自己実現をするための方法をネット上で調べてみると色々なものが見つけられますが、実はマズロー自身がその具体的な方法を8つに分けて紹介してくれていたのはご存じでしょうか?
それは言うなれば、本家大本の正当な血統書付きの「自己実現に至る手段」(笑)
今回は、そんな一般的にはほとんど知られていないマズロー自身が語っていた自己実現のための方法をまとめてみました。
この内容を知ってしまうと、他で説明されている自己実現の方法が薄っぺらく感じてしまうかも!?
1.無欲で没頭し熱中する
マズローは、自己実現へ向かうための行動の一つ目として、「無欲で没頭し熱中すること」を挙げています。
もっとも、これは自己実現へと至る方法であると同時に、自己実現自体の性質でもありますね。
マズローが見出した、自己実現している人々に共通する仕事の取り組み方が、まさにこれでした。
つまり、自己実現するためには何かに夢中になる必要があり、なおかつ自己実現している人達は実際に何かに夢中になっているということです。
ちなみに、ここで言う「無欲」が、結構誤解されがちな言葉なのです。
マズローが自己実現の方法として述べた無欲の意味とは、何か作為的な意図や、打算的な欲望をもつことなく、ただ純粋な好奇心や探究心からそのことに没頭することを意味しています。
これはマズローが「欠乏欲求」と呼んだ「無い物ねだり」的な欲求に支配されないこととも言え、それはすなわち、自分の外側から与えられるものによって満たされる欲求には従わないということです。
実際、自己実現をしている人々は、自分の内側から溢れ出す「自己実現の欲求」にもとづいて行動しており、そのスタンスは飽くなき「成長欲求」によるものです。
そして、このような彼らの特徴を説明する際にマズローがたびたび挙げていた事例が、「子供」という存在でした。
実際、子どもというのは、このような意味においてはまさに無欲ですよね。
子どもたちが一心に物事に熱中するのは、「お金を得るため」や「誰かに褒められるため」ではありません。
むしろ、そんな小賢しい子どもは、もはや子どもではないと言いたくなるくらいです(笑)
事実、子どもというのは言うまでもなく、純粋無垢でピュアな精神の持ち主です。
しかし、僕たちは大人になるにつれて、「目的のない行動」はだんだんとしなくなり、「損得勘定」や「正当性」「効率性」などに従って行動するようになります。
言い換えれば、「それってやる意味があるの?」というモノサシで自他の行動を測り、その上で「意味がない」「価値がない」「得ではない」と判断された行動はしなくなります。
そうして、気付けば賢さをはき違えたような頭でっかちな大人になってしまうのです。
そのようなタイプの大人になると、信じられる根拠や理由がなければ何もできなくなってしまうんですよね。
しかも、大抵の場合その価値観で選ばれた行動は、「義務」や「我慢」や「自己犠牲」の上に成り立つもので、没頭し熱中することは到底できなくなってしまいます。
そして、このようなスタンスが板につくことで、それが「当たり前」になり、これを問題視することもできなくなるだけでなく、そのことを客観的に自覚することもなくなります。
そうして、次第に窮屈で不自由で心がやせ細るような毎日を送るようになってしまうのです…。
一方で、子どもというのは無欲であるが故にこのようなドロ沼にハマることはありません。
子どもたちは、「作為」とは対照的な「無為」という意味での無欲の達人なので、心のおもむくままに素直に自分を表現し、やりたいことに熱中します。
そこには目的もなければ「やる意味」もありませんし、言い換えればただ単純に「それをやりたいからやる」だけです。
子どもたちがおもちゃで遊んだり、絵を描いたり工作をしたりするのは、それが何かを達成するための手段だからではないですよね。
彼らが公園を駆けずり回ったり、絵本を読んだり、その日の出来事や自分の感じていることをおしゃべりする姿は、まさに「無欲で没頭している」状態そのものです。
そして、僕たちはみんな昔はこれが自然とできていました。
誰に教わったわけでもないのに、それにも関わらず無欲で没頭することがナチュラルにできていたのです。
