今回は、少々国語のお勉強っぽい内容です。
というもの、世間一般で語られている「自己実現」の意味や定義には、残念ながら多くの間違いや書き手の勝手解釈で伝えられている内容がとても多いのはご存じでしょうか?
ということで、その点も踏まえ、マズローの語る「自己実現の意味」を実際のマズロー著書の言葉を引用しながら徹底的に解説してみました。
また、自己実現の関連用語・類語・対義語、更には言葉の使い方や例文もマズロー著作からピックアップしているので、それらを知ることで自己実現という言葉のもつ意味がよりクッキリとしてきます。
ということで、そんな少々マニアックだけれだも、本当に正しく自己実現を理解したいのであれば必ず目を通しておくべき土台ともなる内容を吸収していただければと思います。
もくじ
1.自己実現の意味
まず結論から言うと、自己実現の意味とは、「自己が本来もっている真の絶対的な自我を完全に実現すること」「転じて、自分の目的、理想の実現に向けて努力し、成し遂げること」になりますが、これはあくまでも一般的に述べられている「辞書的な意味」です。
実際、マズローが語った自己実現はこれよりも遥かに広い意味合いを含んでおり、また、前述した「転じて」の部分はまったく当てはまりません。
「まったく」というのはもしかしたら言い過ぎかもしれませんが、いずれにしろ、一般的な意味の自己実現とマズローの語る自己実現はイコールではないんですよね。
むしろ、マズロー以外の人々が定義した自己実現とマズローが定義した自己実現の意味が混同されることで、マズローの提唱した自己実現の理論とその内容は世間にはほとんど正確に伝わっていません。
言い換えれば、残念ながらマズロー心理学における自己実現の意味をしっかりと理解できている人は皆無で、多くの方はその内容を誤解してしまっています。
そのような背景を踏まえて、マズローが語った自己実現の意味を一言で言うと、それは「本当の自分自身で在り続ける」「ありのままの自分の可能性を思う存分発揮する」ということだと僕は思っています。
なお、「僕は思っています」とさせていただいたのは、実際にマズロー著作を読むと分かるのですが、マズローは自己実現に関して本当に膨大な量の記述を残しており、それを集約して「自己実現とは何か?」を一言で言い表すのは正直言って無理だからです(笑)
実際、マズロー自身も『人間性の最高価値』という著作の中で、「自己実現とは何か?」ということを一言で説明する難しさを次のように語ってくれています。
『自己実現というのは、定義するのが難しい。自己実現のかなたは?という質問に答えるのが、どれだけ難しいか。』
この発言からも、マズロー自身が「自己実現とは何ですか?」という質問に答えるのは難しい問題であると考えていたことが分かりますよね。
むしろ、マズロー自身がこのように語っているにも関わらず先ほどのような説明を述べることすら恐れ多いくらいです(笑)
いずれにしろ、マズローの考える「自己実現」とはそれだけ奥深く、またある種の複雑性をもっているものでもあったため、少なくとも一言で答えることができる代物ではなかったということです。
逆に言えば、「自己実現とはコレコレこういうものです」と簡単に言葉で伝えらないがゆえに、膨大な量の記述を必要としたのでしょう。
さらに言えば、それだけ深みのある概念だからこそ、一般には誤解されまくってしまうということも言えるのですが…。
また、言うまでもなくマズロー著作を読んだ人によってその印象やそこから受けとるメッセージはそれぞれであり、そのため「自己実現」という言葉への意味づけも人によって千差万別です。
なおかつ、マズロー自身の自己実現への意味づけや解釈も、年代によって微妙に異なっていたりもします。
そういった意味でも、先ほどの僕の定義はあくまでも僕個人の解釈であり、絶対的かつ誰もが納得する「正解」というものではありません。
とはいえ、マズロー心理学の研究者としての自負はそれなりにあるので(笑)、ご自身で日本語訳されている全6冊のマズロー著作を読んだことがない方には自信をもってお伝えできる模範解答にはなるのかなと思っています。
要は、マズローの語る自己実現というのは、実際のマズローの書いた書籍を自分で全部読まないと本当に理解することはできないということです。
しかし、昔の僕も含めてそんなことをする人はいないですよね(笑)
