欲求階層において下から四番目に位置する「尊重の欲求」。
「承認欲求」と混同されることが非常に多いこの欲求について、マズロー自身は何と言っていたのでしょうか?
今回は、マズローが最も詳しく欲求階層について述べている『人間性の心理学』という著作に記載されている実際の文章を引用しながら、「尊重の欲求」の具体例や正しい満たし方を紐解きました。
なお、この記事をお読みいただく前に、こちらの「承認欲求」についての記事を先にご覧いただくと、ここでの話がより深く理解できると思います。
もくじ
1.尊重の欲求とは
さて、まずは早速「尊重の欲求」とは何かについての結論から述べたいと思います。
マズローが語った「尊重の欲求」の概要をまとめると下記のように整理できます。
・マズローが欲求階層において四つ目に掲げた欲求は「尊重の欲求」であり、いわゆる承認欲求は「尊重の欲求」を満たす一つの手段でしかない
・「尊重の欲求」を一言で表現するなら「自分を大切にしたい」という欲求である
・健全なかたちでの「尊重の欲求」の満足には、自分を正しく理解している人からの正当な評価が大切である
・その評価には、「自分の実績や能力に基づく評価」と「自分の人間性や個性といったような内的な素質に基づく評価」の二種類がある
・その上で大切なのは、自分で自分自身を尊重できるか否かである
マズローの「尊重の欲求」についての意見をまとめるとこのような感じになりますね。
とはいえ、これはあくまで、ポイントの表層的な総括。
したがって、これらの内容をそれぞれしっかりと深く掘り下げた形で腑に落とすことで、僕たちは自分のなかの「尊重の欲求」と上手に付き合うことができるようになるんです。
また、「尊重の欲求」を健全に満たすことは、その先に待っている「自己実現」に向けて真っ直ぐに突き進むことにも繋がってくれます。
ということで、この後は、欲求階層において非常に重要なポジションを担っているにも関わらず、一般的には特に誤解されがちな「尊重の欲求」についてしっかりと理解するために一つ一つの事柄について正しく把握していきましょう。
2.尊重の欲求の本当の意味
さて、それでは「尊重の欲求」についての理解を深めるために、まずはあらゆる前提となるそのネーミングについて振り返ってみましょう。
マズローは、『人間性の心理学』という書籍における欲求階層の説明において、生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求に続いて、人間に備わる四つ目の基本的欲求の説明をしているのですが、その四つ目の欲求の名称を原文ではこのような英語で表現しています。
『THE ESTEEM NEEDS』
この「esteem」という単語はあまり馴染みのない単語だと思うのですが、この英単語の意味を和訳をすると次のようになります。
「esteem」=「尊重する・尊敬する」「尊重・尊敬」
なお、「esteem」は、他にも「重んずる」「高く評価する」などといった和訳も存在しますが、基本的には「尊重」「尊敬」という訳が最も一般的になるので、今回はこの二つの和訳に絞って話を進めたいと思います。
そして、ご覧いただいて分かるように、「esteem」という単語にはそもそも「承認」という意味は含まれていません。
つまり、結論としては欲求階層における四つ目の欲求は、承認欲求ではなく「尊重の欲求」が正しいという結論になるのです。
むしろ、冒頭でも触れたように、承認欲求というのは「尊重の欲求」を構成する一部に過ぎないのですが、このことはマズロー自身の「尊重の欲求」に関する詳しい説明内容に触れることで明らかになるので、具体例の話を交えながら実際の文章を少し見てみましょう。
3.尊重の欲求の具体例
承認欲求と「尊重の欲求」の関係性を整理するために、まずは次のような実際のマズローの発言をみてみましょう。
『我々の社会では、すべての人々 (病理的例外は少し見られる)が、安定したしっかりした根拠をもつ自己に対する高い評価、自己尊敬、あるいは自尊心、他者からの承認などに対する欲求 ・願望をもっている。』
この文章から分かることは、マズローが尊重の欲求の具体例に以下の事柄を挙げていたということですね。
●自己に対する高い評価
●自己尊敬または自尊心
●他者からの承認
つまり、三つ目にあるようにやはり「他者からの承認」というのは「尊重の欲求」の一つの具体例に過ぎないのです。
