自己実現

B価値の欠乏によってもたらされる病/自分の人生を生きられなくなる?

B価値の欠乏
自己紹介

 

この記事は、「B価値とは何?」というコチラの記事の補足内容になっているので、まだこの記事をお読みでない場合は先にお読みいただければと思います。

 

さてさて、マズローは、僕たち人間にとっての「究極的満足対象」となる本質的な価値としてB価値というものを定義していました。

その一方で、B価値で生きられない場合には「高次病」という状態になるためそのことに注意喚起もしていましたが、マズローはこのことについて14個のB価値をそれぞれに分けて「各B価値の欠乏により生じるもの」「それがもたらす病」を説明してくれています。

なお、マズローはB価値について複数の著書にまたがって書いているのですが、今回の内容は『人間性の最高価値』という書籍における記述であるため、B価値には15個目である「意味のあること」というものが追加されています。

ということで、これら各15個のB価値の欠乏は、それによって具体的にどんな状態になってしまうのかについて一つずつ見ていきましょう。

 

1.真実

まず、一つ目のB価値である「真実」ですが、この真実の欠乏により生じるものと、それによる病気についてマズローは下記のように述べています。

 

1.真実
病気を生む欠乏:不正直
個々の病理:不信、疑惑、冷笑、懐疑

 

つまり、僕たちは真実の欠乏によって不正直という状態になり、不正直は不信や疑惑や冷笑や懐疑を生むということですね。

もしくは、不正直さが自分の真実を歪めるという捉え方もできるかもしれません。

いずれにしろ、自分の真実を生きられないことは、自他への不信感、疑いの気持ち、皮肉めいた冷たい笑いをもたらします。

言い換えれば、真実の欠乏による不正直さが、安心感を奪い、信頼することを退け、他人をさげすんだり、嘲笑ったり、見下したり、子馬鹿にするような冷たい人間性を生んでしまうのですね。

 

逆に言えば、僕たちが漠然とした不安な気持ちを抱いたり、他人や社会を信じられなくなったり、冷淡な態度をとってしまう背景には、真実の欠如があるとの言えるでしょう。

そういった意味では、「何が真実か?」ということはもちろん、「真実の自分とは何なのか?」ということが不明確だと、不信・疑惑・冷笑・懐疑に陥ってしまうのは、ある意味では当然のことなのかもしれません。

 

なお、マズローが「B価値の欠乏」という表現を用いていることから、僕のもっているこの事に関するイメージとしては、「真実」というB価値が失われることでその空いたスペースに「不正直」という価値がスッと入り込んできてしまうようなイメージをもっています。

これは、椅子取りゲームのような感じですかね。

本来「真実」を据えるべき中心に、その不在によって真逆の要素が横入りしてくるような感覚とも言えると思います。

そして、そのようにして割り込んできた「不正直」はジワジワと自分のなかに広がり、それが不信・疑惑・冷笑・懐疑などを生むようなイメージです。

 

 

もしくは、力の強い「不正直」によって「真実」が無理やり外に追い出されてしまうようなイメージでもいいかもしれません。

いずれにしろ、このようなイメージでこのあと触れていく他のB価値の欠乏を捉えてみると分かりやすいのではないかなと思います。

 

2.善

マズローは、二つ目のB価値である「善」の欠乏とその病理については下記のように述べています。

 

2.善
病気を生む欠乏:
個々の病理:まったくの利己主義、憎しみ、 反発、嫌悪、 信頼するのは自分だけ、 虚無主義、シニシズム

 

つまり、「善」の欠乏が「悪」をもたらし、それが利己主義、憎悪、虚無感、シニシズム( 冷笑主義)などを生みます。

言い換えれば、自己中心的な行い、憎しみからくる行動・言動、あるいは空虚な感覚や冷めた態度をとってしまうことなどは善の不在によるものだとも言えます。

周りを思いやれない余裕のなさ、自分のことしか信じられない侘しさや窮屈さ、虚しさやひねくれた状態は、「善とは何か?」を追求し、「善」を実行することで消え去るのでしょう。

そういった意味では、いわゆる悪事や悪行は「真の意味で善いこと」を見失いそれを生きられないことによって行われるものなのかもしれませんね。

 

3.美

三つ目のB価値である「美」の不在は、下記の病をもたらします。

 

