超越論

マズローの自己超越とは?利他的だけでない35個の本当の超越の意味

マズロー自己超越
自己紹介

 

マズローの語る「自己超越」とは、いったいどういう意味なのでしょうか?

先に結論から言うと、自己超越の説明として「利他的であること」という説明がよく見られますが、利他的であることは自己超越でははなく、自己実現の段階の話になります。

つまり、利他的であるだけでは自己超越とは言えませんし、それだけでは自己超越に至りません。

というか、そもそも論として、これはほとんど知られていないことですが、マズローは超越論について特に詳しく論じている後年の段階において、「自己超越」という言葉はほとんど使っていないんですよね。

ではいったい、これらの事も含め、マズローの語る自己超越とはどのようなものだったのでしょうか?

ということで、今回は自己実現と自己超越の違いを改めてサラッと整理したうえで、マズローが語った35個の超越の意味をご紹介したいと思います。

 

1.自己実現と自己超越の本当の違い

マズロー自己超越01

 

まず最初に、自己実現と自己超越の違いを簡単にだけ整理したいと思います。

 

①利他的であることは自己実現

冒頭でも触れたように、利己的ではなく利他的であることは、自己超越のひとつ前のステップである自己実現の段階における話であり、「他人のために」という在り方は自己超越の状態の説明としては不適切であり不十分なんですよね。

マズロー自身も、『人間性の心理学』という書籍で、自己実現についてこのような事を述べていました。

 

実際、自己実現的人間は同時に、すべての人間のなかで最も個性的で、最も利他的、社会的、人を愛する性質をもつということなのである。

 

この文章からも、利他的であることは自己実現における特徴であることが分かりますし、実際この書籍のほかの部分やこれ以外の書籍でも、マズローは自己実現とは利他的な状態であることに何度も触れています。

そして、このあと詳しく掘り下げますが、自己超越とは自己実現を超えた先にある概念であると同時に自己実現を内包したものでもあるので、利己的ということは自己超越の前提条件と言ってもいいものなのです。

つまり、「自己超越=利他的」という関係性は間違いであり、「自己超越>利己的」という関係性の方が正しいのです。

言い換えれば、自己超越とは利他的であることを内に含んだ、もっと大きな概念なんですね

 

②利他的の本当の意味

 

このような前提のもと自己超越の理解を深めるために確認しておくべきことあるのですが、それは、マズローの語る「利他的」という言葉の意味が、少し限定的だということです。

言い換えれば、一般的に使われる意味での「利他的」よりも更にオリジナルな意味合いでマズローは利他的という言葉を使っていました。

ここではその結論だけ言うと、マズローの語る「利他的」とは、これとは真逆の性質である「利己的」という性質と「利他的」という性質が統合されているという特徴があります。

言い換えれば、自己実現における利他的とは、「誰かのために」であると同時に「自分のために」なっている状態のことなんですね。

実際、たとえば仕事で言うと、仕事を通して自己実現を果たしている人は「仕事」と「遊び」を一体化することができており、自分が本当にしたい事を楽しみながらすることで社会に価値を提供することができています。

つまり、彼らにとっての「利他」は、自己犠牲であったり、我慢や義務を強いるものではなく、自分の喜びとして行うことが周りの人々の喜びにもなっている「利他」なのです。

これを別の言葉で言えば、自分がしたい事をすることが相手の役に立っているということであり、したがって利己的な行動が必然的に利他的な行動になっているのが自己実現ということですね。

 

ちなみに、このことを別の角度から言えば、自分と他者の間に「シナジー」という相乗効果が生まれているということでもあります。

シナジー状態の自己実現においては、自分の利と相手の利が対立することなく、自分の利が相手の利をもたらし、それがまた自分の利として帰ってくるというスパイラルを起こすような関係性になっています。

なお、シナジーについては、『バクマン。』という少年ジャンプの漫画を参考にしながら紐解いたこちらのコラムを後ほどお読みいただくと、理解が深まると思います。

 