他者の目を気にする事もなく、利害関係なども無視して、失敗する事や恥をかくことを恐れることもなく、ただ純粋に自分の内側から溢れ出るものに素直に従って生きることができていました。
つまるところ、僕たちはかつてはみな一様に、時間も我も忘れて夢中で何かに取り組むプロだったのですね。
そのような意味では、幼い頃に感じていたその時の感覚を思い出すことが、この一つ目の方法を実践する上でのはじめの一歩になるのではないでしょうか。
2.成長方向への選択をする
自己実現へ向かうための行動の二つ目に、マズローは僕たちの日々の選択における基準について述べてくれています。
マズローは、僕たちの選択というのは大きく二つに分けられると考えており、それを「成長の選択」と「退行の選択」としていました。
つまり、分岐している別れ道において、どちらの道に進むかで成長と退行に分けられるのですね。
言い換えれば、二択を与えられた状況下で、僕たちは成長の道を進むこともできれば退行の道を進むこともできるということになります。
具体例で言えば、「転職するかしないか?」「結婚するかしないか?」「住む場所を変えるか否か?」などで悩むケースは、この事の分かりやすい事例ですかね。
ちなみに、これは何もこういった大きな決断に限ったことではありません。
むしろマズローは、日常生活における些細な場面での選択肢の選び方として、この二つの選択について話しています。
実際、わざわざ意識的に選ぶほどのものでもない細かい選択を含めれば、僕たちは一日に何万回と選択をしていますよね。
それは、朝目を覚ました瞬間から始まります。
まずは、ベットから起き上がるかどうかからスタートし、朝食や着替えなどといった朝支度、会社や学校に行くまでの道順、仕事や勉強をするなかでも、ルーティンであるか否かに関わらず数多くの選択に迫られます。
言うなれば、日中の行動は、無意識の選択も含めて次から次に選ぶことの連続です。
そして、その日中の予定が終われば、その後は直帰するのか寄り道するのか、家に着けば夜はどう過ごして、眠りにはいつ就くのかなどもすべて選択ですよね。
あるいは、誰かとの会話中も、意識的か無意識かの違いはあれど、何をしゃべるかはもちろん、声のトーンや音量・身振り手振りなどをどうするかも含め、コミュニケーションとは選択の連続です。
噓をつくか本音を言うかも無自覚で選んでいたりします。
つまり言い換えれば、僕たちの言動の全てが選択であると言っても過言ではないのです。
それこそ、某日用品メーカーのキャッチコピーのごとく、「おはよう」から「おやすみ」まで僕たちは無数の選択を常にし続けているとも言えますね(笑)
そして、そのような普段の生活における一瞬一瞬の選択において、「成長の選択」と「退行の選択」のどちらを選ぶのかが、自己実現に至る上では大切であるということです。
そしてマズローは、「成長の選択を選んだ数」=「自己実現へ向かう動きをした数」であるとしています。
逆に言えば、「退行の選択」を選べば選ぶほど自己実現からは遠ざかってしまうのです。
このような意味において、普段の生活の中で「成長の選択」を選び続けることが、自己実現に至る方法と言えるでしょう。
「仕事に行くことは、安全と成長のどちらを選ぶことになるのか?」
「この商品を買うことは、成長方向と退行方向のどちらになるのだろう?」
「いつも無意識にしているこの行動は、成長に当てはまるのか退行に当てはまるのか?」
そんなところからまずは考えてみると、自分の普段の生活が自己実現とどう繋がっているのかが分かると思います。
そして、このようにして「自分のこの選択は成長なのか退行なのか」という視点を意識して一日を振り返ると、色々な気づきがあると同時に、自分が自己実現への道のりを歩んでいるのか否かもクッキリと見てとれると思います。
ちなみに、マズローは「退行の選択」の仲間として、「安全」「依存」というキーワードも用いていたことも、僕たちが自分の選択を客観的に把握することを助けてくれるものですね。
「いま自分は、恐怖心から安全を選んでいないか?」
「過去や所有物への依存心から、現状維持や執着に囚われていないか?」
という問いかけを自分自身にしてみると、それが成長と安全のどちらの選択なのかが理解できるようになると思います。