3.美
病気を生む欠乏:醜さ
個々の病理:俗悪、特別な不幸、落ちつきのなさ、好みの喪失、緊張感、疲労、無趣味、荒涼

 

言うまでもなく、「美」の反対は「醜」であり、美の欠乏は醜さに取って代わられます。

そしてその醜さは、低俗な悪や不幸、ソワソワする感覚を生みます。

場合によっては、自分の好きなことが分からなくなる状態や、神経をすり減らすような悪い意味での緊張感、重苦しい疲れ切った状態や原因不明の疲労感、荒れ果てた感情などを生じさせることもあるでしょう。

 

いずれにしろ、僕たちは「美」を欠如してしまうと醜さから生じるこういったネガティブな要素に溢れる世界で生きることになってしまいます。

目に見える「美」だけでなく、目に見えない「美」、すなわち物理的・物質的・具体的な美ではなく内面的・精神体・抽象的な美も追求することで、干からびた心は潤いと彩りを取り戻し、美しいものになっていくのだと思います。

 

4.統合 全体性

「統合」という四つ目のB価値には「全体性」という項目も付随しており、これらの欠乏による病気は下記になります。

 

4.統合 全体性
病気を生む欠乏:混乱、原子論、結合の喪失
個々の病理:解体、「世界没落感」、勝手な行為

 

また、この項目に関して、マズローは補足として「4A」として「二分法超越」という項目も追加しています。

 

4A. 二分法超越
病気を生む欠乏:黒白の二分法、程度や段階がない、強いられた両極性、強いられた選択
個々の病理:黒か白かの考え方、あれかこれかの考え方、すべてを拮抗か戦いか葛藤と見なす、低次の共働 、単純な人生観

 

つまり、僕たちは統合の欠乏により二分法的な世界を生み、それらがもたらすものとして混乱や原子論的な分離、対立や敵対心のような殺伐とした世界観で生きることになるのです。

言うなれば、世の中が敵だらけで危険でいっぱいの戦場のように見えてしまい、なおかつ融通の利かない頭の固い思考でしかものを考えられなくなるということでしょう。

「勝か負けるか?」「自分か相手か?」という敵対的な対立構造や、いわゆる「オールオアナッシング」的なものの見方しかできなくなってしまいます。

「引き分け」あるいは「両方とも勝ち」、もしくは「共生」「共存」といったことは思い付くことすらなく、奪い合いや競争などの部分的かつ限定的な狭い範囲でしか物事を捉えられません。

そうして、「この世界は終わっている!」「社会はクソだ!」と嘆きながら生きる人生に埋もれていきます。

 

これとは逆に、統合と全体性によって世界を見ている人は、矛盾や対立を超えた広がりのある大らかで有機的な繋がりの中で生きることができます。

彼らは、「わたしとあなた」という価値観で、シナジーによる相乗効果なども相まって、より包括体で広い視野による次元の高い捉え方で世界と調和することができるのですね。

 

ちなみに、ここで登場したキーワードと心の病気を掛け合わせてみると、いわゆる「統合失調症」や「双極性障害」といった病理は、自分という存在の統合ができなくなってしまった状態、あるいは自分の内側における感情や自己イメージなどの統合ができなくなったが故に、幻覚や妄想が起こったり気分がアッチへコッチへと極端な動きをしてしまうのだと捉えることもできるかもしれません。

 

あるいは、「本音」と「タテマエ」を使い分けることで生きている人は、その背景には統合というB価値の欠乏があり、なおかつそれは真実というB価値の欠乏でもあるということが言えるでしょう。

 

5. 躍動、過程

マズローは、五番目のB価値の「躍動」には「過程」という言葉も付随させていたのですが、これは自己実現を「ゴール」よりも「プロセス」と捉えることに重きを置いていたことが表れていると言えるでしょう。

詳しくは「自己実現の言葉の本当の意味とは?」というこちらのコラムに書いてあるので後程お読みいただければと思うのですが、マズローの語る自己実現とは目的を達成した瞬間だけでなく、それまでの過程自体を楽しみ味わうことができるのが真の自己実現です。

そのプロセス自体を躍動することが、B価値としての躍動という意味と捉えられるでしょう。

そして、僕たちが躍動や過程を欠乏してしまうと、以下のような状態になってしまいます。

 

