マズローの欲求階層において生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求、尊重の欲求に次ぐ5番目の欲求である「自己実現の欲求」。
この欲求について、マズロー自身はどのような考えを持っていたのでしょうか?
実際にマズローが書いた書籍の引用文を用いて、自己実現の欲求の正しい意味、特徴や具体的な事例などをサクッとまとめました。
このコラムを最後までお読みいただくことで、一般的には語られない本当の自己実現のすがたを知ることができます。
もくじ
1.自己実現の欲求とは何か?
ここではまず最初に、自己実現の欲求とは何なのか?の結論から述べたいと思います。
マズローの語る自己実現の欲求についての概要を整理すると、以下のようにまとめることができます。
・「自己実現の欲求」は、他の四つの基本的欲求が満たされると現われるものであり、他の動物には見られない人間特有の欲求と言える
・「自己実現」の姿かたちは十人十色であり、必ずしも仕事や職業に限定されたものではない
・自己実現の欲求で生きる人は行動が感謝に基づいており、周りの人に対しても愛情深い気持ちで接することができる
・自己実現とは、ゴールを達成することでなくその過程を味わうものであり、欠乏を満たすことや社会的な成功・他人からの評価を得ることでもなければ、苦しい努力を伴うものでもない
・自己実現とは、自分の内側にある個性を創出するという、自然界や子どもにみられるようなとてもナチュラルな状態のことである
・以上のことも踏まえ、「自己実現の欲求」を一言で表現するなら、「ありのままの自分としての可能性を最大限に発揮したい」という欲求である
マズローが実際に述べていた事柄を整理するとこのような形になるのですが、言わずもがな自己実現というのは本当に奥が深く、またそれ故にその本質を誤解している方がとても多いという特徴があります。
実際、インターネットで検索した情報だけではその奥深さや自己実現を生きる本当の意義に触れることは到底できません。
もちろん、上記のような概要だけにサラッと触れただけでも、自己実現を理解したことにはならないんですよね。
ということで、実際に自分の自己実現の欲求を健全に満たし、有意義で豊かな人生を歩むためにも、ここからはその詳細について、詳しく紐解いてみたいと思います。
2.自己実現の欲求の特徴
マズローは、『人間性の心理学』という書籍の中で欲求階層について詳しく述べてくれているのですが、生理的欲求から始まるそれぞれの基本的欲求の説明の流れの中で4番目の「尊重の欲求」のあとに、次のような文章で「自己実現の欲求」について語りはじめています。
『これらの欲求がすべて満たされたとしても、人は、自分に適していることをしていないかぎり、すぐに(いつもではないにしても)新しい不満が生じ落ちつかなくなってくる。』
つまり、欲求階層における自己実現の欲求以外の欲求が満たされたとしても、僕たち人間というのはどこか物足りなさを感じたり、心が欠けている感じやモヤモヤした気持ちを抱くようにできているのです。
そのモヤモヤの正体こそが自己実現の欲求が満たされていない証拠であり、この欲求を満たさなければ真の満足感を得ることができません。
したがって、たとえ衣食住が満たされていて、身体的にも精神的にも安心感を感じられていて、人間関係における所属感や愛情や繋がりにおいて問題がなく、自他ともに尊重し合えた環境下で生きられたとしても、心は完全に満たされることはないのです。
そう考えると、人間という動物はとても贅沢な生き物なのかもしれませんね(笑)
そして、マズローは先ほどの文章の続きで、自己実現の欲求の具体例に関する内容を話してくれています。
『自分自身、最高に平穏であろうとするなら、音楽家は音楽をつくり、美術家は絵を描き、詩人は詩を書いていなければならない。人は、自分がなりうるものにならなければならない。人は、自分自身の本性に忠実でなければならない。このような欲求を、自己実現の欲求と呼ぶことができるであろう。』