つまるところ、こういった「利己と利他の統合」がなされているのが自己実現であり、したがって「利他的」であることは自己超越のことではありません。

すなわち、自己超越とは、自己実現という「利他と利己の統合」の先にある概念であり、これを超えた理論なのですね

 

ということで、「利他的」という切り口で自己超越と自己実現との比較をしたあとは、実際マズローは自己超越について何と言っていたのかについて詳しく見ていきましょう。

 

2.超越のもつ35個の意味

マズロー自己超越02

 

結論から言うと、マズローは、自分が使う「超越」という言葉には35個の意味があると述べていました。

今回は、その35個の超越の意味をそれぞれ簡単にご紹介したいと思います。

 

①自己意識の超越

超越の持つ一つ目の意味が、「自己意識の超越」になります。

これは、「自分」という意識が消える感覚のことであり、いわゆる「無我の境地」とも言えるような状態のことですね。

「わたし」という感覚は消え、自分という存在が忘れ去られている自己認知のない状態とも言えると思います。

つまり、何かに没頭しているときなどに起こる自己忘却が、ここで言う「自己意識の超越」ということです。

 

②B価値の超越

超越という言葉の二つ目の意味は、「B価値を超越している」ということです。

「B価値」についてはこちらの記事で詳しくまとめているのでまだお読みでない方は後ほどご一読いただければと思うのですが、ここでは結論だけ言うと、マズローは自己実現する人たちが共通して大切にしている「真実」「完全」「富裕」などを含む14個の価値をひとまとめにして、それを「B価値」と呼んでいました。

マズローは、このB価値というものは「本質的究極的価値」であると同時に、僕たちに人間にとっての「究極的満足対象」であるとし、自己実現する人にとっては最大の報酬にもなるものであると述べていましたが、自己超越においてはこのB価値すらもを超越しているのです。

要するに、超越という段階においては、自分とB価値という存在が切り離されているものではなく、両者が一体化しているのです。

言い換えれば、「自分」と「B価値」との境界線を超え双方が同一化している事を指し、マズローは「B価値を超越している」と表現していたと言ってもいいでしょう。

つまるところ、「B価値の超越」とはイコール「自己実現の超越」であると言ってもいいかもしれませんね。

 

③時間の超越

マズローが語った三つ目の超越の意味が、「時間を超越している」ということです。

これは平たく言えば、自分が生きている時間軸を広げるという意味での超越になります。

つまり、人間一人の人生が100年だとしたら、そのスパンを遥かに超える千年や万年といった時間軸でものごとを捉え、考えるということですね。

自分という個を超えた、過去と未来におけるあらゆる繋がりを意識することが、ここで言う「時間の超越」です。

今日という日を生きている自分は、これまでの過去とこの先の未来と有機的に繋がっているという感覚を実感できることが、ここでマズローの語る「時間の超越」になります。

 

④文化の超越

自己超越している人は、自分の住んでいる国、すなわち「自国」というスケールを超えて世界全体というスケール感でものを見るとマズローは述べています。

すなわち、ここで言う超越とは「自分の国と他の国」という線引きを超え、人類全体を含んだスケール感で「利己」と「利他」が統合されている状態のことです。

自分という存在は、自分が住む国の国民であると同時に、この地球で生きる一人の地球人でもあるので、その意味で国境という境界線はありません。

だからこそ、彼らは、相手のお国柄や国籍によって態度を変えることもなければ、自国以外の国の人々に対しても一体感や親近感をもてるのですね。

この意味においても、「利他」と「利己」は統合され、「自分ため」にする行動は「ほかの国に住むすべての人のため」になっているということになります。

 

⑤過去の超越

超越の五つ目の意味としての「過去の超越」というのは、簡単に言えば「過去に縛られない」という意味になります。

これは、「過去にこんなことがあったから」であるとか、「昔あんな経験をしたから」ということに囚われないとも言い替えられるでしょう。

すなわち、「過去ー現在ー未来」という時間軸のパラダイムにおいて、過去と現在を切り離して「いまここ」の瞬間に真正面から没頭できるということでもあります。

僕たちは往々にして現在の状態を過去の出来事と結びつけようとしたり、特定の結果に何がしかの因果関係を見つけ出そうとしますが、それらを超えたパラダイムでものごとを捉えることが「過去の超越」です。