5. 躍動、過程
病気を生む欠乏:無生気、機械的な生活
個々の病理:無生気、ロボット化、自己を完全に規定されていると感じる、情緒の喪失、退屈(?)、生きがいの喪失、経験的空虚さ

 

躍動できない心は、栄養失調に陥り、生気を失います。

エネルギーとなる源がないため、快活に生きることができません。

したがって、機械のような無機質な人間になってしまうのですね。

 

心はカラッポで、人間性もスッカラカンの中身のない人間の完成となります。

その自己イメージも、まるで飼い犬か奴隷のようになっていて、檻の中で窮屈な生活を強いられているように感じます。

感受性や情緒はすさみ、退屈で虚しい時間ばかり増えていってしまいます。

損得勘定や恐怖に支配されてしまった躍動の欠乏は、このような悲惨な毎日をもたらしてしまうのです。

 

これとは逆に、心のバネを自由にはじけさせることでエネルギッシュに生きることが自己実現であり、B価値の人生です。

結果を大事にしつつもそこまでの過程を味わい、どのような結果であれそのプロセス自体を尊重できるようになることで、躍動的な活動ができるのです。

言い換えれば、「結果が駄目だった。だからここまでの道のりは無駄だった。」という短絡的な考え方ではなく、「結果的には実りはなかったけれど、今回の経験はすごく勉強になるものだったし、その過程そのものが充実感のあるものだったから全然OK!」という余裕のあるスタンスが、自由な躍動を生むとも言えるかもしれません。

そういった意味では、僕たちは子供の頃のように目的もなく目の前のことに没頭することで躍動することができ、また、心の底では思う存分に自由闊達・天真爛漫に振舞うことを望んでいるのでしょうね。

 

6.独自性

六つ目のB価値である「独自性」の喪失がもたらす欠乏は以下の通りです。

 

6.独自性
病気を生む欠乏:同質性、画一性、相互に交換可能
個々の病理:自己および個性の感覚を失う、代理可能性の感情、匿名性、真に必要とされていない

 

これは、先ほどの躍動の内容とも関連付けて考えることができる内容ですね。

僕たちは、オリジナリティを失えば、いとも簡単に代替可能なロボットになってしまいます。

個性を押し殺し、規定された枠組みに無理やり自分を押し込めることで、周りと同じ仮面を被り同じポーズをとるピエロやマネキンになってしまうとも言えるかもしれません。

 

なお、これはマズローの語った、自分を見失うしなうことで偽りの自分を生きる「疑似自己」という自己実現とは対照的な状態とも言える姿ですね。

自己実現が、ありのままの自分の個性や才能を発揮するという意味も持っていることを考えると、独自性というB価値の欠乏がこのような状態を招くのもある種当然のことのように思います。

 

また、誰にでも出来る仕事やいくらでも代わりがきく仕事、あるいは自分にしかできない仕事とは言えない仕事をすることは人の心を不健康にするともマズローは語っていたのですが、独自性の欠如した仕事はこのような病気をもたらします。

だからこそ、僕たちは自分を知り、それをありのままに表現する勇気をもつことによって、イキイキと個性あふれる一人の人間として人生を歩んでいくことができるのでしょう。

 

7.完全性

「完全性」というB価値が失われることによる弊害は以下になります。

 

7.完全性
病気を生む欠乏:不完全、だらしのなさ、悪いできばえ、まやかし
個々の病理:失意(?)絶望、働くに値するものがないと感じる

 

また、この完全性についてもマズローは補足項目を記述してくれています。

 

7A.必然性
病気を生む欠乏:偶然、偶因論、矛盾
個々の病理:混乱、予測不可能、安全感の喪失、警戒

 

つまるところ、完全性というB価値が失われることで、あらゆる意味で人生のクオリティは下がります。

怠惰で低俗で不潔で混沌とした、無秩序極まりない生活を送ることになるとも言えるでしょう。

心も身体もだらけた、雑多で粗野な人間が出来上がってしまいます。

勇気がくじかれているテキトーさで溢れ、自分を不幸にする偶発性しか起こすことができません。

言い換えれば、楽しみも喜びも充実感ももたらさないヤケクソな偶然ばかりが日常に舞い込んできてしまいます。

 

