超越論

二次的創造とは?2種類の創造性と創造的な人生を生きるコツ

二次的創造
自己紹介

 

いわゆる「二次的創造」という言葉は、一体どのような意味なのでしょうか?

この言葉についての一般的な説明は、「もともと存在している創造物にアレンジを加えたり変化をさせたりすることで再構築・再創造したもの」という説明がなされることが多いようです。

しかし、今回は一般的にはあまり知られていない「マズロー心理学的」な二次的創造性について紐解くことで、一次的創造と二次的創造を統合させ、自分の中に眠っている創造力を最大限に発揮する方法について掘り下げてみましょう。

 

1.一般的な二次的創造

二次的創造

 

さて、それではまず一般的な意味における二次的創造の意味をサラッとおさらいしておきましょう。

冒頭でも軽く触れたように、二次的創造は一般的には、一次的創造物から生じる副産物やそこから派生してつくり出された二次的な創作物のことを指しています。

その分かり易い事例として挙げられるものに、「料理」があります。

 

言わずもがな、料理というのは食材があって初めてつくり出せるものです。

そして、食材というのは農家さんがつくり出した創造物ですよね。

このような意味において、一次的創造物は農家さんが作る農作物であり、それを調理してつくられた料理のことを、二次的創造物と言うことができます。

より具体的に言えば、「大豆=一次的創造物」とした場合、「醬油=その大豆を使ってつくり出された二次的創造物」と言うことができるということですね。

あるいは、「大豆=一次的創造物」であり「湯豆腐=二次的創造物」という関係性でも良いかもしれません。

更に言えば、「豆腐=一次的創造物」であり「湯豆腐=二次的創造物」というように捉えてもいいでしょう。

つまり、何を一次的創造物とし何を二次的創造物とするかは、それぞれの関係性によって変わると言えます

しかし、どのようなパターンであれすべての前提のあるのが、一次的創造物を使ってつくり出されたものが二次的創造物であるということです

 

なお、これ以外の事例で言えば、一次的創造を脚本を書く事とし、二次的創造をその脚本に演出を加える事とするといった説明などもあるようですね。

あるいは、楽譜を一次的創造物とした場合には、それが指揮者によって二次的創造物に変換されるという例えもあったりします。

また、これらを踏まえて、一次的創造とは無から有を生じる行為であり、二次的創造とは一次的創造によって生み出された有を変化させたり倍増させたり再解釈を試みたりする行為であるとの説明が成されることもあります。

 

つまるところ、これらも踏まえザックリ言うと、二次的創造というものは、一次的創造ありきの創造であり、一次的創造をファーストステップとした際のセカンドステップのことだと言えるでしょう

 

そして、マズロー心理学的な二次的創造の意味は、これとは少し違う角度から創造性を紐解いたものになります。

結論から言えば、それは僕たち人間ならば誰しもに秘められているとある「二つの力」を統合することなのですが、これはどういう事なのかを続いて掘り下げていきましょう。

 

2.マズロー的な二次的創造

二次的創造

 

まず初めに、僕たちの創造性の起源となるものの話から始めていきましょう。

一次的創造が二次的創造の土台となるという点は先ほどの説明と共通する点なのですが、マズロー心理学的に言うと、創造性の起源となるものは行動ではなく「認識的な一次的過程」になります。

この「認識的な一次的過程」という表現は専門的な言葉なので聞き馴染みがないと思いますが、物凄くザックリと言うと、これはいわゆるインスピレーションやイマジネーションのことです。

つまり、二次的創造性を発揮する前段階においては必ずインスピレーションやイマジネーションといった、具体的に目には見えないけれど抽象的・感覚的・認知的な創造性が必要であるということです

この意味では、マズローの語る「一次的過程」における創造性は、「創造」という言葉よりも「想像」という言葉の方が適切かもしれませんね。

 

