マズローの語った欲求階層において、「生理的欲求」に次いで下から二番目に位置する「安全の欲求」。
この「安全の欲求」について、マズロー自身はどう述べていたのでしょうか?
このコラムでは、マズローが書いた本に記されている実際の引用文を用いながら、その内容を詳しく紐解いています。
最後までお読みいただくことで、自分の「安全の欲求」が満たされない理由・正しい満たし方が分かったり、他者の「安全の欲求」を正しく把握することができるようになると思います。
もくじ
1.安全の欲求とは
さて、それではまず、マズロー自身が「安全の欲求」についてどう述べていたのかの結論から述べさせていただきます。
マズローが語った「安全の欲求」の要点をまとめると、次のように整理することができます。
●「安全の欲求」とは、安全、安定、安心を求める欲求である
●「安全の欲求」は、生理的欲求に次いで強力な欲求であり、場合によってはそれすらも上回る影響力をもつ
●「安全の欲求」を一言で表現するなら、「安心していたい」という欲求である
ただし、これに補足として以下のような内容も加えることができます。
●人間は「安全の欲求」をもっているので、自分の慣れ親しんだものを好む
●現代のほとんどの人は、精神的疾患、経済的困窮・社会からの離脱、戦争・秩の崩壊などがない限り「安全の欲求」が満たされている
●危機的な状況では、「安全の欲求」を満たしたいがゆえに極端な自己防衛にはしったり、権威や権力にすがるなどの傾向がある
これらの内容は、マズローが「安全の欲求」について詳しく記している著作『人間性の心理学』に内容をもとに整理したものですが、これはあくまでその表面的なエッセンスをすくい取っただけなので、これだけでは残念ながら本当に大切なポイントを理解し切れたとは言えません。
ということで、この後はこれらの事柄についてより詳しく理解していくことで、自他の「安全の欲求」の本当のすがたを正しく理解し、また、この欲求と適切な関係性をつくれるようになっていきましょうね。
2.安全の欲求の全体像
さて、「安全の欲求」への理解を深めるために、まずはこの欲求の全体像を把握していきましょう。
マズローは、『人間性の心理学』の中で「安全の欲求」について次のように説明してくれています。
『生理的欲求が比較的よく満足されると、次いで、新しい一組の欲求が出現することになる。大まかに安全の欲求と範疇化できるものである(安全、安定、依存、保護、恐怖・不安からの自由、構造・秩序・法・制限を求める欲求、保護の強固さなど)。』
この一文を読むだけで、「安全の欲求」とはどのようなものかが何となく理解できるのではないでしょうか。
マズローは、僕たち人間に備わる基本的欲求の階層においては、その土台となる最も下位に位置する生理的欲求がある程度満たされたあとに出てくるのが「安全の欲求」であるとした上で、このような文章でその詳しい内容に触れていたんです。
なお、この文章のかっこ内の記述が「安全の欲求」の具体例になるのですが、これを掘り下げるのはこの後にさせていただき、まずは「安全の欲求」の大枠を掴むためにこの文章の続きでマズローが何と言っているのかを見てみましょう。
『生理的欲求に関して述べられてきたことはすべて、この欲求についても当てはまる。もっとも、この欲求については少し割り引いて考えねばならないが。有機体は、この欲求によって生理的欲求と同じくらい完全に支配される。』
先ほどの文章も含め、これらの引用文は生理的欲求について述べた後に語られているものなので、その部分が抜けているので少し分かりにくかったかもしれませんね。
この前段でマズローは、生理的欲求というのはあらゆる欲求のなかで最も満足の優先順位が高いと述べていました。
したがって、生理的欲求が満足しない場合はそれ以外の欲求が存在しなくなるほど強力な作用をもたらすと説明しています。
ちなみに、文中の有機体とはイコール人間のことだと思っていただいて大丈夫です(マズローは学者なので、一般人には馴染みのないこういう言葉遣いをたびたびします…笑)。
そして、この事が「安全の欲求」についても当てはまるということを、先ほどの引用文でマズローは語っていたのです。
つまり、これらも踏まえ先ほどの引用文を要約すると、生理的欲求に比べれば優先順位は低いものの、それと同じくらい強力な影響力もっているのが「安全の欲求」であるということです。