したがって、この場合は過去を許すこともできるので、罪悪感や後悔などを超えた、より自由な選択をすることができるようになるもの特徴ですね。

 

⑥利己主義の超越

これは、前述した「利己と利他の統合」の話であり、自己超越という概念が自己実現を超えそれを内包したものであるということの再確認となる内容ですね。

この超越においては、自他の分離が消え自己と他人の境界線を超越することで、他者の求めることと自分がしたいことが一致します。

自分の願望としての「やりたいこと」と、責任や使命としての「やるべきこと」が一体化しているので、義務は「守らなければならない嫌なこと」ではなく「守りたい望ましいこと」になり、それはもはや一般的な意味での義務を超越した「使命感」とも言えるような段階における能動的なものになるのです。

その義務を果たすことは、自分の使命として「やるべきこと」であると同時に「やりたいこと」でもあり、また、これは「自分がやりたいこと」でありながら「他人がやって欲しいと思っていること」でもあるのですね。

 

⑦神秘的経験としての超越

これはかなり抽象的な内容ですが、七つ目の超越は、宗教や精神世界などにおけるスピリチュアルな体験としての超越です。

いわゆる悟りや啓示や覚醒といった概念と関連する超越経験であり、言葉では言い表すことのできない神秘的な世界の話のことですね。

マズローはある種の「非科学的」とも言えるようなこういった側面からも超越を捉え、より包括的かつ全体的な意味合いで超越を捉えていました。

これは、トランスパーソナル心理学というジャンルとも関りが深い超越であると言えるでしょう。

 

⑧死、苦痛、病気といった苦悩の超越

マズローは、超越においては、死・苦痛・病気に関わる悲痛、反抗、 怒り、拒絶などはすべて消え去るか、少なくともかなり減少すると述べていました。

これは、いわゆる「病老死」といったような人間としては基本的には避けたいと思える苦悩が消えるか減り、それらを超越した価値観で生きることができることであるとも言えます。

なお、これはこういった事柄を完全に拒絶するという意味ではありません。

むしろ、それらを完全に受け容れることでその苦悩を超えられている状態であると言った方が適切でしょう。

つまり、「病老死」そのものと無縁であるというよりは、「病老死」の恐怖心と無縁になっていると言い替えられる超越だと思います。

 

⑨受容的な超越

マズローは、先程の八番目の超越と重複する超越として、九番目に「受容的な超越」を挙げていました。

これは、世界をありのままに受け入れることであり、それ自体ありのままにさせておくことであるとも表現しています。

言い換えれば、不安や恐怖心などによる不必要な作為を手放した状態であり、すべてのものごとへの信頼がベースにある受容的な態度のことですね。

だからこそ、病老死への恐れを超越し、起こることをあるがままに受け入れられる大きな器がもてるのでしょう。

 

⑩両極性の超越

十番目の超越は「両極性の超越」であり、マズローはこのことを「二分法の超越」という言葉でも表現していました。

これは、前述したシナジーの話とも繋がる内容であり、「わたしかあなたか」という対立を超えていることですね。

あるいは、「全か無か」「オールオアナッシング」といった二律背反を超えた世界観で高い次元からものごとを捉え判断ができることであるとも言えると思います。

または、「正解か不正解か」という価値観を超えた、統合的な世界観で問題に対処できるようになることと言い替えられるかもしれませんね。

いずれにしろ、「Aか非Aか」という対立を超えることでなされる超越です。

 

⑪基本的欲求の超越

自己実現に至るためには、いわゆる五つの基本的欲求を全て満たす必要があることは周知の事実です。

この事を踏まえて基本的欲求の超越について言えば、すなわち「生理的欲求」「安全の欲求」「所属と愛の欲求」「尊重の欲求」「自己実現の欲求」を超えた先にあるのが自己超越であるということですね。

