ビジネスの現場を中心に、「アルダファーのERG理論」という人の欲求に関する新しい理論が一時期話題になったのはご存じでしょうか?
このアルダファーのERG理論は、マズローの提唱した欲求階層をベースに作られたものなのですが、今回は、そのアダルファーのERG理論の特徴を含め、他ではほとんど語られていないマズローの欲求階層とのより詳しい違いや、どちらがより実践的で活用できるのかなどについてまとめました。
もくじ
1.アルダファーのERG理論とは?
アルダファーのERG理論とは、心理学者・心理コンサルタントである「クレイトン・アルダファー」という人物が提唱した人間の欲求に関する理論で、冒頭でも触れたようにそのベースにはマズローの欲求階層を用いています。
ERG理論は、アルダファーが1972年に書著『存在、関係性、そして成長:組織環境における人間の欲求』という書籍の中でその内容を発表したことで世の中に広く知れ渡りました。
そんなERG理論における欲求の分類は、以下の三種類に大別されているのが特徴です。
●存在欲求(Existence)
●関係欲求(Relatedness)
●成長欲求(Growth)
アルダファーは、人の欲求は大きくこの三種類に大別できるとし、この三つの欲求の頭文字をとって、「Existence・Relatedness・Growth理論」=「ERG理論」と名付けられているんですね。
そして、この三つの欲求それぞれの説明が下記になります。
●存在欲求:生物としての存在に関わる低次の欲求で、生存のために最低限必要なものを求める欲求。
●関係欲求:人間関係に関する欲求で、自分にとって望ましい関係性・他者との関わり方をもとめる欲求。
●成長欲求:人間が本質的にもっている成長したいという高次の欲求。
これらをイメージ図にすると、このような形ですね。
アルダファーは、マズローの欲求階層を参考にして僕たち人間の欲求をこのように分類しました。
なお、マズローの欲求階層におけるそれぞれの該当する欲求は下記になると言えるでしょう。
●存在欲求:生理的欲求、安全の欲求
●関係欲求:所属と愛の欲求、尊重の欲求
●成長欲求:自己実現の欲求
もっとも、この分け方は一番ベーシックな意味における分け方であり、より正確なことを言えば、マズローの欲求階層における基本的欲求をそれぞれどの側面を見るかによって、該当する欲求は変わってきます。
例えば、これとは視点を変えた仕分けをすれば「安全の欲求」は関係欲求に含まれることもありますし、逆に「所属と愛の欲求」が存在欲求に含まれることもあるでしょう。
いずれにしろ、このような前提も踏まえて言えることは、アルダファー理論における成長欲求はマズロー理論の「自己実現の欲求」であり、存在欲求には「生理的欲求」が当てはまることは不動であるということですかね。
逆に言えば、マズローにおける「安全の欲求」「所属と愛の欲求」「尊重の欲求」は、アルダファー理論の存在欲求に含まれる場合もあれば関係欲求に含まれることもあるということも言えます。
なお、このような事が言える根拠は後ほど触れたいと思いますので、楽しみにしていて下さいね。
さて、ここまでの内容だけだと、アルダファーのERG論は言葉が変わっていたり分類の仕方こそ多少変化してはいるももの、正直に言うとマズローの欲求階層をただ焼き直しただけで、特別新しい発見や注目すべきポイントはないように思えます。
しかし、アルダファーのERG論は、この三分類を前提とした各欲求同士の関係性についてのルールが特筆すべき内容になっているんです。
ということで、アルダファーのERG理論の大枠を捉えた後は、続いてマズローの欲求階層論とのルール的な違いについて詳しく見ていきましょう。
2.マズローの欲求階層との4つの違い
さて、アルダファーのERG理論とマズローの欲求階層論には、そのルールにおいて大きく分けて四つの違いがあると一般的には言われています。
その四つの違いは主にそれぞれの欲求同士の関係性の違いなのですが、それは以下のようなものになります。
①各欲求の満足において可逆性がある
②成長欲求は完全な満足がない
③低次欲求の満足は高次欲求の必要条件ではない
④複数の欲求が同時に存在している
これら四つの違いについて、それぞれ見てみましょう。
①各欲求の満足において可逆性がある
それではまず、一つ目の「可逆性」という事について掘り下げてみましょう。
可逆性があるとは、簡単に言えば「逆行することがある」ということです。