この内容は、多くの方がご自身の経験からも納得がいくことではないでしょうか。
生命を維持するのために食べたり寝たりすることが最優先であるということも、それらが満たされると次に何よりも優先すべきことが心身の安全を確保することであることも、すんなり同意できる話でしょう。
なお、先ほどの文章の続きで、マズローはこうも話しています。
『この欲求は、ほば排他的に有機体の全能力を動員し行動を組織するのである。そのような場合、全有機体が安全追求のための機構となっているといってもよいであろう。』
『安全追求のための機構となっている』という表現がとってもヤヤコシイ言い方ですが(笑)、つまりここでマズローが言っていることは、「安全の欲求」を満たそうとする人においては、他のあらゆる物事を放棄してでもこの欲求満足が重要なことになるということです。
これはかなり極端なもの言いかもしれませんが、これほどパワフルな欲求だからこそ、マズローは欲求階層の二番目に「安全の欲求」を据えたのですね。
しかも、実はこの文章には続きがあり、その中でマズローは「安全の欲求」のパワフルさについて更に強調しているんです。
『実際、安全と保護以外に、重要なものは何もないように思われるのである(時には生理的欲求でさえも、満たされていて既に過小評価されている場合はそうである)。このような状態にある人は、もしそれが非常に極度で慢性的である場合には、ほぼ安全だけを求めて生きているということができよう。』
つまり、時と場合によっては、最も重要視される生理的欲求との優先順位が逆転することさえあり、その場合には生理的欲求の満足が脅かされたとしても「安全の欲求」の満足にひた走ることがあるということです。
この欲求階層における順位の逆転現象はマズローの語る欲求論の隠れたキーポイントであり、その詳細について様々なパターンをマズロー自身も述べてくれているのですが、一般的にはあまり知られていないことでもあります。
その逆転現象にまつわるいくつかのパターンの一つが、先ほどの文章に出てきた「満たされた欲求が過小評価されること」なのですが、このことは具体的な事例で説明すると分かりやすいと思います。
たとえば、「食欲」に限定してみると、現代に生きる人々は「食欲」が満たされていることは当然のことになってますよね。
少なくとも、空腹を満たすことは容易いことです。
量と質の問題に不満はあることはあれど、基本的には慢性的な空腹状態には陥りません。
特に日本に生きている僕たちは、ありがたいことに極度の飢餓状態など経験することはまずないでしょう。
要するに、「ご飯が食べれて当たり前」なのです。
そして、そうであるが故に「食欲を満足させること」や「お腹いっぱい食べられること」を過小評価するということもお分かりいただけると思います。
いわゆる貧困国で生きる人々からしたら、それこそ死ぬほど羨ましい環境にいるにも関わらず、それが当然になってしまうと有難みもなにも感じなくなってしまうんですね。
そして、そうなることで、生理的欲求をないがしろにすることが起こり得るということです。
この場合、マズローも述べているように、生命の維持が疎かになったとしても「安全の欲求」を満たそうとするのです。
このことをもう少し腑に落とすために一つ事例を挙げてみましょう。
たとえば、自分が働いている会社で仕事を通して結果を出すことが心身の安全の確保になってる人がいたとします。
この人は、もし仕事上で自分の立場が危ぶまれるような苦境に立たされれば、それこそ飲まず食わずで仕事に打ち込むことになります。
睡眠時間も削り、身も心もボロボロになっても、仕事で成果を上げることで自分の「安全の欲求」の満足を守ろうとしているんです。
このようなことは、生理的欲求が満たされていることが当たり前になっているからこそ起こり得ることです。
むしろ、逆にこのような働きをすることで実際に身体が壊れることで、生理的欲求の大切さを再認識することもあるでしょう。
少なくとも、明日食べるご飯すら確保できない状況で長く生きている人は、このような選択はしませんよね。
こういった意味で、過小評価された生理的欲求に取って代わって「安全の欲求」が最も優勢になり、他のあらゆることを度外視してでもその満足に埋没するようになるということです。
実際、このような事例に近いケースは、多くの方が身近な人に一人はいるように思えますし、僕たちが目にする映画やドラマや小説などの登場人物にもよくこういった形で仕事漬けになっているキャラクターがいますよね。