そして、その度に成長や前進の選択を選ぶことを地道に繰り返すことで、自己実現の姿がだんだんと明確に見えてくるようになるのでしょう。
3.自分の内なる声に耳を傾ける
突然ですが、僕たち人間というのは、どうにも自分の心で感じて自分の頭で考えることがニガテな傾向があります(笑)
これは言うまでもなく、他者に感じてもらい他人に考えてもらい社会に決めてもらった方がいろんな意味で楽だからですね。
一方で、自己実現している人々は、自分自身の内的な感覚・感性・感情としっかりと向き合い、なおかつ独自の考え方・価値観・自分軸に基づいて客観的で冷静な思考をすることができます。
このことに関連して、まずは自分自身の内側の声に耳を傾けることが自己実現へ向かう道の一つであるとマズローは述べています。
言い換えれば、他者に決定権を明け渡さずに、自分の心の声に従いなさいということですね。
なお、マズローはこのことを、「相手のラベルやレッテルに惑わされてはいけない」ということを通しても伝えていて、その具体例としてワインに貼られたラベルを使ったとある実験の例え話をしてくれています。
マズローは、自分が教える大学生たちに、ワインの試飲をしてもらいました。
しかし、この試飲にはルールがあります。
それは、ワインに張られたラベルを見てはいけないというものでした。
要するに、そのワインを好むかどうかの判断材料にラベルを参考にさせないようにしたのですね。
平たく言えば、表面的な見てくれや自分以外の他者の意見に惑わされることなく、自分自身の基準でワインの良し悪しを判断するということです。
そのようにして自分の内なる声に耳を傾けることが、自己実現への道のりにおいて非常に大切なポイントなのです。
実際僕たちは、ややもするとスグに一般常識や社会的通念、あるいは自分が信用している人物の意見を盲目的に採用する傾向がありますよね。
そうではなく、自分のオリジナルな感覚や感性を大切にすることが、自己実現に至るためのキモになるのです。
この試飲の話は、このことを理解できるとても分かりやすい例え話ですし、なおかつ、自分の日常生活でも形を変えて実践できる方法ではないでしょうか。
この内容を僕たちが実感するためのまず最初の一歩としては、マズローが学生にしたように、自分のいつもの何気ない食事をしっかりと味わいきることから初めてみてもいいかもしれませんね。
4.迷ったときには正直になる
四つ目の自己実現の方法は、タイトルだけ見るとすごくありきたりで幼稚な言葉のように思えてしまうものしれませんが(笑)、マズローは迷ったときの選択基準の一つとして「正直であるか嘘をつくか」ということについて述べています。
結論から言えば、正直であることを選ぶか嘘つきになるかを選ぶかという分岐点において、前者を選び続けることが自己実現に至る有効な方法だとマズローは考えていました。
しかし、これは言うは易く行うは難し。
僕たちは、迷った状況下においてはしばしば正直でなくなってしまいます。
人によっては、正直になる代わりにふざけたり気取ってみせたりすることもありますが、それも含めて「嘘をつくこと」であるとマズローは指摘しています。
なお、この「正直になる」ということは、他者に対して嘘をつかないという意味だけでなく、他でもない自分自身に対しても嘘をつかないということです。
というのも、僕たちは自分が自分に嘘をついていることを自覚できていないことが非常に多いんですよね。
マズローは、そのような自分で自分を欺いている状態を「疑似自己」と表現し、自己実現とは対照的なものであると考えていました。
この疑似自己は色々な説明ができるのですが、ザックリと言うと「偽りの自分」や「まがいものの自分」や「自分っぽい自分」という意味になります。
そして、自分に嘘をつくことで、僕たちの疑似自己化は加速します。
また、マズローは「正直になること」と関連して「責任をもつこと」という事についても述べてくれています。
なお、ここで言う「責任をもつ」とは「自分の意思で選ぶ」とほぼ同義になり、マズローの言う「責任」は、一般的に「義務」や「重し」などといったニュアンスで使われている義務とは少し違う意味になります。
平たく言えば、つまるところ自分で考えて自分軸で選び主体的に行動することが、ここで言う責任をもつということです。
