マズロー心理学における最重要キーワードの一つである「ユーサイキア」という単語。
この言葉は、自己実現を超えた先にある超越というステージにおいて特に大切になってくる言葉です。
今回は、この「ユーサイキア」という言葉の意味を、実際のマズロー著書の原文を引用しながら紐解いていきましょう。
1.ユーサイキアとは
まずはじめに結論から言うと、「ユーサイキア」とは「優心社会」とも訳される、マズローが理想的な社会とする、ある種の心理学的なユートピアのような桃源郷のことです。
ちなみに、ユーサイキアという言葉はマズローがつくった造語なのですが、その由来は「よい心の状態」というもので、下記のような語源をもっています。
「eu=よい」+「psyche=心、魂」+「-ia=場所、祭典」=「Eupsychia」
そして、マズローはユーサイキアを、千人の自己実現者が外部からいっさい干渉を受けない島に暮らした場合に生まれる文化と定義しており、ユーサイキアの住人たちは、より自由で、寛大で、基本的な欲求を満足させているとも述べています。
また、ユーサイキアという言葉は、「心理学的な健康を目指す動き」「健康志向」という意味ももっているとマズローは語ります。
あるいは、この言葉は、健康を増進するような精神状況や社会状況を言い表すための言葉でもあるとも述べていますね。
さらには、理想上の到達点、つまり心理的療法や教育、仕事等の目指す究極の目標とさえ言うことができるとまで明言しているんです。
つまるところ、マズローにとってのユーサイキアとは、心理学的に最も望ましい環境が整備されている社会であると同時に、心の健康という側面だけでなく、仕事・教育・家庭などといったあらゆる側面においても理想的と言える社会のことなのです。
また、これらを踏まえ、ユーサイキアにはそこに所属する人々の創造性を高めるという特徴があるとも述べています。
実際、マズローは、企業における職場の従業員の心理学的な健康についての現地調査をしたノンリニアシステムズ社という会社において、この会社が理想的な経営をしている理由の一つに全体として創造的雰囲気が満ちあふれていることが挙げられるとしています。
つまり、理想的な経営を実現している一つの小さなユーサイキアとも言えるような組織においては、その組織の人々の創造性が高くなっており、これが良好な経営の重要なポイントになっているのです。
このことをマズローは、創造性を自由に解放できることは自己実現的であり、なおかつ心理的健康でもあるため、そのような企業は優れた経営ができるのであるといった意見も述べています。
つまり、ユーサイキアの特徴は、そこに所属する人々は欲求階層における五つの基本的欲求を満たした心理学的に健康な自己実現する人たちであり、彼らは自己実現者特有の「自己実現的創造性」を発揮できているということが言えると思います。
ということで、ユーサイキアに関する大まかな概要は以上になるのですが、実はこれ以外の特筆すべき重要ポイントがひとつ存在しているので、続いてはその内容について掘り下げることでユーサイキアへの理解を深めていきましょう。
2.シナジー的な社会
マズローは、ユーサイキアの特徴を「シナジー」という概念を用いて説明しています。
シナジーとは、いわゆる相乗効果のことで、平たく言うとお互いがお互いに良い影響を及ぼし合うことや、双方の利が互いに高まり合うような状態を指しています。
したがって、この状態においてはお互いがお互いの足を引っ張り合うようなこともなければ、一方の利が他方の損になってしまうことがありません。
対立、闘争、奪い合いという概念は起こり得ず、共生や与え合いという精神で事が成されていきます。
言い換えれば、「自分か相手か」という対立構造ではなく、「自分も相手も」という分かち合いと調和の構造がシナジーということです。
そして、シナジーにおける最も特徴的な性質と言えるものが、「利他と利己の統合」です。
これはつまり、「自分のため」と「相手のため」が統合されているということであり、言い換えれば自分のためにすることが相手のためになっていて、尚且つ相手のためを思ってすることが自分のためにもなっているということですね。
このようなことをマズローは、「利己主義と利他主義という二分法の統合・超越」と表現しており、この二分法の統合と超越はユーサイキア以外の話においてもマズロー心理学では非常に重要な内容になります。
つまり、互いに対立・分裂・矛盾しているもの同士を高い次元で統合し、両者を調和させ、その対立を超越することがあらゆる問題解決のキモになっていたりします。
一方で、ユーサイキアとは対照的な社会においては、このような統合や超越は起きません。
マズローは、ユーサイキアとは真逆の性質をもつ社会を様々な表現で言い表しているのですが、その中の一つに「貧弱な社会」という表現があります。
貧弱な社会では、そこの住人たちはお互いの個人的利益を対立的なもの、相容れないものとし、それと同時に自分の個人的欲求を他人の犠牲によってしか満足させることができないとしています。
このような社会ではシナジーなどというものは起こるはずもなく、「自分のため」と「相手のため」が共に成立することはありません。
自分の利益を得ることだけが重要であり、そのためには他者に損失を与える必要があるのです。
こういった非ユーサイキア的な世界の特徴について、マズローは下記のような表現もしています。
・不正直の世界
・悪の世界
・醜い世界
・分裂し崩壊した世界
・死んだ静的世界
・きまりきった絞切り型の世界
・不完全で未完成の世界
・秩序ないし正義のない世界
・必要以上に複雑化した世界
・単純化抽象化しすぎた世界
・努力のいる世界
・ユーモアのない世界
・プライバシーや独立性のない世界
これらの表現に見られる言葉選びからも、貧弱な社会とはどのような社会なのかが分かりますね。