この文章からも分かるように、自己実現の欲求が満足し、真の意味で人としての心が満たされるためには、音楽家は音楽をつくり、美術家は絵を描き、詩人は詩を書く必要があるということです。
もっとも、ここでは分かりやすい芸術に関する事例をマズローは挙げていますが、自己実現の欲求はこのような創造的でいわゆるアーティスティックなものごとに限定されるものではありません。
実際、上記の文章の中盤でも『人は、自分がなりうるものにならなければならない。人は、自分自身の本性に忠実でなければならない。』という表現でマズローはこのことを述べていますね。
つまり、平たく言えば「自分らしくありたい」という欲求が「自己実現の欲求」であると、この文章からは読み解くことができるでしょう。
また、マズローは別のところで、仕事をしていない専業主婦のなかにも家事や育児を通して自己実現している人物についても触れていたりします。
このことから、自己実現とは仕事やビジネスに限定されたものではなく、あくまでも自分の内面の奥の部分から生じる衝動にしたがって生きたいという気持ちが自己実現の欲求であるということが分かると思います。
言い換えれば、その内容が職務であれプライベートなことであれ何であれ、収入に繋がるか否かは関係なく、自分の本性や本心をまっとうするものであるならばそれは自己実現の欲求であるということですね。
そしてこの文章に続いて、マズローは次のようにも述べています。
『この言葉は、人の自己充足への願望、すなわちその人が潜在的にもっているものを実現しようとする傾向をさしている。この傾向は、よりいっそう自分自身であろうとし、自分がなりうるすべてのものになろうとする願望といえるであろう。』
この文章で、マズローが「自分らしくありたい」という事について更に具体的に明示してくれていますね。
この文章から分かることは、「人間は誰しも潜在的にもっているものを実現したいと思っている」ということであり、それはイコール「より自分自身を極めることである」ということです。
なお、この文章内の『自分がなりうるすべてのものになろうとする願望といえるであろう。』という一言については少し補足をしておきたいと思います。
これは、他のマズローの自己実現に関する発言も含めて読み解かないと正しく理解できない文章だと言えるのですが、ここではその結論だけ言うと、この言葉の意味は「自分の可能性を最大限に発揮したいという願望が人間にはある」ということです。
つまり、人は無意識的に自分の内側に隠れている大いなる可能性の存在を知っていて、その可能性を存分に発揮し表現することで、この世界でより自分らしく輝きたいと思っているということです。
これを別の言葉で言えば、僕たちは自分の内に秘められた可能性の種の存在を知っていて、それを育みしっかりと開花させるイメージですかね。
もちろん、これは私の個人的な意見ではなく、マズロー自身が同様の趣旨の発言を書籍のいたるところで述べています。
実際にマズローは、先ほどの文章に続く次のような表現でそのことを説明してくれています。
『これらの欲求が実際にとるかたちは、もちろん人により大きく異なる。ある人では、理想的母親になろうとする願望のかたちをとり、また他の人では、運動競技で表現されたり、絵を描くことや発明で表現されたりもする。この段階では、個人差は最も大きい。』
この文は少し前に触れた内容のおさらいにもなる内容ですが、要するに自分に備わる種というのは、他に類を見ない唯一無二の種ということです。
また、マズローはこれと同様のことを他のところでは次のような言い方で伝えてくれています。