これは、「良い加減」とは正反対の「いいかげん」なマグレにすがり、自分の足で歩くことのできない、依存でいっぱいの薄弱なナヨナヨの人間性です。

マズローは自己実現のことを「完全な人間性の発揮」と表現することもありましたが、この意味においては、完全性の欠乏は完全な人間性を発揮できない不完全な人間性をもたらすとも言えると思います。

ちなみに、マズローはこの事を「萎縮した人間性」と呼んだりもしていましたが、このような意味でも僕たちは自分にとっての完全性から目を背けることで、先程のような病理的な状態になってしまうのですね。

逆に言えば、自分の人間性が萎縮してしまっている場合は、マズローが語ってくれていた完全性をもう一度自分のなかに吹き込むことで、人間らしい存在として息を吹き返すことができるのだと思います。

 

8.完成、終局

マズローは、八つ目の「完成」というB価値に、「終局」というワードもプラスしています。

 

8.完成、終局
病気を生む欠乏:未完成
個々の病理:忍耐のともなう未完成の感情、絶望、努力や対応の停止、試みても無駄という感じ

 

「完成」の対義語は「未完成」ですが、未完成という欠乏状態は自分にとってしっくりもピッタリも来ない、モヤモヤした感情をもたらし続けます。

それが強まれば絶望的な感覚や、何もしたくなくなる無気力さ、諦めの気持ちに繋がります。

ひねくれて、ふてくされ、全てを棒に振るような子供じみた発想と行動の背景には、この完成の欠乏があるのだとも言えるかもしれません。

 

いずれにしろ、自分のなかにある「完成させたい!」「終わり切りたい!」という欲求を満足させないことで、僕たちはそれとは対極的な、未完成で余白が残ってしまっている空虚感をずっと抱え続けることになります。

そして、その空虚感が、「どうせ何やっても無駄だよ」「努力したって何の意味もない」という気持ちを生んでしまうのででしょう。

 

ちなみに、この事を先程の「躍動・過程」というB価値の欠乏と併せて考えてみると、結果として完成しなくてもその過程に意味を見出すことで、僕たちはその取り組みを経験全体として完成することができます。

言い換えれば、「結果が悪かったから駄目だ(泣)」ではなく、「プロセスに価値があった!(喜)」というスタンスで捉えてみると、その経験は一つの完成として成就させることもできるということですね。

 

つまるところ、僕たちは、自分の死に際に「自分の人生を完成させることができた」と心の底から胸を張って言えるためにも、日々の小さな物事を、過程自体を楽しめるような躍動する心と共にコツコツと完成させていくことで、このB価値は極まっていくのではないでしょうか。

 

9.正義

九つ目の「正義」を見失うと、下記のような欠乏が待っています。

 

9.正義
病気を生む欠乏:不正
個々の病理:不安定、怒り、シニシズム、疑惑、無法、一寸先は闇の世界観、まったくの利己主義

 

自分の正義感を貫くことを怠ると、僕たちは自分でも知らぬ間にどんどん正義を生きないことが板についてしまいます。

一度の不正がクセになり、そのドロ沼にあれよあれよとハマり込んでしまうのです。

不正が不正を呼ぶ負の連鎖により、心は不安定になり、そのために自己防衛をする必要性が生じることで怒りを使って他人を攻撃するようにもなるでしょう。

自分への疑いは他人への疑いの心を生み、思いやりや優しさは消え、自己保身することしか考えられなくなります。

先の見えない暗闇におびえ、視界も悪くなることで更に正義は影を潜めてしまいます。

そのような意味では、自分のなかの「正義」というB価値を深めることは自分の人生を明るく照らす光を強めることになるのかもしれません。

そして、その光は自分の周りの人々も照らし、自分のその輝きは他者からみても魅力的なものになるのでしょう。

 

なお、マズローは「正義」にも下記のような補足項目を記しています。

 

9A.秩序
病気を生む欠乏:無法、混乱、権威の崩壊
個々の病理:不安定、用心、安全性、予測性の欠如、油断のない、警戒、緊張、監視の必要性

 

正義を貫くことは、必然的に秩序だった世界をもたらします。

これとは逆に、正義の欠乏による無秩序な状態は、乱れや崩れた世界を生みます。

このような世界では、少しでも隙を見せればあっという間に奈落の底に落ちるため、気の休まるときがありません。

危機感と不安から周りをコントロールすることに躍起になり、心はいつも緊張感でいっぱいでビクビクしています。

呼吸は浅くなり、姿勢も悪くなり、体は硬直し、足踏みさえもひっそりと歩くようになり、息をひそめて人生を生きるようになります。

言ってしまえば、正義の欠乏による不正は、まるで罪人のような自分をつくりだすのです。

 