いずれにしろ、僕たちが自分に眠る真の創造性を発揮するためには、この一次的的過程が重要になってくるのですが、実はほとんどの現代人が往々にしてこの一次的創造のチカラを引き出せていません。

むしろ、自分に眠るこの一次的創造性を自分でも気づかぬ内に消し去ってしまっているとすら言えます。

 

そうなってしまう理由は様々な要因が複雑に絡んでいるので一言では言えないのですが、その最も大きな要因としてマズローが挙げていることが、「現代社会に適応すること」でした。

なぜなら、現実社会に適応することは、それはほとんどが抑圧を強いることだからですね。

つまり、僕たちは社会に適合するために自分の内側の本心を抑え込むことで非常に多くのものを失っており、その中の一つが一次的創造性なのです。

言い換えれば、社会的な役割を遂行することに精一杯で、自分の個性やオリジナリティを押し殺してしまうことで、内なる創造性は輝きを失ってしまうのですね。

他人や社会から一方的に与えられる仕事をしたり、他人軸の価値観で人生を選択したり、一般常識におけるモノサシで自他を評価判断したり、人に嫌われるのを恐れて言いたいことを言わなかったりすることで、その人らしいインスピレーションやイマジネーションがどんどん遠のいてしまうのでしょう。

そして気づけば、口から出る言葉は誰でも言えるような無難な言葉や社会の意見の代弁のようなものになり、行動や選択も周りの人と同じような事ばかりするようになってしまうのです。

 

マズローはこのことを、それは喜びの根源を押さえ付けることであり、遊び、愛し、笑い、 最も大切な創造的になる力の源泉を圧死させることになると表現しています。

これにより、僕たちは想像力も直観も柔軟性も情緒も窒息させられるか歪められた、用心深い強迫的なツマラナイ大人になってしまうのですね。

そうして創造性の源泉となる一次的過程は、忘れ去られてしまいます。

むしろ、現代においては、自分の創造性の発揮はある種の恐怖であり、個性やオリジナリティの発揮は怖いことでもあると言えるでしょう。

なぜなら、それによって村八分にされたり、他者との間に摩擦が起こったり、周囲になじめなくなることで孤立する可能性があるからですね。

なおかつ、自分がこの一次的創造性を失っていることに気づいていないケースも非常に多いと思います。

自覚なしに非創造的な人生を送ることが染みついてしまい、その事へ違和感すら感じられなくなってしまうのです。

 

しかし、その一方で、多くの人がこのような状態に陥っているにも関わらず、自分の内なる創造性を余すことなく発揮している人というのも実際にいるものです。

彼らは、自分に秘められた個性や可能性を思う存分に表現し、自分らしい味わい深い人生を満喫することができています。

 

そして、この事も踏まえてマズローは、一次的過程とその創造性の発揮というものは、多くの人が考えているほど危険なものではなく、抑制する必要のないものであると考えていました

つまり、自分に眠る一次的創造性への恐怖心と向き合うことで、その発揮を妨げている要因をはじくことができるのです。

言い換えれば、今までは無意識ながらに抑え込んでいたインスピレーションやイマジネーションを肯定し受け容れることで、失われてしまった一次的創造性は回復するということが言えるでしょう。

 

それは何も、アーティスティックな表現や芸術の分野における話だけではありません。

一次的創造性を素直に発揮する場面の最たる例が、普段の何気ないおしゃべりの場でしょう。

仕事や学校などにおける会話はもちろん、家族や友人との雑談などといった日常的な会話の場において、自分の正直な気持ちや意見をちゃんと口にすることが一番身近な一次的創造性の発揮だと思います。

ふっと頭に湧いてきた言葉や意見、急に思いついたアイディア、あるいは突然降りてきたジョークや冗談などを、包み隠さず言葉にすることが一次的創造性の発揮であり、失われた一次的過程の回復になるのではないでしょうか。

 