そして、詳しくは後述しますが、いわゆる「自己承認」についても同様に「尊重の欲求」に含まれる要素のうちの一つに過ぎません。
したがって、自己承認も他者承認も含めた承認欲求だけを理解しても、それは「尊重の欲求」の全体を理解したことにはならないのですね。
言い換えれば、仮に承認欲求を満たせたとしても「尊重の欲求」の満足としては不十分であり、それでは「自己実現の欲求」にも結びつきません。
だからこそ、「尊重の欲求」という大枠を理解することが大切なんですね。
なお、ここでせっかくなので一つ目の「自己に対する高い評価」と二つ目の「自己尊敬または自尊心」についても簡単に整理しておきましょう。
まず、一つ目の「自己に対する高い評価」ですが、これには「安定的な根拠がある」という条件が付いていますね。
これは要するに、的外れの根拠や自己都合で歪めた理由などを背景にした高い評価ではなく、正当な理由に基づいた「信用できる」根拠を背景にもつ高評価であることが大切だということですね。
要するに、土台に据える根拠が不明確だったり不誠実すると、それは健全な自己評価には適していないということになります。
「安定している」とは到底言えない根拠を自己評価のベースに据えてしまうと、そのモロい根拠が崩れ去れば、あっと言う間に自己評価が地に落ちます。
不安定であったり、こじつけや言い訳によって仕立て上げられた根拠を高い自己評価の基盤に据えることは、非常に危険なことであるというのは言わずもがなですよね。
盲目的や高慢さや自己欺瞞のような自己評価は、ちょっとしたキッカケさえあればその高い鼻はいともたやすくポッキリ折れてしまいます。
つまり、「高い評価が欲しい」という欲求を焦って満たそうとし表面的に取り繕った満足をすることは非常に危険なことなのですね。
これは多くの方がご自身の経験からも分かることなのではないでしょうか。
ハリボテ的なウソや、都合の良い解釈で見繕った自己評価は、さながら三匹の子豚の「ワラの家」のごとく、ちょっとした雨風ですぐに潰れてしまいますよね(笑)
そういった意味では、「レンガの家」となり得るような、強靭な根拠を築き上げる必要があると言っても良いと思います。
もっとも、その正当な根拠は、人によって様々でしょう。
たとえば、何かしらの資格を保持していることが自分への高い評価に結びつく人もいれば、実績や成果を高い自己評価の土台に据える人もいるでしょう。
具体的には
「国家資格を持っているから」
「難しい試験に合格したから」
「仕事で素晴らしい成績を出しているから」
「家族への貢献度が高いから」
といったような感じですかね。
あるいは、高い立場や強い権力を持っていることが自己に対する高評価につながっている場合もあるでしょうし、自分の持っているお金や資産や保有物が高い評価の根拠になっているケースもあると思います。
これは、
「社長という立場に就いているから」
「父親という責任をまっとう出来ているから」
「年収が1000万円だから」
「保有している資産がたっぷりあるから」
「良い車を持っていて良い家に住んでいるから」
などといった理由で、自己評価が高められるという感じです。
もしくは、誰か特定の人に認められていることが自分を高く評価する理由になっているパターンもありますし、これまでの経験の過多や豊富さが自己評価を高めてくれる根拠だということもありますよね。
「あの人が褒めてくれているから」
「仕事のデキる上司から期待されているから」
「自分が納得できる人生を歩んできたから」
「人ができないような珍しい経験をしているから」
もしくは、自分の性格や内面的な特性を自己評価と紐づけていることもあるでしょう。
「自分は優しいから」
「自分に対して厳しくできるから」
「柔軟性とおおらかさを持っているから」
「揺るぎない信念を貫いているから」
このようなことが、自己評価を挙げてくれる土台になっていることは珍しくないことだと思います。
つまり、安定的な根拠となり得ることがらは、人によって様々なんですね。
いずれにしろ、自分が本当に納得できている正当な根拠によって満たすことが、「自己に対する高い評価」への欲求のまっとうな満足のさせ方と言えると思います。
そしてこれは、自ずと二つ目の「自己尊敬、または自尊心」に結びついています。
「自己尊敬」とはその名の通り「自分を尊敬できること」です。