マズローの欲求階層におけるルールとして、下位の欲求から上位の欲求に向かって順番に満たしていくというルールがあるのは有名ですよね。
分かりやすい流れで言えば、階層上の一番下の「生理的欲求」の不満が満足することでその上位にある「安全の欲求」の満足へと進み、「安全の欲求」が満足するとその上位に位置する「所属と愛の欲求」を満たそうとする、というように順序を追って徐々に上位の欲求へと進んでいくというものです。
アルダファーは、このルールは踏襲しつつも、そこに「欲求階層は逆行することがある」という要素を取り入れていました。
要するに、下位の欲求満足によって上位の欲求に進む一方で、場合によってはもう一度下位の欲求へ戻ることがあるということですね。
なおかつ、その理由として、上位の欲求満足に進んだは良いもののそれが満たされない場合に、それまである程度満足してた低次元の欲求をより一層満たそうとする可能性があるとしています。
たしかに、例えば人間関係のストレスから暴飲暴食をしてしまったり、人として成長したいのにできないと感じた際に現在の人間関係に拠り所を求めることはありますよね。
このような事例はまさに、「関係欲求の不満により下位の存在欲求に戻る」ことや「成長欲求の不満により下位の関係欲求に戻る」ということだと言えるでしょう。
そういった意味では、マズローの欲求階層のルールよりも現実に即したルールとも言えそうです。
しかし、これは意外と知られていない事なのですが、実はマズローもこれと似たようなこと述べているんですよね。
マズローは、この事を「神経症的な欲求」という言葉で説明してくれています。
詳しくはこちらの「生理的欲求」についてのコラムに書いてあるので後程お読みいただければと思うのですが、「神経症的な欲求」とは何かをザックリと言うと、それは「本来満たしたいと思っている基本的欲求とすり替えられることで、永遠に満たすことができなくなっている欲求」のことです。
要するに、たとえば「尊重の欲求」が満たされないことでその代わりとなる別の欲求を満たすのですが、その別の欲求は基本的欲求とは違う「架空の欲求」のような性質のものなので、満たされることが永遠にないのです。
これは、人とのふれあいや愛に飢えている人が、暴飲暴食や過度の物欲にはしってしまうようなイメージに近いと思います。
つまり、特定の基本的欲求の不満が、不健全な欲求を生み出してしまうのです。
これはもちろん必ずしも階層を逆行しているのではないケースもありますが、いずれにしろアルダファーの言う可逆性と近い概念の話です。
なおかつ、マズローはたしかに欲求満足には「可逆性がある」と明確に言っていないものの、一方で「可逆性がない」とも明確には言っていないんですよね。
しかも、マズローほどのストイックさと緻密さ・厳密さを兼ね備えた人物が、欲求階層において可逆性が生じることを全く思い付かなかったというのはどうも腑に落ちないので、そう考えるとマズローはあえたそれについては言及しなかったように思えます。
つまり、マズローはより真実に近いと断言できる事柄だけを公表することを徹底していたが故に、可逆性がある可能性は知りりつつも、それを欲求階層論の中で公にすることには慎重だったのではないかということです。
いずれにしろ、このことは後述するマズローの「欲求満足ルールのイレギュラー」の内容に触れることで更に明確になると思いますよ。
②成長欲求は完全な満足がない
さて、それでは二つ目の欲求満足ルールの特徴ですが、アルダファーは三つの欲求のうち成長欲求だけは欲求満足というものがないとしていました。
言い換えれば、満たされたと思っても、もっと満たしたくなるのが成長欲求だということですね。
つまり、成長欲求は完全な満足に至ることはなく、したがって、自分が成長するにしたがってより一層の更なる成長を求めるのが人間に備わっている性質であるとも言えるでしょう。
もっとも、これはマズローも全く同じことを言っています。
というか、もともとマズロー自身が「成長欲求」という言葉を使っており、尚且つそれは自己実現の欲求であるとも述べているんですよね。
詳しくはこちらのコラムに書いてありますが、マズローは欲求を「成長欲求」と「欠乏欲求」の二つに分類して説明することもあり、これを基本的欲求に当てはめれば前者のみが「自己実現の欲求」であり、それ以外の四つの基本的欲求はすべて後者の「欠乏欲求」であると考えていました。
