしてくれる道のりでもあるのです

そして、そのようにして辿り着いた至高体験自体が、更なる心の健康増進を担ってくれるということなのでしょう。

 

つまるところ、至高体験自体が至福の体験であり最上の感動的体験であるだけでなく、それによってその後の人生観までもが劇的に変わったり、自分という存在への意味づけが変化したり、人間性や精神性をより良い状態にしてくれるということなのです

もちろん、繰り返しになりますがこのような事をもたらす物事は至高体験以外にもありますが、こと至高体験に関してはそのインパクトの大きさや、経験前後における変化の度合、あるいは心理的な影響力は、それこそ「至高」という言葉がピッタリなほど究極的な体験なのでしょう。

だからこそ、マズローは自己実現のその先にある超越的な体験として、至高体験の研究に力を注いでいたんですね。

しかし、その研究過程で、マズローは至高体験特有の弱点があるということにも気づいていました。

 

4.至高体験のデメリット

至高体験

 

僕たちにとって様々な意味で体験すべき価値の高い経験と言える至高体験ですが、それには特有の弱点があります。

それは、至高体験というのは主観的な経験であり、その性質上それを言葉で他者に伝えることが難しく説明することもできないということです

 

実際、そのことがネックになることで、至高体験を誤解していたり、眉ツバ物や妄想や幻覚だと思っている人も少なくありません。

あるいは、唯物論的な人や機械論的な考え方の人は、至高体験を怖がったり拒否したりするか、お金にならないものや役に立たないものとして切り捨てるともマズローは述べています。

いずれにしろ、ある種の神秘的体験である至高体験は、一部の人々にとっては信じがたいものであり、だからこそ拒絶したり否定したりしたくなる類の話なのですね。

そういった意味では、至高体験というものはこの上なく主観的・個人的かつ抽象的な体験なので、それは他者とほとんど共有できないともマズローは述べています。

 

しかし、一方で、至高体験というものは、どのような文化・文明にあっても、またどのような時代においても、あるいは、どのような宗教でも、どんな階姓や階級でも、選ばれた人には起こるものであることも事実なのです

そのような意味では、至高体験というのは、それを経験したもの同士でしかその価値や本質を理解し合えないという、ある種の冷酷さをはらんでいるものなのですね。

 

実際マズローも、至高経験を直接的に分かりやすく言葉で記述することがうまくいくのは、至高経験の意味をすでに知っている人、すなわち、実体験としての至高体験をもち、説明に使われるその言葉自体はまったく不適切だったとしても、その言葉が指し示そうとしていることを感じたり直観したりできる人たちを相手にした場合だけであると語っていました。

更に言えば、このことを考慮すれば、むしろ言葉以外の手段で表現したほうが有効である場合も多いとまで述べています。

つまるところ、至高体験というものは自分自身で経験しなければ理解できないものであるため、その内容は経験した者同士でしか共有できないのですね。

 

しかし、その一方で、実は本人が至高経験を体験しているもののその自覚がないだけの人もいるようだともマズローは考えていました。

マズローはこの事を、至高体験を覚えない人は、その能力をまったく欠いている人というよりはむしろ至高体験の弱い人だと言えると表現しています。

つまり、音叉の振動がピンと張られたピアノ線を共鳴させるのと同じように、音叉の役割となる何かしらのキッカケや至高体験と類似するような経験や詳細で適切な説明を聞いたりすることなどが発端となって、実は自分が至高体験を経験済みであることに気づいたり、過去の至高体験の記憶を思い出すということが、十分にあり得るということです。

このような意味でも、先述したように、至高体験とは多くの人が考えるよりもずっと身近なものであると言えるのかもしれません。

 

そう考えると、やはり大切になってくるのは、ここまで把握してきた内容も含めマズローが語る至高体験の話について貪欲にその内容を吸収し、しっかりと理解した上で自分事に落とし込むことだと言えると思います

そして、それはもちろん至高体験に限らず、欲求階層論や自己実現の理論も同様です。

なぜなら、それらの基本事項の先に待っているのが至高体験だからですね。

また、マズローの語る真の創造性の発揮やB認識の話なども含めた超越論に関するあらゆる話を有機的に紐づけてそれらの内容を噛みしめることが、至高体験に紐づくだけでなく、自分の人生をこの上なく有意義で感動的なものにしてくれることにも繋がっているのです。

このような意味でも、マズロー心理学は、僕たちの人生を自分にとって本当に望ましいものにしてくれる可能性が詰まっていると言えますね。

その重要キーワードの一つが、「至高体験」なのでしょう。

つまるところ、至高体験という目印を一つの目標に据えて人生を歩むことで、その過程も含めた道のり自体が自分らしい素敵な日々へと変化していくのではないでしょうか。

 

なお、とある理由でこの記事では「至高体験」というワードを使いましたが、実を言うと厳密に言えばより適切な表現は至高「体験」ではなく至高「経験」になります。

このような違いは気にする必要もないという意見もありそうですが、先ほどお伝えしたように、マズローの語る話をしっかりと吸収したいのであれば避けてはならない問題であり、この事に関してはこちらのコラムにまとめてみたので、「至高体験(至高経験)」について更に深く理解したいという場合は是非一度お読みいただければと思います。

 

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