つまるところ、僕たちは自分のなかの正義を揺るがないものにすることで、温かい光で照らされた道のりを堂々と胸を張って、しっかりと地に足のついた安定した重心とともに歩んでいくことができるようになるのでしょう。

言い換えれば、自分にとっての正義を追求しそれを秩序立てていくことで、凛としたキレのある、威風堂々とした人間性がもたらされるのですね。

 

10.単純

「シンプル」を意味する「単純」という十個目のB価値の欠乏による病理は、下記になります。

 

10.単純
病気を生む欠乏:混乱した複雑さ、非結合、分解
個々の病理:はなはだしい複雑さ、混乱、当惑、葛藤、方向を見失う

 

シンプルとは真逆の複雑極まりない世界においては、問題は絡まりに絡まり、解決する糸口は1ミリも見えてきません。

むしろ、一つの問題がさらなる問題を生み、どんどん複雑化していきます。

それにより、困惑、狼狽、混迷に陥り、さながら永遠に出口に辿り着けない迷宮に迷い込みます。

どちらに進むべきか分からず、身動きがとれなくなることもあるでしょう。

もっと言えば、自分が今どこにいるのかすら分からなくなることだってあります。

さながら、「ここはドコ?わたしはダレ?」という記憶喪失のような状態に陥り、糸はもつれにもつれて、こんがらがってしまっています。

本来の単純さを見失うことで、僕たちは複雑でメチャクチャに入り組んでいる不快な迷路から抜け出せなくなってしまうのですね。

 

そして、言うまでもなく、真実というのはシンプルです。

本質的なものは、どんなものであっても余計なものは一切付いていない、単純の極みでもあります。

B価値という究極的価値は、このような意味でまさにシンプルそのものなのです。

 

そう考えると、「シンプルイズベスト」という言葉の通り、B価値を追求すること自体が単純を極めることと言えるのかもしれませんね。

言い換えれば、僕たちは何かとたくさんのものを抱え込もうとしたり、何かを追加したりプラスしたりすることで問題解決を図ったり、より幸せになろうとしますが、大切なのはむしろ不要なものを手放すことや自分の重荷になっている荷物を捨てることなのかもしれません。

そのようにして不要なものを解放していくことによって、ありのままのシンプルで純粋な自分が姿を現すのだと思います。

 

11.富裕、全体性、総合性

マズローは、十一個目のB価値である「富裕」に関しては既に登場した「全体性」と「統合性」も同じ並びで記載しています。

 

11.富裕、全体性、総合性
病気を生む欠乏:貧困、くびれ
個々の病理:不景気、不穏、世界に対する興味の喪失

 

「富裕」の対義語は「貧困」です。

また、くびれ(括れ)とは細くなっている部分のことで、ギュッと縮こまって細々としたイメージのことです。

それは、頼りなさやひ弱な感じ、もろい感じや、軟弱でちょっと突つけばポッキリと折れてしまうような「やわ」で華奢な感じです。

言い換えれば、これはあらゆる意味で貧しく、貧相な状態。

したがって、とてもじゃありませんが何かを成し遂げたりできる状態ではありません。

むしろ、誰かの助けを必要とするほどの困窮したありようです。

 

そして、富裕とは言うまでもなく金銭的な豊かさだけを指しているものではありません。

「豊かな人間関係」「豊かな感性」「豊かな想像力」「豊かな心持ち」、あるいは「豊かな自然」「豊かなエネルギー」であったり、「豊かな人格」「豊かな人間性」など、直接的には目には見えない豊かさもたくさんあります。

そのような意味では、僕たちは目に映る物事における富かさと目には映らない物事における富かさの両方を極めることで、僕たちは自分の自己実現を確固たるものにし、B価値全体が豊かさで溢れるようになるのでしょう。

 

そして、そのようにして逞しくもしなやかな豊かを内包したB価値は、全体性や統合性を帯びることでさらに強く美しいB価値に昇華されるのだと思います。

あらゆる要素を包み込み統合させた富裕は、この上ない全体性をもつ有機的な繋がりと、より大きなスケール感をもった自己実現を可能にするのではないでしょうか。

 