そして、その「成長欲求」には、満足の終わりがないとも明確に述べています。
したがって、一般的なアルダファーのERG理論の説明では成長欲求に終わりがないことがピックアップされているようですが、この内容はマズローの理論のそのままです。
つまり、成長欲求に終わりがないというのは、アルダファーとマズローの相違点でもなければ、目新しい視点でもないんですよね。
むしろ、日本においてアルダファーのERG理論を説明している人々の多くが単純に勉強不足であるがゆえに、この事を特筆すべき内容だと思ってしまっているなだけなのかなと思います。
③複数の欲求が同時に存在している
さてさて、では続いて、三つ目の「複数の欲求が同時に存在している」というアルダファーの欲求階層ルールですが、こちらも一つ目のルールと同様に非常に僕たちのリアルな感覚に近いルールだと思います。
このことをもう少し別の言葉で言えば、文字通り「複数の欲求が同時進行で満たされようとしている」という表現になります。
実際、とある行動が、存在欲求と関係欲求を同時に満たすことになっているというケースは僕たちの生活の中でも多々ありますよね。
誰かと一緒にご飯を食べるという行為が、食欲を満たすと同時にその相手との関係性の構築にもなっていることなどが分かりやすい事例ではないでしょうか。
しかも、この事が成長欲求にも結びついていて、食事中の会話などのやり取りや食事をするという行為自体が自分自身の成長になっていることだってあります。
ちなみに、僕がこのコラムの少し前にマズローの欲求階層上の欲求とアルダファーのERG理論の欲求の相互に該当し合う欲求の紐づけにおいて「視点を変えれば色々な当てはめ方ができる」と説明したのは、このような意味も含んでいます。
というか、正直これを言い出すと欲求の分類なんてできません(笑)
なおかつ、詳しくはこちらのコラムにも書いているので気になる方は後でお読みいただければと思うのですが、例えばマズローは欲求というものを「精神的欲求」と「身体的欲求」という形でも分類しています。
要するに、切り口を変えれば分類方法なんていくらでも思い付くのです。
実際、少し前にケンリックという心理学者がマズローの欲求ピラミッドを生物学的・進化論的な観点で書き直したことで新しい欲求論として注目されたりもしました。
したがって、このような意味では、マズローの欲求階層をベースに違う視点で焼き直しをすることはそれほど難しいことではないのです。
なおかつ、こと「複数の欲求が同時に存在している」という事に関しても、マズローはこの事には特段言及はしていないようですが、「可逆性」の話と同様に恐らくこれに関してもそのルールをどう適用し理論に組み込むかは検討していたと思います。
さらに言えば、人によってはマズローの欲求階層を見聞きした時点でこの三つ目のルールを前提にマズローの欲求の話を理解している人だっていると思うんですよね。
そういった意味では、アルダファーのこの三つ目のルールはあくまでマズローが語り切れなかったことを補足しているようなものにも思えるのですが、いずれにしろこれはある意味では一つ目のルールであった「可逆性」とセットのルールと言えるでしょう。
なぜなら、それぞれの欲求を同時に満たすことは、上位と下位の欲求を進んだり戻ったりするのと同じ構図だからです。
このような事を考慮すると、アルダファーの欲求層は、そもそもピラミッド型のイメージ図は適していなくて、下記のような外側の存在欲求から内側の成長欲求へと中へ中へと入り込んでいく平面的図なイメージ図の方が適しているのかもしれませんね。
しかも、このような前提の元に考えれば、マズローが「可逆性」や「複数欲求の同時満足」をあえて語らずに作ったのがピラミッド型の欲求階層であり、あのようなデザインにしたのは「可逆性」や「複数同時満足」をそれほど重要視していなかったからなのかもしれません。
もっとも、今では余りにも一般的になっているピラミッド型のイメージ図だってそもそもマズロー自身が作ったものではないということも考えれば、これらの真相を確かめる術はないのですが…。
④低次欲求の満足は高次欲求の必要条件ではない
さて、アルダファーとマズローの欲求階層ルールの四つ目の違いが、「低次欲求が満足せずとも高次欲求が優先されることがある」ということです。
マズローの欲求階層においては低次の欲求の満足が高次の欲求の満足の前提条件になっていますが、アルダファーは必ずしもその必要はないとしていました。