ちなみに、この部分だけを引っ張り出して「自己超越の欲求」は六番目の欲求であるという説明がなされることもありますが、厳密にはそれは正しくありません。

その解説に関しては、「自己超越欲求」という言葉について解説したこちらの記事でまとめているので、後ほどお読みいただくとマズローの語る超越の意味が更に深まると思います。

 

⑫愛他的な超越

マズローは、愛情の同一化も一種の超越であると述べていました。

これは、自分の子どもや親愛な友人やパートナーなどに対する愛であり、つまりは「愛他主義」としての自己の超越です。

愛する子どもへの愛情は自分への愛を超えることは言うまでもないことですし、愛するパートナーへの真の愛情が自己愛を超えることも周知の事実ですよね。

それは、愛における自己の超越であり、自分と相手が溶け合うような超越です。

ちなみに、マズローはこのような愛情を「Bラブ」と呼び、これこそが本質的な愛情であると語っていました。

 

⑬アンギャル型ホモノミー超越

諸事情により、十三番目の超越の説明はここでは割愛させていただければと思います。

 

⑭束縛・支配からの超越

マズローは、超越の十四番目の意味として、誰にも、何ものにも振り回されないことを挙げています。

言い換えれば、自分以外の要素に自分の人生をコントロールされないこと、あるいは、コントロールの権限を明け渡してしまわないこととも言えるでしょう。

特定の人物にしろ、他者との関係性にしろ、あるいは団体や規則やシステムにしろ、そういったものが自分の可能性を狭める存在になっていないこと、つまりそれらからの束縛や支配を超えているということですね。

もっとも、それは関係性を断ち切るというよりは、それらとの繋がりを維持しつつも、自分を不自由にする鎖では繋がれていないという意味になります。

つまり、自分を歪める鎖から自由になっているという意味での超越とも言い替えられると思います。

 

⑮他人の意見や周りの目からの超越

これは一つ前の内容と関連するものですが、他人の意見、すなわち、反映された評価を超越することをマズローは挙げていました。

これはつまり、自分軸で自立していることによってなされる超越ですね。

マズローが語った自己実現に至る8個の方法のひとつに「嫌われる勇気をもつ」というものがありましたが、この超越はその内容と関連するものと言えるでしょう。

他人の目や批判や冷笑に対する恐怖を超えた独立的な勇気をもち続けることが、自己実現を超え超越に至る手段であるとも言えるかもしれません。

 

⑯上位自我からの超越

ここで言う「上位自我」とはフロイト的な上位自我のことであるとマズローは述べているのですが、フロイト的な上位自我とは、自分の自我の上に他者や社会の自我を置くというスタンスのことです。

平たく言えば、他者の要望により自分を押し殺すことですね。

これは、義務・我慢・自己犠牲によって成り立つ自我であり、言い換えれば自分の本心や欲求を抑えつけることです。

こういった、本来の自分の上にまるで蓋のようなものとして存在している自我を超えることが、ここで言う超越になります。

ちなみに、この事はこちらの記事でもまとめているマズローが語った「ヨナ・コンプレックス」とも紐づく内容ですね。

 

⑰弱さや依存からの超越

十七番目の超越は、「弱さ」や「依存」を超えることです。

これはマズローが語った「真の倫理観」の話や「真の責任感」の話とも繋がってくる内容と言えそうですが、つまるところ、これは自律的な人間になり自分の足でしっかりと立てることと言えるでしょう。

他者や社会に甘えて、それらに一方的に支えてもらうのではなく、精神的にも関係性的にもそれらから自立した健全かつ良好な在り方で人生を生きることであるとも言えるかもしれません。

なおこれは、自己実現した人たちに共通する15個の特徴の一つである「社会との適切な距離感を保てる」という内容とも関連する超越になりますね。

 