12.無為

自己実現している人の特徴でもある「無為」を欠乏してしまうと、下記のような病理状態になってしまいます。

 

12.無為
病気を生む欠乏:無為
個々の病理:疲労、緊張、努力、不器用、ぎこちなさ、優雅でなく硬直している

 

「無為」の喪失は、作為に満ちた日常を生み出します。

安心感とは対照的で、恐怖心にコントロール権を支配された不自由な世界です。

これにより、固定的で形式ばっていて不寛容な心が出来上がってしまいます。

カチカチで冷え冷えの凍り付いた価値観で、凍えるような寒さのなかで生きる状態です。

肩は凝り固まり、歯を震わせながら食いしばり、体は萎縮し、足どりも重く、力むことでしか熱を生み出すことしかできません。

そこで成される努力は、苦しいだけの努力であり、充実感のない努力です。

結果的に、成果は何も上がらないか、仮に成果を上げられたとしても、そのことが更なる緊張と苦しみを生むか、成果への充実感は皆無もしくは刹那的な快楽に成り下がってしまいます。

 

これとは逆に、B価値を追求するなかで恐怖心や不安を手放した自己実現者は、解放的で優雅な心持ちで人生を生きています。

全体の大きな流れを信頼し、「風まかせ」「波まかせ」でゆとりある精神性で真の自由を謳歌しています。

コントロールすることが意識しなくてもできていたり、コントロールを手放すことでより本質的なものごとにコントロールしてもらうことができています。

融通無碍とも言うべき、力みもなく、穏やかさとしなやかさの中で、ストレスフリーな緊張感を味わうことだってできます。

それは、やっつけ感や惰性的な意味での「テキトー」ではなく、「適当」という言葉の本来の意味における「全体の中でちょうどよく合っていること、ふさわしいこと」という意味の適当な在り方であり、最も適切な存在になれているということです。

 

このような意味においては、僕たちは作為を手放すことで無為の状態を招き入れることができるのではないでしょうか。

 

13.遊興性

マズローは、自己実現している人に共通する特徴に「哲学的なユーモア」を挙げていましたが、ユーモアや遊び心の欠如は心を貧しくしてしまいます。

 

13.遊興性
病気を生む欠乏:ユーモアのなさ
個々の病理:不気嫌、ゆううつ、パラノイド型のユーモアの欠如、生きがいの喪失、快活でない、楽しむ能力の欠如

 

遊興性という余裕がなくなると、ユーモアひとつ言えないツマラナイ大人が誕生します。

真剣さと深刻さをはき違え、とかく不安を煽るような発言や、ネガティブなもの言いしかできなくなります。

重苦しいような暗い世界観から、息苦しい発想や窮屈な価値観に縛られるようになってしまうのです。

 

自分のなかのかけがえのない想像力や創造性を、パラノイド的な偏執症による誇大妄想・被害妄想に使うようにもなり、ありのままの世界ではなく幻想の世界で生きるようになります。

口は「への字型」になり、眉間にはクッキリと深いしわが刻まれ、腕を組み足を組み、自分の防御力と攻撃力を上げることしか頭にありません。

効率性や損得勘定や数値的なモノサシでしか物事を判断できなくもなります。

手放しで相手を「信頼」することができないため、分かりやすい根拠や理由があることで初めて相手を「信用」しようとします。

そうして顔から微笑みは消え去っていき、あったとしても歪んだ笑みか、批判的な汚らしい笑顔しかできなくなってしまうのです。

 

一方で、B価値をしっかりと探究している人は、ユーモアや遊び心をもった、ゴキゲンな人生を生きています。

スキップや鼻歌まじりで、軽快な足どりで日々を過ごせます。

口角は自然と上がり、口元はいつも適度に緩んでいて、肩の力が抜けたリラックスさがあります。

自分のアンテナはいつも「楽しいこと」や「面白いこと」に向けられていて、ちょっとしたことから笑いの要素を見つけ出せる達人でもあります。

陰口やワルグチを言うことで笑うことはなく、どこか愛嬌のあるピュアな笑顔で冗談を言ったりジョークをかましたりして、軽やかな笑いをまき散らすのです。

 

彼らは、そういった余裕やゆとり(あそび)があるからこそ、B価値の追求をムリなく自然体で続けることができるのでしょう。

 