もっとも、こういった表現をすべて総括して一言でまとめた表現に、「B価値とは真逆の世界」というものがあり、つまるところユーサイキアとは、マズローが「究極的本質価値」であるとしたB価値が具現化されている社会なのでしょう。
このB価値とは正反対の性質が先ほどのような単語であり、貧弱な社会の特徴です。
また、このB価値が内包されている社会におけるシナジーは、そこに所属する人々のかなり高度な精神性による繋がりが生まれるため、そこでは現代社会における一般的な価値観とは異なる世界が広がっています。
その例えとしてマズローは、『完全なる経営』という著書のなかでこのように述べています。
他人には親切に優しく接し、他者を助けるための労苦をいとわない、飢えている者がいれば心ゆくまで食べることができない、貧しい者がいれば自らの富を楽しむことができない、病める者がいれば自らの健康を喜ぶことができない、能力のない者がいれば自らの能力を喜ぶことができない、などといった他者に対して気をつかうことは、シナジーに達したレベルにおいてはいっさい無用の、神経症に近い態度となるのである。
つまり、現代社会では一見すると良いこととされたり高く評価されるような上記の価値観や心情は、ユーサイキアにおいては望ましくないのですね。
なぜなら、ユーサイキアではシナジーが形成されているので、他者の状況に関わらず自分を最大限に楽しみ活かすことが結果的に他者の楽しみや喜びに繋がるからです。
言い換えれば、いわゆる「わがまま」になればなるほどそれが他者のためになるということであり、別の言葉で言えば「自分勝手」に振舞えば振舞うほど社会がより良い場所になるのがシナジー状態にある社会です。
このような社会においては、自分より苦しい環境で生きている人への気づかいによって何かしらの我慢をしたり、自分の喜びや楽しみを犠牲にしたり、自分の心の満足を遠慮することは相手にとっても望ましくないということになります。
むしろ、それらによって自分を押し殺し抑圧・抑制することは、自分にとって望ましくないことはもちろん、他者や社会全体にとっても不利益を被ることなのです。
また、このような事に関連するユーサイキア的な社会の特徴の一つに、優れた人に対する他者からの逆恨みや批判を恐れる必要がないということをマズローは挙げています。
つまり、価値あるものに対する誹謗中傷、優秀さに対する憎悪や、真実、美、正義、善、徳 などに対する憎悪を怖れることはないのです。
ユーサイキアにおいては、そこに所属する人々は健康な心の持ち主であるため、自分が優秀で抜きん出ているからといってそれに対する周囲からの恨みや妬み、嫉妬、敵対心などを怖れる必要はなく、逆に言えば自分が健康な心で生きられているからこそ、他者の優秀さや特別さに対してそういった感情を抱いて苦悩することはありません。
このことをマズローは、先ほどと同じ『完全なる経営』のなかで下記のように表現してくれていますね。
言い換えれば、優秀者は警戒したり、守りを固めたりすることなく、また、反撃に対して身構えることなく、自分自身を解き放ち、おのれの非凡な才能や天分、能力、優秀さを自由に表出することができるのだ。
また、この一文の後での補足としてのかっこ書きで、下記ようなことも述べてくれています。
おそらくこのようなレベルに達すると、自慢と謙虚さという二分法も消失すると考えられる。なぜなら、このレベルでは、ものごとの認識がきわめて客観的になされるため、まるで他人の優秀さや弱点について話すように、自分自身の優秀さや弱点を冷静に語れるようになるからだ。
この内容は、自己実現する人の特徴である、ヨナ・コンプレックスを乗り越えた先にある「謙遜とプライドの優しい統合」の話ですね。
3.まとめ
ということで、ユーサイキアの概要の解説は以上になりますが、ここまでの内容をまとめると下記のように整理できます。
・ユーサイキアとは、「優心社会」とも訳されるマズローが理想的な社会とする心理学的なユートピアである
・語源は「よい心の状態」という意味であり、「心理学的な健康を目指す動き」と言い表すこともできる
・ユーサイキアの実現は、心理的療法や教育、仕事等の目指す究極の目標と言える
・そこに所属する人々は欲求階層における五つの基本的欲求を満たした心理学的に健康な自己実現する人たちであり、彼らは「自己実現的創造性」を大いに発揮している
・そこでは「利他と利己の統合」というシナジー状態とB価値の形成が実現しており、人々は「謙遜とプライドの優しい統合」が出来ているため、自分のわがままを貫くことが自他の豊かさに繋がると同時に、自分の優秀さを恐れる必要はない
このような項目がユーサイキアのポイントになりますが、これらはすべてマズローの語った欲求階層論や自己実現論、あるいは超越論といったものをベースにして語られてる内容になります。
言い換えれば、マズローの心理学者としての研究の歴史がすべて詰まった総合的な理論がユーサイキアであるということです。
したがって、ここまでの説明は、あくまでユーサイキアの表面的なエッセンスをすくい取っただけであり、その本質を理解するには欲求階層、自己実現、超越等も含めたマズロー心理学の全体像と一つ一つの概念をしっかりと吸収する必要があると言えるでしょう。
つまるところ、ユーサイキアとは、マズローの語るあらゆる概念や考え方が有機的に結びつき見事に調和しあっている、統合体に緻密に構成された全体論的な理論なのですね。
そういった意味では、マズローの語るユーサイキアについてどこまで正確に理解できているかは、すなわちマズロー心理学をどこまでちゃんと理解しているかと同義であると言えると思います。
そのような意味でも、今回触れたユーサイキアはもとより、マズロー心理学に眠っている数々の宝物を現代社会に生きる一人一人がちゃんと吸収して自分の生活に活かすことが理想的な社会の実現に繋がっており、そのことによって僕たち個人としてもより本質的で望ましい人生を生きていけるようになるのだと思います。