⑱現実の超越

ここで言う超越とは、ゴールドシュタインが言う意味での「現在状況を超越すること」であるとマズローは述べています。

これを平たく言えば、現在自分が目の前に存在している現実を超えて、もっと他にあるあらゆる可能性にまで意識を拡大するということです。

すなわち、「この現実は正しいのか?」であったり、「もっとほかの現実があるのではないか?」という模索をすることとも言い替えられ、このような意味で現実を超越するということです。

つまり、目の間に広がる現実を唯一無二の絶対的な真実として固定させてしまうのではなく、あらゆる角度や視点や認識から、いまは認知できてない選択肢やポテンシャルや潜在的な可能性にも意識を向けるということが、ここで言う現在を超越するという意味になりますね。

 

⑲二分法の超越

これは、先ほど登場した「両極性の超越」と少し重複する内容ですが、マズローは「二分法の超越」を十九番目に挙げていました。

この説明としては、白と黒の対照、あるいは、あれかこれかなどの超越という表現をマズローは使っており、二分法から上位の全体性に上昇することであるとも述べています。

またマズローは、これは原子論を超越し、階層的統合性へと向かうことであり、最終的には全体論的な見方をすることであるとも語っています。

つまり、あらゆる対立概念を超え、それらを統合し続けた先にある上位概念における超越的な視座で世界を見渡すようなイメージですね。

 

⑳B領域におけるD領域の超越

マズローは、ここで言う超越はあらゆる種類の超越と重複するとした上で、彼の造語である「B領域」と「D領域」を超越することを挙げていました。

この二つの造語についてここではザックリとだけ述べると、「B領域」とは「存在領域」というものであり、「D領域」は「欠乏領域」ということであり、この二つが存在領域内において超越されることが、ここで言う超越になります。

なおこの事は、超越論においては非常に重要な概念である「B認識」というものが何かを理解しなければ分からない内容であると言えるため、この事を更に掘り下げるのはまた別の機会に譲りたいと思います。

表面的な結論だけ言うと、存在領域とは、充足であり受容であり愛である世界観のことです。

 

㉑自己の意志の超越

これは、マズローが好んで使った「道教的」という言葉とリンクする内容になります。

簡単に言えば、「自分がやっている」「自分のお陰で事を成しえた」「自分の努力によって成果がもたらされた」といった思考を超越するということですね。

「自分のチカラ」という個の枠組みを超えたあらゆる有機的な繋がりや、あるいはより大きな流れを意識するという意味での超越とも言えると思います。

別の言葉で言い換えれば「神の手のひらの上で踊る」といったような意識で、自分という個人を超越した繋がりや関係性を自由に生きることであるとも言えるでしょう。

「自力」という限界を超えた「他力」を信頼することであるとも言えるかもしれませんね。

 

㉒優越という意味における超越

「超越」という言葉には「優越する」という意味があるとマズローは語ります。

これはつまり、過去の自分を超えたという意味での超越です。

これまでの自分の限界を超えること、あるいは、自分の最高値を更新したという意味での超越とも言えますね。

英語で言うところの、「over」や「beyond」といった単語に近いニュアンスの、弧を描くようにして壁を跳び超えるようなイメージにおける超越と言い替えることもできるかもしれません。

 

㉓国民の超越

これは、いわゆる国家主義や愛国精神を超えるという意味での超越であり、前述した「文化の超越」とも多少重複する内容ですね。

マズローはこの事を、国民という言葉を超えた「世界市民」になることであるといった表現もしていたりします。

「自分の国への愛」の範囲が、世界規模にまで広がり、「あらゆる国々への愛」にまでなっているとも言い替えれられると思います。

これはすなわち、戦争や格差を超える超越であるとも言い換えても良いでしょう。

 

㉔クライマックス的な至高経験の超越

マズローは、自己超越的な人々が多くの至高経験をもっていると述べていたのですが、二十四番目の超越は、この至高経験を超えるという意味での超越になります。

というのも、ある種のクライマックス的絶頂経験である至高経験を超えた先には、静寂で穏やかな状態が待っているとマズローは考えており、その境地に達することを述べているのがここで言う超越です。