14.自己充足

十四個目の「自己充足」というB価値の欠乏症状は以下の通りです。

 

14.自己充足
病気を生む欠乏:偶発性、偶然性、偶因論
個々の病理:認知者(?)への依存、責任回避

 

自分で自分を満たせていないと、自分の満足を他者に依存せざるをえません。

それは無責任なことであり、自立とはかけ離れた在り方で、欲求階層における「欠乏欲求」で生きている状態であるとも言えます。

このようなタイプの人は、何かあればそれを人のせいにして、自分には非がないと逃避しようとします。

あるいは、自分で責任をもつ勇気がなく、責任をとることが怖くて仕方がないので、自分を無力な存在に仕立て上げることで依存を正当化することもあります。

さながら自己暗示のようにして自分を萎縮させ矮小化することで、無責任であり続けようとするのですね。

 

そして、それにより人生は自分のものではなくなります。

自分の人生を生きられなくなると言ってもいいでしょう。

やっつけ感やその場しのぎで日々は溢れかえり、意味のない偶発性でなんとかやりくりしています。

全体性から孤立した突発的で部分的な、繋がりや関連性のない偶然でなんとなくやり過ごすことで自分をゴマカすこともできます。

目を背け、耳をふさぎ、鼻には詰め物をすることで、感性を鈍らせることでそれにも耐えられます。

 

自分で自分を満たせないことは、このようにして容易くB価値を放棄する状態をつくりだしてしまうのです。

自分の内から溢れ出す「成長欲求」という充足感で自分を満たすことができている人は、その溢れ出す可能性や個性や豊かさを周りに人々と共有し、お互いに与え合うことで、B価値を更に極めます。

彼らは、自分を満たすことを自分に許す勇気がもてているからこそ、周囲とも調和した世界で生きることができるのです。

 

人間というのは、「自分で選ぶ」という意味で責任感をもつことで、自分以外の周りに依存する必要はなくなります。

僕たちは、その決意を胸に秘めることで自己充足を生きられるようになり、その在り方によって初めて真のB価値の追求に腰を据えて取り組むことができるようになるのでしょう。

 

15. 意味のあること

『人間性の最高価値』という書籍でマズローが挙げていた最後のB価値は「意味のあること」という項目でした。

 

15. 意味のあること
病気を生む欠乏:無意味
個々の病理:無意味感、絶望、人生に対する無感覚

 

「意味のあること」の欠乏により、無意味感が僕たちの心を支配します。

「何をやってもダメだ」「こんなことしても意味がない」「もうどうしようもない」という絶望感、悲壮感、圧迫感、虚無感が頭をもたげます。

意味や価値を見失うと、歩むべき道のりも、選ぶべき選択肢も消失し、モノクロの心持ちで過ごすしかなくなります。

「意味がない、だからできない」「意味を見出せない、だからやらない」という狭い価値観でしか物事を判断できません。

「意味がないのだから無意味だ」というパラドックスに陥り、「意味がない」ということへポジティブな意味づけをするという発想すらできなくなってしまいます。

部分的で対立的で二分法的な、統合や全体性を失った目では、「意味がないという意味がある」という言葉も矛盾していることとしか捉えられません。

「意味があること」にしか意味を見いだせないと、ユーモアは消え去ります。

「真善美」というB価値の指し示す本当の意味すら見えなくなります。

「意味がない」という豊かさにも気付けず、躍動することも独自性を発揮することもなくなり、作為に固執した不完全で未完の自分を生きるようになります。

正義やシンプルさをはき違えた、人間性が損なわれている頭の固いロボットのできあがりです。

 

つまるところ、「意味がある」ということの大切さと、「意味がない」ということにも意味があるということへの理解により、僕たちのB価値は意味は完成するのだと思います。

そのような意味を持ったB価値だからこそ、探究し続ける価値があるのです。

 

「生きる意味」「人生の意味」を見失うことなく、B価値へ正しい意味づけをすることで、僕たちはその欠乏に陥ることはなくなります。

そういった意味でも、僕たちはマズローが語ったB価値という「究極的価値」への自分なりの意味づけをし続けることで、自分だけの人生の意味と共に、ここまで見てきた病理などが入り込む余地もないような、有意義で価値のある人生を送り続けられるようになるのではないでしょうか。

 

 

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