そして、僕たちは自分に正直にならなければ責任ある行動をすることはできません。
むしろ、恐怖心の作用により僕たちは自分の考えを貫きその責任者となることを避けるために、自他に嘘をつくとさえ言えると思います。
要するに、自分に嘘をついて、本当の気持ちに正直にならずに、無責任な立場で消極的かつ受け身的な行動をすることで、自己防衛をしようとしているということですね。
それは非常に不自由で窮屈なことではあるのですが、責任逃れは甘い誘惑であるために、なかなか抗うのが難しいのも事実なのです。
そういった意味では、「責任」とは「自分で選ぶ自由」とも言えるかもしれませんね。
いずれにしろ、実際に自己実現している人というのは、自分で選ぶ責任を受け容れることで本質的な意味での自由を謳歌できています。
また、言うまでもなく、このことは先ほどの「成長と退行の選択」や「自分の内なる声に耳を傾ける」という話にも関連することですね。
つまるところ、自己実現している人というのは、自分にも他人にも正直であることで自分の意志で能動的に人生を選ぶことができ、なおかつ、その自身の選択によって生じる出来事や現実と、誠実で勇敢な責任感とともに向き合うことができる人々なんですね。
実際マズローはこのような意味において、責任をもつこと自体が自己実現であり、責任感を感じるたびに自己実現することができるとも表現してくれています。
そういった意味では、僕たちは自分の日常生活を振り返り、
「私は自分で選ぶ責任から逃れるために、周りの意見に従っているだけなのではないか?」
「自分に正直になることで生じる責任を負うことが怖くて自分を騙しているとしたら?」
という問いかけをしてみると、マズローの語る「正直」と「責任」の意味が自分事として腑に落ちると思います。
5.嫌われる勇気をつらぬく
五つ目の自己実現へ至る方法を紐解くために、ここでこれまでの四つの内容を簡単に振り返りたいと思います。
ここまで見てきた四つの自己実現へ向かう行動は、ある種の繋がりをもった話でした。
まずは、自分の内なる声に耳を傾ける。
次に、それによって自分自身を正確に把握し、そこで生じた自分の気持ちに正直な選択する(=責任をもつ)。
そして、そうして選んだ自分の行動に熱中する。
マズローは、五番目の方法の説明の前でこの四つの方法に再度触れたうえで、「そのすべてが、自己実現へのステップである」と述べているんです。
そして、それがよりよい人生への選択を保証してくれるものでもあり、選択を求められる度にこれらを一つ一つ実行すれば、それが積もり積もって自分自身にとってふさわしいものなるとも言ってくれています。
なおかつ、そのような道のりを歩むことで、次第に自分の運命や人生の使命について理解するようになるのであるとも語ってくれています。
つまり、ここまで見てきた四つの方法を日々の生活の中でしっかりと実践することで、僕たちは自己実現へと一歩一歩向かうことができ、それが引いては自分にとって本当に望ましい豊かな人生へと繋がっているということですね。
しかし、その一方で、マズローはまったく別の軸から自己実現という人生のとある側面についても触れてくれています。
その別の側面というのが、「周りの人々から嫌われる」ということです。
このことは詳しく語りだすとキリがないのでここでは結論だけ言わせていただくと、つまるところ自己実現を生きることは、自分の周りの人々から批判されたり拒絶されたりすることが伴う人生になるということです。
言い換えれば、自分の気持ちに正直に生きるということは、周囲の人々と仲たがいする可能性を含んでいるものであり、もっと言えば、周りの人から「嫌われる勇気」がないと自己実現することは到底ムリであるということになります。
むしろ、僕たちはこのことが薄々分かっているからこそ、自分の心の声を押し殺し、自分に嘘をつき、退行の選択を選び、熱中することはできないけれども無責任でいられる人生を生きるようになってしまうとさえ言えるかもしれません。
言うなれば、「嫌われたくない」「ひとりぼっちになりたくない」という気持ちに支配されることによって、自分の自己実現からどんどん離れていってしまうのですね。