ということで、これらの事を念頭に置いたうえで、この後は「マズロー自身が自己実現についてどう語っていたのか?」に最大限焦点を当てて、「自己実現」という言葉の意味を例文や類語や対義語なども網羅することで、その全体像がどんどんどんどんスッキリと見えてくるようにしたいと思います。
「表面的な知識では物足りない!」「自己実現の本当の意味をちゃんと知りたい!」という強めの探究心がある方には、きっとお楽しみいただける内容だと思いますよ。
2.マズローにとっての自己実現の意味
さて、先ほども触れたように、マズローは自己実現について非常に多くの説明をしてくれており、表現方法や言葉の使い方も様々です。
とはいえ、実はその中でも、「自己実現とは〇〇である」という形で断定的に自己実現について述べていることは意外と少ないんですよね。
そんな、ある意味ではとても貴重な形とも言える表現で自己実現について語ってくれている文章に、次のようなものがあります。
『自己実現とは文字どおり自己を実現すること』(人間性の心理学)
これは、当たり前と言えばそうなのですが、単純だからこそ非常に真理をついた表現だと思います。
逆に言えば、僕たちは自己(自分)を実現していないという事があり得るということです。
もっとも、その意味はそれこそ非常に深いものがある上に、先ほどの引用文だけだと自己実現が何なのかはイマイチ掴めないので、ここで下記のような別の表現を見てみましょう。
『自己実現とは、完全に熱中し、全面的に没頭しつつ、無欲になって、十分に生き生きと経験することを意味する。』(人間性の最高価値)
これは、とても分かりやすい表現ですよね。
もっとも、この表現は「定義」であると同時に自己実現という事柄の特徴とも言えるものだと思いますが、いずれにしろ、自己実現のすがたが少しハッキリしてきましたよね。
続いて、今度はこれらとは違う表現を見てみましょう。
マズローは、自己実現についてこのような表現でも述べてくれています。
『個々人の潜在的な可能性などを十分に用いること』(人間性の心理学)
つまり、僕たちが自分の内側に潜在的に秘めている可能性を十分に発揮していることが自己実現だということですね。
また、マズローはこれとは違う様々な箇所で、自己実現という言葉と代替できる同じ意味合いの言葉として『完全な人間性』という言葉を非常に多く用いており、文脈のなかでの使い方としては『完全な人間性の実現』といった表現をしていたりします。
したがって、このことから「自己実現=完全な人間性を実現できていること」とも言えるでしょう。
ちなみに、「完全な人間性」の説明として、『人間の本性の発達』『高度の成熟』という表現をしていることもあり、こういった表現に触れることで「完全な人間性」という言葉の輪郭が更にハッキリするのではないでしょうか。
また、この「完全な人間性」の対語義のような表現として、マズローは『人間性の萎縮』という表現も多く用いています。
これは、先ほどの「潜在的な可能性を十分に用いる」という表現とも近しいニュアンスがある表現ですよね。
要は、自己実現が完全な人間性の発揮である一方、潜在的な可能性を十分に発揮することなく萎縮している人間性もあるということです。
また、マズローは、多くの人々が自分の完全な人間性や潜在的な可能性を発揮しない原因の一つに「自己防衛」という安全へのメカニズムがあると考えていたのですが、この観点から自己実現を定義した表現に次のようなものがあります。
『自己実現とは、この種の防衛のメカニズムを放棄し、再聖化することを教えられ、学ぶことである。』(人間性の最高価値)
つまり、自己実現とはそれを阻害する防衛を手放し、再聖化することでもあるのです。
なお、この「再聖化」の詳しい説明をしだすとモノ凄い量になるので、ここではその意味を「自己実現とは真逆の状態から自己実現の状態へと舵を切りなおすこと」と考えていただけければと思います。
いずれにしろ、自己実現とは、それを阻害する防衛によって萎縮してしまった人間性を健全に発揮できるようになることという側面もあるということですね。
また、マズローは自己実現のことを『「真の自己」の達成』と表現していることもあり、このことからも自己実現が自分に内包されている真の自己を隠したり縮こませることなく、思う存分に表出・表現・創造することだということが分かりますね。
そして、ここまでの内容に触れたことで何となく気付かれたかもしれませんが、「自己実現」自体には大きく分けて2パターンの状態が存在します。
