心の健康

心の健康にする心理療法のポイント&やっかいな神経症的欲求とは?

 

このコラムでは、Amazonで販売中のkindle電子書籍 『マズローが教えてくれる健康な心のつくりかた』の内容の一部を、チョコっとだけご紹介させていただいています。

 

 

マズローは、僕たち人間に共通して備わっている欲求を、「生理的欲求」「安全の欲求」「所属と愛の欲求」「尊重の欲求」「自己実現の欲求」の五つに分け階層上に積み上げ、この五種類の基本的欲求を満たすことが心の健康に繋がっていると考えていました。

今回は、この基本的欲求の満足に関する、「心の健康」という側面から見た際のちょっとしたおまけ話を二つほどご紹介できればと思います。

 

その一つ目が、マズローが、いわゆる心理療法の目的というものは、この五つの基本的欲求の満足にあると言っていたことです。

つまり、心理療法というのはそれぞれの患者の満たされていない欲求を満足させることが目的であり、その人に欠けているものを与えるか、それとも、その人が自分自身で欠けている欲求を満たすことができるようにすることが治療の目的であるということです。

 

言わすもがな、心の病へのアプローチ手法は、自分に合ったものを探すのが大変なほどたくさんありますよね。

投薬治療、休職、カウンセリング、セラピー、催眠療法、認知療法、アロマテラピー、NLP、瞑想…etc.

一般的なものから専門的なものまで含めれば、探し出したらキリがないくらいに選択肢が存在しています。

しかも、そのジャンルやメソッドの中でも、更に細かい違いがあったり、人によって薦めている方法が違ったりもしています。

 

しかし、マズロー的な健康法で考えると、その方法は何であれ、目的はみな一様に栄養失調に陥るほど不足した欲求満足度を上げてあげることだと言えるのです

言い換えれば、治療の受け手それぞれの不満足のレベルが深刻な欲求を満たすことが、あらゆる心理療法の目的であるとも言えますね。

つまり、自分の心の病の原因になっている欲求不満を満たすことができるものさえ選べればそれは本人にとって有効な方法になるということです。

逆に、どれだけ多くの人に支持されていたり、誰か有名な人が薦めているものであっても、その方法で自分の欲求が満たされなければ意味がないとさえ言えるでしょう。

このような意味でも、自分の欲求をしっかりと把握することが大事であり、そこがズレてしまうとどのようなものであれ、自分の心に栄養を与えて健康な状態に戻してあげることはできません

いわゆる「Do(やり方)よりもBe(在り方)の方が大切である」というもの、この事と言えますね。

小手先で何かしらの対処するのではなく、もっと本質的な土台へのアプローチが先にあると言っても良いかもしれません。

そして、自分の欲求をしっかりと理解するときに欲求階層という視点でそれを把握すると、自分の心の状態がとても把握しやすくなるということなんです。

 

なお、マズローは、いわゆる心理療法は階層が下の欲求ほどあまり効果がないとも言っていました。

これは逆に言えば、心理療法は階層が上位に位置する欲求であればあるほど効果的だとも言えます。

まあ、お腹が空いてる人には、抗うつ剤やカウンセリングやセラピーよりもおにぎりを与えたほうが良いのはその通りですよね(笑)

逆に、たとえば「尊重の欲求」が満たされていない人に対しては、心理療法はより有効だとマズローは考えていたということになります。

 

こういった事も踏まえながら、マズローの基本的欲求の話を参考にしつつ自分の欲求と向き合ったうえで、それに見合った適切な方法を実践することで、心の健康度ははじめて高まると言えるのではないでしょうか。

そして、次に紹介する二つ目のオマケ話は、実はこれと通じる話でもあります。

 

そんな二つ目のオマケ話とは、マズローが、五つの基本的欲求とは対称的な欲求であるとした「神経症的な欲求」についての話になります。

 

結論から言うと、僕たち人間は心の病気が進むことで基本的欲求が「神経症的な欲求」にとってかわられてしまいます

しかも、その「神経症的な欲求」というものは、永遠に満たされないものなんです。

ちなみに、どうしてこの「神経症的な欲求」が永遠に満たされないかというと、その人が求めているものは実は別の何かだからであるとマズローは説明しています。

つまり、心が病気になると、自分が本当に欲しているものでないものを自分の欲求だと勘違いしてしまい、それが「神経症的欲求」であるがゆえにいつまでも満たされることはなく、結果的に問題が何も解決せずに前に進むこともできないということですね。

 

この「神経症的な欲求」について具体例を挙げてみると、たとえば暴飲暴食などが該当するかと思います。

いわゆる精神疾患でなくとも、欠乏感や淋しい気持ちから暴飲暴食してしまう時って、食べ物を食べても胃袋は満たされますが心は全然満足しませんよね。

あのような状態は、まさに「神経症的な欲求」の特徴だと思います。

本当に満たしたいのは「食欲」ではないにも関わらず、それを満たすことで何かを得ようとしてる感じは、さながら穴が開いている器に水を注ぎ続けてるようなイメージでしょうか。

こういったケースは、本当に満たしたいのは別の器なのにその事に気づけずに「神経症的な欲求」を満たそうとしている典型的なパターンと言えるでしょう。

 

もしくは、他の事例で言えば過剰な物欲にはしることも「神経症的な欲求」の一つと言えるかもしれません。

家のクローゼットにはものスゴイ数の洋服があるのに、次から次に新しい洋服が欲しくなる状態は、それこそ本当に欲しいものが分からなくなったが故の欲求なのではないでしょうか。

理性で考えて、頭では「こんなに洋服を持っててもしょうがない」あるいは「節約するべきだ」というのは分かっているのですが、どうしても物欲が抑えきれなくて買ってしまう…。

このような感覚は、分かりやすい「神経症的な欲求」と言えると思います。

もちろん、これが洋服ではなく、他のモノへの物欲や衝動買いなどにはしることもあるでしょう。

 

あるいは、満たされなさが、性欲に向かったり恋愛感情と紐づいたりするケースもありますよね。

孤独感や寂しさを紛らわすための手段が性欲や恋愛に向かうことが、ある種の「神経症的な欲求」になっているということです。

もちろん、性欲は人間なら誰しももっているものですし、恋愛も必ずしも神経症的な欲求ではないものも当然ながらありますが、自分自身の心の状態をこういった視点で振り返ると何か新しい気づきや発見があるかもしれません。

 

いずれにしろ、繰り返しになりますがこのような意味でも、自分の欲求がどんな姿をしているのかをしっかりと把握することが、心の健康をつくる上では大切なことなのです。

ここがズレちゃうと、ずっと同じ問題を繰り返すことになってしまいますからね。

 

・あらゆる心理療法の目的は、心の病の原因になっている欲求不満を満たすことである

・心理療法は、欲求階層の上位に位置する欲求であるほど効果がある

・心の病気が進むと、基本的欲求の満足が「神経症的欲求」の満足にすり替わることがある

・「神経症的欲求」は永遠に満足することがないので、この事も考慮して自分の欲求を正確に把握することが真の心の健康につながる

 

 

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