このコラムでは、Amazonで販売中のkindle電子書籍 『なぜウツになる人とならない人がいるのか~マズローが教える心の健康法~』の内容の一部を、チョコっとだけご紹介させていただいています。
今回は、マズローが心の健康と自己実現の関係性について何と言っていたのかをまとめてみたいと思います。
まずはじめに結論から言うと、マズローは、僕たちの自己実現を妨げ、阻み、ゆがめるものは、すべて精神病理をもたらすと考えていました。
つまり、欲求階層における「自己実現の欲求」以外の他の四つの基本的欲求が満たされていたとしても、「自己実現の欲求」が満たされていないなら、心の病気になる可能性があるということですね。
言い換えれば、自己実現の欲求が満たされていないのであれば、それは本当の意味での心理的に健康な状態とは言えないということになります。
このような意味においてマズローは、自己実現の欲求以外の他の基本的欲求はすべて自己実現に至るためのハシゴの役割として捉えることもできるとも述べているのです。
たしかに、周りから見ればあきらからに自己実現の欲求以外の欲求が満たされているにも関わらず、いつもどこか不満げな人や心が安定していない人は、現実にチラホラいますよね。
普通の人からすれば、「そんなに満たされててまだ何か求めてるんですか?」という感じの人は、芸能人や有名人に限らず割と身近にいたりします。
あのような人は、自己実現の欲求が満たされていないために、常に心の中にモヤモヤしている気持ちを引きずり続けている可能性があると言えるでしょう。
ちなみに、健康な心の持ち主になるには自己実現の欲求を完全に満たさなくても、その欲求階層で生きるようになるだけで心はかなり健康になれるとマズローは言ってることもポイントですね。
というか、詳しくはこちらのコラムにまとめているので後ほどお読みいただければと思うのですが、自己実現の欲求はいわゆる「成長欲求」に当てはまるので完璧に満足することはない欲求です。
そういった意味でも、僕たちは他の四つの基本的欲求を満たし自己実現の欲求で生きる人生に進むだけで心理的に健康な状態になれるということです。
したがって、欲求階層における下位の欲求から順番に満たしながら、階層を一つ一つ上がること自体が心の健康に直結していることだと言えますね。
だからこそ、僕たちは自分のどの欲求が満たされていて、どの欲求が満たされていないのかをしっかり把握することが大事なのです。
言い換えれば、真に健康な心の持ち主になるための前提条件であると同時に最初の一歩でもあるのが、自分の欲求を正しく認識すること(自己をしっかり理解をすること)ということが言えるでしょう。
ちなみに、自分をしっかり理解すること(自己理解を正しくすること)については、こちらのコラムにまとめているのでこの記事も後でお読みいただくと、自分の欲求をより一層しっかりと理解することができるようになると思います。
また、これまでの内容に付随して、マズローが述べてくれていたことに、自己実現の欲求に基づいて生きている人は心理的に健康なのはもちろん、必然的に身体的な意味でも健康だということです。
というのも、言うまでもなく僕たちの心のと体は密接に関わっていますよね。
マズローもこの事も踏まえ、自己実現の欲求で生きている人々は、心だけではなく体も健康体であると述べていました。
もちろん、それは絶対に病気ならないという意味ではありませんが、彼らは一般的な人に比べれば明らかに身体的な健康度も高く、また、様々な理由から自分の体のことを正しく理解しようとする傾向が強いのです。
そのため、肉体的にも健康でいるために、それぞれのやり方で自分の体の健康を維持していたり、あるいはより健康を促進しようとする意識が高いという特徴もあります。
また、そのような身体的に健康であろうとするその取り組み自体が心の健康をもたらすという側面もあるでしょう。
事実、自己実現の欲求で生きる人は、より長寿で、病気になることが少なく、安眠や健康的な食欲をもつといった特徴もあるとマズローは述べていました。
逆に、自己実現の欲求以外の欲求で生活することは、身体的にも好ましくない結果をもたらすともマズローは言い切っています。
ちなみに、詳細はこちらのコラムにまとめているのですが、自己実現の欲求ではない低次の欲求で生きることで、僕たちはマズローが「高次病」と呼んだ、萎縮した人間性と不健全かつ不健康な精神をもたらす病に陥ってしまうのです。