『樹木が日光と水、養分を必要とするように、ほとんどの人には、愛や安全などといった外部からのみ得られる基本的欲求の満足が必要である。しかし、 一度、これら外部から欲求を満足させるものが得られ、また、 内的欠乏が外から欲求を満足させるものによって飽和されると、個々の人間の発達の真の問題、すなわち自己実現の問題が始まるのである。 』
つまり、自然の樹木が太陽の光・雨・土壌を必要とするのと同じように僕たち人間には自分以外のものから満たされる欲求がある一方で、その欲求が完全に満たされるとそれらと同じように自然な欲求として自己実現の欲求が現れるということです。
したがって、僕たちはどれだけ「遠慮」や「謙遜」という隠れ蓑を使っていても、あるいは「自己否定」や「自己嫌悪」という仮面を取り繕っても、もともと自分の奥底には「自分の真価を発揮して、自分らしい人生を謳歌したい」という欲求がそなわっているのですね。
そしてそれは、「卑しい欲望」でも「利己的な野望」でもなければ、「荒唐無稽なただの妄想」でも「都合のよい現実逃避の手段」でもありません。
なぜなら、「ご飯が食べたい」「安全に暮らしたい」「誰かと繋がっていたい」「自分(他者)を大切にしたい」という欲求と同じく、人間として生きていく上で欠かすことのできない大切な望みであり、人としてとても自然な願望なのです。
そして、このひとまとまりの説明とは別のところでは、マズローは自己実現の欲求の特別性とこの欲求を満たした人物に関して次のような特徴を述べています。
『我々の、食物に対する欲求は生きとし生けるものと共有するものであり、愛に対する欲求は(おそらく)高等な類人猿と共有するものであろうが、自己実現の欲求は人間だけのものである。』
『【自己実現以外の基本的欲求は、】人類すべての成員に共通するどころか、ある程度他の生物にも同じように認められる。自己実現は人みなそれぞれ異なっている点で特異的である。』
この二つの文章から分かることは、自己実現の欲求のみが他の動物にはない人間ならではの欲求であるということですね。
それと同時に、自己実現の欲求以外の基本的欲求はすべての人に共通するものであるのに対し、自己実現の欲求は個々人オリジナルの色とりどりの性質を帯びた一人一人の個性を見いだせる欲求であるということです。
そして、このような特徴のある自己実現の欲求について、その欲求にもとづいて生きる人がもっている特徴をマズローは次のように説明しています。
『自己実現者は補うべき重大な欠乏はなく、今や、自由に成長や成熟、発達などができるようになったと みなされなければならない。すなわち、 一言で言えば彼らの個人的、ならびに種の性質を最高に成就し実現することができるということである。』
ここで注目すべきは、自己実現の欲求で生きる人は補うべき重大な欠乏がないということでしょう。
この事はマズローが語っていた「成長欲求と欠乏欲求」の話や「成長動機と欠乏動機」の話に関わることなのであり、その詳細に触れるのはもう少し後にさせていただければと思うのですが、ここでは簡単な結論だけ述べると、マズローが自己実現していると認めた人びとは皆一様に欠乏感によって生きることはしない人々でした。
言い換えれば、彼らは心の空白や欠損的な要因を原動力にすることはないのです。
なお、マズローは先ほどの文章の続きでこのことを少し違った形でも説明してくれています。
『自己実現のレベルで生きている人々は、実際に、人類を最も愛する人であると同時に、また、個人的特性を最も発達させた人でもある。』
この文章からも分かるように、自己実現を生きる人は利己的な欲望を満たすのではなく、自分の個性を活かす形で自分の周囲の人々とそれらを包み込む全体を慈しむような愛情深さをもっているのです。
また、この特徴を更に詳しくマズローは説明してくれています。
『自己実現者は、人間の不幸の深い原因から比較的免れている。つまり彼らは「感謝する」ことができるのである。恩恵の幸運を意識しているのである。不思議な事は繰り返し起こっても不思議なままである。普通ならすぐに慣れて忘れてしまう不相応の幸運や根拠のない恩恵をいつまでも忘れずに自覚しているために、人生は常に価値あるものであり、けっして陳腐にはなっていかないのである。』