ましてや、「お金」と「安全の欲求」が強く結びついている人は、この傾向が強いと思います。
あるいは、特定の人物との関係性が「安全の欲求」と紐づくことで、生理的欲求よりもこの欲求が優先になっている人もいるでしょう。
愛人や不倫相手との繋がりが安心感への渇望となり、自分の手で人生をメチャクチャにしてしまう描写は恋愛ドラマではある種お決まりのストーリーですし、自分の心身の安全の担保になっているお金に目がくらんで他の大事なことを無下に扱うような描写も色んな物語で使われていますよね(笑)
ああいったことはまさに、「安全の欲求」が時としていかに強力になり、場合によっては考えられないレベルで冷静さを失うくらいにこの欲求が暴走してしまう分かりやすい実例ではないでしょうか。
このような意味でも、自分の「安全の欲求」が何に結びついているのか、また、どうしたらそれが脅かされるのか、そして、この欲求が暴走しないためにはどうしたら良いのかをしっかり把握することが、自分が本当に望む人生を歩む上では避けては通れない命題になるということです。
いわんや、現代社会にどっぷり浸かって生きている僕たちは、自分の欲求を正しく自覚することも、健全なかたちでそれを満足させてあげることも、自分が思っている以上にニガテになってしまっています。
その証拠に、心の病を患う人は後を絶たないですし、「自分のやりたいことが分からない」という悩みを抱えている人も年々増加しています。
自分の不満や空虚さや寂しさを、SNSなどでぶつける人が多いことも、この裏付けのように僕には思えたりもします。
しかし、だからこそ、今一度このタイミングで自分の欲求をしっかり見つめてあげないと、変化の激しいこれからの時代においてはより一層生きづらさを抱えることになります。
ちなみに、マズローの語る「恐怖に従ってばかりいることの弊害」についての話は、このことを理解する上で非常に参考になる話なのですが、このコラムの本題とはズレてしまうのでここでは割愛させていただきますね。
ということで、「安全の欲求」の大枠とその満足における注意点に触れた後は、この欲求への理解を深めるために、冒頭の引用文でマズローが語っていた具体例を紐解いていきましょう。
3.安全の欲求の具体例
まず、ここでもう一度冒頭の文章のかっこ内に記されていた具体例の部分だけ引用しなおしたいと思います。
『安全、安定、依存、保護、恐怖・不安からの自由、構造・秩序・法・制限を求める欲求、保護の強固さなど』
この中で特に説明が必要そうなのは、『依存、保護』と、『恐怖・不安からの自由』と、『構造・秩序・法・制限を求める欲求』だと思います。
なお、これらを少し噛み砕いてみると、「安全の欲求」に含まれているのは、以下の項目に整理できますね。
●依存すること(されること)
●保護すること(されること)
●恐怖や不安から自由であること
●秩序や規制など
●保護が強固であること
まず、①「依存すること(されること)」が「安全の欲求」に含まれていることは突っかかりなく同意できることだと思います。
言わずもがな、依存という関係性が両者の安全を担保しているケースはたくさんあるからです。
依存し合うことが良いか悪いかは別にして、実際にその関係性のなかで安全を感じられている人にとっては、それはまぎれもない「安全の欲求」を満たしてくれる大切な要素になっています。
そういった意味では、自分が依存心を感じるものが自分の「安全の欲求」を満たしてくれているという視点で現状を振り返ってみると、何がネックになっているのかも見えてくると思います。
先ほどの「安全の欲求」が最優先になる事例でも見たように、それが「他者との繋がり」の場合もあれば、「仕事」や「立場」の場合もありますし、「お金」や「資産」というパターンもあるでしょう。
つまり、「自分が依存しているものは何か?」と自分自身に問いかけることで、自分の中の「安全の欲求」の姿が良く見えてくるということです。
次の、②の「保護すること(されること)」も、分かりやすい内容ですよね。
言わずもがな、自分を保護してくれるものは「安全の欲求」を満たしてくれるものですし、その最たる例は幼い子供にとっての母親だと思います。
幼子にとっては、母親という自分を保護してくれる存在こそが安全・安心そのものですよね。
