今回は、エヴァンゲリオンに関するちょっとした小話。
エヴァシリーズの「とある設定」とマズロー心理学で語られている恐怖心と自己防衛についての共通点について紐解いてみたいと思います。
もくじ
1.装甲パーツの秘密
エヴァンゲリオンは、どの機体にもそれぞれ個性的な装甲が施されていますよね。
零号機なら黄色、初号機なら紫、二号機は赤といったように、各テーマカラーがあり、パーツの形やデザインも異なっています。
そんな各機体の個性の象徴とも言える装甲パーツですが、エヴァシリーズをご覧の方であればご存じのように、あれは防御のためのものではありません。
話の中盤で明かされますが、あの装甲パーツは攻撃から身を守るために身につけられているものではなく、エヴァ自体の機能の制限するものでした。
本来であれば圧倒的な機動力やパワーを備えるエヴァの能力を抑えるために装甲パーツが必要だったのです。
そして、実際にエヴァが何かしらの理由で暴走すると、装甲パーツは外れ、エヴァ本来の凄まじいチカラを発揮します。
その力はエヴァ自身でも制御できていないような状況で、まさしく「暴走」という名にふさわしい状態となり、使途を簡単に倒せてしまうほど。
このようにエヴァの本来の能力を恐れたため、開発者は装甲パーツをエヴァにつけていましたよね。
実は、この装甲パーツの設定が、マズロー心理学で語られる、僕たち人間の隠された心理を描写していると捉えると、面白い発見があります。
2.恐怖心が限界を決める
僕たちは無意識のうちに自分の限界を自分で決めているということは、色々なところで語られていると思います。
「私はどうせこんなもの」
「自分なんて所詮この程度」
そんな言葉と共に、知らず知らずのうちに自分は大したことのない人間であるということにしてしまがちです。
そして、その理由は見つけようと思えばいくらでも見つかりますよね。
「能力がないから」
「こんな欠点があるから」
「あんな過去があったから」
「お金がないから」
「運がないから」
「自由がないから」
このような根拠を上げて、自分は平凡で(あるいは平凡以下の)取るに足らない存在であることを確証しようとします。
ましてや、過去に自分を過大評価したことで高い鼻を折られた経験があったり、自由に振舞ったら痛い目を見たような経験があると、余計に自分の限界を低く見積もってしまいます。
あるいは、幼い頃に周囲から期待されずに育ったり、自分を受け容れられなかったり、怒られてばかりいたような場合は、自分の価値を低く感じたまま成長してしまうというケースもあると思います。
いずれにせよ、実はほとんどの現代人が、このようなことを背景に自分でも気づかぬうちに自分の限界を低く設定してしまっているのです。
それはさながら、エヴァに施された装甲パーツのようなもの。
自分の本来の力を発揮することを抑えつけている状態、あるいは、ありのままの自分を表に出さずにいる状態は、まさに装甲パーツそのものです。
そして、その背景にあるのは、いわずもがな恐怖心です。
言うなれば、自分をさらけだすこと、もしくは自分の限界を超えることが怖くて心の装甲パーツを身に着けているのですね。
人によっては、限界に挑戦し挫折するのが怖くてそのような状態に陥っている場合もあるでしょう。
あるいは、自分が秘めている能力が発揮され、それにより権力やお金などのチカラを手にする事を恐れている場合もあります。
もしくは、高みに昇りつめることで傲慢になることへの恐怖心から自分の天井を低く見積もっているケースもあるかもしれません。
いずれにしろ、自分自身で設定した限界というのは、このような自己防衛本能により実際の限界値よりもかなり低めに設定されているというのが実情だったりするのです。
そして、マズローは、僕たち人間のこのような状態を「ヨナ・コンプレックス」と名付け、自己実現を阻害する要因の一つとして警鐘を鳴らしてくれていました。
3.自己の偉大さを恐れる心
マズローは、前述したような自己防衛のことを「ヨナ・コンプレックス」と名付け、そのことを「自己の偉大さを恐れる心」とも表現しています。
または、「自己の最善の能力からの逃走」であったり「運命からの逃避」とも言ってしたりしますね。
つまるところ、ヨナ・コンプレックスとは、自分に秘められた能力を最大限に活かすことを避けている状態のことであり、本来自分に備わっている大いなる可能性を自らの手で制限・縮小させてしまっている状態のことなのです。
少し厳しい言い方をすれば、自分に眠っている価値を自分自身でおとしめ、傷つけ、包み隠すことで、安全な環境に甘んじているのがヨナ・コンプレックス状態とも言えると思います。
しかし、先程も触れたように、ヨナ・コンプレックスは僕たちの自己実現を阻害してしまいます。
というか、自己実現とは「自分のありのままの能力を最大限に発揮すること」であるという意味では、自己実現と対称的な状態と言った方が正確かもしれません。