つまり、自己実現を生きる人は、自分に与えられた恩恵や幸運をしっかりと受け止め、感謝する心を基本に据えることができていて、それゆえに自分の人生をより大切に扱うようになるという特徴があるのです。
そして、それによって他人に対しても愛情深い気持ちをもって接することができるようになるのですね。
したがって、自己実現の欲求を満たそうとすることは、決して自分本位なものでもなければ自己中心的なものでもなく、むしろこの欲求を満たすことは自分の人生が豊かになるだけではなく、周りの人々や社会全体によりよい影響を及ぼすということでしょう。
そういった意味では、自己実現の欲求は一個人の充足だけをもたらす欲求ではなく、とても利他的な側面をもった欲求とも言えると思います。
言い換えれば、自己実現の欲求を満たすことは、自分と、自分の周りの人々と、社会全体を幸せにすることに繋がる欲求と言っても過言ではないのかもしれません。
このように自己実現を生きる人の特徴を知ってみると、なんだか神がかった無敵な人格者のような感じがしますね(笑)
しかし、実は自己実現者にも欠点はあります。
とはいえ、残念ながらその詳細に触れる話が発散してしまうので、こちらについて深ぼるのはまた別の機会に譲らさせていただくことをお許し下さい(笑)
もっとも、ここまで見てきた自己実現の特徴を知っただけでも、その輪郭はだいぶ鮮明になりましたよね。
ということで、続いてはこれらの自己実現の特徴を踏まえた上で、自己実現の欲求の具体例について把握することで、更にこの欲求への理解を深めていきましょう。
3.自己実現の欲求の具体例
さて、先ほどのような特徴を持つ自己実現の欲求とその欲求で生きる人々ですが、その定義には注意が必要です。
というのも、私たちは表面的には自己実現の欲求を満たそうとしているように見えても、実は他の欲求に基づいて行動しているケースも非常に多いからです。
要するに、自己実現の欲求と他の欲求の見分け方を身に着けておかないと自他の行動がどの欲求に紐づいているのかわからなくなってしまうのです。
そのために、自己実現の欲求の具体例を知っておく必要があるということになりますね。
実際問題、「自己実現」という言葉の意味を、「社会的に成功すること」や「目標を達成すること」や「願望実現をすること」という表面的な捉え方をしている方も少なくないようです。
しかし、ここまで見てきたように、自己実現とはそのような上っ面なものではありませんでしたよね。
たしかに結果的にこのような付加価値がついてくる可能性は高まりますが、むしろこのような誤解のもと自己実現の欲求を満たそうとすると、本当の意味での自己実現者からは離れていく一方です。
では、正しい意味で自己実現を目指している場合とそうではない欲求を満たそうとしている場合は、どのようにして見分けたらいいのでしょうか。
自他の表面的な行動や口先の発言に惑わされることなく、確実に自己実現の欲求に基づいているかどうかを見分ける方法はないのでしょうか。
このことに関しても、マズローは非常に丁寧に説明してくれています。
『ほとんどの心理学者が反対の考えをもっているにもかかわらず私には自明のことと思えるのは、すべての行動とか反応が、いわゆる欲求の満足を求めるというかたち、すなわち欠乏しているものを求めるというかたちで動機づけられているとは限らないということである。成熟、表出、成長といった現象あるいは自己実現などはすべて、欠乏しているものを求めるという一般になされている動機づけの法則の枠からはみ出ており、対処(コーピング)としてよりむしろ内的心理的過程の表出と考えた方が良い。』
この文章は少し前にお預けしておいた欠乏感に関する特徴へのアンサーになるものですが、マズローはあらゆる欲求が欠乏を埋めようとするものではないことに触れたうえで、自己実現に関しては欠乏を埋めることには該当しないと明言しています。