同時に、母親にとっては、自分が保護している子どもが、自身の「安全の欲求」を満たしてくれているということもお分かりいただけるでしょう。
自己有用感というと冷たい印象になってしまいますが、「自分が必要とされている」という感覚を持てていることに、僕たちは安心感を感じます。
つまり、「子どもにとって自分は必要な存在だから、しっかり守ってあげないと」という気持ちは、自分自身の「安全の欲求」の満足にも繋がっているということですね。
このことは性別問わず子育てをしたことがある方は実感できることでしょうし、育児の経験がない方でも、無理なく頷けることだと思います。
なお、この内容は⑤「保護が強固であること」とも同一線上にある話ですね。
続いて、③「恐怖や不安から自由であること」に関してですが、この内容も比較的スッと腑に落ちる話ではないでしょうか。
というか、「安全」の反対はそのまま「不安」です(笑)
そして、「安全」が脅かされることで「恐怖」を感じるということも、再確認するまでもないほど分かり切ったことですよね(笑)
もっとも、ここで重要なのは、恐怖や不安から『自由であること』という部分だと思います。
とはいえ、この「恐怖と不安からの自由」についてマズローがどう述べていたのかの話を語りだせば本が一冊出せる位の奥深い内容になるので、残念ながらここでその詳細に触れることはできません。
ということで、簡易的な結論だけここではお伝えできればと思います。
その結論とは、恐怖と不安を感じる原因は自分自身の中にあるということです。
本質的には、自分に恐怖や不安を生じさせる原因は、自分の外側の対象物にはありません。
したがって、恐怖や不安を感じる原因を自分以外の物事に見つけ出し対処しようとしても、いつまでたっても根本的な解決にはならないのです。
こういった意味でも、自分の欲求と向き合い、不満の原因になっている本質や、欲求満足を目指す動機になっているものが何なのかを見極めることが大切なんですね。
言い換えれば、「安全の欲求」を真の意味で満たすことは、自ずと自分の恐怖心と良好な関係性を創り出すということになります。
実際、マズローが自己実現していると認めた人びとは、自分の中の恐怖心を抑え込むのでもなく排除するのでもなく、それらとはもっと違うかたちで向き合うことで、自身の「安全の欲求」を理想的なかたちで満足させています。
このような意味でも、「安全の欲求」を満たした先にはじめて「自己実現の欲求」の満足が見えてくるのです。
さて、最後に④「秩序や規制」についてですが、これもとても分かりやすい具体例ですね。
なぜなら、僕たちが未知の物事や理解していない事柄に対して不安を感じることは、誰しもが体験していることだからです。
秩序だっていないこと、規則的でないことは、基本的に不安を生じさせます。
その証拠に、多くの方が、それまで維持していた秩序がそそのかされたり、普段の規則的なルーティンを外れると落ち着かなくなったりしますよね。
その程度の差はあれ、秩序や規則が脅かされ、将来が予想できない状況や、見通しが立たないような状況下では、「安全の欲求」が幅を利かせる感覚は誰しも知っているものだと思います。
その分かりやすい事例が、天災などによる日常の崩壊だと思います。
地震や大雨や疫病などによって、社会的なスケールでの異常事態が起こることで治安が乱れる背景には個々人が自分だけの「安全の欲求」の満足を最優先に掲げるからですし、そのような状況下でいわゆる「食料品や日用品の買占め」などが起こることも、それまでの秩序や規則が崩壊することで「安全の欲求」が強まることの典型例になります。
なお、この「秩序と規則が脅かされない心理状態」と、先ほどの「恐怖から自由になる」という話はとても密接に関わっているので、この点から紐解くと、恐怖心と上手に付き合う方法が垣間見えてくることがあると思います。
以上が「安全の欲求」の具体例の解説になるのですが、ここまでも見てきたように、この欲求に限らずあらゆる欲求に言えることですが、欲求を満足させる対象は十人十色です。
したがって、①~⑤においてここで紹介した具体例も踏まえながらこれを自分事に焼き直しをすることで、より具体的な内容が見えてきます。
さて、ということで、「安全の欲求」に含まれる具体的な事例について触れた後は、この欲求を満たす方法を把握していきましょう。
4.安全の欲求を満たす方法
マズローは、「安全の欲求」を満たす方法についてどのように語っていたのでしょうか?
