いわゆる「天才」という言葉がもつ意味はかなり幅広いですが、はたして「本当の天才」とはどのような人物なのでしょうか?
ちなみに、「天才」という言葉の辞書的な意味は、「生まれつき備わったすぐれた才能」であったり、「そのような才能をもっている人」のことを指しているようです。
あるいは、天才の類語もたくさんあり、「秀才」「奇才」「逸材」「非凡」「才気」など挙げればキリがありません。
一方で、「後天的な才能」と「先天的な才能」を分けることもありますね。
もっと言えば、「天才なんていない」や「才能なんてない」という意見もあったりします。
これらの事も踏まえて、今回は「天才と創造性」について紐解いてみたいと思います。
創造性とは天才だけが持つものなのか?
天才がもつ創造性にはどんな特徴があるのか?
創造性がない人はいるのか?
そもそも創造性とは何なのか?
このような事をマズロー心理学的に掘り下げていくことで、自分の創造性を豊かに発揮できるようになる秘訣に迫っていきましょう。
もくじ
1.特殊な天才は存在する
ここではまず最初に結論から言うと、ある種の非凡な特殊性のある才能を持った人というのは確かに存在しているとマズローは考えていました。
これは、いわゆる「天賦の才」と言えるようなもので、マズローが「偉大な先天的才能」と表現する類のものです。
ちなみに、この種の才能をもっている具体的な人物として、マズローはモーツァルトを挙げていました。
そして、マズロー自身はある時点まで、無意識のうちに創造性というものはモーツァルトのような一部の特別な才能を持つ者だけに与えられた特権であると考えていたのですが、心理学の研究を進める中で実は決してそうではないことに気付くのです。
それと同時に、創造性を発揮するということは、芸術家や発明家といった特殊な職業に限定されるものだという自身の認識が完全な勘違いであったことにも気づきます。
つまり、ある種の特殊な才能を持った創造的な天才は確かにいるものの、そうではないもっと別の才能や創造性というものがあることをマズローは発見するのですね。
そして、この両者を明確に区別する必要があり、そうすることで、僕たち人間なら誰しもが持っている大いなる可能性の創出に繋がるのです。
ではいったい、マズローが見出した一部の限定的な人にだけ備わるのではない、もっと普遍的な才能や創造性とはいったい何なのでしょうか?
2.普遍的な創造性とは
ここではまず結論から言うと、マズローは、一部の人にだけ備わる限定的な創造性ではない誰しもに備わる創造性のことを「自己実現的な創造性」と呼んでいました。
この創造性は、いわゆる芸術分野やアーティスティックな創作活動に限られたものではなく、もっと日常的で身近な場面で発揮される類の創造性です。
なおかつ、それは仕事の現場だけでなく家庭や趣味の領域でも用いられるものであり、人間であれば誰しもが内在させている唯一無二のその人だけに備わるオリジナルな創造性でもあります。
その分かりやすい最も身近な事例として、マズローはどこにでもいるようなごく普通の専業主婦の家事や育児における創造性の発揮を取り上げていました。
その主婦は、決して裕福な経済状況ではないにも関わらず、家をいつも清潔に整え、食器や雑貨や家具の趣味も個性的でありながら品が良く、非常に創造的な料理をつくる人物でした。
その象徴的な事例としてマズローは、彼女のような創造的な主婦がつくる一流のスープは二流の絵画よりも創造的であり、 また、料理や育児や家事が創造的であり得る一方、絵画や詩などが必ずしも創造的ではないということがあり得ると述べています。
つまり、一般的には創造的な活動とされる芸術的な活動において本質的な意味では創造的とは言えない表現や創作がある一方で、一般的にはあまり創造性とは紐づかない家事や育児と言った日常的な生活のなかに、とても創造的な活動、あるいはその人の類まれなる創造性が発揮されているケースが存在するのです。
このほかにも、マズローはいつかの事例を挙げてこの種の創造性を説明してくれています。
それは、たとえば社会奉仕の活動方法が創造的である活動家や、患者を世界でただ一人の存在と捉えてコミュニケーションをはかる精神科医、あるいは、若い企業家やスポーツ選手や庭師、服飾デザイナーや食器職人などといった人々が、非常に創造的である場合もあったのです。
一方これとは逆に、これまで創造的だと考えていた有能なチェロ奏者が、実は、 誰か他の人が書いた曲をそつなく演奏していただけということも分かってきたとも語っています。
つまり、仕事であれ役割であれ、それが創造的か否かは個別に判断する必要があり、また創造性というのは単なる成果物や作品だけでなく、活動や過程や態度や発言にまで及ぶものであるということです。
したがって、創造性というものを、「自己実現の創造性」と「特別な才能の創造性」とに区別する必要があるのですね。
そして、前者の創造性こそが、一部の人に限られたものではない、普遍的かつその人だけに備わる独創的な創造性なのです。
では一体、この自己実現的な創造性はどうすれば発揮され、またその創造性にはどんな価値があるのでしょうか?