もっとも、「所属と愛の欲求」をもつ僕たちは、このような気持ちをもつこと自体は自然な事であり、それは悪いことでもなければ撃退すべき対象でもありません。
しかし、「自己実現の欲求」で生きている人々は、この「誰かと繋がっていたい」という欲求を健全なかたちで満たせているからこそ、他者から嫌われることを恐れることがないというのも事実です。
言い換えれば、彼らは自分の「所属と愛の欲求」をしっかりと満たすことで、自己実現を果たすことができているとも言えると思います。
つまり、僕たちは自分のなかの「誰かと繋がれている」という所属感や一体感が揺るぎないものにすることで、他者から嫌われる勇気をもつことができるのです。
逆に、「所属と愛の欲求」が満たされていないと、周りからの批判や拒絶によっていとも簡単に自己実現を放棄してしまうとも言えるのでしょう。
だからこそ、マズローは人間に備わる欲求を階層構造で捉え、「所属と愛の欲求」よりも上位の位置に「自己実現の欲求」を置いていたのですね。
そして、このことはもちろん、「所属と愛の欲求」と「自己実現の欲求」の間に存在する「尊重の欲求」とも関りが深いことでもあります。
ここでは結論だけ言えば、自己実現を生きている人々は、自他を本質的な意味で尊重できているからこそ、他者から嫌われることや非難されることを受け容れることができています。
つまるところ、健全な所属感や一体感によって満たされた「所属と愛の欲求」の上に成り立っている「尊重の欲求」の真の満足が土台にあるからこそ、自己実現している人々は「自己実現の欲求」に素直に従い、「嫌われる勇気」とともにその道を突き進むことができるんですね。
このような意味でも、マズローの語る「欲求階層」は本当によくできていて、僕たちの心の姿かたちを分かりやすく表現してくれている概念だと思います。
ちなみに、実際の現代社会において僕たちが自己実現していく上で「嫌われる勇気」をもつ必要がある理由として、マズローが現代社会における「不健康さ」についても非常に丁寧に説明してくれていることも、この事を理解する上での重要なテーマになっていると言えるでしょう。
6.自分を極め続ける
さて、六つ目の自己実現に至る方法が「自分を極め続ける」というものなのですが、このことを理解するために、マズローの語る自己実現とはどのようなものなのかを知っておく必要があります。
詳しくは自己実現という言葉の正しい意味について掘り下げたこちらのコラムを後ほどお読みいただければと思うのですが、ここではその結論だけ言えば、マズローは自己実現というのは一つの到達点であるだけでなく、どのような状態でも自分の可能性を実現する過程でもあると考えていました。
つまり、自己実現へ至ることはある意味ではゴールに達したと言えるものの、それには明確な終わりはないということです。
そういった意味では、僕たちは生涯を通して自己実現し続けるのであると言い換えてもよいでしょう。
ちなみに、これまで触れてきた五つの方法の説明の節々にも、マズローの語る「過程」というニュアンスが醸し出されていたのはお気づきいただけましたよね?(笑)
いずれにしろ、言い換えれば、自己実現とは「すること(Do)」でもあり、「在り方(Be)」でもあるということです。
そして、それによって「得られるもの(Have)」が、これまで触れてきた「無欲で没頭できる時間」や「成長方向への選択をする決意」、「自分に正直になる責任感」「内なる声に耳を傾ける能力」「嫌われる勇気」などです。
また、この後で紹介する七番目の方法も、ある意味では自己実現し続けることによって得られる特別なギフトにもなっています。
また、この事の補足としてマズローが述べてくれていることに、「自己実現とは二流ではなく一流を目指すことである」というものがあります。
これを平たく言えば、自分の自己実現の内容が何であれ、それは必ず一級品の最高クラスのものになっている必要があるということです。
というか、「自己実現の欲求」に従って自分の可能性を最大限に発揮することが出来ていれば、それは自ずと一流のクオリティになります。
もっとも、ここで言う「一流」とは「世界トップクラスの称号を得ること」や「世界基準で評価されている最高水準に到達すること」という意味合いではありません。