つまり、たとえば関係欲求が満足していなくとも成長欲求に進むことがあるということですね。
もっとも、マズローはこのことも実はしっかりと述べています。
マズローは先ほどのような欲求満足の基本的ルールはあるものの、それに該当しないイレギュラーパターンはいくつも存在すると考えており、それを著書の中でもちゃんと語ってくれています。
こちらのコラムに詳細を書いているのですが、数あるイレギュラーパターンの中に「低次の欲求が満足していなくても自己実現の欲求が表れる」というものがあるんですよね。
したがって、マズローの欲求階層においても、イレギュラーではあるものの低次の欲求の満足は「自己実現の欲求」に進むことの絶対的な必要条件ではないのです。
もっとも、この事に関してはあくまで「自己実現の欲求」に限った文脈でマズローは語っているので他の欲求同士の条件は何とも言えないところですが、アルダファーの欲求が成長欲求も含め三種類しかないことも踏まえると、もはやこれもマズローの理論のおさらいでしかなくなっているように思います。
ちなみに、マズローはこの事をつぎのような文章で語ってくれていました。
『創造への動機が他のいかなるものよりも重要であるような、明らかに生まれながらにして創造的である人々がいる。彼らの創造性は、基本的満足により生じた自己実現としてではなく、基本的満足を欠いているにもかかわらず出現するのである。』(人間性の心理学)
実際、マズローの語るように、著名な芸術家や有名な活動家などは、どう見ても低次の欲求が満たされていないのに、「自己実現の欲求」で生きているように見える人はいますよね。
彼らは健全な形での自己実現とは言えないのかものしれませんが、それでもマズローの欲求階層の基本ルールに当てはまらない非常に稀有な存在だったことに違いはありません。
3.結局どっちが優れていて使いやすい?
さてさて、ここまででアルダファーとマズロー双方の欲求階層の比較をしてきましたが、結局のところ、どちらがより優れていて使いやすいのでしょうか?
まあ、マズローファンの僕が述べる結論なので薄々分かってはいると思うのですが(笑)
ということでここではその結論だけ言えば、アルダファーの理論がそれほど普及していないことも考えると、やはり多くの方にとってはマズローの欲求階層の方が受け容れられやすかったと言えるのではなないかと思います。
それに、これまでも触れたようにアルダファーの理論で一見すると目新しく思える内容も、実はマズローが既に網羅していた内容であったりもしますし、その内容が話題になるのは世間一般の多くの人々がマズローの語った欲求階層の話をしっかりと理解できていないだけのようにも思えてきます。
いずれにしろ、ここまで見てきたようにアルダファーの理論にも参考になる部分はあるので、マズローの欲求階層と併せて活用するのが理想的なのではないでしょうか。
それに、多くの方にとって一番大事なのは、彼らの欲求論を知ったうえでそれをどう自分の人生に活かすかですよね。
そういった意味では各々が自分にしっくりくる方を選んでそれを自分なりの解釈で実際の人生に落とし込むことの方が重要なことだと思います。
また、このコラムの内容に関しても、僕はアルダファー自身が書いた英語の原文は呼んでいないので(英語の原書はAmazonで16万円かつ日本語訳されていない…泣)、もしかしたらアルダファーの話を誤解している可能性だってあります。
そういった意味でも、僕たちがこのような情報に触れるときは、出来る限り原典に近いものからより正確な情報を吸収し、それをしっかりと自分の血肉にすることが一番重要なことだと思います。
ちなみに、最後に少し余談ですが、冒頭でも触れたようにアルダファーは「存在」という言葉に「Existence」を使っていましたが、マズローが存在について語るときは基本的に「Be(Being)」という単語を用いており、その頭文字の「B」をとって様々な概念を打ち出していました。
一例としては、欠乏感から求める愛情ではなく充足感から生じるより本質的な愛情を「B愛情」と表現していたり、僕たち人間が求める究極的な価値の総称に「B価値」という名前をつけ、自己実現している人の特徴を述べたりしています。
こういったマズローの「存在論(Being)」に触れるのも、自分も含めた周りの人々の心を正しく理解するのにスゴク役立ちますよ。
その記事に関するリンクも最後に貼っておくので、ご興味ありましたらぜひ一度読んでみて下さいね。