「自尊心」も、文字通り「自分を尊重する気持ち」のことです。
正当なり理由に基づく高い自己評価は、自分に対する敬意や誇りなどを生み出してくれますよね。
なお、この二つの事柄に関しては、もう少し後で詳しく掘り下げたいと思いますので、それまで楽しみに待っていていただけれと思います。
ということで、先ほどのマズローの引用文から分かったことは、「尊重の欲求」には、自己に対する高い評価や、自己尊敬・自尊心、他者からの承認などを求めることが含まれているということになります。
もっとも、マズローの「尊重の欲求」に関する説明はこれだけではありません。
マズローは、先ほどの文章の続きでこの欲求について更に次のように述べています。
『これらの欲求は、二分することができる。第一に、強さ、達成、適切さ、熟達と能力、世の中を前にしての自信、 独立と自由などに対する願望がある(注4)。第二に、(他者から受ける尊敬とか承認を意味する)評判とか信望、地位、名声と栄光、優越、承認、注意、重視、威信、評価などに対する願望と呼べるものがある。 』
つまり、先ほどの具体例を踏まえ「尊重の欲求」は大きく以下の二つに分けることができるとマズローは考えていました。
①強さ、達成、適切さ、熟達と能力、世の中を前にしての自信、 独立と自由などに対する願望
②(他者から受ける尊敬とか承認を意味する)評判とか信望、地位、名声と栄光、優越、承認、注意、重視、威信、評価などに対する願望
なお、この両者の違いのよくある説明として、前者のことをレベルの高い「自己承認」であり後者をレベルの低い「他者承認」と分類し説明される事も非常に多いようですが、この説明はマズロー自身の主張を正確に汲み取ったものとは言えなさそうですよね。
なぜなら、実際の先ほどの引用文では、マズロー自身は二種類の欲求のどちらが高いレベルでどちらが低いレベルかについては一言も言及していません。
ちなみに、マズローは他の文脈でもそのような意見は述べてはいないのです。
たしかに後者の②における「他者承認」についての説明はそのように解釈しても良さそうですが、少なくとも前者の①の説明は必ずしも「自己承認」についての説明だとは言い切れないですよね。
つまり、この二種類の説明を安易に捉え先ほどのような表面的な意味合いで解釈してしまうのは、マズローの真意を正確に汲み取ったものではありません。
むしろ、この後で引用するマズローが語る続きの文章をしっかり読み解かないことで、そのようなお粗末な誤解で生んでしまうんですよね。
ちなみに、先ほどの引用文にあった、『(注4)』という部分もこの意味において見逃せないポイントであり、この注意書きでマズローは次のように語っています。
『(注4)この欲求が普遍的なものかどうかはわからない。今日特に重要な決定的問題は、免れ難く支配されている人は果たして不満を感じ反逆を企てるのであろうか?ということである。よく知られている臨床的データによれば、真の自由(安全を儀牲にして得たものではなく、十分な安全を基礎に築かれたもの)を知った人は、その自由が剥奪されることをいとわなかったり簡単に許してしまったりはしないと思われる。しかしこのことが、生まれながらに奴隷である人にも言えるかどうかはわからない。』
要するに、①の願望の中に含まれていた『独立と自由などに対する願望』は、人間誰しもに一様に当てはまるものかは分からないということです。
なおかつ、この願望は真の自由を知っている人がもっていることは言い切れるものの、生まれながらに奴隷として扱われていたり支配的な環境を免れることができない人が抱いているのかはハッキリと断言できない、とマズローは考えていたのです。
そして、この注意書きの内容も踏まえ、先ほどのマズローの主張をまとめると以下のように整理できると思います。
「尊重の欲求」における一種類目の願望
・強くなりたい
・何かを成し遂げたい
・ピッタリと当てはまっていたい
・成熟していたい
・能力を発揮したい
・世間に対して自信を持ちたい
・自立し自由でありたい
「尊重の欲求」における二種類目の願望
・他人からの良い評価や誉め言葉がほしい
・周囲からの尊敬のまなざしを得たい
・何かしらの地位や名誉を手にしたい
・優越感に浸りたい
・注目の的になりたい
なお、これらの願いは、人によっては全てに該当しないこともありえるでしょうし、求める度合や強弱もそれぞれでしょう。