そして、自己実現というのは、人間の内側にあるものが表に出てくる過程であり、何か特定の目的を達成するための対処・手段としての行動ではないとも述べています。
要するに、自己実現の欲求とは、それを満たす過程、すなわち自分の内側にあるものを創出する過程そのものが目的となっているとも言い換えられるでしょう。
これに対して他の欲求、たとえば生理的欲求で言えば、それは「空腹」という欠乏を埋めることが目的にあり、その手段として「ご飯を食べる」という行動がもたらされるので、「ご飯を食べる」ということは「満腹」を達成するための手段でしかありません。
しかし、同じ事例を当てはめて考えると、自己実現に関してはこの「満腹になること」が目的なのではなく、むしろ「ご飯を食べる」ということ自体が目的になるということです。
言い換えれば、「ご飯を食べる」という行動を通して自分の内側にあるものを表に出すことに重きを置いているということであり、そこには辿り着くべき目標という意味での「空腹を満たす」という目的はありません。
両者の違いをもう少し広い意味で言えば、「幸せになるために生きるのか、生きることが幸せなのか」というようにも言い換えられると思います。
また、このことに関して、マズローは次のように端的な言い方で述べてくれてもいます。
『彼らは、目的地に到着することと同様に、その過程そのものを楽しむことができる』
これは、とても分かりやすい表現で自己実現を理解する上で大切なポイントを述べてくれていますね。
つまり、この一文からもよりハッキリしたように、自己実現者とはゴールに辿り着くことと同じようにその道中で経験すること自体も楽しんでいるのです。
このことを山登りでたとえてみると、山頂に着くことだけでなくそこに辿り着くまでの「登山」という経験自体を楽しんでいるということですね。
したがって、自己実現者はもし仮に登山口にワープ装置があってそれを使えば一瞬で山頂に辿り着くことができたとしても、それを使用することはないのでしょう。
そういった意味では、僕たちは「目標を達成するまでの過程そのものを楽しめているか?」「いきなりゴールに辿り着けるとしたらそれを選ぶか?」という視点で考えてみると、その行動が自己実現に基づいているか否が見えてくるのだと思います。
もう少し具体的な話で言えば、たとえば仕事をしている理由が「お金の獲得」「世間体の保持」「他者の批判から逃れる」「社会的成功」「老後の安泰」などといったような目的にもとづいていて、仕事そのものを楽しめていなければ、それはマズローの言う自己実現ではないということです。
したがって、もし自分がいまの仕事をやめてもそれらの目的が達成されると仮定したときに、自分は仕事をやめるか否かという視点で自分の仕事との関係性を振り返ってみると、いまの仕事と自己実現が結びついているかがハッキリと自覚できると思います。
ちなみにここで少し余談ですが、よく自己実現の欲求のイメージアイコンとして階段を上るイメージ図が使われていることがあるようなのですが、道程自体を楽しむという自己実現の特徴をちゃんと理解していれば、あのようなアイコンには違和感を感じざるを得ないと思います。
もちろん、自己実現には「上昇する」というスタンスも当てはまるのですが、少なくともそれは自己実現の側面の一つでしかないので、あのアイコンは半分正解であるものの半分不正解だと個人的には思っていたりします。
いずれにしろ、マズローの書いた書籍の原文をちゃんと読んだことがある人であれば、僕と同じような意見を持っていただけると思います。
さてさて、ということで、自己実現の欲求の見分け方に触れることでこの欲求への理解が更に深まった後は、最後の極めつけとして、「自己実現とは結局なんなのか?」という総まとめに入っていきたいと思います。
4.結局、自己実現とは何なのか?