というか、そもそも論として、現代人の「安全の欲求」はどの程度満たされているのでしょうか?
その答えは、このコラムの冒頭で先にお伝えした結論でも出てきていましたが、そのことについてマズローがどう表現していたのかをまずご紹介したいと思います。
『我々の文化における健全で幸運な大人は、安全の欲求に関して満足を得ている場合が多い 。平和で円滑に物事が運ぶ安定した良い社会では通常、そのメンバーは、危険な野獣、気温の両極端、違法な襲撃、殺人、無秩序、暴政などを経験せず、十分安全を感じている。』
この引用文からも分かるように、生活水準があるレベル以上の社会で生きている現代人は、「安全の欲求」は十分満たされているとマズローは考えていました。
そして、この続きでマズローはこうも話しています。
『したがって、真の意味で、そういった人ではもはや安全欲求は実際の動機づけとしては存在しないのである。 それはちょうど十二分に満腹した人が飢餓を感じないように、安全な人はもはや危険にさらされているとは感じない。』
つまり、最低限の生活が保証されている社会に生きるほとんどの人は、「安全の欲求」の満足が行動の主たる動機とはならないくらいには満足できているということです。
こういった意味では、僕たち日本人は成熟した社会に生きていると言えると思います。
少なくとも、いわゆる狩猟をしていた時代や、戦争ばかりしていた時代とは違い、たしかに日常のなかでは安全を脅かされることが命に直結する経験はほぼありません。
したがって、マズローの述べる次のような事柄に該当しない限り、私たちは「安全の欲求」を分かりやすい形で意識することもないでしょう。
『安全の欲求を直接にはっきりと見たいということであれば、 神経症の人かそれに近い人、経済的社会的劣敗者、 または社会的無秩序、革命、 権威の崩壊などを観察する必要がある。』
ここで登場した「神経症」という言葉ですが、これは現在の心理学などでは使われることが少なくなった単語で、一般的には「ノイローゼ」や「不安障害」と言われる症状のことです。
しかし、神経症の定義はかなり千差万別なので、ここではざっくりと「精神的に健康とは言えない人」とご理解いただければと思います。
この点を踏まえて先ほどのマズローの発言を振り返ると、精神的に健康でなかったり経済的に困窮している人や、社会的からはじき出されてしまった人を参考にするか、あるいは、秩序だっていない混沌とした社会、革命・権威の崩壊などを参考にしない限り、「安全の欲求」は直接的に観察できないということです。
逆に言えば、このようなことに該当する状況になると、私たちは自分の「安全の欲求」と向き合うことになるとも言えますが、このことは先ほどの具体例で見た内容とも繋がってきますよね。
そして、この主張に続いて、マズローはこのようなことも述べています。
『こういった両極端の中間では、 たとえば保有権・保護権のある仕事に対する共通した選好性、貯蓄やいろいろな種類の保険 (医療・歯科・失業・障害・老齢など)に対する願望などの現象だけに安全欲求の表われを認めることができるのである。 』
つまり、先ほどのような極端なケースを除けば、一般的には人々がいわゆる「安定的な仕事」を好む傾向をもっていることや、貯金や保険に関わるときなどの限られたシーンでのみ「安全の欲求」が目に見えて現れるということです。
言い換えれば、私たちが普段の生活において自分自身の「安全の欲求」を観察できるのは、就職・転職・離職時などといった職業における大きな変化があるときや、お金に対する心配をするとき、あるいは、いわゆる「老病死」について考えさせられるようなときだということですね。
しかしその一方で、このようなケースに加えマズローはこの文章の続きでこうも話しています。
『さらに広く、世の中で安全性や安定性を求めようとする様子は、 見慣れぬものよりも見慣れたもの、あるいは知らないものよりよく知っているものに対する共通した選好性に見られる。 』
要するに、マズローは私たちが何かを選択するときにも「安全の欲求」に基づいて選択しており、その際は見慣れたものを好んで選ぶと言っているのです。