それは、「過程」と「到達点」の二つです。
言い換えれば、現在進行形で「自己実現している」という状態と完了形で「自己実現した」という状態とがあるということであり、より正確に言うなら、一つの「過程」としての自己実現と、一つの「到達点」としての自己実現との両方の側面があるということです。
すなわち、自己実現とは一種の道のりそのものであると同時に、ある意味での終着点でもあるということだとも言えますね。
山登りで例えるなら、「山道を歩く」という意味での自己実現と、「山頂に辿り着く」という意味での自己実現との両方の側面が自己実現にはあるということになるでしょう。
もっとも、マズローはどちらかと言うと前者の「山道を歩く」という道程としての性質を強調している印象があります。
その根拠とも言えるようなマズローの表現のうち、まずはとても直球的な表現を見てみましょう。
『自己実現とは前進の過程である。』(人間性の最高価値)
これはもう、まんまストレートに言っていますね(笑)
なお、このことについては更に詳しく述べてくれてもいます。
『自己実現というのは、ひとつの終着点であるばかりではなく、いついかなる程度においても、人間の可能性を実現する過程でもある。』(人間性の最高価値)
こういった表現からも、自己実現がゴールではなく過程そのものでもあるとマズローが考えていたことが分かると思いますが、このポイントは非常に重要ではあるものの巷ではほとんどの場合見過ごされている観点でもあると思います。
ちなみに、有名な欲求階層においても、下から五つ目の「自己実現の欲求」に辿り着くことはゴールでもあり途中経過でもあります。
なぜなら、「自己実現の欲求」以下の四つの欲求を満たした先の到達点としての存在が「自己実現の欲求」である一方で、その「自己実現の欲求」の段階に達したとしてもその後でそれを満足させるというステップがあるからですね。
なおかつ、詳しくはこちらの別のコラムに書いているので後程お読みいただければと思いますが、この「自己実現の欲求」はいわゆる「成長欲求」に当たり、完全に満たされるということはないため、そのような意味でも自己実現とは過程そのものなのです。
そういった意味では、「自己実現自体には終わりはない」と言った方が適切だと思います。
したがって、「自己実現」とは「実現するもの」というよりも「実現し続けるもの」や「実現していくもの」であると言えるかもしれません。
ちなみに、上記のイメージ図ではゴールとの対比のために「過程」という意味で一般的な「process」(プロセス)という英語を用いましたが、「道程」の英語は「journey」(ジャーニー)であり、個人的にはコチラの方が人生を旅に例える感じがしてしっくり来るのかなとも思っています。
なお、これらの前提のもとで存在する一時的な意味でのゴールが自己実現には実はあります。
それがいわゆる、「至高経験(至高体験)」と呼ばれるものですね。
この至高経験について、マズローは実際に次のように述べています。
『至高経験は、自己実現の瞬間的な達成である。』(人間性の最高価値)
これも補足する必要のないくらい、この上なくド直球な表現ですよね(笑)
あるいは、次のような表現に触れることでこの事が更に深く理解できます。
『この経験の刹那に、人間は、まったく完全に、人間になるのである。この瞬間が、自己実現の瞬間なのである。この瞬間こそ、自己が自ら実現しつつある時なのである。』(人間性の最高価値)
つまり、至高経験というのは自己実現の過程で出会う一つの究極的な瞬間であり、自己実現の象徴的な存在でもあるということです。
ちなみに、僕個人としては、至高経験というものは自己実現の過程でもたらされるある種のギフトのようなイメージをもっています。
刹那的に訪れる「ご褒美」みたいなものですかね。
いずれにしろこの至高経験の存在により、自己実現というのは、「過程」でもあり「到達点」でもあるだけでなく、「瞬間」的なものでもあるというのがおわかりいただけのではないでしょうか。
さて、ということで、マズローにとっての自己実現がどのようなものであり、自己実現という言葉自体をどう捉えて使い分けていたかを把握したあとは、実際に自己実現している人のことをマズローが何と表現していたのか見てみましょう。
この観点から自己実現を整理すると、その正しい意味が更に鮮明になりますよ。