ここでまず、これまでの内容を改めて整理してみましょう。
①「自己実現の欲求」とは、「自分らしくありたい」「自分の内側に眠る可能性を最大限に発揮したい」という欲求である
②自己実現とは、欠乏を埋めるためのものではなく、他者からの賞賛や社会的な見返りなどといった自分の外側から与えられるものを求めるものでもない
③またそれは、苦痛を伴う努力ではなく、自然に表に出てくる本性のようなものである
④そして、自己実現とは何かゴールを達成するための手段ではなく、その過程そのものに価値を見い出し、その道程自体を楽しむものである
そして、これら四つの特徴を一言でまとめると、「自己実現とは、自分の内側の可能性を最大限に発揮することであり、実現という目的だけでなく実現までの過程を楽しむことができ、欠乏を満たすこと・外的な成果を手に入れること・歯を食いしばって努力することではなく、自分の内側から自然と溢れ出すものである」と整理できるでしょう。
つまり、マズローの定義する自己実現とは、簡単に言えば「自分らしく自然な状態で、自分の内側の可能性を発揮すること」とも言い換えられるのではないでしょうか。
なお、ここで簡単に、「努力をしない」ということが引っかかった方に向けてこの内容についてちょっとだけ補足をさせていただきます。
というのも、普通に考えると「努力をしない」と聞くと不真面目で怠惰で自分に甘えている悪いことのような印象を受けますよね。
子供の頃から事あるごとに「がんばれ!」という掛け声を浴びせられ続け、ある種便利な謳い文句のように「がんばってね!」というフレーズをあまり深く考えることなく当たり前のようにお互いに言い合ってきた僕たち日本人にとっては、「努力しないこと」にはことさら否定的なニュアンスが染み付いています。
しかし、マズローはこの「努力すること」や、あるいは「目的を達成するためにコントロールしようとすること」について非常に面白い見解をもっていました。
ちなみに、個人的にはマズローの伝えてくれるこの視点は、これからの時代に生きる私たちにとっては特に大切なポイントであると思っています。
ということで、少々長い引用文ですが、「努力すること」と「コントロールすること」に関しての自己実現を例に挙げたマズローの主張で、このコラムを締めくくりたいと思います。
『その自発性は、 タオ的(道教的)柔軟さをもち、自由であり、 ビンと張った筋肉や括約筋をもっているかのようである。 ダンスをするのに最も望ましい方法は、少なくとも素人では、自然で流れるように、音楽やパートナーの無意識の要求に自動的に合わせることである。上手な踊り手は、自らを解放し、音楽に合わせて音楽により動かされる受身的な道具となって踊ることができる。【中略】しかし、 このように踊れる人は少ない。大部分の人は、努力し、指示に従い、自己をコントロールし、目的的に、注意深く音楽のリズムを聞き、意識的に動作を選択することにより音楽に合わせようとするのである。そのような人は、見物人から見ても自分で見ても、 下手な踊り手であろう。なぜなら、彼らは結局、努力することを越えて自然になるという場合を除いて、我を忘れるような深い経験として、自らコントロールをせずにダンスを楽しむことはけっしてないからである。』
このような内容は、特にスポーツや武道を極めている人には深く共感できる話だと思います。
あるいは、芸術の分野で自分を深めようとしている人も、強く賛同できる内容でしょう。
一方でこの主張は、恐怖心に操られ、競争心にそそのかされ、自己防衛に必死になり、他者をコントロールしようとし、エゴという意味での自我に埋没し、世界と調和のとれた生き方ができない人には、まったく理解できない内容だと思います。
だからこそ、真の意味で自己実現を生きられる人はとても稀な存在なのですね。
少なくとも、冒頭でも触れたようにマズローの語る自己実現を表面的に知るだけだったり、自分の都合で好き勝手に解釈している人には、真の自己実現を生きることは絶対にできないでしょう。
そういった意味でも、マズローの語っていることを正しく理解したうえで、今の自分と徹底的に向き合い、利己的な欠乏感からではなく自分の内側から溢れ出てくる感謝と受容の気持ちに素直になる勇気をもつことが、マズローの自己実現を理解するスタートになるのではないでしょうか。
●「自己実現の欲求」は、他の四つの基本的欲求が満たされると現われるものであり、人間特有のものと言える
●「自己実現」の姿かたちは十人十色であり、必ずしも仕事や職業に限定されたものではない
●自己実現のレベルで生きる人は、感謝に基づいており、周りの人に対しても愛情深い気持ちで接することができる
●自己実現とは、ゴールを達成することでなくその過程を味わうものであり、欠乏を満たすことや社会的な成功・他人からの評価を得ることでもなければ、努力を伴うものでもない
●自己実現とは、自分の内側にある個性を創出するという、自然界や子どもにみられるようなとてもナチュラルな状態のことである
●以上のことも踏まえ、「自己実現の欲求」を別の言い方で表現するなら、「自分らしくありたい」「自分の内なる可能性を最大限に発揮したい」という欲求である