このような感覚は多くの方が普段の生活でも感じていることですし、具体例の話の際に触れた「秩序と規則」の話とも合致する内容ですよね。
先ほどの内容と少し重複しますが、僕たち人間というものは、知らないものや理解できていないものには恐怖を感じる生き物です。
一部の例外を除けば、基本的には知らない人より知っている人の方が信頼できますし、逆に言えば相手を知れば知るほどその人に安全や安心を見出し、より好ましい関係性を築くことにも繋がります。
また人間関係だけでなく、普段のあらゆる生活での選択、たとえば外食をしようと飲食店を選ぶときは、一度訪れたことのある店やどこにでもあるチェーン店を選びがちですよね。
なおかつ、そのようにして選んだお店でメニューを選ぶときも、よく分からないメニューより、以前注文したことがあるメニューやどんな料理か分かっている料理を選ぶこと多いでしょう。
それは単純にその方が楽だからということもありますし、時にはあえて知らないお店に行ったり食べたことのない料理を注文したりもしますが、少なくとも私たちにとって「安全」を感じる選択は既に知っているものを選ぶことです。
このような事例は、買い物・会話・道順・家事や育児に伴う行動・普段の習慣など、生活のあらゆるシーンで経験することなので、これ以上の説明は不要だと思います。
そういった意味では、日常における多くの選択が「安全であるかどうか」を基準になされているということが言るのではないでしょうか。
したがって、これらの条件を満たせば、自ずと「安全の欲求」は満たせているということです。
逆に言えば、もし自分が「安全の欲求」を満たせていない実感があるのであれば、「お金」「仕事」「老病死」のいずれかに懸念点があるか、あるいは、それまでの安定性・秩序・規則性が壊される危機に見舞われているということになります。
また、自分以外の他者の行いが常軌を逸していたり、とても自分には理解できないような場合の背景にあるのは、これらの条件が危うくなっているということがある可能性が高いということも言えるでしょう。
このような視点で、自他の行動や発言や選択を眺めてみると、穏やかで大らかな人がどうしてそのようでいられているのかや、逆にヒステリックだったりいつも不安気でおびえているような人が何故そのような態度になっているのかが、よく理解できるようになると思いますよ。
5.自分の安全の欲求と上手に付き合うためのポイント
さて、このコラムの最後に、「安全の欲求」を満たす際の注意点に触れることで、この欲求への理解をまとめていきましょう。
その注意点の一つ目として、まずは戦争や革命と絡めた「安全の欲求」に関するマズローの発言をみてみたいと思います。
『安全欲求が社会的場面で焦眉の急となるのは、法律や秩序や社会的権威が現実に脅かされる時である。無秩序や暴力革命主義の脅威がある場合には、大部分の人では、より高い欲求から、より優勢になった安全欲求の方を求めて逆行することが考えられる。』
これは、ここまで触れた話のおさらい的な内容になりますね。
そして、この続きでマズローは非常に鋭い指摘をしてくれています。
『このような場合、考えられる普通の反応は、簡単に独裁者や軍部の支配を受け入れてしまうことである。この傾向は、健全な人も含めてあらゆる人間にいえる。というのは、実際に安全欲求水準にまで逆行して危険に対して反応するようになっており、自らの防衛に備えているからである。しかしこのことは、安全の限度すれすれに生きている人々に最もよく当てはまるであろう。そういう人は、権威・合法性・法の執行者などの脅威により特に乱されるのである。』
この文章でマズローは、人間というのは自分の安全が危機にさらされると正確な判断ができなくなる傾向が強いということを伝えてくれています。
あるいは、このような大きなスケール感での話でなくとも、単純に何かしらの危機感を感じたことでパニック状態になるような経験は多かれ少なかれ誰にでもあると思います。
心身の安全が突然脅かされたり、それらが保証されない環境になると、テンパって頭が真っ白になったりしますよね。
緊張してるときに逃げの手段としてトイレに行きたくなったり、人前で頭が真っ白になってしまうのも、これと同じだと言えます(笑)