3.自己実現している人を意味する表現
マズローは、自己実現をしている人のことを、本当に様々な表現で語っていたのですが、最もベーシックな表現に『自己実現者』(self-actualizing people)というものがありました。
これは文字通り「自己実現している人」という意味なのですが、この「自己実現している」ということも非常に多くの誤解を生む表現です。
というのも、先ほども簡単に触れたように、自己実現には「過程」「到達点」「瞬間」という三つの側面があるからなんです。
実際マズローは、文脈に応じて「自己実現者」という意味を使い分けており、一方で「自己実現者」という表現でないいくつかの別の言葉でも、このような人々を言い表していたりもします。
そこで今回は、「過程」「到達点」「瞬間」の三種類に分けて、それぞれの段階においてマズローが「自己実現者」をどのように表現していたのかを整理してみました。
なお、今回は三つ目の「瞬間」に関しては、先ほど登場した至高経験とひとつながりのものとして語られている「自己超越」という自己実現のその先にある概念を含めた表現をピックアップしています。
まず、一つ目の「過程」という意味合いにおけるマズローが実際に使っていた自己実現者を指す表現ですが、それには以下のようなものが当てはまります。
・自己実現に近い人
・自己実現しつつある人
・自己実現の能力をもつ人
・自己実現をおこなっている人
・自己実現のレベルで生きている人
・自己実現をとげつつある完全なる人間
・真実の自己実現をとげつつある個性的な人間
続いて、「到達点」というニュアンスが強い表現が以下になります。
・自己実現できる人
・自己実現している人
・自己実現をとげている人
最後の三つ目の「超越」という単語を用いた表現は、以下のようなものになります。
・自己実現を超越した人びと
・超越的な自己実現者
・超越者
なお、この三種類のどれに分類できるか断定できない表現(あるいはどれにでも分類できる表現)も存在していて、それが下記のような表現になります。
・自己実現する人
・自己実現的人間
・自己実現人
・自己実現型の男性(自己実現型の女性)
なおかつ、最後の極めつけとして、下記のような応用編とも言えるような表現があることもお伝えしておきたいと思います。
・自己実現する真実の人間
・自己実現する、最も体験豊かな人
・健康な自己実現者
・実際的な自己実現者
・超越的でない自己実現者
・それほど超越的でない自己実現者
・最も高度に自己実現している人
・高度の成熟、健康、自己充実に達した自己実現する人
もう、色んな表現があり過ぎて頭がこんがらがっちゃいますよね(笑)
いずれにしろ、ここで大切なのは、いかに自己実現という概念が様々な側面をもっていて、それを表現するために色々な言い方でマズローは語ってくれているということだと思います。
また、ここでは単語や術語としてのワードだけを切り取っているので、前後の文脈まで考慮するとまた違った印象をもつ表現もたくさんあります。
そういった意味では、上記のような三分類自体があまり意味をもたないことだと言える上に、その分類方法も必ずしも正確ではありませんし、人によって意見が分かれるものでもあります。
しかし、少なくとも自己実現には多くのステップがあり、尚且つ色々な形で使い分けられているということは、何となくお分かりいただけましたよね。
また、さらに混乱させてしまうことを承知の上でのおせっかいですが、実は下記のような「〇〇な人」という表現ではない自己実現を指し示す表現も非常に多くあります。
・自己実現への道程
・自己実現に向かう
・自己実現を目指す
・自己実現が起こる
・自己実現に重点をおく
・自己実現に至る
・自己実現を達成する
・自己実現を生み出す
・自己実現を可能にする
・自己実現などを超えてゆこうとする
さらにさらに、これとはまた違った角度から見た表現もあります。
・よい自己実現をする
・完全な自己実現になっている
・完全なる自己実現を達成する
・一時的にわれわれが自己実現しているとき
このような「自己実現」という単語を使った表現は、まだまだたくさんマズロー著書にありますし、そしてもちろんマズローはそれらの表現をどういう意図と意味で使っているのかをイチイチ説明してくれてはいません。