至高経験という最高潮の状態を超えた先には、それとはまた違った恍惚な世界が広がっているのです。

このことをマズローは、「エデンの園の生活になれること」と言い換えてもよいとも表現しています。

 

㉕道教的な超越

これは、少し前に登場した「自己の意志の超越」に関わる超越とも言える内容で、そのキーワードとしてマズローは、「不介入」「中立」というワードを挙げています。

すなわち、自己都合や否定的なスタンスで対象に介入し変化を起こそうとするのではなく、その対象のあるがままを受け容れること、あるいは、そのままの状態を迎え入れるということです。

もちろんこれは、妥協や現実逃避や放棄といったネガティブな意味ではありません。

それすらも超越した、もっと包括的かつ受容的な世界観における在り方の話です。

つまるところ、「どうにかしなければ!」「なんとかしないと!」という焦りや恐怖や不安や緊張を手放し、「大丈夫」という安堵と共に真のゆとりと寛容性をそなえた超越と言い替えられる類のものですね。

 

㉖事実と価値の分裂の超越

この内容はマズロー著書に言葉を変えて度々登場するものなのですが、一言で言えば、「ある」と「べき」が一体化していることです。

事実として「ある」ことと、価値として存在する「べき」が統合している状態とも言えます。

もう少し噛み砕いて言うと、「現実」と「願望」が一体化している、あるいは「実在」と「当為」が一体化しているとも言えるでしょう。

つまるところ、この意味のおける超越は、「こうしたいけどそうならない!」であったり「こうあるべきなのにそうなっていない!」ということが生じない状態と言えます。

マズローはこの事を、「事実が価値と融和する」という表現でも述べていますね。

 

㉗否定性の超越

マズローは悪、苦痛、死なども含むとした上で、ここで言う「否定性の超越」は、世界をよいものとして受け入れて、悪をとがめない類のものであると述べています。

言い換えれば、ものごとには必ず二面性があることを完全に理解出来ているが故の境地ともいえるでしょう。

ポジティブとネガティブは共にお互いを必要とし合っており、一方の消失はもう一方の消失であるため、これらは相互に補完し合うような関係性です。

ネガティブだけだは存在しえないのと同様に、ポジティブだけでは存在しえないという大前提への理解によって可能になる、悪、苦痛、死すらも受け入れる超越ですね。

 

㉘空間の超越

これは、何かに完全に没頭している状態においては、自分がどこにいるのか、その所在が不明になったりそれを完全に忘れることさえあるという意味における空間の超越です。

「場所」という概念の消失、あるいは「ここ」と「あそこ」が溶け合い統合された感覚における超越とも言えるかもしれません。

また、このことをマズローは、自分のいる位置と地球の反対側にいる人との合一であるとも言っていたりします。

つまり、どれだけ距離が離れていてもその隔たりを超えるような超越であり、普通の状態における空間認識を超越していることとも言えるものでしょう。

 

㉙作為と努力の超越

マズローは、この超越はこれまでのいくつかの超越の内容と重複するとしたうえで、努力や意欲、願望や希望の超越であると説明しています。

これは、これまで見てきた「道教的な超越」や「自己の意志の超越」と特に関わりが深い内容ですね。

この意味での超越におけるキーワードとして、マズローは「無為」「無欲」「無干渉」「無統制」などを挙げていたりします。

つまるところ、これは一番最初の超越であった「自己意識の超越」とも有機的に繋がっている話であり、マズローにとっての超越はここまで見てきた内容が全て結びついているということが垣間見える内容であると思います。

 

㉚心理療法や心理学研究における目的としての超越

この内容は少々アカデミックな内容と言えそうですが、マズローは自己実現も含めた超越が心理療法の最終目標になるという趣旨の発言をしています。

またマズローは、これはイコール心理学研究における最終目的としての超越であり、心身の健康を促進する超越であるとも述べていますね。

つまるところ、既存の心理療法や心理学を超えた概念がマズローの語る超越論であり、それらを包み込み生まれる新しい心理療法や心理学の目的が超越になるということだと言い換えてもいいと思います。