実は、この自己実現的な創造性には多くのメリットがある一方で、それを発揮するためにクリアしなければならない条件も存在しているのです。
3.「自己実現的創造性」の特徴
まず最初に触れておきたいのが、自己実現的創造性の特徴の一つである、対立するもの同士を統合するという特徴に関してです。
これは、一般的には矛盾したり対立したりする要素を調和させ融合できるということですね。
具体的に言えば、認識と行動(心と頭、願望と事実)、本能と理性、義務と快楽などの統合です。
これを別の角度から言い換えると、仕事と遊びの統合であり、利他的と利己的の統合でもあります。
つまり、一般的には相反するもの同士の境界線を溶かし融和することができるのが自己実現的創造性なのです。
その過程や結果において、創造的な活動や創作物が生まれます。
そして実際、偉大な政治家、偉大な治療家、偉大な哲学者、偉大な両親、偉大な発明家はみなこの統合力が高いのです。
なお、この相対する二つの要素の統合の最たる例が「一次的創造と二次的創造の統合」であり、インプットとしての一次的創造とアウトプットとしての二次的創造を調和させる創造性が、すなわち自己実現的創造性であると言えるでしょう。
つまるところ、真の創造性とは、本来は混ざりあうことない真逆の性質を持つもの同士を高い次元で統合し調和させることであり、その結果として生まれるものが、絵や歌であったり、商品やサービスであったり、人間関係や生活様式だったりするのですね。
言い換えれば、対立し合う物事を溶かし合うことでそれまでにない新しいものを生み出し、それを周囲の人々と分かち合うことがこの種の創造性であると言ってもいいでしょう。
人によっては、それが芸術作品として世の人々や受け手に喜ばれることもあれば、それが仕事の実務で役立つ人もいるでしょうし、あるいは家事や育児といったフィールドでそれがアウトプットされることもあります。
また、マズローは、自己実現的創造性をもつ人たちは、 最も成熟をとげた人であると同時に非常に子どもっぽい人であるとも語っています。
言い換えれば、彼らは大人らしさと子供らしさを統合した存在であり、無邪気な紳士と言えるような存在です。
一人の成人した大人であるものの、彼らは遊び心やユーモアを忘れない余裕やゆとりがあります。
だからこそ、インスピレーションやイマジネーションが舞い込んでくるスペースにも余裕があり、それによって自身の創造性をどんどん放出することができるのですね。
また、彼らは最も強い自我をもつという意味で最も個性的な人物であるにも関わらず、それと同時に最も容易に無我や自己忘却や自己超越に至る人であるともマズローは語っています。
つまり、この上なく個性的で自分らしさを出し切っている一方で、創造性を発揮する瞬間には、その自己を消し去りさながら全体の流れにただ身を任せるようにして、なされるがままの状態になることができるのです。
むしろ、だからこそスムーズに淀みなく、また余すことなく創造性を活かすことができるのだと思います。
余計な作為やこだわり、期待や自我意識を手放し、まるで自分が神様に使われる道具のような存在になることで、自己実現的創造性がもたらされるのでしょう。
この意味でも、自我と無我という相反するもの同士を統合する能力が高いのですね。
逆に言えば、ピュアな創造性を阻害するようなエゴの存在や自分への執着やこだわりは、自己実現的創造性の発揮を妨げます。