つまり、前後の文脈も併せながら、「ここでの自己実現を使ったこの表現はこういう意味かな?」というのを、自分で考える必要があるんです(笑)
こういった意味でも、自己実現というのは定義するのが難しく、また誤解を招きやすい言葉であるんですね。
いずれにしろ、ここで大切なのは、これらの実際のマズローの発言に触れることで自己実現のもつ多様性や広がりや奥深さを感じることだと思います。
そのうえで、自分なりの自己実現という言葉へのイメージをもつことが大事だと言えるでしょう。
もっとも、できることならこのようにして部分的に抽出された表現だけをかいつまむのではなく、実際のマズロー著書をその目で読んでみた方が良いことは言わずもがなですが…。
ちなみに、このコラムの最後にご紹介する自己実現の対義語のところでは、自己実現者とは反対の人々を意味する単語も出てくるので、楽しみにしていてくださいね。
ではでは、自己実現者関連のバラエティに富んだ様々な表現に触れたことで更に自己実現のすがたがクッキリしてきた後は、「自己実現」から生まれた多くの熟語について紐解いてみましょう。
4.自己実現に関する熟語・例文
ここまでの内容でも登場していましたが、マズローは「自己実現の〇〇」という表現も多くしていました。
下記は、その「自己実現の〇〇」という表現の一例です。
・自己実現の欲求
・自己実現の理論
・自己実現の概念
・自己実現の表現
・自己実現の瞬間
・自己実現の仕事
・自己実現の経営
・自己実現の失敗
・自己実現の達成
・自己実現のかなた(彼岸)
・自己実現のユーモア
このような熟語表現とも言える言葉に触れることで、より一層自己実現という言葉の使い方が見えて来たのではないでしょうか。
また、「自己実現の〇〇」という熟語ではない表現も、下記のようにたくさん存在しています。
・自己実現への一歩
・自己実現への途上
・自己実現への駆りたて
・自己実現への段階
・自己実現へのステップ
・自己実現への成長
・自己実現を求める
・自己実現を助け
・自己実現をもたらす
・自己実現を可能にする
・自己実現を増進する
・自己実現をする生活
・自己実現の機会を与える
・自己実現の傾向がある
・自己実現の方向に向かう
・自己実現の域に近づいたり遠ざかったりしている
・自己実現の行手を妨げるもの
・自己実現に憧れる
・自己実現に近づく
・自己実現がなされる
・自己実現が可能になる
・普遍的な自己実現
・積極的な自己実現
・終局的な自己実現
・全面的な自己実現
・専門化された自己実現
・一面の自己実現や全面の自己実現
・一過性の自己実現
・自己実現的方法
・自己実現的愛
・自己実現的愛情関係
・自己実現的水準
・自己実現的なもの
・自己実現をもたらす仕事
・仕事を通じて自己実現を果たす
・仕事を通じての自己実現
・自己実現を促す仕事
・医師を通じて自己実現をする
さてさて、マズローからの怒涛の自己実現シャワーはいかがだったでしょうか(笑)
ここまでくると、もはやコラムではなく国語辞典のようなものになってますね(笑)
もっとも、ここで大切なことも前述したことと同じく、こういったリアルな表現に触れることで、自分になかの自己実現の輪郭をハッキリとさせることだと思うので、今回はこれ以上の説明は控えさせていただきます。
いずれにしろ、自己実現関連の様々な表現を知ったことで、マズローの中にある「自己実現」という言葉のイメージが垣間見えて来たのではないでしょうか。
さてさて、ということで続いては最後に、自己実現の類語と対義語を把握することで、自己実現という言葉の意味をカンペキにマスターしちゃいましょう。
5.自己実現の類語・対義語
マズロー著作では、マズローは『自己実現(~)』であったり、『~(自己実現、〇〇、△△、…)』という形での表現も多くしています。
これは、「~」や「〇〇」「△△」が自己実現と完全にイコール(=)で結ばれている場合もあれば、ニアリーイコール( ≒ )として語られている場合もあるものの、どれが(=)で( ≒ )かは正直分かりにくいものが多いです。
したがって、下記にピックアップした自己実現の類語は、同義語とも言えるし類語とも言えるものであるということをご承知おきの上で、その内容に触れていただければと思います。
・自己完遂
・自己発達
・自己探究
・自己改善
・自己形成
・自己実現化
なお、これらの内容は、ものによっては「過程」であったり「到達点」であったり「瞬間」であったりするというのも、これまでの内容から分かりますよね。