言い換えれば、マズローの語る自己実現における一流とは、社会的に評価されているかどうかや他者と比べて優れているかどうかは関係ないのです。
そうではなく、ここで言う一流の意味とは、「ありのままの自分を極めきっている」という意味での一流です。
この事を別の言葉で言えば、自分らしさを余すことなく表現しそれをしっかりと世界と共有できているか否かというモノサシにおいて一流になることが自己実現だということですね。
実際、マズローが見つけた、自己実現している人々に共通する特徴の一つに、彼らが社会的な評価や名声や世間からの賞賛といったものには無関心だったということがあります。
要するに、一流の自己実現というものは、必ずしも規模感・スケール、社会への影響力が大きいかどうかとは直接関係がないことなのです。
事実マズローは、一流の自己実現の事例として、とある専業主婦を実例に挙げていることもあります。
実際、僕たちの身の回りにも、自分らしい人生を歩むことが自分の家族や自分の住む街という必ずしも大きなスケール感ではない範囲内で実現できている人はいますよね。
むしろ、これとは逆に、全国的あるいはワールドワイドな規模間で活躍をしていても、そこには「自分らしさ」や「ありのままの自分」が欠落している人もいます。
このような意味で、マズローの語る自己実現とは、等身大の自分の世界観に基づくリアリティのあるものなのです。
そして、こういった意味における自己実現を歩み続けることで、僕たちは自分らしい一流の自己実現を果たすことができるのですね。
したがって、自分の日常を振り返り、
「私はありのままの自分を極めきっているか?」
「世間一般から与えられた価値基準に翻弄されていないか?」
「本当の自分を見失った理想像や成功を求めてはいないか?」
といったようなモノサシでいまの自分を内省してみると、自己実現と現在の自分との間の距離が見えてくるのではないでしょうか。
7.至高経験を体験する
マズローは、自己実現へ向かう七つ目の方法として、至高経験について触れており、この事に関してはド直球な表現で「至高経験は、自己実現の瞬間的な達成である」と明確に述べています(笑)
なお、至高経験とは何かを深掘りするのはこのコラムの本題とズレてしまうので詳細は割愛させていただきますが、大雑把に言うと、至高経験とはいわゆる神秘体験に分類されるものです。
マズロー自身は、この至高経験についての説明として、至高経験とは人間の最良の状態であり、人生のもっとも幸福な瞬間であり、光惚・歓喜・至福や最高のよろこびの経験を総括したものであると表現しています。
もっとも、これは至高経験の一側面における説明であり、なおかつこの事はとても抽象度の高い世界観の話であり、それゆえに言葉で説明するのが難しい概念です。
実際、そのため至高経験は誤解されることも非常に多い内容でもあります。
それゆえに、このような話は多くの人にとっては受け入れがたく、また実体験としても理解しにくい内容であり、なおかつ他人と共有することが難しいものなのですが、いずれにしろ、至高経験というものは自己実現へ至る方法であると同時に、自己実現している人々に共通してみられる特徴でもあるというのがポイントでしょう。
言い換えれば、自己実現している人々は至高経験を体験することが多く、実際マズローも自己実現している人々に共通して見られる15個の特徴にもこの事を入れています。
ちなみに、すでにお気づきかもしれませんが、一つ前の方法の説明の際に触れた「自己実現し続けることによって得られる特別なギフト」というのが、何を隠そうこの至高経験です。
そのような意味では、至高経験というのは、自己実現の瞬間的な達成でもあり、自己実現への方法の一つでもあり、同時に自分の自己実現を深める要素でもあるということです。
しかし前述したように、それは言葉を超えた体験であるが故に説明がどうしても抽象的なもの言いになってしまうというところが厄介なのですが、このことをマズローは「黒板が一つもない」という表現で例えています。
つまり、至高経験というのは、学校の授業のように、黒板に書いて教えられる類のものではないのです。
言い換えれば、言葉で他者に伝達できる世界での話ではないと同時に、答えを教えてくれる先生もいなければ、答えが書いてある教科書もないので、つまるところ至高経験は自分で実際に経験して理解するしかないのですね。