「こんなこと言ったら変だと思われてしまう」
「この意見はみんなと違うから言わないでおこう」
「このアイディアは突拍子なさすぎるてあり得ない」
「こんな冗談言ったら怒られるのではないだろうか」
「自分の主張が批判されたり拒絶されたらどうしよう」

 

このような、自分で自分を抑え込む言葉によってせっかく引き出されたインスピレーションやイマジネーションを否定するのはもったいないことです。

たしかに、現実的な社会生活においては、空想したり、詩や遊戯の世界に生きたりするよりも、現実的な対処や実務的な努力を必要とされるため、一次的過程が無視されがちであるのは事実でしょう。

しかし、そのなかにも、自分の創造性を発揮したり、オリジナリティを活かす場は必ずどこかにあります。

そのような機会や環境を探してみること、あるいはそれを自分でつくり出すことも、一次的創造性を解放するために有効なことかもしれませんね。

 

ちなみに、この事も踏まえてマズローは、現代教育においては芸術、詩、舞踊といった教育を取り入れることが重要であるとの考えをもっていました

言い換えれば、現在の知識詰め込み型のロボット製造教育ではなく、子どもたちに備わる個性や可能性の発揮を促進するような教育をすることが大事であり、その手段として、絵や歌や音楽や物づくり、スポーツやダンスといった分野を教育において重要な位置付けにすることが大切なのだということですね。

いわんや、マズローの語る「自己実現」の意味が、自分らしい可能性を思う存分発揮し、ありのままの自分を謳歌することであることも踏まえて考えれば、この意見はとてもマズローらしい主張だと言えるでしょう。

 

そして、ここまで見てきた一次的創造性を、この後で掘り下げる二次的創造によって更に昇華することが真に成熟された創造性の発揮であり、それは同時に本当の自分らしさにも繋がるものなのです。

 

3.「統合された創造性」とは?

二次的創造

 

マズローの語る一次的創造性は一般的な意味とは少々異なったものでしたが、二次的創造性についても一般論とは異なる解釈で語られます。

 

まず結論から言うと、一次的過程とは違い、二次的過程は無意識や前意識の外の現実世界における話であるとマズローは言います。

つまり、平たく言えば、二次的過程とは一次的過程においてもたらされた自分の内的な要素を現実の世界にアウトプットすることになります。

別の言葉で言えば、一次的過程によってインスピレーションやイマジネーションを自分の内側に得ただけでは終わりではなく、それを適切な方法や手段によって外の世界に創出・表現する過程が二次的過程であるということです

そして、その過程で発揮される創造性が、二次的創造性ということになります。

したがって、一次的創造性によって生まれたまだ世界に顕在化していない「想像物」を、自分の能力やスキルを使って五感で感じられる「創造物」にすることが二次的創造であるということですね。

 

そして、言わずもがな、二次的創造においてはそれ特有の苦悩や葛藤が生じます。

一次的創造はある意味では妄想や空想で満足できる世界であり、個人的な内なる世界に限定されたものですが、二次的創造においては現実的な問題、すなわち、計画や努力や責任や作為が必要とされます。

それは、インスピレーションやイマジネーションを実際に創り出す制作過程における苦労とも言えますね。

効率性や合理性、あるいは生産性や需要の有無、付加価値の意味づけなどを考慮する必要があるのです。

平たく言えば、子どもが無邪気にお絵かきする分には一次的創造性だよりで構わないのですが、それを二次的創造においてはより現実味を帯びた成熟した形で実現する必要があるということになります。

 

マズローはこの事を、一次的過程とは子どもの絵に見られるような即興的なものであり「偉大なもの」と呼ばれる芸術作品ではないとした上で、偉大な作品と言われるものは、直感やひらめきだけに頼るのではなく、もっと現実的な要素、すなわちひたむきな努力や長期にわたる教育、あるいは容赦のない批判や完全主義的基準に耐える力が必要であると述べています。