つまり、私たちはそれまで満たされていた「安全の欲求」が危機にさらされると、冷静に状況を判別したり、適切な対処をすることができなくなってしまうのです。
そして、このことを利用し、僕たちをコントロールしようとする人びとは、残念ながら日本にも一定数存在します。
また、自己防衛のために他者を傷つけるという事例も、世の中にはたくさん溢れています。
その分かりやすい例が、学校内におけるいじめの問題でしょう。
実際にはケースバイケースになるものの、いじめに限らず他者を意図的に傷つける背景には、自己防衛という「安全の欲求」に基づいているということは往々にしてあります。
特に、大人になってからのいじめはこの自己防衛のパターンに当てはまっていることが多いと思います。
自分の所属するグループ内に敵を一人作ることで、自分を守ろうとしているのですね。
そしてこの自己防衛による攻撃の傾向は、世の中をよくよく観察してみれば、国家間の争い、社会的な問題、政治・芸能の世界、ネット上のコンテンツ、目に映る広告、ビジネスの現場など、あらゆるところに見て取ることができるものです。
なお、マズローが自己実現していると判断した人びとは、このような愚かな形で自分の「安全の欲求」を満たそうとはしません。
彼らは、利他と利己を高い次元で統合した調和の世界に生きているので、自分の「安全の欲求」を満たすことが他者に危害を加えることなどあり得ないのです。
話が少し逸れてしまいましたが、結局自分の「安全の欲求」を上手に満たすうえで大切なことは、その欲求満足が健全な形かどうか見極めるということです。
またそれと同時に、世の中にはこちらの「安全の欲求」の満足を意図的に脅かすことで利を得ようとしている人が実際にいることをよく理解したうえで、それらと適度な距離を保ったり、適切な対応を心掛けたり、あるいはそれらとの関りを一定期間もたないようにすることなどが有効な手段であるということです。
そうでなければ、自分の外側の情報に踊らされ、いつまでたっても地に足が付かない他人軸でオロオロオロオロしながら、恐怖に従って生きることになってしまいます。
言うなれば、少しキツイ言い方になってしまいますが、ややもすれば僕たちは自分でも気づかぬうちに「安全の欲求」の奴隷になり下がってしまうということです。
表面的には確かに欲求を満足できていたとしても、その満足要因が外部依存的だったり、自分軸に基づいていないものなのであれば、それはいとも容易く崩れ去ります。
ましてや、変化の激しい時代においては自分の「安全の欲求」を健全に育まないと、ちょっとしたことで対応できなくなり、見る見るうちにドロ沼にハマってしまいかねません。
そういったことも踏まえて、自分と周囲の人々の「安全の欲求」をよく観察することが、これからの時代において賢明かつ豊かに生きていく第一歩だと僕は思います。
ちなみに、マズローいわく、世間一般の人々の「安全の欲求」の満足度は概ね70%程度だと述べています。
このような事も踏まえて、自分の「安全の欲求」とちゃんと向き合うことで、その上の階層にある他の欲求たちの満足もブレることのない確かな満足と成り得るのでしょう。
●「安全の欲求」とは、安全、安定、安心を求める欲求である
●それは同時に、依存や保護、恐怖や不安から自由になることを求めることであり、構造・秩序・法・制限を求める欲求でもある
●「安全の欲求」は、生理的欲求に次いで強力な欲求であり、場合によってはそれすらも上回る影響力をもつ
●現代のほとんどの人は、精神的疾患、経済的困窮・社会からの離脱、戦争・秩序の崩壊などがない限り、「安全の欲求」が満たされている
●そのため、仕事・お金・老病死において現代人の「安全の欲求」は顕著に表れ
●人間は「安全の欲求」をもっているので、自分の慣れ親しんだものを好む
●それと同時に、人間は「安全の欲求」を満たしたいがゆえに極端な自己防衛にはしったり、権威や権力にすがるなどの傾向がある
●社会には、他者の「安全の欲求」を意図的に脅かす存在もいる
●自分の「安全の欲求」を健全なかたちで満たすことで、時代に適応できる土台を育むことができる
●そして、それが「自己実現の欲求」も含めたより上位の欲求の満足に繋がり、真の意味での豊かな心持ちを実現してくれる