また、自己実現の欲求で生きる人は、それ以外の欲求が満たされないことへの耐性がとても強いという傾向もあり、このような点においても彼らは強い精神性をもてています。
言い換えれば、普通の人であれば耐えられない欲求不満にも耐えられるという意味でも、自己実現の欲求で生きる人々は健康的なのですね。
彼らは、食欲・睡眠欲・性欲などといった「生理的欲求」の一時的な不満はもちろん、「安全の欲求」が満たされず不安になったとしても、「所属と愛の欲求」が満たされない孤独な状態であろうと、「尊重の欲求」が満たされない批判的な環境にさらされようとも、その不満やストレスに耐える力が強いので、自己実現の欲求を貫くことができるのでしょう。
そして、それによって一度不満状態にさらされた低次の欲求も、結果的に満足状態へと回復することで、自身の心の健康度を更に強靭なものにするのだと思います。
実際、一般的な誤った解釈において自己実現を果たしていると言われがちな「社会的な成功を収めた人」や「高く掲げた目標を達成した人」というのは、必ずしも幸せそうじゃないですよね。
多くの場合、このタイプの人々は心か身体のどちらか、もしくはその両方ともが不健康そうな人が少なくないのではないでしょうか。
働きすぎて体壊してしまったり、根詰めすぎて病気になってしまったりするパターンは珍しくありません。
そういう意味でも、マズローの語る本当の意味で自己実現してる人というのは、ちゃんと自己管理もできて体の健康もいたわれるだけの余裕がある人なのでしょう。
だとすると、自己実現することによって他の欲求が満たされないことへの耐性がついてるのも、それほど違和感のない話に思えますよね。
そして、これらの内容も踏まえ、更に自己実現と心の健康の関係性への理解を深める上で触れておかなければならないことに、マズローの語る「人間が本質的に求めているものは何か?」という話があります。
昔の僕もそうでしたが、「生きる意味が見いだせない」「何のために生きているのか分からない」という状態は結構ツラいものです。
同じような感じで、「自分が何がしたいのか分からない」であるとか「何を信じればいいか分からない」というのもシンドイですよね。
あるいは、「やりがいや生きがいと言えるようなものがない」というのも苦しみの原因になりがちです。
そして、これらが行き過ぎることで心の病気になってしまったりしますし、このことが病状を更に悪くしたり、病気の改善を邪魔していることもあると思います。
それに、たとえ心の病気とまで行かなくても、こういった状態は、無気力や、ふてくされた気持ちや、人生を楽しめない状況を容易につくり出すものです。
つまり、自分の中に「生きる意味」や「人生の価値」がないと人は生きづらさを感じ、無気力や無感動や無関心といった状態になり、それが深刻になると「死にたい」という思いが湧いたりすることにも繋がるということですね。
だからこそ、自分にとっての生きる意味や価値を見つけることが大切であり、事実として自己実現の欲求で生きる人はそれぞれの中で自分にとっての生きる意味や大事にしている価値をちゃんと見いだせています。
そして、この事も踏まえてマズローは、人間なら誰しもがもっている共通する価値を14個の単語に集約して、それらをまとめて「B価値」と名付けていました。
B価値についてはこちらの別のコラムで解説しているのですが、先に簡単にだけ結論を言うと、「真実」「善」「美」などを含めた本質的かつ究極的な14の価値で生きることやこれらの価値を追求することが心の健康をもたらすとマズローは考えていたのです。
逆に、この14の価値を追い求められなかったり、これらとは逆の価値で生きることが心を不健康にするとも述べています。
実際、自己実現の欲求で生きる人は、これらの価値の追求に意味を見出し、これらの価値を極めるために人生を生きていんですよね。
また、これとは逆にこのB価値を生きていない人は不健康な心の持ち主であり、このようなタイプの人は、「偽り」「嘘」「悪」、あるいは、「萎縮」「依存」「恐怖」「模倣」「貧弱」「欠乏」といったような言葉が当てはまる人生を生きることになってしまいます。
そして、何を隠そう、このようなB価値とは反対の価値や世界観で生きてしまうのは、基本的欲求が満たされていないからであるとマズローは言ってるのです。
つまり、B価値を求めなかったりB価値に意味を見出せないのは、基本的欲求が満足してないがゆえの状態なのですね。