いずれにしろ、「自己実現の類語ってなに?」と聞かれたらこれらの単語が概ね当てはまるものの、これらはすべて自己実現の一側面でしかないというのはお分かりいただけると思います。
ちなみに個人的には、マズローは使っていない表現なのですが自己実現の類語には「自己理解」という言葉も該当すると思っており、なぜなら、自己実現とはその過程で本当の自分を理解していくプロセスでもあるからです。
この一方で、自己実現とは対照的な反対語(対義語)表現も、マズローはたくさんしてくれています。
・利己的な自己実現
・強迫観念的ーあるいはアポロ的なかたちの自己実現
・自己実現を拒絶する
・自己実現への途からはずれ
ここでこれと併せて確認しておきたいのが、少し前に触れた「自己実現者」にまつわる対義語的な表現です。
マズローは、自己実現とは対照的な人や自己実現を生きていない人を次のように表現していました。
・自己実現していない人
・自己実現の水準以下にある人
・不健全で自己実現できない人
・心理的発達の遅れている人
ちなみに、この単語はあえて別枠で書かせていただきますが、マズローは自己実現の対義語として『疑似自己』という言葉を使っています。
この「疑似自己」とは、一言で言えば「本来の自分を失っている人」です。
この人は、自己がなく、自身への肯定感情を失い、正常人として振舞うみせかけの人生を生きています。
言うなれば、自分を本質的な部分を見失っているがゆえに偽りの仮面を被り、まるでピエロのようになっている状態です。
そして、これは言うまでもなく自己実現とは正反対の在り方です。
自分のありのままの本質を純粋な形で余すことなく発揮する自己実現者とは真逆のベクトルで人生を歩んでいるのが疑似自己です。
そしておそらく、このタイプの人は決して少なくないでしょう。
むしろ、マズローが著書の各所で言っているように自己実現している人が圧倒的に少数派であることを考えると、現代人の多くが自分でも気付かぬうちにこの疑似自己状態に陥っているとさえ言えると思います。
そういった意味では、ここまでの内容をしっかりと吸収することが、疑似自己から卒業するためのスタートになるのだと思います。
おわりに
さてさて、「自己実現」という言葉を、これでもかと言う程あらゆる角度からみてきて、いかがでしたでしょうか?
きっと、これまでのイメージとはだいぶ違ったすがたが垣間見えたと思います。
もっとも、最後に一つだけ注意点があります。
それは、ここまでの内容はもともと英語圏に住むマズローが英語を使って文章化したものを日本語に訳しているということです。
詳しくは、こちらのコラムでまとめていますが、自己実現も含めマズロー心理学が誤解されて広がる11個の理由のうちの一つが、この翻訳段階でのズレにあります。
したがって、本当の本当に徹底的にマズローの主張を正確に理解したいのであれば、英語で書かれた原著を読むほかないんですよね。
そういった意味では、ここまで触れた内容はあくまでも「日本語訳」というクッションを一度踏んだことで純度が落ちている解釈になっているということは、ご承知おきいただければと思います。
もっとも、大筋はズレていないと思うので、その点はご安心くださいね。
少なくとも、コラムの冒頭で述べさせていただいた、「本当の自分自身で在り続ける」「ありのままの自分の可能性を思う存分発揮する」という僕なりの自己実現の解釈が、それなりに的を射ているというのは感じていただけたのではないでしょうか。
もしくは、ここまでの内容を参考にして、ご自身なりの「自己実現とは何か?」ということへの答えとなる表現を考えてみると、更に自分のなかの自己実現がしっくりきたものなると思いますよ。
さてさて、ということで、ここで最後に全体の総まとめとも言えるようなマズローの文章を引用して、このコラムをおひらきにしたいと思います。
『自己実現する、最も体験豊かな人びとは、同時に、最も同情心に富む人であり、最も偉大な社会改革者であり、また、不正、不平等、奴隷制度、残虐、搾取などに対して、最も実力のある闘士でもある。(そして、彼らはまた、優越性、有効性、有能 をめざす最良の闘士でもある。)さらにひときわ明瞭になってきた事実は、最もよい「協力者」が最も完全な人間であることである。菩薩道と呼ぶことのできるものは、自己改善と社会的情熱との統合である。』(人間性の最高価値)