もしかしたら、このように聞くと、人によっては何だか匙を投げられたような気分になるかもしれません(笑)
しかし、実はマズローは至高経験が頻繁に起こるような条件をいくつも教えてくれていたんです。
僕たちの至高経験を促すその条件とは、「自分の中にある嘘を捨てること」や「楽しみや喜びを感じないことを明確にすること」などになるですが、これらはいずれもここまで見た他の六つの方法と結びついているものですよね。
つまり、至高経験とは、ここまで触れてきた自己実現に関するポイントを忠実に実行し続ければ体験できる可能性が高まるものということです。
そういった意味では、真摯に自己実現の道を歩む過程で偶発的におとずれるサプライズプレゼントのような体験が、マズローの言う至高経験とも言えるのでしょう。
なおかつ、ここまで来ての今さらの確認になりますが、至高経験も含めこれまで見てきた七つの方法は、実は全てがひとつながりになっているものなんです。
個々が別々に孤立しているのではなく、それぞれが密接に結びついており、だからこそマズローはこれらをひとまとまりの内容として僕たちに伝えてくれていたのでしょう。
そして、この後で紐解く最後の八つ目の方法というのが、自己実現に至る八つの方法を一つに束ねるような話になります。
8.自分を開く
さて、自己実現の方法の最後の八つ目として、マズローは自己実現に至ることは、「自分自身に自分を開くこと」によって可能になると述べています。
ここでは、最初の「自分自身に」という部分がキーワードと言えるでしょう。
これは言い換えれば、自分を他人に対して開くのではなく、自分を自分に開くということです。
逆に言えば、私たちは自分自身に対して自分を閉じているということが言えると思います。
これは、ここまで見た「自分に嘘をつかない」「自分の心の声をちゃんと聞く」と結びついている内容ですよね。
自分に対して自分で閉じていては、正直な自分も心の声は口を開いてはくれません。
また、それと同時に、自分を閉じている人は、我を忘れ無欲で没頭できることは見つけられませんし、実際それに夢中になることもできないでしょう。
なおかつ、他者から嫌われる勇気を育まずに退行方向の選択をし、結果的に自分を極めることから逃避すること自体が自分を閉じることでもあり、そのような日々のなかには至高経験という贈り物のも届かなくなります。
なお、この「自分を開く」や「自分を閉じる」という表現は、人によって感じ方は様々だと思います。
よく、「心を開く」という表現がありますが、「自分を開くこと」をこの「心を開くこと」と結びつけた方もいるかもしれません。
あるいは、「自分を開くこと」を「自分に嘘をつかないこと」と直接捉える人もいるでしょう。
もしくは、「自分を開くこと」を「自分の心の声を聞くこと」や「自由に振舞うこと」と解釈した方もいるかもしれませんね。
あるいは、「感覚を研ぎ澄ますこと」や「可能性を閉じないこと」や「自分に向けていたベクトルを周りの人に向ける」や「今まで見て見ぬフリをしていた事とちゃんと向き合う」といったようなニュアンスで受け取る方もいるのではないでしょうか。
いずれにしろ、この答えに正解はないと思います。
むしろ、このマズローの表現をどう捉えるかという取り組み自体が、自己実現そのもののような気がします。
言うなれば、自分にとっての「自分を開く」とはどういうことなのか、なにをもって「自分に自分を開いた状態」と言えるのかは、自分で決めることであると言えますね。
ちなみに、このヒントとして、マズローは「防衛」という視点をもつことについて述べてくれています。
ここではその結論だけ言うと、「防衛」とは「自分を閉じること」そのものであり、その背後には恐怖心があります。
もっとも、この「防衛」をどう捉えるかも、先ほどの「自分を開く」と同様に人それぞれと言える内容ですね。
すなわち、自分が何を恐れていて、その恐れから自分を守るために手放せないものが何なのかは人によって違っているということです。
なお、マズローは、僕たち人間というものは自分が「不愉快」だと感じ不快感を抱くものから距離をとろうとするとも述べています。
それはイコール、「恐怖」を感じる対象から自己を防衛しようとする反応とも言い換えられるでしょう。