たとえば、今日食べるご飯も、安心して眠れる寝床もない人にとっては、「真実」「善」「美」などはどうでもいいことです。
空腹が危機的状況なら、嘘や悪事をはたらいてでもお腹を満たそうとするのはある種当然のことです。
安全が脅かされている人は、真実を偽ってでも目的を成し遂げようとするでしょうし、繋がりを感じられずにそれを必死に求めている人は、その繋がり方や繋がりを保持する方法が善いか悪いかなんて考えていられません。
自己保身に必死な人は、自己防衛的な恐怖心から自分の立場やいまの環境を守ろうとしますし、健全な自尊心がもてていない萎縮した人はすがりつくための依存対象を探すことで生き延びようとします。
自分の可能性を発揮したいと思わない人が、他者の真似事ばかりし自他を偽ることは言うまでもないでしょう。
つまり、「生理的欲求」「安全の欲求」「所属と愛の欲求」「尊重の欲求」「自己実現の欲求」が健全に満たされていなければ、B価値はいとも簡単に隅においやられてしまうのです。
これは、いわゆる「背に腹はかえられない」とも言い替えられる事柄でしょう。
それと同時に、このような理由から、現代に生きる多くの人が自分の心の奥底にはB価値を大切にしたい、追求したいという気持ちがあることに気づいていないということもポイントなります。
そして、このような意味でも、健康な心の持ち主として自己実現の欲求で生きるためには、それ以外の欲求をちゃんと満たす必要があるということなのです。
四つの基本的欲求が満たされていないと、人生の本質的価値であるB価値の追求に意味や意義を見いだせませんし、それ以前に自分が本当はその気持ちを秘めているということにも気づけません。
それに、仮に基本的欲求が満たされない状態でB価値を追求したとしても、すぐにその優先順位は下がってしまいます。
つまり、基本的欲求がちゃんと満たされていて心が健康だからこそ、B価値に意識が向き、B価値を本気で追求しようとも思えるのですね。
そういった意味でも、もはや耳タコかもしれませんが、基本的欲求を満足させることはとても大切なことなのです。
それと同時に、逆説的に言えることが、B価値を追い求めることが更なる心の健康をもたらすということです。
この点においても、B価値を求めることは意味があり価値が高いことであると言えますね。
このような意味では、マズローにとってはB価値も自己実現と同様に、基本的欲求階層上にある同じ一連のものなのです。
そして、これらも踏まえてマズローは、B価値は消極的に言えば「病気を避けるため」に必要なものであり、積極的な意味では「完全な人間性を実現するため」に必要であると述べています。
したがって、この点においても、B価値の追求は基本的欲求と同じ階層上における本能的な欲求とみなすことができるとも語っています。
つまり、「欲求」というくくりでも、「健康」というくくりにおいても、B価値は基本的欲求とひとつながりのものだということですね。
したがって、このコラムの締めくくりとしてまずひとつ目に言える大切なことは、自分の心を健康にするためにはまず何よりも先にマズローの語る欲求階層の話をしっかりと理解するということ。
二つ目が、自分のなかの四つの基本的欲求をしっかりと満たし盤石な土台を作ったうえで、自己実現の欲求で生きることが心を健康にするということ。
最後に、この二つのポイントを踏まえた上で、自分の自己実現とB価値の追求を生きることで、僕たちは真に健康な心の持ち主になれるということです。
と言っても、言うまでのなく、これらは一朝一夕でできることではありません(笑)
したがって、健康な心の持ち主になるためには地道にコツコツその道を歩いていくことが大切になります。
そういった意味でも、僕たちはマズローの語る自己実現の欲求で生きる人々をお手本にしながら、自分のペースで焦らずゆっくり丁寧に、長い人生を通してその過程を楽しみながら、自分の心の健康を揺るぎないものにしていきたいものですね。
・自己実現を妨げ、阻み、ゆがめるものは、すべて精神病理をもたらす
・自己実現の欲求が満たされていないのであれば、それは本当の意味での心理的に健康な状態とは言えない
・自己実現の欲求で生きる人は、心も身体も理想的な健康状態であり、欲求不満への耐性も強い
・人の人生における本質的な価値であるB価値を生きることが心を健康にする
・したがって、心の健康を揺るぎないものにするためにまずは基本的欲求を健全に満たし、その上で自己実現とB価値を生きることが、真に健康な心の持ち主になる道のりである