いずれにしろ、このように整理すると「前者はハイレベルな自己承認欲求であり、後者は低レベルな他者承認である」という説明がいかに安直で的外れな解釈かがお分かりいただけたかと思います。
一般的な意味合いにおける承認欲求はこのような説明でも良いのですが、マズローの欲求階層における四つ目の欲求である「尊重の欲求」についての説明としては、こういった説明がその本質とは明らかにズレてしまっていることは明らかだと思います。
しかも、この「尊重の欲求」についての説明はまだ続きがあり、その続きに触れることでこの欲求の更なる多面性を知ることができるのですが、実際にマズローは「尊重の欲求」についてこのようにも語ってくれています。
『自尊心の欲求を充足することは、自信、有用性、強さ、能力、適切さなどの感情や、世の中で役に立ち必要とされるなどの感情をもたらす。しかし逆にこれらの欲求が妨害されると、劣等感、弱さ、無力感などの感情が生じる。 』
この文章は比較的分かりやすかったかと思いますが、この内容を要約すると次のようにまとめられますね。
「自尊心の欲求」を満たすと得られるもの
・自己信頼感(自分を信じられる感覚)
・自己有用感(自分は必要とされている感覚)
・自己効力感(自分が役に立っている・自分には能力があるという感覚)
・自己重要感(自分は大切な存在であるという感覚)
ちなみに、「自尊心の欲求」とは「尊重の欲求」とイコールであると捉えていただいて大丈夫です。
したがって、逆に言えば、自己信頼感、自己有用感、自己効力感、自己重要感を感じられないのであれば、「尊重の欲求」は本当の意味で満たされてはいないということも言えますね。
そのような意味で、マズローもこの欲求が妨害されると弱気になってしまい、劣等感や無力感を抱くようになると言ってくれてるのでしょう。
そして、この続きでマズローはこうも述べています。
『我々は自尊心の基盤を、実際の能力、仕事に対する適切さなどではなく、他者の意見をもとに形成してしまうことの危険性をたくさん学んできた。 最も安定した、 したがって最も健全な自尊心は、外からの名声とか世の聞こえ、保証のない追従などではなく、他者からの正当な尊敬に基づいているのである。』
つまり、マズローがこの文章で伝えてくれていることは、自尊心の基盤を自分のことをよく知らない外部からの名声や根拠のないお世辞に基づいてつくり上げることは危険であり、最も安定した健全な自尊心は、自分をしっかりと理解していくれている人からの自分の能力や仕事への適正さに対する正当な敬意に基づくものであるということです。
要するに、大して深い関係性でない赤の他人からの意見など、真の自尊心を育むのに何の役にも立たないどこか、むしろ害になる可能性が高いということです。
だからこそ、自尊心を育むために、自分の本質をしっかりと理解してくれている存在からの健全な敬意を大切にするべきなんですね。
言い換えれば、相手が自分を評価している時に、その人が自分のことを本当に正しく認識できていないのであれば、その相手の意見などには耳を傾ける必要すらないとも言えると思います。
それは、距離感の遠い赤の他人はもちろん、自分の親であれ上司であれ付き合いの長い旧友であれ、自分のことを正確に理解していない人物からの敬意なのであれば、それは同様に健全な自尊心を育む上ではあまり価値がないのです。
そういった意味では、「いまの私の自尊心の根拠となっている評価をしてくれている相手は、本当に私のことを正確に理解してくれているのか?」といった視点で振り返ってみると、その自尊心が健全なものか否かが見えてくると思います。
そして、このような前提に基づき、マズローは「尊重の欲求」について続きで次のようにも説明してくれています。
『ここにおいても、純然たる意志力、決定、責任などに基づく実際の能力や達成と、自身の真実の内的本性や素質や生物学的宿命などから自然に容易に出てくるものとを、 区別することは有益である。』
これは、少々読みにくい文章かもしれませんね。
この内容を分かりやすく言えば、僕たちが他者を評価する際には「表面的な実績や能力」への評価と、「目に見えないその人の本質的な要素」への評価があり、それらを明確に区別することが大切であるとマズローは語っているのです。
なお、このことは「尊重の欲求」の具体例の①「自己に対する高い評価」で触れた内容とも繋がているものですね。