言い換えれば、「自分のために」という利己心や、「私がやるんだ」という我欲や自己意識・依存心が強すぎると、真の創造性はもたらされないのですね。
つまるところ、揺るぎない自分のアイデンティティを持ち続けながらも、必要に応じてそれを手放せる軽やかさや柔軟さやしなやかさを自己に内包することが、この種の創造性によって望ましい人生を創り出す条件と言えるのかもしれません。
また、自己実現的創造性の発揮は、心の健康をもたらすものでもあります。
むしろ、健康な心の持ち主が、自己実現的創造性を発揮できると言った方が正確かもしれません。
いずれにしろ、このことはマズローの提唱した欲求階層における、五つの基本的欲求を満たす人が真に健康な心の持ち主になることにも繋がる内容と言えるでしょう。
つまり、「生理的欲求」「安全の欲求」「所属と愛の欲求」「尊重の欲求」「自己実現の欲求」の五つの基本的欲求を満足させることは、心理的健康をもたらしてくれるだけでなく、自己実現的創造性の発揮にも繋がっていることなのです。
この意味でも、欲求階層を一つずつ満たすことが自己実現であり、それはイコール、ありのままの自分を受け容れた上でその自己に眠る創造性を余すことなく発揮しながら自分らしい人生を謳歌するということです。
すなわち、自分に眠っている創造性を発揮することが自己実現の一つの側面であり、内に秘める創造性と可能性を最大限に解放することが僕たちの心をこの上なく健康的な状態にしてくれるのですね。
実際マズローは、いわゆる天才的な特殊な創造性を発揮する人たちは必ずしも健康ではないと述べていました。
つまり、モーツァルト的な創造性と才能の発揮は、必ずしも心の健康をもたらすものでもなければ、望ましい心理状態を養ってくれるものとは限らないのです。
むしろ、それらはある種の諸刃の剣のような性質があるとすら言えるような気もします。
事実として、このタイプの天才は心身のいずれか又はその両方が健康ではないことが多いんですよね。
これとは違い、自己実現的な創造性の持ち主は、先述したように心理的にも理想的な状態で日々の生活を送ることができているのですが、その理由はすでに述べたようにすべての基本的欲求がしっかりと満たされているからです。
そういった意味では、そういった揺るぎない土台がある彼らの心が健康そのものであるのはある種当然のことであり、逆に言えば特殊な才能の持ち主たちは基本的欲求が満足していないがゆえに自分の心身の健康にはつながらない創造性に頼らざるを得ないのかもしれません。
いずれにしろ、真の創造性とは、自分の心を豊かにし、それによって周りの人たちにも豊かさを分け与えることができるものです。
あらゆる対立を統合し調和させている人たちが生み出す創造性は、自他のより良い人生に繋がるものです。
そして、自分に内在する可能性をしっかりと活かし切り、自分の個性を包み隠さずまっとうすることが自己実現であり、それが本質的な意味で創造的な実りの多い人生をもたらしてくれるのだと思います。
特殊な才能はもっていなくても、僕たちは誰しもが、この世にたった一つの個性的な種を内に秘めているのです。
その種を育み開花させることが自己実現であり、それがすなわち、ありのままのオリジナルな創造性を発揮する本質的な喜びや充実感を生きることに繋がるのではないでしょうか。
そして、その先に待っているのが、自分や他者の分離やあらゆる対立を超えた「超越」という段階であり、真に創造的な世界を自由自在に創り出すことのできる人生なのですね。