それが人であれ物であれ環境であれ、「不愉快だ」という感覚は恐怖心に基づいていることが多く、怖いからこそ不愉快という感覚を生じさせることでそれから離れようとするのですね。
そして、マズローはこの防衛することをあきらめることが大切なことであると述べているんです。
もう少し詳しく言うと、恐怖から身を守ろうとすることを「あきらめる勇気」を発見することが大切であると表現しているんですよね。
大事なので再度言いますが、防衛することを「あきらめる」勇気を「発見する」ことが必要なのです。
防衛する気持ちに「打ち克つ」のでもなければ、勇気を「獲得する」のでもありません。
実際、勇気を育むことと、恐怖を拒絶することは、似ているようで全然違いますよね。
むしろ、恐怖を否定しそれに勝負を挑み打ちのめそうとしたり、恐怖心と闘って勝利しようとすることは、健全な勇気の成熟とは真逆のベクトルです。
それは一見すると勇敢なことのように思えますが、その勝負には終わりがないので疲弊していつか負けるだけでなく、恐怖とちゃんと向き合ってしっかりと対峙することとは正反対のスタンスとさえ言えます。
一言で言えば、恐怖を本質的な意味で「受け容れる」ことでしか、僕たちは真の勇者にはなれません。
そしてこの事を指してマズローは、「恐怖心からの防衛をあきらめる」と表現してくれていたのです。
なおかつ、そのあきらめる勇気は、ガンバッテ歯を食いしばる努力によって獲得するものではなく、もともと備わっていたそれを「見つける」というアプローチによってはじまるものです。
つまり、その対象がなんであれ、自分が恐怖を感じていることを明確にし、それから身を守ることをやめることが、「自分自身に自分を開く」ことの本質にあるものなのですね。
ちなみに、この事の補足になるような説明として、マズローが全く別のところで「安全方向へのベクトルを弱めることによって成長方向の選択ができるようになる」と述べていたことも、この事を理解するのを手助けしてくれます。
詳細は割愛しますが、この事を物凄く平たく言うと、僕たちは自分のなかにある「恐怖心」を感じるものについて深く掘り下げることで、その恐怖心の本当の姿を知り、それが恐いことではなかったことに気づくことで、安全方向のベクトルが弱まり成長方向へ自分を開くことができるということです。
ザックリ言うと、「あなたが大切だと勘違いして握りしめているものは、実はあなたの人生を腐らせるウンコですよ!それがウンコであることに気づけば、手を開いて手放しますよね?そうすれば両手が空き、自由になりますよ!」という感じですかね(笑)
このような視点で自分の恐怖心とちゃんと真正面から向き合い、今までそれとどう接していたのかや、本当はどのような関係性を恐怖心と築き上げたいのかを掘り下げることで、僕たちは自分の恐怖心に支配されることなく、それを自分の自己実現をより良いものにするパートナーとして迎え入れることができるようになるのでしょう。
ちなみに、自己実現の方法には、実は「諸刃の刃」とも言うべき「危険な裏技」もあったりします。
この事も踏まえてマズローの語る自己実現とは本当に奥が深く、その内容をちゃんと自分の人生と結びつけられると、良くも悪くも僕のようにその深みにどんどんハマりますよ(笑)
いずれにしろ、世の中で本当に幸せそうに生きている人々は、本人が自覚していなくとも自然とマズローの語る自己実現のエッセンスを身につけられているように思います。
あるいは、彼らにとってはその道のりの過程そのものが、ナチュラルにそれぞれの自己実現になっているのかもしれません。
また、ここまで見てきた八つの方法というサングラスを通して彼らを観察してみることも、自分の自己実現を深めることに繋がると思います。
そして、周りの人々も参考にしながら自分自身を振り返り、その中でこれらの八つの方法を普段の日常生活において真摯に実践していくことで、僕たちは自分らしい自己実現を謳歌できるようになるでしょう。
1.無欲で没頭し熱中する
2.成長方向への選択をする
3.自分の内なる声に耳を傾ける
4.迷ったときには正直になる
5.嫌われる勇気をつらぬく
6.自分を極め続ける
7.至高経験を体験する
8.自分を開く