繰り返しになりますが、何かしらの成果や結果に対する評価なのか、自分の一人の人間としてのアイデンティティに対する評価なのかを区別することで、自己評価というのは整理できます。
このような意味において、他者からの評価というのも、「実績や能力に基づく評価」と「人間性や個性といったような内的な素質に基づく評価」に分けて考える必要があるということです。
したがって、ここまでの内容を一旦まとめてみると、以下のように整理できると思います。
・「尊重の欲求」は、自己に対する高い評価・自己尊敬や自尊心・他者からの高評価を求める欲求などが含まれている
・それらは「能力の発揮や成果を出すことや自立し自由であることなどに対する願望」と「他者からの承認を求める願望」の二種類に分けられる
・「尊重の欲求」を健全に満たすと自己信頼感、自己有用感、自己効力感、自己重要感を感じられるようになる
・「尊重の欲求」は、自分の本質をしっかりと理解してくれている存在からの正当な根拠に基づく必要がある
・その根拠には、自分への「実績や能力に基づく評価」と「人間性や個性といったような内的な素質に基づく評価」の二種類がある
マズローは、「尊重の欲求」についてこのような事を言いたかったのですね。
さて、ということで、「尊重の欲求」の具体例を通してこの欲求の輪郭が更に明確になったところで、続いてはこの欲求を満たす際の注意点を把握しておきましょう。
3.尊重の欲求を満たす際の落とし穴
突然ですが、皆さんは普段の生活の中で何を尊重しているでしょうか?
言い換えれば、身の回りにあるものごとの中で、何に対して価値を感じ意識的に大切に扱っていますか?
この問いに対する答えは十人十色だと思います。
しかし、基本的には尊重する対象として、特定の「人物」と紐づけることが多いのではないでしょうか。
あるいは、「〇〇さんの意見を尊重する」といったフレーズもよく見聞きしますが、それも広い意味ではその「〇〇さん」を尊重しているという点で、「人物」に含まれるでしょう。
いずれにしろ、私たちは毎日の生活の中でその大小の差はあれど、お互いに「尊重しあっている」と言えますよね。
「尊重する」というと少し仰々しいので、「テキトーに扱わないようにしている」「雑な対応をしないように心掛けている」と言ってもいいかもしれません。
あるいは、相手に対して「気を配っている」「配慮している」と捉えると、もう少し分かりやすいですかね。
実際、社会性をもつ生物である僕たち人間というのは、多少なりともお互いに尊重しあうことで生活ができています。
あからさまに相手を粗末に扱ったり、相手の立場を考えずに自分勝手なふるまいをしていては望ましい社会生活が送れないことは言わずもがなですよね。
つまり、お互いにある程度配慮しあうからこそ、良好な関係が他者とつくれるとも言えると思います。
これとは逆に、僕たちは自分が尊重したいと思えないような人とは基本的に関わろうとしません(笑)
そういった意味では、「尊重」とは別に大袈裟なものではなく、僕たちが普段から無意識的に行っていることであり、それはとても人間じみた感覚とも言えそうです。
しかし、そのようにしてお互いに尊重しあうことで人間関係をつくっている僕たちですが、身近な人ほど尊重することを忘れがちなのもまた事実ですよね。
これは色々なところで見聞きしたことのある話だと思いますが、人間というのは「当たり前」になったものごとに対しては意識やエネルギーを注がなくなり、場合によってはそれをぞんざいに扱うことも珍しくない生き物です。
ちなみに、この話を聞いた多くの方が、自分の家族や身近な友人、あるいは職場の同僚などを思い出して「私はあの人のことを尊重していなかったかも…」と思ったりしたのではないかなと思います。
しかし、私たちが「この地球上で最も尊重していない人物」は、実はそのような人たちではありません。
地球上にたった一人だけ、しかも、あなただけが尊重していない人物がこの世界には一名存在しています。
その一名は、あなたの世界においてかけがえのない最重要人物であり、しかも他の人たちは全員その人のことをちゃんと尊重しているのに、あなただけが唯一尊重することを忘れている人が一人だけいます。
ということで、ここまで大袈裟に言えば、もうさすがに、その人物が誰だか分かりますよね(笑)
そうです、その人物とは、他ならぬ「あなた自身」のことです。
4.尊重の欲求の正しい満たし方とは?