またマズローは、これを言い換えると、自発性にひきつづいて慎重さが、受容にひきつづいて批判が、直観にひきつづいて厳しい考察が、むこうみずな行為にひきつづいて用心が、空想や想像にひきつづいて現実の検証が必要であるとも表現しています。

つまり、一つの成熟した偉大な作品を創造する二次的創造においては、「これは本当だろうか」「他の人にわかってもらえるだろうか」「そのかたちは健全だろうか」「論理的に正しいだろうか」「世間の役に立つのだろうか」「自分はそれに最適だろうか」といったことを思考し考慮する必要があるということですね。

 

そして、そこでは、比較、判断、評価、拒否、選択が行われます。

これは一次的創造性にはない要素であり、むしろ一次的創造性とは真逆の要素でもあります。

したがって、二次的創造においてはその土台となる一次的創造との融合や調和が必要になるのです。

言い換えれば、感性と理性、感情と理屈、直感と論理、解放と統制、流動と固定といった双方を統合する必要があり、これはすなわち一次的創造性と二次的創造性の統合でもあります

そして、この二種類の創造性を見事に統合することが、マズロー心理学的な意味における真の創造性なのです。

 

実際、世間にたくさん存在する優れた製品や生産物やプロダクトというものは、このような創造性により創り出されていますよね。

より具体的に言えば、家や橋や寺院や建物などの建造物、あるいは自動車・パソコンなどの工業製品、 もしくは多くの科学的実験や文学作品や芸術作品なども、この二次的創造性によるものです。

 

つまるところ、このような一次的過程と二次的過程の統合を「統合された創造性」と呼ぶことができ、これが「自己実現的創造性」なのだとマズローは語ります。

言い換えれば、自由な状況下でインプットされた自分らしいオリジナリティ溢れる想像力を、個性的であり現実的かつ力強い創造力でアウトプットできることが「統合された創造性」であり、そのような創造性を余すことなく豊かに発揮することが自己実現の一つの側面ということです。

すなわち、自分らしい人生をイキイキと生きるには、自分に眠る創造性を活かすことが非常に重要なのですね。

 

なお、その創造性により創り出されるものは、どんなものでも構いません。

それこそ詩や音楽や絵画かもしれませんし、ダンスを踊ることやスポーツをする中で自己表現をする場合もありますし、仕事において製品や商品、またはシステムや組織をつくることかもしれません。

もっと言えば、人によっては人間関係をつくることにこの創造性を発揮することもあるでしょうし、教育や子育て、料理や掃除といった家事においてこの種の創造性が表現されることもあるでしょう。

いずれにしろ、自分にとって最も適切な場や環境や状況において、自分にとって最も望ましい形で創造性を発揮することが大事なのであり、それによってもたらされる人生は唯一無二のオリジナルな人生です。

そして、そのような創造性を発揮することが喜びであり、そのようにして創り出される人生こそが本質的な意味で有意義で価値のある人生となるのでしょう

少なくとも、自分を押し殺し、創造性のカケラもない、凡庸でありきたりで機械的で無機質なモノクロの人生は、僕たちの望む人生ではないですよね。

そのような意味でも、自分自身としっかりと向き合い、何が自分の一次的創造を妨げているのか、あるいは、どうして自分は一次的創造を抑え込んでいるのかについて掘り下げることが、自分らしさを活かし創造的な人生を送るための最初の一歩なのだと思います。

 

その上で、二次的創造という段階における葛藤や苦悩によって人としてより成熟し、試行錯誤や創意工夫をすることで自分らしい創造性は余すことなく発揮されるのです。

そしてそれにより、自分自身はもとより、周りの人ともその創造物を通してもたらされる豊かさを分かち合えるようになるでしょう。

 

つまるところ、ありのままの自分を謳歌する自己実現という人生を生きるためにも、自分に秘められた内なる創造性について、もっともっと注意深く意識を向けられるようになりたいものですね。

そして、その過程で、自己実現すらも超えた「超越」という超創造的なステージが見えてくるのでしょう。

 

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