ちなみに、ヨナ・コンプレックスに陥っている場合に自己実現に至らないということは、マズローの欲求階層理論においても説明ができます。
どういうことかと言うと、欲求階層において下から五番目に位置する「自己実現の欲求」の下に位置するのが四番目の欲求である「尊重の欲求」ですが、ヨナ・コンプレックスに陥っているということはこの「尊重の欲求」が満たされていない状態ということです。
なぜなら、自分の価値や能力を低く見積もることは、明らかに自分を尊重することではないからですね。
自分を本当に尊重できている人は、自分の限界を低く設定し制限をかけることはしません。
言い換えれば、ヨナ・コンプレックスに陥っていると、自分自身を尊重し大切に扱うことはできないのです。
このような意味で、ヨナ・コンプレックスとは「尊重の欲求」が満たされていない状態と言えます。
そして、いわずもがなマズローの欲求階層の理論では、下位の欲求が満たされなければそれより上位の欲求は現れることすらありません。
したがって、ヨナ・コンプレックスにより「尊重の欲求」が不満状態の人にはその上の「自己実現の欲求」が表出しないことはある種当然のことと言えるでしょう。
こういった意味でも、ヨナ・コンプレックスとは、僕たちの自己実現の前に立ちはだかる壁であると捉えることができるんです。
そして、マズローは『人間性の最高価値』という自著のなかで、ヨナ・コンプレックスについて下記のような説明もしてくれています。
『われわれほとんどの者は、現実のわれわれより立派になることが可能である。われわれはすべて、使っていない潜在能力、完全に発達をとげていない潜在能力をもっている。われわれの多くは、素質的にもっている使命を避けようとするのも確かに事実である。したがって、往々にして、われわれは、生まれつき、または宿命的に、ときには、偶然に、命ぜられた責任を免れようとするのである。』
ここでマズローも述べているように、僕たちは誰しもが自分で思っている以上の素晴らしい能力を潜在的にもっているのです。
しかし、それにも関わらず、実際にヨナ・コンプレックスを乗り越え自己実現にたどり着いている人は決して多くないのが実情です。
それはいったい何故なのでしょうか?
4.自己実現に至るためには
結論から言うと、ヨナ・コンプレックスに陥り自己実現に至ることができない理由の一つは、先程も触れたように人間に潜む自己防衛本能によるものです。
言い換えれば、ありのままの自分を最大限に活かし切ることへの恐怖心と向き合わなければ、いつまでもヨナ・コンプレックス状態のままになってしまうのです。
そして、このような前提のもと大切なポイントは、その恐怖心は他者や社会によって身につけさせられたものではなく、自分自身で身に着けたのであるということ。
エヴァの場合は開発者の意図で装甲パーツがつけられていますが、僕たち人間の場合は、他でもない自分自身でこの鎧を身に着けているのだということです。
したがって、心に装備した装甲パーツは、自分で外すことができるのです。
そして、いまは心にガッチリと装着された心の鎧を外すためには、それが他ならなぬ自分自身が自己防衛のためにつけたということをしっかりと自覚することがはじめの一歩と言えると思います。
そのうえで、できる範囲から徐々に自分のなかの恐怖心と向き合うことで、その恐怖心を乗り越えることができます。
そして、その時のポイントは、自分が何に恐怖を感じているのか、どうして恐怖を感じているのか、いつからこの恐怖を抱くようになったのかを深く掘り下げること。
そうすることで、自分の恐怖心の姿が明確になり、それらを手放すことができるのでしょう。
しかも、僕たちは装甲パーツを取り外したからといって、エヴァのように暴走することはありません。
むしろ、装甲パーツをつけているから、不自由で窮屈な人生になってしまうのです。
そういった意味では、時間をかけてでも良いので、自己防衛のために施した心の鎧を自らの意志で手放すことで、僕たちは自分らしい人生を堪能することができるのではないでしょうか。
「装甲パーツを外しても大丈夫なんだ」
「自己防衛なんてする必要がなかったんだ」
「自分を制限して我慢する必要などないんだ」
そんなことを心から実感できれば、自ずと心の鎧は外れていき、身軽で風通しの良い毎日を送ることができるようになるのだと思います。
ちなみに、最後に余談ですが、マズローはヨナ・コンプレックスの隠れた実例として、宗教における神への信仰心や忠誠心を挙げているのですが、これは言い換えれば、神を恐れる心がヨナ・コンプレックスをもたらしているケースがあるということです。
個人的には、この点もどことなくエヴァと関連があるように思っています。
言うまでもなく、エヴァの世界観の背景にはキリスト教があり、物語のキーワードとして至る所で「神」が語られますしね。
ということで、今回の記事は以上になりますが、ヨナ・コンプレックスの宗教的な側面も含めもっと詳しくヨナ・コンプレックスについて知りたい方は下記リンクの記事もお読みいただければと思います。