さて、先ほどはかなりオーバーな表現をあえてしましたが、何を隠そう僕たちは、かけがえのない「自分自身」を尊重することを忘がちです。
「遠慮」や「謙遜」を美徳とし、「自己主張」することをあまり良しとしない文化を持つ我々日本人は、特にこの傾向が強いと言えるでしょう。
だからこそ、「尊重する」と聞くとほとんどの方が、まず最初に自分以外の人を思い出します。
少なくとも、「私は誰よりも自分を尊重しています」と言うと、すごく身勝手で利己的な人だと思ってしまいますよね(笑)
しかし、よくよく考えてみると、その感覚はいかがなものなのでしょうか。
自分を尊重できない人が、本当の意味で他人を尊重することができるでしょうか。
自分のことをビシバシ鞭で叩いている人に優しくされて、どう思いますか。
ガリガリに痩せこけた人が差し出すパンを快く受け取れる人は、いったいどれだけいるのでしょうか。
つまり、他者を尊重するためには、まずは自分で自分を尊重してあげる必要があるとうことです。
事実、自己実現に生きている人というのは、自分を尊重することで他者を無理なく尊重することができているとマズローも述べています。
なおかつ、自己実現している人の特徴は、依存的ではなく自立的なかたちで自尊心を育めているということです。
要するに、彼らは外部からの名声や社会的に評価されることを自分の自尊心の土台には据えていません。
言い換えれば、自分の外側の要素に一切依存していない自尊心を養うことが出来ています。
彼らは、社会から賞賛されている地位や名誉や立場などは重要視していません。
それよりも、自分の内的な基準を大切にすることで、「尊重の欲求」を健全に満たすことができています。
だからこそ、彼らは他者を尊重することができ、結果的に周囲の人々と良好な人間関係を築くことができるのです。
そこには、自己犠牲もなければ、一方で誰かの尊厳を傷つけることもありません。
つまり、利他と利己が統合されている尊重です。
自分を尊重することと他者を尊重することが対立せずに、自分を大切にすることと他人を大切にすることの両方が自然と両立できているのです。
それゆえに、彼らは真の意味での自己実現を深めることができます。
言い換えれば、ありのままの自分を尊重できているからこそ、もともとの素質・本性を活かして豊かな自己実現を生きることができるのでしょう。
このようなことも踏まえて、マズローは「尊重の欲求」の満足の先に「自己実現の欲求」を見出していたのですね。
「自分を尊重する」ことは「自分を甘やかす」こととは違います。
他人を尊重することは、必ずしもその人甘やかすことではないですよね。
むしろ、その人のことを思ってあえて厳しく接することが「尊重」と言えることもあります。
いずれにしろ、「尊重」とは何かを平たく言えば、「価値があると感じられ大切に扱うこと」です。
そういった意味では、まずは自分で自分を尊重してあげることが、「尊重の欲求」を健全に満たすスタートラインなのではないでしょうか。
その際に役立つ視点は、これまで見てきたマズローの主張にたくさん隠れていましたよね。
マズローの意見にしっかりと耳を傾け、それを参考に自分を振り返ることで、僕たちは自分の「尊重の欲求」を満たすことができ、それが周囲の人々を尊重することにも繋がっているんです。
ということで、「尊重の欲求」の解説は以上になりますが、ここまで触れてきた内容が、皆さんの自己イメージの正しい把握や、自分に対する自分自身の評価を省みるヒントになり、「尊重の欲求」の自立的な満足につながっていただければ幸いです。
●マズローが欲求階層において四つ目に掲げた欲求は「尊重の欲求」であり、いわゆる承認欲求は「尊重の欲求」を満たす一つの手段でしかない
●「尊重の欲求」を一言で表現するなら「自分を大切にしたい」という欲求である
●「尊重の欲求」は、自己に対する高い評価・自己尊敬や自尊心・他者からの高評価を求める欲求などが含まれており、それらは「能力の発揮や成果を出すことや自立し自由であることなどに対する願望」と「他者からの承認を求める願望」の二種類に分けられる
●健全なかたちでの「尊重の欲求」の満足には、自分を正しく理解している人からの正当な評価が大切である
●その評価には、「自分の実績や能力に基づく評価」と「自分の人間性や個性といったような内的な素質に基づく評価」の二種類がある
●その上で重要なのは自分で自分自身を尊重できるか否かであり、まずは自分を大切に扱ってあげることが「尊重の欲求」を健全に満たすスタートになる