要するに、マズローの語る超越論は、これらのジャンルにおける既存の枠組みを超えた心の健康を促すものであるということですね。

 

㉛宇宙の超越

この超越を、マズローはブッケの宇宙意識との関連で述べていました。

また、この超越を永続的な所属感や宇宙大に広がった一体感であるとも語ってます。

つまり、「自分」という感覚が宇宙的なスケール感にまで広がり、それと統合され同一化されるような意味における超越と言えるでしょう。

言い換えれば、自分は無限の宇宙の一部であると同時に、その宇宙の代表者の一人であるという感覚ですね。

 

㉜B価値の超越(2)

マズローは、三十二番目の超越については、ほかで個別に語っているため詳細を避けるとした上で、これを「B価値の同一化というような特殊な意味をもった超越」と表現していました。

 

㉝個人差の超越

マズローは、「非常に特殊な意味では」という前置きをした後で、「個人差を超越することさえ可能である」と述べています。

これは、人間各々の個人差をしっかりと意識した上で、それを受け容れるとともに十分味わい、最終的には深い感謝に至ることであると語っています。

すなわち、これは自分と他者との違いに対する感謝とも言えるでしょう。

自分以外の存在がいることで自分が存在できることへの感謝であり、これは前述した「否定性の超越」とも通じる、相対的な世界に対しての感謝ですね。

自分以外のものがある、あるいは全てが一つではないといった事への感謝であり、自他の違いがあることで物語が生まれ人生をより深く味わうことができることへの有難みとも言えると思います。

 

㉞人間という不完全な存在からの超越

最後から二番目の超越としてマズローが挙げていたことが、人間の限界、不完全性、欠点と有限性の超越でした。

マズローはここでのキーワードに、「神(神聖)」「本質」「存在」「超人間性」「全知全能」といった言葉を選んでいます。

これはすなわち、神への認識や自分自身への認識が変わることであるとも言えるでしょう。

そういった物事を全て超越した、絶対的な世界における超越とも言えると思います。

これは、自分と神の境界線を超えることであり、一人の人間という存在を超えることを意味する超越のことでしょう。

 

㉟自己の信条・価値観の超越

超越論における最後の超越の意味が、自己の信条、価値体系、信仰体系の超越です。

マズローは、この事を自分の信条を大切にしそれに忠実に従う一方で、ほかの信条を受け容れたり自分の信条を補完するものとして使ったりする、包括的かつ受容的な信条の成熟と価値観の醸成として語っていました。

言い換えれば、この世に存在するあらゆる分類、カテゴライズ、グループ分けといったジャンルの境界線を溶かし合い、すべてを包み込む全体的なホリスティックな価値のことを指しているのです。

これはイコール、対立や矛盾を統合する超越的な信条や価値観とも言えますね。

 

つまるところ、何を隠そうマズローの語るこれまで見てきた35個の超越の意味が、あらゆる概念や分類を包括的かつ受容的に統合した理論であり、言い換えれば、マズローの語る超越論こそ、対立や矛盾や分離を超えた理論になっているということです。

 

そして、マズローは、これらの内容を含め、超越論の重要なキーワードである「自己実現的創造性」や「B認識」や「至高経験」なども交え体系化した理論を「Z理論」と名付けていたのです。

 

おわりに

 

マズローの語る超越論の大まかな概要と、「超越」という言葉をどういった意味でマズローが使っていたのかの大枠の解説は以上になりますが、ここで最後に一つだけミニポイントに触れたいと思います。

そのポイントとは、今回のコラムではあえて一般的に使われている「自己超越」という言葉を何度か使いましたが、冒頭でも触れたように超越についての研究に力を注いでいた後年のマズローはこの言葉をほとんど使っていないということです。

なお、このことについては、「⑪基本的欲求の超越」の際に触れた「自己超越欲求」というネーミングについて紐解いたこちらのコラムの中で深く振り下げているので、マズロー心理学の最終到達点とも言えるであろう超越論を「更に詳しく知りたい!」という方は、リンクからご覧いただければと思います。

 

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赤マズロー
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